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07章……"やればできる"

 幸永と多久が、味方側のベンチに入って着替え終わると、すぐに主審が両チームに号令をかけた。

 両チームが横一列となって整然と整列を終えると、主審の音頭でお互いに帽子を取って、深々頭を下げた。

 挨拶を終えて頭を上げ、両チームの選手が各々帽子を被り直し、自分のベンチに戻って行く。

 しかし進平は、相手チームのひとりと何やら話しているようだった。

「おい、今日は負けねえからな!」

「はん! うちのチームに2連敗中の奴が何を言う。2度あることは3度あるからな。今日もうちが勝つに決まっておろう!」

「何だと!?」


「お! 今日も始まったな!」

「始まったって、進平さんと相手チームの人が何やら口論してますけど……」

「口論? いんや、あれはれっきとした戦いだ。舌鋒ぜっぽう鋭く、相手の弱点えぐる! まあ、戦国時代の武者同士の槍合せみたいなもんだ!」

「そういうもんなんですかね……」

 あんまり釈然としない幸永を尻目に、多久は話し続ける。

「あれがあるとないとでは、だいぶ違ってくるんだわ。ほら、相手ベンチを見てみろっ! こっちのベンチに負けじと、あっちも総立ちになって野次を飛ばしているだろ? 何だかんだでどっちの大将も、これで士気が上がることを知っているっ! だが、穿った見方をすれば、半ば演じているようにも見えてくるっ! しかし、本人達は演技もクソもなく、至って真剣に罵りあっているわけだっ! そうすると、どうだ? 何ごとも真剣にやってる人間ほど魅力的なものはないっ! 罵りあいは士気向上の一環! 言わば前哨戦ということになるっ! 何の戦でも必ずと言ってもいいほど前哨戦はあるっ! かの関ヶ原の大戦だって前哨戦はあったのだ! 前哨戦をなくして、はたして戦は盛り上がろうかっ!? ……答えは否! 否なのであるっ!」

 多久は、真面目くさった顔で言い切った。なぜか腕を胸の前で組んで、鼻息を吹かしている。

 まるで、台本を読んでいるのかとも思えるような長いものであったが、朗々と語っていたから、多久の持論らしい。

 途中から熱が入った多久とは対照的に、幸永は冷えたというよりも、何だかどうでもよくなった。ただ、持論を朗々と語る多久に半ば呆れながらも、少し敬意を持った。

「そ、そうですね……」

 思わず出た肯定の一言。言っていることは滅茶苦茶に等しいものの、幸永には心打つものがあったのだろう。少しの間ながら、思考が止まった。

 しばらくして進平がようやく帰ってきた。大将の帰還にベンチ内は湧きに湧いた。

「口喧嘩にも勝ったし、久々に円陣を組むか!」

 みながベンチの外に出て、進平を中心に円陣を組んだ。

「よーし、野郎共! 今日こそ奴等をけちょんけちょんにしてやろうではないか! それ、えい、えい!」

「おおおおおうっ!」

 ときの声を挙げ、みなが天を突かんばかりに拳を高々と振り上げた。スタメンに選ばれた選手たちは、各人の守備位置へ散って行く。

 全員が守備位置に就くのを認めるや、進平は幸永の方へ振り返り、がしりと双肩を掴んだ。

「幸永くん! いざという時は、頼んだぞ!」

「お任せ下さい!」

 幸永は、嬉々として頷いた。

 完全に場の雰囲気に飲み込まれている幸永であった。


 主審の合図で試合が開始された。

 先発投手は進平である。その進平は、豪快なフォームから繰り出される豪速球で以って、相手チームの上位打線をいとも簡単にねじ伏せる好投を見せた。

 相手の先発投手は、先ほど進平と口喧嘩というなの舌戦を繰り広げていた由布ゆふ。歳は進平と同じく今年で68歳の老人であり、普通の老人らしく進平みたく筋骨隆々ではないが、細身ながらも鍛えこまれており、この由布も進平と同じく、他の老人とは一線を画していた。

 その由布の投球術は見事であり、進平ほど直球に速さはないものの、それに交えて投げるカーブが、変化が大きくしかもやたらと遅い。それを同じフォームでリリースポイントが直球と寸分も違わないから厄介であり、打ち気に逸る上位打線は、緩急に惑わされてことごとく打ち取られた。

 終盤に差しかかっても、試合はノーヒットノーランペース進み、草野球と思えぬほどであった。双方の外野手が寝転んでもいいほどに外野に打球は飛ばず、両投手は3塁はおろか2塁を踏ませない好投だった。

 そして、そのまま9回の裏まできてしまったのである。


「よし! 幸永くん! 長らく待たせたが、君の出番だ! 代打で送るから、思う存分に暴れてこい!」

 進平が幸永の肩をいつもの調子で叩いた。

「だだだ、代打ですか!?」

 突然の申し出に幸永もにわかに驚いた。 

「そうともよ! よく考えれば2連敗したのも、由布のクソ爺のチームが裏だったからだ! ここで一発ガツンと打ってくれればいいんだ! 頼んだぞ!」 

「は、はい……」

 すっかり仰天しきった幸永は、気の抜けた返事をして、とりあえず準備を始めた。

 準備を終え、他の選手たちからの激励や喊声かんせいに送られて、幸永はベンチを出た。胸中には不安が渦巻いているが、それを顔に出すまいと必死に笑顔を作って。

 幸永は、右の打席に入って足元の土をならす。胸が苦しく、不安で張り裂けそうであり、心臓も鼓動が早鐘のようになり続けている。

 それらを覆い隠すかのように、バットを持つ両手に視点を置いて、大きく腕を伸ばして構える。

(あれ――?)

 すると、胸中にあったずっしりと圧し掛かっていた不安が消え、早鐘のように鳴り続けていた鼓動が平常時の動きとなった。いつしか幸永の顔つきも変わり、炯々とした眼を由布に向けた。

「小生意気な」

 まるで幸永の眼が睨むような眼に見えた由布が、吐き捨てるようにつぶやくと、ロジンパックを投げ棄て、大きく振りかぶった。

 流れるような動作を終え、白球が投じられる。

 幸永が、投じられた白球を捉えんと、ヘルメットの中から炯々とした眼をより一層炯々とさせ、バット思いっきり振り切った。

 真っ芯で捉えた打球は、レフトの方向へ飛んで行った。打球はカラーコーンの近くを飛んで行く、切れるのか切れないのか。しかし、惜しくも打球はわずかに左に切れた。

 味方のベンチがため息、敵方のベンチが安堵の息をつく。

 幸永自身も息をつき、再び集中力を高めようと大きくバットを構え直した。

「幸永さ~ん、頑張って下さ~い」

 その時、聞こえるはずのない間延びした女性の声が、聞こえた。よくよく脳内で分析してみると、友江の声であることが分かった。

「すいません、タイムお願いします!」 

 味方のベンチに戻ると、進平の隣に友江がいつの間にか座っていた。

「な、何で友江さんがここに!?」

「実は――」

 進平の大声が友江の言葉を遮る。

「大学に行ってみたら、大学自体が閉まっていたんだってよ! で、そのまま帰るのもつまらないから、こっちに寄ったんだってさ!」

「そういうことです」

 言おうとしたことを言われたのにも関わらず、不快な表情をひとつせず同意する友江。

「な、なるほど……」

「幸永さん」

 友江がすくっと立ち上がり、幸永の真ん前に立った。そして、幼子をあやすかのように笑いかける。

「"やればできる"は、魔法の言葉ですよ」

 その笑顔に幸永は思わず見蕩みとれる。

「え、あ……は、はい!」

 幸永は、ぼうっと見蕩れていたせいで、友江の言っている意味を一瞬飲みこめなかった。が、何とか理解すると、取り繕ったかのように頷いた。

「おい、新入り! てめえばっかずるいぞ! 凡退しちまえタコ!」

「そうだそうだ! おめぇなんかタコっちまえ!」

「羨ましいぞこの野郎! 俺と代われ! このタコ野郎!」

 いい年こいた野郎たちの、嫉妬の嵐が次々と巻き起こった。

 そのあまりにも煩さに耐えかねた進平が、幸永と友江に苦笑を浮かべると、野郎たちの方を振り返り、怒声を張り上げる。

「うるっせえのう! そんなに嫉妬みてえなことを言うんなら、はよ嫁さんを貰いやがれってあれほど言っているだろうが! それに、幸永くんが凡退いしてくれたらどうすんだっ? 延長なんてねえんだぞ! ましてや引き分けもねえ! このまま引き分けで終わったら、コイントス勝負なんだぞ? コイントス勝負に持ち込まれたら、100パーセント負けるんだぞっ! 今日も負けてえのか!? 今日も俺にコイントス勝負しろってか!? 冗談じゃねえ! 何が悲しくて監督同士がコイントス勝負しろってんだ! いつから決まったんだ! おめえら、久々に野球で決めたいだろ!? そうじゃねえんか!? あの爺の鼻を明かしたいと思わねえのかっ!?」

 嫉妬を醜い野獣のように吠えていた野郎たちは、しんと静まった。

 進平は振り返ると再び苦笑を浮かべた。

「幸永くん、こんな奴等ですまんのう。とにかく、一発逆転! 好球必打! 千載一遇! を信じて望んでくれ!」

「はい!」

「頑張って下さいねぇ」

「うん、有難う! 友江さん!」

 幸永は勇躍すると、バッターボックスに戻った。

「長々とすいませんでした。お願いします!」

「んじゃ、プレイ」

 幸永がバットを構える。

(長々と待たせたから、やっぱり由布さんの機嫌が明らかに悪くなったみたいだな……)

 由布は、額に青筋を幾筋も浮き立たせ、眉を逆立てているように見える。しかも、プレートを何度もスパイクで蹴り、口元を歪めていた。

「これでとどめよ!」

 腕を高々と上げ、投球の動作に入る。左足で踏ん張り、後方にあった右腕が遅れてやってきた。あとは、手の内から白球を解放するだけとなったその時――。

「あっ」

 その所作を見ていた者の誰もが、思わず言っていた。

 失投だった。

 当の本人である由布も、目を見開きつつ口に出ていた。

 幸永は驚きながらも、すぐに冷静になった。

(これこそ進平さんが仰っていた好球必打! 千載一遇! 一発逆転! これを逃す訳にはいかない!)

 バットが腕と腰の力で素早く前方に押し出され、甘く入った白球をあわよくば破砕せんと振られる。

 再び真っ芯で捉えられた白球は、快音を響かせてまたもレフトの方向へ飛んでいった。

 打球はこれもさっきと同じく、カラーコーンの近くを飛行している。しかし今度は切れずに、そのまま少し奥まった所にある「ここからホームラン」と、紙に書かれて貼られたもうひとつのカラーコーンに着弾した。

 試合は決した。


 試合が終了し、相手チームがさっさと撤退すると、選手たちは弁当を飢えたハイエナのように食らった。因みに、クーラーボックスの中身はひとつはスイカが丸々一個と、もうひとつは

「『こどものビール』……?」

 であった。飲酒運転を防ぐために、江里が考案したのであろう。そのふたつの品がみなに振舞われた。それでも、『こどものビール』と呼ばれる飲み物は、アルコールが入っていないのにも関わらず、なぜか酔う選手が続出したという。

 全員が昼飯を食べ終えるのを見届けると、進平が声高らかに宣言した。

「これから、銭湯の『有馬屋』に行くぞ――っ!」

「おおお――っ!」

 幸永が他の選手と一緒になって大声を挙げていると、多久が声を掛けてきた。

「兄ちゃん、早くも男の約束を果たす時が来たようだ! 約束通り当面の入浴代と風呂上がりのコーヒー牛乳代を奢るぞ!」

「ほ、本当ですか!? 有難う御座います!」

「おうよ! 男に二言はねえっ。何せチームの救世主だからな! そうだ! 友江ちゃんの分も奢ってやろうっ。友江ちゃんも行くかい?」

 デジカメで喜んでいる選手たちを撮っていた友江が、にこりと微笑む。

「いいんですかぁ? 有難う御座います。お供しますねぇ」 

 多久が、歯切れのいい笑いを発する。

「よし! そうと決まれば行くかっ。他の連中は向かったようだし、進さんも他の奴の車に乗っけてって貰ったみたいだしな!」

 その後銭湯に着いて、多久の奢りで浴槽に浸かったふたりであった。因みに、女風呂が至って平穏だったのに対し、男風呂はまるで小学生の子供が騒いでいるような煩さだったという。


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