帚星 改稿
夏の夜空には無数の星くずが輝いてた。
足を止めて夏の星空を見上げるだけで、一日の疲れが癒やされそうなぐらい美しい光景であったが、しかし今の僕には顔を上げる余裕などなかった。
夏の余熱が残るアスファルトに鼻を近づけて、ミミちゃんのママの匂いがしないか探っているからだ。
鼻が痛くなるぐらいクンクンしているが、拾える匂いといえば、ポイ捨てされたタバコの臭い、アスファルトにへばり付いてるガムの臭いぐらいであった。
一日中匂いを嗅ぎ回っていたせいか、さすがに疲れた。
僕はご機嫌を伺うように、隣を歩いてるミミちゃんの顔を盗み見た。
ミミちゃんはブスっとした顔で歩いてる。
〝機嫌は悪いままだ〟
──困ったな。とてもじゃないが、今日はもう休みたいなど言える雰囲気ではなかった。
〝ミミちゃんの機嫌なおらないかな〟
僕は心の中で呟いた。
ミミちゃんの機嫌が悪いのは、一日中頑張って探し回ったというのに、何の手がかりも見つけることが出来なかった──。
──という事もあるが、他にも原因があった。
灯台新聞が予想以上に捌けってしまったからだ。
僕の地元ではまったく人気がなかった灯台新聞も、隣町では面白がられた。
犬と猫が新聞が配るというのが珍しいのか、道行く人は皆新聞を受け取ってくれた。ある高校生のカップルなど今度灯台に行ってみようか、とイチャイチャしながら言ってくれた。
僕にとって非常に嬉しい展開であった。
はじめのウチはミミちゃんも我が事のように喜んでくれた。
でも時間が経つにつれ、ミミちゃんの機嫌が悪くなっていた。
新聞配りと平行して行われたミミちゃんのママ探しがさっぱり進まないからだ。
僕も怠けていたわけではないので、新聞を配りながらも地面に鼻を近づけ一生懸命匂いを探ったが、ミミちゃんのママの匂いを嗅ぎ当てることは出来なかった。
ミミちゃんとしてみれば、僕の方だけ上手くいって、自分の方が上手くいかないのが面白くないのだ。
かといって誰が悪いという話ではない。ミミちゃんもそのことはよく理解していた。
ただ面白くない。
だから口を閉じて、ムスっとした顔で歩いている。
気の弱い僕は、ミミちゃんの機嫌を察して口を開くことも出来ない。ただ地面に鼻を近づけて匂いをかぐだけであった。
公園の入り口の前を通り過ぎようとしたとき、ミミちゃんが突然口を開いた。
「――いいわよ」
「えっ!?」
「今日はもう探さなくていいわよ、って言ってるのよ!」
「あっ、ハイ!」
僕は慌てて地面から鼻を離した。
「夜も遅いし、あんまりあんたの鼻を酷使すると、明日に響くでしょう」
「ごめん・・・・・・」
「あんたは別に悪いことしてないだから、べつに謝らなくていいわよ!」
「うん・・・・・・」
「この公園で野宿しましょう。早く寝て明日に備えるわよ」
ミミちゃんは僕の返事も聞かずに、一人でさっさと公園のなかに入って行ってしまった。
「待ってよ、ミミちゃん!」
僕は慌てて、ミミちゃんの後を追った。
ミミちゃんは、僕が駆け寄ってくると、「あんたもボケボケしてないで、今日のねぐらを探しなさいよ」と言った。
「うん、どこか、いいところないかな」
僕が寝場所を探そうとした時――。
──むんず。
誰かが僕の尻尾を掴んだ。
驚いてふり返ると、小学校一年生ぐらいのツインテールの女の子が、僕の尻尾を小さな手で掴んでいた。
こんな夜中に、なんで小さな女の子が公園にいるんだろう?
「――あんたの知り合い?」ミミちゃんは怪訝な顔で問うた。
僕は黙って顔を横に振った。
「ワンちゃん!?」小さな女の子は突然叫んだ。
「――はい?」僕はびっくりして、人間にはわからない犬語で返事をした。
「ワンちゃんはこんな夜中に何をやってるの!?」
「えっと、今日の寝る場所を探しているんですけど・・・・・・」犬語で説明すると「芽依、犬じゃないからワンワン吠えられてもわからないの!」
そんなご無体な。僕は生まれてこの方、犬語以外喋ったことはないし、人から人語を話せと要求されたこともなかった。
犬というのは、ただ黙って人の話を聞くか、人の顔をペロペロするのが、昔からの仕事なのである。
人と語り合うのは、犬の仕事ではないのだ。
僕はどうしていいのか分からなくて、ぼんやりと突っ立ていると、
「もういいから、ワンちゃんはこっちに来なさい」
芽依ちゃんは問答無用とばかりに、僕の尻尾をつかみ、公園のベンチの方へズルズルと引きずっていた。
「あんたなに引きずれてるのよ! 私達は明日に備えて早く寝ないといけないのよ」
「ミミちゃんの言う通りだけど、こんな夜中に小さな女の子を一人にさせるわけにはいかないよ」
「――それもそうね」
ミミちゃんは納得しかけると、「猫ちゃん、なにボケッとしているんですか! 芽依にちゃんとついてこないと置いていっちゃうからね!」
ミミちゃんは芽依ちゃんに叱られてしまった。
「なんでわたしが怒られないといけないのよ!」
ミミちゃんは怒り出したが、僕が引き摺られて行くと、プリプリした顔を浮かべながらも後を付いてきてくれた。
公園のベンチまで来ると、芽依ちゃんは僕の尻尾を離してくれた。
芽依ちゃんは公園のベンチに腰を下ろすと、自分の足下を指さし、
「ワンちゃんもネコちゃんもそこに座りなさい」
「なんでママでもないのに、命令されなきゃいけないのよ」
ミミちゃんは猫族特有の叛骨精神を発揮したが、僕は従順さが売りの犬族なので、まあまあと言いながらミミちゃんを宥めにかかった。
芽依ちゃんはそんな僕にむかって、ビシッと指を指した。
「ワンちゃんのお名前はなんて言うんですか?」
「ポンです」
「──芽依ワンワンじゃわからないの!」とご無体な事を言った後、芽依ちゃんは僕の腰に結わいてあるリボンに気づいた。芽依ちゃんはリボンを捲って、「ポンって言うのね」
「でっ、こっちのネコちゃんは?」
「ミミよ、ミミ」ミミちゃんが猫語で自己紹介した。
芽依ちゃんはしげしげとミミちゃんの顔を見つめると、「――ニャン太ね。アンタは」
芽依ちゃんは勝手に決めつけた。
「なんでニャン太なのよ!」
「落ち着いてよ、ミミちゃん。芽依ちゃんは猫語わからないから仕方ないよ」
「それにしても、なんでニャン太なのよ! 男の名前じゃない!」
「まあまあ芽依ちゃんはまだ小さいから」
僕は分けのわからないなだめ方で、怒り狂うミミちゃんを宥めた。
「ポン、ニャン太に一つ聞くけど、なんでパパとママは喧嘩するの?」
「えっ、犬の僕に聞かれても・・・・・・」
「うんなこと知らないわよ!」ミミちゃんは猫語で喚く。
「パパがいっぱいお酒飲むから?」
「ママが本を書きなさいと怒るから?」
芽依ちゃんは矢継ぎ早に質問してくる。
僕が答えられずに呆然としていると、芽依ちゃんの大きな瞳からみるみる涙が溢れてきた。
「パパ~ァアアア、ママ~ァアアア」
「ちょっと泣かないでよ。怒鳴った私が悪いみたいじゃない。アンタなんとかしないさいよ」
ミミちゃんは僕にぶん投げてきた。
僕に振られてもこまるが、泣いてる女の子をほっておくことはできない。
僕は二本足で立つと、芽依ちゃんの涙で濡れたホッペをペロペロと舐めた。
芽依ちゃんのホッペは柔らかくて、そしてしょっぱかった。
「ポンぅ!」
芽依ちゃんは僕を抱きしめた。
「芽依ね、パパとママ一緒に暮らしたいの。ママはパパなんかほっておけばいいって言うんだけどね。でもパパお酒ばかり飲むから一人にしたら、もっともっとお酒飲んじゃうと思うの。ポン、お酒飲みすぎてパパが死んじゃったらどうしよう──」
──パパ死んじゃいやだぁ。
芽依ちゃんは僕をはげしく揺さぶりながら再び大泣きした。
揺さぶられた拍子に僕のカバンから新聞が落ちた。
「──何これ、ポン」
芽依ちゃんは僕を解放し、新聞を拾い上げる。
芽依ちゃんは外灯を頼りに、灯台新聞を読む。
「――ポン。灯台でママとパパとチュウしたら仲直りできるの!」
芽依ちゃんの目は期待で輝いてる。
僕は返答につまる。
神様の出っ歯亀を手伝うための嘘とは言いづらい。
芽依ちゃんは勢いよくベンチから立ち上がると、「芽依、決めた。パパを見つけてきて、灯台でママとキスさせる!。ポン、ニャン太、パパ見つけるの手伝って!」
「――どうするミミちゃん?」
手伝ってあげたいけど、僕一人では決められない。ミミちゃんだって、自分のママを探してるわけだから。
「――いいわよ、手伝ってあげなさいよ。あんたの新聞のせいで火がついちゃったみたいだし、面倒くさいけど私も付き合ってあげるわよ」
ミミちゃんの瞳には涙の痕があった。
「――ひょっとしてミミちゃん泣いてたの?」
ミミちゃんは意外と涙もろい性格なのかもしれない。
「――なっ、なわけないでしょう! バカバカ、バーカ!」
ミミちゃんは凄まじい勢いで否定したが、ミミちゃんの瞳に残る涙の跡を見ると、あまり説得力がなかった。