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メドレー 晒し中  作者: 南国タヒチ
第三部 花の匂い
43/52

Round About~孤独の肖像~ 改稿

 

 月は山陰に隠れ、峠道は真っ暗だった。

 車を運転している田島は、蛇のように曲がりくねった峠道を、スピードを押さえ慎重に車を走らせていた。

 田島はサラリーマンの兄ちゃんのような顔をしているが、昔はコテコテの暴走族であった。

 暴走族上がりで車好きの田島としては、暗く危険な峠道といえども、もっとスピードを上げて走らせたかったろう。

 だが組の幹部であるおれを乗せている以上、乱暴な運転はできなかった。

 ヤクザの運転手に求められるのは、早く車を走らせる技量ではない。

 いざとなったら車を早く走らせる技量である。

 おれ達はヤクザだ。安全ばかりを求めるわけにはいかなかった。

 時には危険を覚悟でアクセルを踏まねばならなかった。

 その時がくるまで、慎重に慎重を重ねた上で、車を走らせなければならない。

 なにせ今は。

 特に今は。

 若を的にしているのだから。

「――暴走族上がりのお前がこんなに丁寧に車を運転するようになるとはな。田島。お前も大人になったな」

 おれは田島を褒めた。

 いずれ田島には、おれの変わりに突っ走ってもらわねばならない。

 田島の突っ走る先が、栄光なのか破滅なのか、アクセルを踏ませるおれにもわからなかった。 だが心中だけはごめんだった。

 死ぬなら田島一人だけで充分だ。

「オヤジや若頭にはヤクザのイロハを教えてもらいましたから」

「そう言えるってことは、部屋住みも無駄ではなかったわけだな」

 過酷なイビリと暴力によって、狂犬を従順な猟犬を変える作業を、ヤクザの世界では、部屋住みと呼んでいた。

 狂犬共に、上下関係を植え込み、上の人間の一声で、暴力を振るわせるように変えるには、部屋住みという無茶な仕組みが必要であった。

 しかし変わらない狂犬もいる。

 片桐忍が、まさにそれだった。

「はい。でももう一度部屋住みやれと言われたら、ケツを割っちゃうかもしれませんけど」

 田島はそう言って笑った。

「おれもだ。だが田島。長谷はその部屋住みから今やり直している」

 おれの口から長谷の名が出ると、田島は笑うのをやめた。

 田島は、長谷の弟分だからだ。田島は、長谷を人間的に慕っていた。おれに取り入って、なんとか兄貴分を助けようとしている。

 ゴミクズのヤクザでも、いつもいつもゴミクズというわけではないのだ。

 ただ、その田島の気持ちを利用しているおれはどうしようもないゴミクズだった。ゴミクズ中のゴミクズであった。

「田島、ヤクザにとって最悪のことはなんだと思う?」

「部屋住みに落とされることですか? 長谷さんみてると正直悲しくなりますよ」

「たしかに長谷は哀れだ。だが悪いのは長谷だ。オヤジの女にちょっかい出したのだからな」

「そりゃあそうすけど――」

 長谷に可愛がられた田島は納得できない。

 オヤジに反感を抱く。だがそれは間違いだ。

 田島が憎まねばいけないのは、オヤジではなくおれだ。長谷の事をオヤジにチンコロしたのはおれなのだから。

「でもおれ今回の処分重すぎるとおもうですよ。だって長谷さんマメドロしたわけじゃないですよ。オヤジの女が分も弁えずに組内のことに首突っ込んでくるから、長谷さんが怒ってクンロクを入れた。ただ、それだけの話じゃないですか。長谷さんは組をおもってやったわけでしょう。幹部の人達だって口にはださないけど、長谷さんの行為を認めているでしょう。それをオヤジは・・・・・・」

 おれは後ろから運転席に蹴りを入れ黙らせる。

「田島! お前の気持ちはわかるが、だがそれ以上言うな。ヤクザをやる以上、理不尽なことでも二つに折り畳んで飲み込まなくちゃいけーねんだ。それが出来ねーなら、ヤクザやめろ」

 おれに叱られ、田島は悄げた。

「それにな田島。お前が転けたら、長谷が浮き上がることは二度とないんだぞ。長谷を救うにはお前しかいないんだ。慎重に行動しろ、田島。長谷の件は時期を見て、おれがオヤジに話をしてやるからな。お前も堪えてくれ」

「すんません、若頭」

 若い田島は感極まって涙を浮かべた。

 おれは田島の涙を見て素直に羨ましく思った。おれが田島の立場なら、言葉の裏を考えてしまう。

 〝そしてそれはヤクザとして生きるなら重要なことだ〟

 兄貴分の甘い言葉に欺されて、懲役に行かされたり、死んだ若い者はいっぱいいる。

 このおれでさえ、オヤジにおだてられて、何度も危険な橋を渡らされた。

 〝田島。お前はヤクザにしてはいい奴だよ〟

 だがもっと上の人間の言葉を考えたほうがいい。

 おれはお前を取り込んで、使うだけつかって。そしていざとなったら始末するつもりでいるのだから。

「話がずれちまったが、お前が長谷の姿を見て部屋住みに落とされるのが最悪だという気持ちはわかる。だがな、長谷はこうなることがわかっていても組に戻ってきた。わかるか田島。本当に最悪なのは位を落とされることじゃねえ。代紋がなくなることだ。ヤクザの代紋ってのはそれだけ重いだよ。

 男の器量だの。義理だの、仁義だの、いろいろと喚くやつもいるがな。そういった御託を裏打ちするのは代紋の重みだけなんだよ。代紋がなけりゃあ、ヤクザなんざたんなるクソだ。

 いやクソ以下だ。だからおれ達は代紋を軽く見るやつは容赦なくケジメを取る。代紋を守るためなら、懲役覚悟でチャカを握って走りもする。それがヤクザだ。長谷はそのことをよく知ってるから、オヤジに頭を下げて組に戻ってきたんだよ。長谷も破門されている最中、他所の組の連中に相当イジメめられたみてえだからな」

 さりげなくオヤジよりも代紋の権威を重くする。

 長谷のシノギを潰したのはおれだ。

 オヤジに命じられてやった。しかしおれがやらなくても、遅かれ早かれ長谷は潰されていただろう。

 代紋がなけりゃあ、ヤクザなんぞクソだ。

 カタギだって、同業だって、みなヤクザを見るんじゃない。

 ヤクザの後ろに控えている代紋をまず見るんだ。代紋が軽ければ、代紋がなければ、いくら器量がよくても、その器量を発揮する事はできない。

 それがヤクザの世界だ。

代紋を捨てた長谷に明るい未来など存在しなかった。

長谷も結局、代紋の重みを悟り帰ってきた。

「若頭の言う通りです。代紋がなくなった途端、長谷さんのシノギ全部潰されちゃいました。代紋がなけりゃあ、ヤクザなんて本当に惨めですよね」

「そうだ代紋のないヤクザはクソだ。だから代紋を守らなきゃいけない」

 おれは相鎚をうちながらも、田島や長谷はまだマシだと思った。

 もし組が潰れても、若い田島ならどこかの組が拾ってくれる。

 年を食っている長谷はどこの組も拾ってくれないかもしれないが、殺されはしない。

 しかしおれはダメだ。おれはあまりにも長くオヤジの下で働きすぎてしまった。

 手が汚れすぎている。恨みを買いすぎている。汚い秘密を抱え込みすぎている。

 代紋が無くなった途端、おれはすべてを奪われ殺されるであろう。

 だから代紋を守らなければ。おれのために。おれの命のために。

 〝逃げちまえばいいですよ〟

 舞島直人の言葉をふと思い出した。

 逃げちまいたい。

 逃げて、逃げて、おれのことを誰も知らないところで生きてみたかった。

 でも長くヤクザとして生きてきたおれには、カタギの生き方も、カタギになるのも怖かった。

 逃げることすら怖いから、おれはオヤジを裏切り、その息子を殺そうとしている。

 おれはクソみたいなドブだ。

 まだ己の野心のために、オヤジや息子を殺そうとするなら、まだ救いはある。

 おれはただ逃げるのが怖いから、自分の命が惜しいから、親を裏切りその息子を殺そうとしている。

 〝若、あんたが悪いだぜ〟

 片桐組は、もう限界だ。

 警察からも、本家からも睨まれている。

 一刻も早く武闘派路線から、平和路線に転換しないと、両方から潰されてしまう。

 〝オヤジが生きているうちに組を掌握しないと〟

 オヤジの医者に金を握らせておかげで、オヤジの死期が近いことはわかっていた。

 その間におれが組を握らないといけない。

 オヤジ以上にヤクザモンである片桐忍が組を継げば、平和路線もクソもあったもんじゃない。

 片桐組は今以上に武闘派になる。そうなれば終わりだ。片桐組は潰される。

 片桐忍は殺され、若頭であるおれも殺される。

 だから早く、組を掌握しないと。若を追い出し、殺す段取りをしないといけなかった。

 それには時間が必要だ。その時間を稼ぐために片桐忍にはムショに入って貰わねばならなかった。

 そのために色々策を弄した。若のことを外村にチンコロしたり、三森達を唆したりもした。

 予想外の結末であったが、片桐忍を刑務所に放り込むことが出来た。

 あとはその後始末だ。


 トンネルの入り口が見えてきた。田島はトンネルの入り口付近の路肩に車を止めた。

 田島はおれのために車のドアをあけた。おれは黙って車を降りた。

 待ち合わせ場所であるトンネルの入り口には誰もいなかった。

「ガキ共はまだ来てないみたいですね。ギリ野の携帯に電話かけてみますか?」

「ほっておけ。そのうち来るだろう」

 ガキ共は、おれの事を舐めている。

 舐められるように仕向けてきたのはおれなのだから、待たされても怒りはわかなかった。

 ガキ共に慎重になられる方が困る。ガキ共には、おれのかわりにアクセルを踏んでもらわねばいけないのだから。

 おれは車に背を預けながら、トンネルを眺めた。

 トンネルはあの時と同じようにぱっくりと口を開け、闇を湛えていた。

 おれは黙って、トンネルが蓄えている闇を見つめた。

「――若頭。気味の悪いところですね」

 沈黙に耐えられなくなった田島が口を開いた。

「何人もここで死んでるからな」

「若頭が殺ったんですか?」

「バーカ。おれはここで殺されかけたことがあるだけだ」

「若頭がですか?」田島は驚いた声をだした。

 若い田島は、若頭の頃のおれしか知らない。若い頃のおれはたんなるチョンコロだった。

「おれだって若い頃があるんだよ。若い頃のおれはゴミだった。ゴミだったおれを拾ってくれたのはオヤジだった」

 田島はおれの口調から何かを察したのか、口を閉ざした。

 おれはトンネルの闇を見つめながら、過去を振り返った。

 トンネルが作られた時代。日本人の目は希望に輝いていた。

 明日は今日よりも良い日だと、無邪気に信じていた。

 しかしおれは目をギラギラさせていた。

 親父はポン中の在日でヒモだった。お袋は日本人だがパン助だった。

 住んでいた場所は朝鮮部落。油断など片時もできなかった。

 それに飢えてもいた。日本人が憎かった。日本人が羨ましかった。

 だがガキの頃のおれが不幸だったか? と質問されれば、おれは首を横に振った。

 幸せな人間から見れば、おれの家など不幸の塊のようなもんだが、ガキの頃のおれは家庭なんぞこんなモンだと思っていた。

 おれの周りにいたダチ共の親もみんな酷かった。

 飲む打つ買う、その中から一つだけしかやらないのはマシな親。

 すべてに狂う人間も珍しくなかった。

 そんなおれ達の目から見ても、人の道を踏み外しているクズもゴロゴロいた。

 その基準から考えれば、シャブ一筋だったおれはある意味マシな親だった。

 実際にまわりにいたダチ連中は、おれのオヤジを最低だと罵ることはなかった。

 そんな環境で生きてるのだから、おれは幸せな家庭など知らなかった。

 知らなければ不幸は存在しない。

 不幸とは、差異を知ることなのだから。

 比較する対象があって、はじめて人は自分が不幸だと悟れるのだ。

 だから何も知らなかったガキの頃のおれは不幸ではなかった。

 幸せではなかったが、不幸ではなかったのだ。

 おれが不幸を感じたのは、親父に捨てられた時だった。

 〝そうあの時だ〟

 善人面した総連のクソ共が家に訪ねてきたとき、おれの不幸は始まった。

 総連のクソは、珍しくシャブでラリってなかった親父に熱弁を振るった。

 差別も貧困もない。

 この世の楽園。

 総連のクソは、親父に与太話を吹き込む。

 朝鮮人にも日本人にもなれなかった親父はその話を聞いて舞い上がった。

 その日のうちに親父はこの世の楽園に移住することを決意した。

「これでおれも立派な朝鮮人になれる」

 親父は目を輝かせながら、おれにそう言った。

 その頃中坊だったおれはシャブ以外で目を輝かせている親父の姿を見て、素直に喜んだ。

 親父も、これを機会にシャブを控えるようになるかもしれない。

 おれはそう願った。

 願いは叶った。

 この世の楽園は親父に希望を与えた。

 希望は親父にシャブ以上の力を与えた。

 親父は楽園に行くために、あれほど好きだったシャブを止めた。

 親父のシャブ狂いに手を焼いていたおれは、この世の楽園の威力に驚愕し、これこそ奇跡だと思った。

 この世の楽園は素晴らしい所だと信じた。

 親父がシャブをやめたせいで、おれもあの頃の日本人のように、明日はきっと良い日だと信じることが出来た。

 親父がシャブを止めてくれたおかげで、家庭に平和が訪れた。

 家でシャブばっかやっていた親父も、日雇いの仕事をやるようになった。そんな親父を嬉しそうにお袋は見つめていた。

 おれもこの世の楽園に移住するために、ダチと連んで悪さすることを止めた。

 家族みんなで、この世の楽園に移住する。

 そこでおれ達は祖国につくす立派な朝鮮人に生まれ変わる。

 それがおれ達家族の希望だった。

 しかしこの世の楽園には、親父一人だけが旅立っていった。

 おれとお袋は置き去りにされたのだ。

 何故親父が、おれとお袋を日本に置いて楽園に旅立って行ったのか、今でもよくわからない。

 日本人妻であり売春婦であったお袋、日本人との混血児である息子を連れて行ったら、この世の楽園でも肩身の狭い思いをするかもしれない。 親父はそう心配したのかもしれない。

 それとも全部を捨てて一からやり直したかったのかもしれない。

 親父がこの世の楽園に行ってしまった以上、それはもうわからなかった。

 わかっていることはただ一つだけ。

 おれもお袋も、親父に捨てられた。それだけが真実であった。

 親父がいなくなると、家庭は壊れた。

 クソの役にも立たないシャブ中の親父だが、お袋やおれにとってはなくてはならないものであったのだ。

 お袋はシャブに手を出すようになり、家に客を連れ込むようになった。

 おれの方も荒れた。目の合う奴は在日だろうが日本人だろうが、片っ端から喧嘩をふっかけた。

 ──狂犬。

 そう周りから呼ばれるようになった頃、おれの周りに人はいなくなってしまった。

 お袋しかいない。

 そのお袋もある日家で首をくくった。

 おれは文字通り一人になった。

 お袋の首を吊った家になど住みたくないし、施設に入れられるのも嫌だった。

 おれは部落を飛び出して、駅前でたむろしている手配師を頼りに全国の飯場を巡った。

 どの飯場でもおれは一人だった。

 仲間など欲しくない。

 友達など欲しくない。

 人はみな裏切るのだから。

 人はみなおれを捨てるのだから。

 シャブ中の親父が、息子に唯一教えてくれたことだった。

 おれは人に裏切られないように。

 おれは人に捨てられないように。

 孤独という鎧を纏った。

 孤独という鎧はおれを守ってくれたが、敵も作った。

 大抵の敵は自分の手で始末することができたが、ここのトンネル工事のときは最悪だった。

 敵は四人もいた。そして全員おれよりも力が強く残酷であった。

 連中は、おれを無理矢理トンネルの中に連れ込むとフクロにした。

 ぼんやりと光る工事用の電灯の下で、おれは殴られ蹴られた。

 殺されると思った。いや事実あの連中はおれを殺すつもりだった。

 山奥の飯場だ。適当に穴を掘って埋めればそれで終わりだ。

 己の死を予想した瞬間、恐怖とそれを上回る怒りが生まれた。

「榊原誠二の命安くねえぞ! 奪えるものなら奪ってみやがれ!」

 おれをフクロにしていた連中に啖呵を切った。

 土方共もおれの気迫に飲まれた。

 しかしそれも一瞬のことだ。

 土方共が正気に戻ると、おれはあっというまに半殺しにされた。

 工事用の電灯がぶら下がってるトンネルの天井を見つめながら、親父とお袋の事を想った。

 お袋、なぜおれを残して首を吊った。一緒に死んでくれと言ってくれたのなら、おれは喜んで死んだのに。

 もう残されるのは嫌なんだ。たとえ行き先が地獄であろうとも、おれはついて行きたかった。

 そして親父。

 憎んでも憎んでも憎みたりない親父。

 恨んでも恨んでも恨みたりない親父。

 それなのに。それなのに――。おれの口からは恨み言は出なかった。

 おれを連れて行ってくれ。楽園へ。この世の楽園へ。おれを連れて行ってくれ。

「親父・・・・・・。おれを連れて行ってくれよ」

 おれは小さな子供のように泣きながら呟いた。

 土方共は嘲笑ったが、おれの耳には届かない。

「こいつガキみたいに泣いてやがる。死ぬのが怖くてビビってやがるんだ。おれのチンポ舐めたら勘弁してやるぜ」

「おい、そんなことを言ったら本気でシャブるぜ、このガキは・・・・・・」

 おれを嘲ろうとした男は最後まで言えなかった。

 顎を砕かれたからだ。仲間をぶちのめされた土方共はすぐに復讐しようと拳を握ったが、相手を見てやめた。

 土方の顎を砕いたのは、この飯場を仕切るヤクザ者。

 若き日の片桐剛蔵であった。

「テメーなに勝手に喧嘩してんだよ! こんなにぶちのめしたら仕事に使えねえだろうが! 頭を使え、頭をよ!」

 片桐剛蔵は土方共を拳で殴り倒していく。

 それが終わると今度はおれの番だった。

「そしてテメーもだよ。なに喧嘩しているのに泣いてんだよ! 泣く暇があるならツルハシでも握って、敵の頭をカチ割ったらんかい、ボケナスがぁ!」

 片桐剛蔵は怒鳴りながら殴った。殴って殴って蹴りまくられた結果、おれは意識を失った。

 気づいたら病院のベットの上であった。

 枕元には剛蔵がいた。剛蔵は鼻歌を歌いながら、ドスでリンゴの皮をむいていた。

「おう兄ちゃん目が覚めたか」剛蔵は明るい声で言った。

 おれはなんて答えていいのかわからず黙って頷いた。

「悪いな、どつき回しちまってよう。おれは男の涙は嫌いなんだよ。女を泣かすのは大好きなんだけどな」

 剛蔵はガハハハと豪快に笑うと、剥いてたリンゴを差し出しだしてきた。

「まあ詫びといっちゃあなんだがリンゴを食えリンゴよう。テレビでやってたけどよう、リンゴは体にいいだとよ」

 おれは一瞬そのリンゴを奪い取って、このクソヤクザの顔にぶつけてやろうかと思った。

 しかしおれは黙って受け取ると、痛みを堪えながらリンゴを食った。

 これが縁で、おれは土方から片桐剛蔵の子分へと生まれ変わった。

「――リンゴが食いてえな」

 片桐剛蔵の右腕となったおれは呟いた。

「――リンゴですか? ひとっ走りいって買ってきましょうか」田島は言った。

「いやいい。多分おれはそんなにリンゴが好きじゃない」

 あの時だって無理矢理喰ったのだ。

 血の味しかしなかった。

 おれはリンゴのかわりにタバコをくわえた。田島は素早くライターを取り出したところで、トンネルの闇からヘッドライトの光と轟音が漏れてきた。

 ダニ森とギリ野だ。口にくわえたタバコを投げ捨てた。

「お疲れ様です!」

 派手な轟音のわりには、トンネルから出てきたバイクは一台だけだった。バイクに乗っているのはダニ森ではなく、ギリ野だった。

 ギリ野はバイクから降りると、直立不動の姿勢で挨拶をした。

「おう、ごくろうだったなギリ野」おれは大物ぶって鷹揚に答える。

「いや、誠次さんが書いた絵図のおかげです。誠次さんが絵図かいてくれなきゃ、片桐の馬鹿をはめることは出来なかったスよ。しかし、カメが相原を殺すのは予想外でしたけどね」

 ギリ野は悪事を共有しているという仲間意識のせいか、口調がどこか馴れ馴れしかった。

 田島もギリ野の変化に気づき眉をしかめたが、何も言わなかった。

 おれも何も言わない。

「おれもあれは予想外だったな」

 おれの書いた絵図では、怒り狂った若が相原を半殺しにするはずであった。

 それをネタに警察に若を売る。若が寄せ場に言ってる間、組を固める。そういう絵図であった。

 しかし歯車が狂い、亀が相原を殺し、若が倉田を半殺しにした。

 絵図は狂ったが、良い結果となった。

 チンピラを半殺しにするよりも、お巡りである倉田をぶん殴ったほうが罪が重くなるし、現行犯で捕まってくれたおかげで警察と取引せずにすんだ。

 量刑が予想よりも重かったとしても、警察の意趣返しだと若に言い訳が言える。

「ギリ野、念のために聞いておくが、おれの事は誰にも喋ってないよな?」

「もちろんですよ。この事はおれとダニ森しか知りませんよ」

「亮太は?」

「あいつは兄貴のくせに弟にすっかりビビってるから、深入りをさけてますよ」

 ――あいつは図体ばかりでかい臆病者なんですよ。ギリ野は自分を売り込むために、かつて兄貴分を貶した。

 おれは不快な印象しか受けなかったが、態度には出さなかった。

「そうか。それでダニ森はどこにいる? あいつにもしばらくの間ガラをかわしてもらわんといかんからな」

「ダニ森は舞島のところに行きましたよ。くたばりかけの猫を連れて」

「――猫?」

「舞島の馬鹿はガキだから動物が好きなんですよ。それでダニ森の奴、舞島の前で猫を殺してやるつもりなんですよ」

「ダニ森の奴、舞島を殺すつもりなのか」

 ダニ森とはあまり顔を合わせなかった。ヤツの方が意図的におれのことを避けていた。だからおれはアイツの復讐心を甘く見ていた。

 殺すまではいかないだろうと思っていた。

 だがアイツは関西で一人殺しているのだ。

 ただのチンピラではない。殺しが出来るチンピラなのだ。

 傷害事件ならともかく、殺しとなれば警察も本気で動く。

 それはまずい。

「殺すんじゃないですかね。猫だけじゃなくて、加藤もさらうとか言ってましたから。いくらあいつがボンクラでも、ボウガンで武装して人質まで取れば舞島の一人ぐらい殺せるでしょう」

「ダニ森のヤツ警察に捕まるな」

 所詮は素人だ。殺しまでやったら、すぐに警察に捕まる。

 〝すべてを静かに終わらせなければ〟

 おれが破滅してしまう。

「そうスよね。あいつ警察に捕まりますよね。そしたらおれに生首の頭をやらせてくださいよ。ちゃんと上納金も納めますから」

 ギリ野の顔は卑屈さと欲望で歪んでいた。

 醜い面だ。まるでおれの心のようだ。

 おれもギリ野も変わらない。

 狡猾で醜く、自分のことしか考えられない。

 自分が助かるためなら、何でも売る。

 〝ああ、結局おれは親父の息子なんだな〟

 親父は妻よりも息子よりも、自分が一番大切な人間なのだ。

 おれはようやく親父を理解することが出来た。

 理解した瞬間、親父に対する憎しみが消えた。

 親父を憎もうにも、おれはもう親父と同じ人間になっちまった。

 憎みたくても、憎みようがなかった。

 〝今ならあんたがおれとお袋を捨てた気持ちがわかるよ〟

 きっと今のおれと同じような気持ちだったんだろう。

「ああ、わかったギリ野。お前の面倒はちゃんと見てやるよ。田島、念のためダニ森の携帯に電話をかけてみろ」

 田島はハイと頷くと背広の内ポケットから携帯を取りだし、ダニ森に電話をかけた。

「若頭、ダニ森のヤツ電源を切ってますね」

「意外と賢いだな」

 ダニ森の奴、おれがどう動くか予想してたな。

 慎重なのはおれだけではなく、ダニ森もだったか。

 おれはヤツのことを見くびって見ていたのかもしれない。

 ――ほんの少しだけだが。

「そんな事ないですよ、あいつシンナーで頭も歯もいかれてますから」

 ギリ野は自分の兄貴分を嘲笑った。

 おれはギリ野の醜い面を見つめながら、ポケットから煙草を取りだした。

 二人の人間が同時に反応した。

 ギリ野は自分のポケットからライターを取りだした。

 田島はポケットから拳銃を取りだした。

 合図はあらかじめ決められていた。ギリ野の運命もあらかじめ決められていた。

 ギリ野は田島の手に握られているのが拳銃だと理解すると、ライターを落とした。

「――冗談ですよね」

「ギリ野。おれ言ったよな。お前の面倒みてやるって」

 おれは田島から拳銃を奪うと、ギリ野の額に銃口を突きつけた。

「最後まで面倒見てやるから安心して死ね」




 


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