放たれる
最初から。
最後まで。
全部嘘だった。
血統書なんてない。
綺麗なママに愛されたこともない。
私は子供の気まぐれな優しさで拾われた野良猫に過ぎなかった。
私の嘘だらけの人生で唯一の真実は。
あの小雨が降る夜。泥だらけの私を見るママのアノ目。
困ったような。
ゴミを見るような。
あのママの目だけが――。
私の人生のなかで唯一の真実だった。
私はあの目に耐えられなかった。
私はあの目を忘れることが出来なかった。
私はあの目を直視することが出来なくて――。
自分に嘘をついた。
私は野良猫ではなく、血統書付きの由緒正しい猫で、お金持ちのママに相応しい飼い猫なんだと自分に嘘をつき続けた。
私は嘘を繰り返すうちに、自分の嘘を真実だと思い込むようになった。
だからママに捨てられた日も、これはなにかの間違いなんだと自分に嘘をついた。
でも本当はわかっていた。私はいらない子で。
引っ越しのついでにママに捨てられたんだって、わかっていた。
たとえママの家を探し当てても邪険にされ、捨てられるだけだとわかっていた。
ママに会えばすべての嘘がばれてしまうのもわかっていた。
それでも――。
それでも私は――。
ママに会いたかった。
「ママ! ママ! ママ!」
夜の闇のなかで泣きながら叫んだ。
夜の闇は、私の声をあっさり飲み込んでしまった。
届かない。
ママにはけして届かない。
私は道ばたに座り込み泣き喚いた。泣くだけ泣くとお腹がすいた。
自分の空腹に気づくとなんだか笑えてきた。
どんなに悲しくてもお腹はへるんだ。
このまま餓死してしまいたいと思った。
私はヨロヨロと立ち上がりると歩き出した。
街の方へいけばいくらでも食料にありつけるというのに、私は街灯に背を向け、山の方にむかって歩き始めた。
どれぐらい歩いたろう。気づくと、私は人家も畑すらもない峠道を歩いていた。
「――ここって、あのトンネルがあった峠じゃない」
なんでこんな所に来てしまったのだろう?
ひょっとして――。
「私、ポンに会いたいのかな・・・・・・」
あの恐ろしいトンネルを抜けさえすれば灯台に帰ることが出来る。
灯台で待っていれば、ポンに会える。
〝馬鹿じゃないの、私〟
嘘ばかりついていたのに。どの面をさげて、ポンに会えるというのか。
ポンだって、私のような嘘つき猫の顔なんて見たくないはず。
「――ミミちゃん!」後ろから私を呼ぶ声がした。
まさか!
慌てて後ろをふり返ると、ポンがこちらにむかって駆けてきていた。
「ポン!」と叫んだ瞬間、私は脱兎のごとく逃げ出した。
「なんで逃げるの、ミミちゃん!」
「顔を合わせたくないからよ、私のことなんてほっといてよ!」
ポンに会いたい。ポンになぐさめてもらいたい。
あの暖かなベロで、涙を拭き取ってもらいたかった。
でもポンは私がママに捨てられたことを知っている。
会いたくない。傷口を見せたくない。僅かに残されたプライドにしがみついていたい。
「ほっとけないよ、ミミちゃん!」
そんなこと言わないでよ。走れなくなっちゃうじゃない。
私は泣きながらそう思った。
想いを断ち切ろうと、さらにスピードを上げようとしたその時、深い闇をたたえたトンネルが姿をあらわした。
トンネルの入り口付近には何台もの車やバイクが止まっていた。
〝あのときの暴走族だ!〟
私は走るのをやめ、後ろを振り向いた。
「ポン、こっちに来ちゃダメ。逃げて!」
私が叫んだ瞬間、一台のバイクが轟音を立てながらこちらに向かって走ってくる。
〝逃げなきゃ〟
私は来た道を引き返し逃げようとしたが、足が止まった。
後ろに逃げたら、ポンを巻き込んでしまう。
もう十分すぎるほどポンを巻き込んでしまったのだから、これ以上迷惑をかけられない。
〝ポンには、私と違って本物の家族がいるのだから〟
ポンが死ねば悲しむ人がいる。ママに捨てられた私が死んでも誰も悲しまない。
私は足を止めた。
「ポン、私がおとりになるからはアンタは逃げて!」
「ミミちゃん!」
ポンの叫び声に背を向け、私は前にむかって走り出した。
私の急な方向転換にビックリしたのか、一台のバイクが転倒した。
しかし後からきたもう一台のバイクが、私に襲いかかる。
曳かれるのはなんとか免れたが、運転手の蹴りまではよけることは出来なかった。
暴走族に蹴られた私の体は小石のように宙に舞い、そして道路に叩きつけられた。
「猫のくせに手間どらせやがって」
暴走族はガムを吐き捨てると、単車から降りて私を拾い上げた。
「あん時の猫をつかまえましたよ、玲二さん!」
男はトンネルの方にむかって怒鳴った。暗闇の中からポンが駆けてくる。
「ポン来たらダメ・・・・・・」叫んだつもりだが、痛みのあまり声は出なかった。
ポンは私を捕まえている暴走族に飛びかかった。不意をつかれた暴走族は倒れた。
ポンは、私の体を掴んでる男の腕に噛みついた。
「痛ぇえ! なにすんだクソ犬!」
暴走族はなんとかポンを振り解こうとするが、ポンは腕に噛みついたまんまは離れない。
「逃げて、ミミちゃん!」
ポンは噛みついてた男の腕から口を離し、叫んだ。
突然、眩い光と轟音が襲いかかった。
光と轟音に襲われた私はパニック状態になり、なにが起こったのかわからなかった。
気づくと、ポンが口から血を流し道端に転がっていた。
ピクリとも動かない。
あまりのことで、叫ぶことも駆け寄ることも出来なかった。
ただ呆然と、ポンを見つめていた。
「――上手いだろう、おれのバイクアタック」
ポンを轢いた男は嗤いながら言った。
ボウガン男だった。
「玲二さん、助けてもらってすいまんせん」
ポンに噛まれていた男はすでに立ち上がっていた。
「蹴りなんざ情けねえ攻撃してるから犬なんかに舐められるだよ。はじめにバイクで軽く曳いとけば好きな風に料理できんだろう。頭を使えよ、頭をよ」
玲二は、男の腹を蹴り飛ばした。
男は呻き声を発しながら蹲る。
玲二は倒れているポンをぞんざいに拾い上げた。
「軽くやったつもりだが、死んじまったか。つまんねーな。動物好きの舞島の前で解体してやろうと思ったのに」
あろうことか玲二はポンをゴミのように放り捨てた。
「ポン!」
私は弓から放たれた矢のように駈けた。
〝こいつが、ポンをひき殺した〟
沢山の猫や犬を殺した。
殺してやる。
私がこいつを殺してやる。私は玲二の足に思い切り噛みついた。
「痛てぇな、クソ猫!」
「うるさい、あんたが死ぬまで噛みついてやるんだから!」
玲二の足を噛みながら怒鳴った。
本当に殺すつもりだった。本当に死ぬまで噛みついてやるつもりだった。
そのつもりだったが、しかし玲二が私の首を掴むと、私の決意などあっさりと吹き飛んだ。
〝ダメだ、私がいくら頑張ってもこの男の力に敵わない〟
人間と猫じゃ所詮勝負にならない。
でもただでは離さないだから! 玲二の足に噛みつきながら、無茶苦茶に首をふった。
傷口を抉られた玲二は悲鳴をあげる。
「舐めくさりやがって、このクソ猫がっ!」
玲二は私の背中を思い切り鷲掴みにすると、強引に自分の足からもぎ離した。
「死ね、クソ猫!」
玲二は、私を思い切りアスファルトの上に叩きつけた。
自分の口から血が零れ、道路を赤く染めた。
私は自分の血を見つめながら、
「・・・・・・ごめんね、ポン。敵をうてなくて」
それが私の最後の言葉だった。