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メドレー 晒し中  作者: 南国タヒチ
第一部 優しい歌
5/52

Surrender 改稿

 目が見えないせいか、医者の声がいつもより大きく聞こえた。

 暗闇のなかに潜んでいる医者は、おれが失明したことを長々と説明してくれた。

 おれは暗闇をぼんやりと見つめながら、医者の話を聞き流していた。

 医者の話を聞いたところで、目が見えるようになるわけじゃない。

 もういい。

 もういいだ。

 ほっておいてくれ。

 今のおれには恐怖はなかった。

 失明する前まであれほど怯えていたのに、いざ失明すると恐怖はなかった。視力を失って心を満たしたのは恐怖ではなく、虚脱にも似た安堵感であった。

 ――それも当然か。おれにはもう失う物なんてないのだから。

「すんませんね、先生。うちの息子が迷惑かけちまって。ほれ、おめえもブスくれてないで先生に挨拶しろ」

 おれは、親父に促されて医者に頭を下げた。

「いえ、お力になれなくてこちらこそ申し訳ありません」

 医者は丁寧な声で詫びた。

「気にしないでください」社交辞令で返す。

 医者の話が終わると、親父に手を引かれて部屋を出た。

「――大丈夫ですか。一平さん」

 ポン子の声がした。ポン子は、情けないおれのために救急車を呼んでくれ、情けないおれを心配して待っていてくれた。

 

 おれはポン子の善意がうっとうしく感じた。

 

 心配されたところで、目が見えないのはおれだ。

 ポン子ではない。

「大丈夫ですよ、こいつは。目が見えないてだけで、別に死ぬわけじゃないですから」

 親父は、いつもの調子で答えた。

 おれはそんな親父の声に、いつも以上にイラっとした。

「――そうだ。死ぬわけじゃない。だから、もう心配しなくていいし、見舞いとかもこなくていい」

 ほっておいてくれ。

「そうですか・・・・・・」

 ポン子は震えた声が聞こえたかと思うと、廊下を駆けていく音が響いた。

 ポン子は行ってしまったのだ。

 おれは遠くなっていくポン子の足音を聞きながら、案山子みたいに突っ立ていた。

 誰かに殴り倒された。

「このチンカス野郎! なにがほっておいてくれだ。目が見えないくらいで、気取りやがって! お前は石原裕次郎気取りか! 千葉の勇ちゃんはおれっちに決まってるだろう!」

 親父は訳のわからないことを怒鳴り散らすと、止めとばかりにおれの左頬を殴り飛ばした。おれは床に膝をつき、口から奥歯を吐き捨てた。病院の住人達は悲鳴を上げた。

 〝このクソ親父が〟

「訳がわからねえだよ、テメーの説教は! それにおれが何を言おうが、おれの勝手だろう!」

 言い終わると同時に、おれはパンチを繰り出した。

 親父がどこにいるのかわからないが、それでも手をださないことには気が済まなかった。

 奇跡的なことに、おれの拳は親父の頬を捉えた。

「目の見えねえテメーの拳なんか避ける必要もねえや。殺し合いだ、このクソ餓鬼!」

 親父が吠える。

「上等だ、クソ親父!」

 おれは見えない親父を睨みつけると、殴りかかろうとした。

「兄貴!」

 数馬の叫び声が割って入った。

 学校から駆けつけた数馬のおかげで、親父とおれの殺し合いは寸前のところで回避された。

 見舞いどころではなくなった数馬は、怒り狂う親父を家に引きずっていた。

 おれはといえば病院のベットの上で、望んでいた孤独を味わった。

 望んでいたわりには、孤独の味は不味かった。

 長い時間孤独を味わうと、ドアが開く音がした。

「入るよ、一平」

「山形さん・・・・・・」

 声でわかった。

「見舞いにきたよ、一平。奮発して、メロンを買ってきたけど食うかい?」

 おれは食いたくなかったが、頂きますと答えた。

 山形さんには、現役時代どころか、ガキの頃からいろいろと面倒見てもらっている。

 その恩が、文句を付けようとするおれの唇を縛った。

 それに孤独でいることにも飽きた。

 山形さんはメロンを切ると皿に乗せておれに渡してくれた。

 おれは右手に握りしめたフォークで、暗闇に隠れているメロンを刺そうとする。フォークはメロンを外し、かわりに皿を刺した。

 惨めで泣きたくなってきた。

「すまんね一平。気がきかなくって」

 山形さんは申し訳なさそうな声で謝ると、おれの手に握られたフォークをメロンに誘導してくれた。

 おれはメロンをフォークで突き刺し囓りついた。

 ちょっとしょっぱい味がした。

 また泣いてるのだ、おれ。

 〝どうせ目が見えなくなるのなら、だらしない涙腺も止めてくれりゃあいいのに〟

 涙で味付けしたメロンなんか食いたくねえ。

「一平。顔が腫れてるけど、万ちゃんに殴られたのかい?」

「ええ。奥歯折られましたよ」

 年寄りのくせに無駄にパンチが強い。

「奥歯折られたのかい? アハハハ、現役時代ハードパンチャーだったからね、万ちゃんは」

「でもたかが六回戦でしょう」

 おれは磁石のように反発した。

「まあね。でも万ちゃんなら、続けていれば日本ランキングくらい入れたよ」

「でもランキングに入らず終わったでしょう。本当ウチの親父は口だけだよな」

 おれが毒突くと、「万ちゃんが日本ランキングに入れなかったのは、万ちゃんのせいじゃないよ。僕のせいだ」

 山形さんは穏やかな声で否定した。

「ひょっとして山形さんが、親父のことを叩きのめしたんですか?」

 元世界ランキング三位の山形さんなら、親父を叩きのめすことなど造作もない。親父も山形さんに叩きのめされて、自分の才能のなさを思い知らされたのかもしれない。

「いや、万ちゃんとと僕とは闘ったことないよ。階級は同じだったけど、ジムが一緒だったからね。僕の所為てのは、僕がヤクザに借金を作って、その尻ぬぐいを万ちゃんがやってくれたせいさ」

「ヤクザに借金って――。病気のお袋さんでもいたんですか!」

 おれは思わず声を上げてしまった。

 大人しい山形さんが、ヤクザに借金している姿が想像出来なかったからだ。

「そんな格好いいもんじゃないよ。僕がヤクザに借金したのは、水商売のお姉ちゃんに入れあげたのが原因。お袋は全然関係ないよ」

「山形さんが、女?」

 信じられなかった。

「うん、女。僕だってはじめから枯れて生まれてきたわけじゃないよ。若い頃は人並み、いや人並み以上に女が好きだった」

「――そうだったんですか?」

 おれは頭のなかで山形さんの顔を思い浮かべたが、好々爺然とした山形さんの風貌からはどうしても女遊びしている若い頃の山形さんを想像することはできなかった。

「まあ疑うのも無理ないかもね。今の僕は盆栽ぐらいしか趣味のない枯れたおじさんだからね、でも昔はこれでも遊んでいたんだよ、一平。地味な性格のせいか、僕は派手で気の強い女性が好きでねえ。近所のスナックのお姉ちゃんに惚れちゃってさ。ヤクザに借金までして貢いだよ。でも、結局は女に捨てられちゃって、残ったのは借金の山だけ」

「その借金どうしたんですか? ヤクザから金を引っ張ったでしょう? 返さなかったらやばくないですか?」

「やばいよ。かといって元金だけでも返すのが難しい額なのに、高利でさらに膨らんじゃってねぇ。とてもじゃないが貧乏ボクサーに返せる額じゃなくなっていたから。金返さずに逃げ回っていたよ」

 ――情けないでしょう、僕?

 山形さんが情けない声で言うので、おれは思わず笑ってしまった。

「それである日、頭にきたヤクザがジムに乗り込んできちゃってさぁ」

「ヤクザがジムに乗り込んできたって――。山形さんの現役時代って、暴対法もなかった時代でしょう? ヤクザも無茶したんじゃないですか?」

「うん。昔のヤクザは怖かったよ。だから僕はすぐに土下座して泣きを入れたんだ。怒鳴られようが、蹴られようが、殴られようが、とにかく土下座してねえ。その日はなんとか帰ってもらったんだけど、ヤクザと入れ替わりに、ロードワークを終えた万ちゃんが帰ってきてねえ。あのヤー公なにしにジムに来たんだって、恐い顔で僕に聞いてきたの。僕は万ちゃんが怖くなって正直に告白したら、前歯二本折られたよ。一平も見たことあるだろう、僕の金歯」

 おれは黙って頷いた。

「スパーリングじゃあ、一度も万ちゃんに負けたことなかったけど、リングの外では一度も勝てなかったな」

 山形さんは感慨深げに独白した。

 おれはといえば、自分のなかにある山形さん像を修正するのに忙しかった。

 おれはずっと山形さんのことを出来た人間だと思っていた。

 でもそれは山形さんの一面でしかなかったのだ。

「親父に殴られた後はどうしたんですか?」

「万ちゃんに金返すあてがあるのかと聞かれて、僕が世界チャンピオンにでもならないかぎり返す当てなんかないよと、答えたらまた殴られてね」

「ボクシングは金にならないスからね。それで親父はどうしたんですか。まさか山形さん殴って終わりってわけじゃないですよね?」

 おれの知る親父なら、この程度では終わらない。

「――まさか。それぐらいで終わるような人じゃないよ、万ちゃんは。万ちゃんは殴り終わった後、話をつけにヤクザの事務所いくからお前も一緒に来いと言い出してねえ。僕はそれを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になったよ。情けないことに完全にビビっちゃってさ。万ちゃんに勘弁してくれと泣きを入れたんだけど、あの性格だろ、万ちゃんは。泣きを入れたぐらいで万ちゃんが勘弁してくれるわけもなくてさぁ。嫌がる僕の首根っこ引っ掴んで、ヤクザの事務所に連れてかれちゃったよ」

「――今も昔も親父は変わらずか。でも親父がヤクザの事務所に行ってもどうにかなる話じゃないでしょう?」

 ヤクザと話をするには、今も昔も金しかない。

「うん。一平の言うとおりでさあ、ヤクザの事務所に入った瞬間、鉄砲とかポン刀をもった組員に囲まれて、無理矢理土下座させられたよ。ボクシング強くても鉄砲には勝てないからね」

 山形さんはアハハハと笑った。

 そこは笑うところじゃないと思う。

「土下座して勘弁してくれたんですか?」

「するわけないじゃん。それぐらいで許してくれたら、向こうもヤクザなんかやってないよ。土下座させれらながら、ヤクザが聞いてきたことと言えば、いつ金を払えるのか。ただそれだけだったよ。僕は完全にビビっちゃっていたから、何も言えないの。自分の不始末なのにね。情けない。

 かわりに万ちゃんが喋ってくれてねえ。僕が世界チャンピオンになったら返すから、それまで待ってくれ、て言ってくれたんだよ。

 横で聞いてた僕は自分のことながらに、それは無茶だろうと思ってたら、案の定ヤクザの親分が万ちゃんの言葉に切れちゃって」

 山形さんは言葉を切り、「こんなぼんくらが世界チャンピオンになれるはずねーだろう。あんまり調子の良いこと言ってると、コンクリートの下駄をはかせて海に沈めるぞ!」

 山形さんのヤクザの親分を真似て、小さな声で怒鳴った。

 病院に配慮したようだ。

「て、怒鳴るのよ。まあヤクザの親分が怒るのも当然だよね。当時の僕はまったく無名選手だったから。でも、万ちゃんはそれを聞いて完全にブチ切れちゃって」

 山形さんはまたしても言葉を切った。

「このクサレ外道! 土下座までさせといて、借金が待てないだとこのインポヤクザが! どうせ女をソープに沈めたり、シャブ売ったりして儲けた汚ねえ銭だろうが! ちっとばかしぐらい待てねーのか!」

 山形さんは声のボリュームを抑えながら、親父の口まねをした。

 そっくりだった。

「万ちゃんの啖呵を聞いて、ヤクザの親分も怒り狂っちゃってね。テメー指つめ差すぞってと、テーブルにドスを突き刺してねぇ、怒鳴るのよ。そしたら万ちゃんが、そのドスを掴んで自分の指を詰めちゃって、親分の顔に自分の小指を叩きつけちゃったのよ」

「――えっ、それって本当ですか?」

 うちの親父は火が付くと何をしでかすわからない男だということはわかっていたが、まさか勢いで指まで詰めるとは――。

 そこまでの大馬鹿野郎だとは、さすがに思っていなかった。

「本当だよ。そのおかげで利子がチャラになったんだもん」

 山形さんはあっさりと答えた。

「ヤクザの親分も、万ちゃんのあれにはさすがにビックリしたんだろうね。万ちゃんの指を慌てて拾って、急いで医者につれて行こうとしたんだよ。ところが万ちゃんは病院なんか行かないとゴネてね。 ヤクザの親分もこれには参ってね。結局、元金だけ払えばいいってことで話が付いてね。

 万ちゃんは満足して病院に行って、小指を繋げて貰ったんだけどさ。左の握力が弱くなっちゃってねぇ。その後万ちゃんは死に物狂いで握力鍛えたんだけど、握力戻らなくてね。結局、万ちゃんはボクサーを引退。引退した夜、僕は、万ちゃんに泣きながら土下座したよ。いくら僕がクズでも、万ちゃんのボクシング人生を奪ったのは堪えてね」

 山形さんの声は、泣いているような笑っているような不思議な声だった。

「僕が泣きながら土下座していると、万ちゃん怒鳴ってね。土下座するぐらいなら、世界チャンピオンになってみろってね。僕もその言葉を聞いてガラにもなく熱くなって、絶対に恩に応えてやると思って頑張ったけど、世界の壁は厚くてねえ。結局五年後にベルトを取ることなく引退。

 引退して、職がなくてウジウジしていたら、万ちゃんにまた殴られて、ウジウジしている暇があるならボクシングジム作るの手伝えって言われて。僕がきょっとんとした顔で、ジムを作る金なんかどこにあるんだよ、て万ちゃんに聞いたら、万ちゃん腹巻きを開けて、ぎっしりと詰まった札束を見せてくれてたの。どうも万ちゃん。引退したあと、あのヤクザの親分に可愛がられて、金になる仕事を貰っていたらしいだよ。転んでもしっかりしてるよ、万ちゃんは」

 山形さんは最後に笑い声をあげて、ウチのジムの創立秘話を語り終えた。

「そのヤクザの親分って、ひょっとしてうちのタニマチの片桐組?」

「そう片桐組」

 おれは前から疑問に思っていた、片桐組とウチとの関係がようやくわかった。

 ジムの設立にまで絡んでいるのなら、関係が切れないはずだ。

「片桐組の組長と親父が仲が良いのは知っていたが、まさかそんな話があるとは」

「まあ、八百長とかはしてないからその点は安心していいよ。片桐の親分も、純粋に趣味でタニマチしてるだけだから。それにたとえヤクザがウチのジムをガジろうとしたって無駄さ。

 なにせうちには万ちゃんがいるだろう? 万ちゃんがいるかぎりヤクザ屋さんも、ウチをガジりたくてもガジれないよ。下手にさわったら、万ちゃんに何されるかわかったもんじゃないからね」

 ――それにウチのジムじゃあ金にならないだろう。

 そう付け足すと山形さんは笑った。

「まあ、あれだよ、一平。万ちゃんの前で、後ろを向いたり、ウジウジしたらダメだよ。すぐ殴られるから。僕も情けない人間だけど、それぐらいは万ちゃんを見て学んだよ。殴られたくなかったら、万ちゃんの前ではウジウジしない。後ろ向きにならない。たとえ人様から笑われるぐらいみっともない歩き方でも、とにかく前をみて歩く。それしかないよ、万ちゃんと付き合っていくには」

「親父と付き合うの大変なんですね」

 おれはしみじみと思った。

 どんなときも前みて歩かなきゃいけないなんて、なかなかハードな人生だ。

「うん。万ちゃんは大変な人だからね」

 二人して笑った。

「じゃあ、そろそろ僕帰るよ。明日、若い奴が試合するからね。ジムに帰って様子を見てやらないと」

 山形さんが席から立つ音が聞こえた。

「そうそう。長々と説教くさい話をして悪かったね、一平。僕は、ボクシング以外のことでは、他人に説教しないことにしているんだ。何せ、人様に説教できるような立派な人生、僕は歩いてないからね」

「そうすね、山形さん」

 おれがそう言うと、山形さんは大笑いして帰っていった。



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