es 改稿
道路脇の畑には、大量のトマトが植えられていた。朝露に濡れたトマトは、太陽の光をあびてキラキラと輝いていた。
「ミミちゃん、朝のトマト畑って綺麗だね」
僕は隣で歩いているミミちゃんに声をかけると、「トマトなんて、朝見ようが夜見ようが同じよ」
――トマトはトマトでしょう。
ミミちゃんは素っ気なかった。
「――いやそうかも知れないけど、朝だとトマトも朝露に濡れて綺麗だよ」
僕は小さな声で反論を試みた。
「濡れていようが乾いていようが、トマトはトマトなの! あんたは何でそんなにトマトに拘るの? トマトに賄賂でも貰ってるの!」
「いや何も貰ってないけど・・・・・・ ミミちゃん、本当に綺麗だから、とにかくトマト畑見てみてよ」
僕が勧めると、ミミちゃんは実に嫌そうな顔でトマト畑に目をやった。
「――フン、憎々しい」
「えっ、なんでトマトが憎々しいの?」
僕はこれほどまでにトマトに憎しみを燃やしている猫を見たことがなかった。
「この前、トマト畑で野宿してたら、農家のお婆ちゃんに農薬吹きかけられたのよ。そのせいで目は腫れるは、咳は止まらないわ、散散な目にあったんだから」
「そんなことあったんだ」
そんな目に会えば、素直な気持ちでトマト畑を見ることが出来ないかもしれない。
「ついてなかったね、ミミちゃん」
「まあ仕方ないわ。私みたいに生まれも育ちも完璧だと、幸運の女神すらも嫉妬するから」
ミミちゃんの声は照れが一切もなかった。あるのは溢れんばかりの自信だけであった。
〝ミミちゃんは凄い猫だな〟
何事に関しても自信がない僕は、素直に感心した。
「今もきっと、幸運の女神は私の美貌に嫉妬して、意地悪しようとしているに違いないわ」
とミミちゃんがそう言った瞬間、「おいこのどぐされ小僧! もっと気合い入れて走れねえのか! 死んだ亀だってオメエより速く走れるぞ!」
聞き慣れた罵声。嗅ぎ慣れた汗と唾の匂い。
もしかして──。
声がする方を見ると、自転車に乗った一平さんのお父さんと、ロッキーを背負って走っている一平さん達がいた。
やっぱり──。
「うるせえ! くたばり損ないが! こっちとら馬鹿犬背負って走ってるんだから、仕方ねえだろう! それよりテメーこそ、馬鹿犬のかわりにしっかりナビしろよ!」一平さんは怒鳴り返した。
「親に指図するんじゃねえ!」とお父さんが怒鳴った瞬間、一平さんは電信柱に激突した。一平さんに負ぶわれていたロッキーは華麗に一回転して見事に地面に着地した。
「怒鳴ってるヒマがあったらナビしろって言ってんだろうが! 腐れ禿げが!」
一平さんは赤く腫れた鼻頭を手でさすりながら抗議した。
「馬鹿野郎! テメーもマラソンランナー目指しってんなら、それぐらい気配で察しろって言うんだ、このチンカス野郎が!」
「マラソンランナーに気配を察する能力なんて必要ねえんだよ!」
「なにアホなこと言ってるだよ、この包茎野郎! いいかクソ餓鬼。テメーは物知らねぇから教えてやるが、世の中には交通戦争って言葉が生まれるぐらい、道路には危険が溢れてるだよ!たとえばほれ」
言い終わる前にお父さんは、息子を殴り飛ばしていた。
「道路でボケッと突っ立てると、いきなり殴られる。どうだ、恐ろしいだろう交通戦争は」
お父さんはしれっとした顔で宣った。
〝いやそれは無茶苦茶ですよ、お父さん〟
僕は心の中でツッコミを入れた。
「なにが交通戦争だ、交通関係ねえだろうが!」
「馬鹿野郎。道路に拳を振り回すキ○ガイがいたらどうすんだよ!」
お父さんは無茶苦茶なことを言い出した。
「テメーがキ○ガイなんだよ!」
一平さんはお父さんを殴り飛ばした。電柱の気配を察することが出来なくても、自分の父親の気配は察することが出来るようだ。
「痛てえな、何しやがるんだこのクソガキャア!」
お父さんと一平さんは殴り合いを開始した。
「どうしよう・・・・・・」
止めなきゃいけないだろうけど、犬の僕にはどうやって止めていいかわからなかった。
そうだミミちゃんに相談してみよう。
犬と猫でも二匹で知恵を出し合えば、何か思いつくかもしれない。
僕は隣にいるミミちゃんに話しかけたようとした。
──ミミちゃんはいなかった。
アレ? と思って辺りをキョロキョロと見回すと、「ここよ、ここ」
後ろからミミちゃんの声がした。驚いて振り返ると、ミミちゃんは僕の影に隠れて震えていた。
「どうしたの? ミミちゃん」
「どうしたのじゃないわよ! そんな大きな声だしたら、レイプ犬に気づかれちゃうでしょう!」
僕よりも大きな声でミミちゃんは怒鳴った。
「まさか、ミミちゃん襲った犬って――」 僕は終わりまで言うことが出来なかった。 ロッキーがこちらにむかって突撃してきたからだ。
「ニャぁぁあああー!」
ミミちゃんが金切り声を上げると、一目散に逃げ出した。なかなかの健脚だが、色欲に狂ったロッキーの足はそれ以上に早かった。
これではすぐにロッキーに追いつかれてしまう。
〝まずい〟
僕は男なんだから、ミミちゃんを守らないと。
僕は勇気を振り絞って、闘牛のように突進してくるロッキーの前に立ち塞がった。
ロッキーは僕を一瞥すらせず、飛び越えていった。老犬とはとても思えない健脚であった。
「・・・・・・凄い」
なんて感心してる場合ではない。
ミミちゃんは哀れにもロッキーに追いつかれてしまった。ロッキーはミミちゃんを地面に転がすと、動けないように前足で踏んづけた。
「ダメだよ、ロッキー!」
僕は老犬の後ろ足に囓りついた。
「ハッキャン」ロッキーは後ろ足を噛みつかれると、奇妙な泣き声をあげたが、ミミちゃんを解放することはなかった。
「早く助けてよ!」
ミミちゃんはジタバタと藻掻きながら助けを求めた。
よく見ると、ミミちゃんの目には涙が浮かんでいた。
〝当たり前だ〟ミミちゃんはか弱い雌猫で、しかもレイプされそうになっているんだから〟
僕は身を屈めると、ロッキーの下腹に噛みついた。
本気で噛んだわけじゃないが、犬はお腹が弱点なので甘噛みでもかなりビックリするだろう。
「キャイン!」
ロッキーは悲鳴をあげる。
飼い犬の吠え声に気づき、喧嘩を中断する飼い主達。
「おい、駄犬がなんか悪さしてるじゃないのか?」
一平さんは殴る手を止め言った。
「なんか猫相手にサカッてるみてえだな・・・・・・」
お父さんが僕等を見つめながら呟いた。
「おい、助けてやれよ。いくら野良猫でもあんな駄犬にレイプされたら可哀想だろう」
「それもそうだな」
お父さんはそう言うと、喧嘩をやめて、こっちにむかって歩いてくる。
ロッキーは飼い主の接近にまったく気づくことなく、ミミちゃんの耳の中を、長い舌でやらしく舐めていた。
「ゴザぐらい引いてからやらねえか、この馬鹿犬が!」
お父さんはロッキーを横腹を蹴り飛ばした。 老犬はキャヒンと泣き声をあげると、地面にひっくり返った。その隙にミミちゃんは、僕の方にむかって逃げてくきた。
「大丈夫、ミミちゃん?」
「大丈夫なわけないでしょう、馬鹿犬!」
ミミちゃんは泣きながら憎まれ口を叩いた。 僕はミミちゃんの涙をペロペロ舐めた。
「なにすんのよ、エロ犬」ミミちゃんは泣きながら抗議した。
「お婆ちゃんが泣いてたとき、いつもこうしてペロペロして慰めていたから・・・・・・ ミミちゃんはペロペロ嫌い?」
僕はペロペロしながら尋ねた。
「ふん、犬ってスケベなやつばっかり」
ミミちゃんは憎まれ口を叩いたが、抵抗はしなかった。
突然、皺だらけの手がミミちゃんの首根っこを掴んだと思ったら、そのまま宙に持ち上げた。
ミミちゃんは足をばたつかせながら暴れた。
「おうおう悪いな、猫ちゃん。うちの馬鹿犬が迷惑かけちまって。お詫びにスイカ食わせてやるからな。おっ、こっちの犬ころは灯台によくいた犬ころじゃねーか。オメーにもスイカ食わしてやるからな」
ミミちゃんを持ち上げたのは、一平さんのお父さんだった。
「お詫びなんかいいから離してよ!」
ミミちゃんはニャンニャン鳴きながら抗議したが、お父さんにはまったく通じなかった。
「おうおう、スイカを食うのがそんなに楽しみか。畜生もスイカが好きなんだな。おい穀潰し、テメーにもスイカ奢ってやるからこっちこい」
お父さんは一平さんにむかって手招きした。
「目が見えねえのに、行けるかボケっ!」一平さんは吠えた。
「とんだワガママボーイだ」
お父さんは肩をすくめると、暴れ回るミミちゃんをつまみ上げたまんま、一平さんのほうにむかって歩き出した。
父は片手で息子の手を引き、もう片手にはミミちゃんをぶら下げながら、トマト畑のあぜ道を口笛を吹きながら歩いた。
ミミちゃんは観念したのか、大人しくしている。
「おい、どこ行くんだよ」父のシャツの端を恥ずかしそうに掴んで歩いてる一平さんが行き先を尋ねると、
「トマト畑の奧に、テメーのところで喰うヤツ用のスイカ畑があんだよ。客には農薬漬けのトマト出すくせに、テメーのところで喰うやつは無農薬で育ててやがんだよ。まったく百姓ってのは肥だめみたいな性格してやがるな」と父は答えた。
「おい、なんでもいいけど、どうせ三宅の婆さんの畑のなんだろう?盗むと、また喚きだすぞ」
「人を泥棒みたいに言うな。おれはただ黙ってスイカを取ってくだけだよ」
「そういうのを泥棒って呼ぶんだよ!」
「馬鹿野郎! 三宅の婆さんの物はおれの物。おれの息子はみんなの物って諺知らねえのか?」
「シラねえよ、そんな下品な諺」
「お前は無学だからな」
「うるせえな。それよりどうせ休憩するならコンビニ行ってジュースでも買おうぜ。スイカったってどうせ温いだろう」
「カァー、これだから中卒は無知で困るよ」
「小卒のテメーにだけは言われたくねえよ」
「おれは頭がいいから小学校だけで十分だって先公に言われたんだよ。おうついたぞ、ゴロツキ共」
目の前には昔ながらの井戸があった。
〝井戸水でも飲むのかな。たしかに冷たくて美味しいけどスイカじゃないような・・・・・・
お父さんは井戸の端にいくとぶら下がってるロープに手をかけた。ロープをするするとたぐり寄せると、井戸水で冷えたスイカが現れた。
お父さんは網の中から二つのスイカを取り出すと草の上に置いた。
お父さんは手刀でスイカをたたき割る。
ロッキーはまだ割られてないスイカの上に跨ると、勢いよく腰を振り始めた。
〝ロッキーはもういろいろとダメかもしれない〟
僕は些かウンザリしながら思った。
ロッキーはいろいろと問題があるようだが、腰の冴えは衰えてなかった。ロッキーに蹂躙されたスイカはあっという間に真っ二つに割れてしまった。
ロッキーはスイカを割るだけでは飽きたらず、地面に転がってるスイカの破片にも跨ろうとした。
それに気づいたお父さんはロッキーの腹に拳骨を叩き込んだ。ロッキーは泣き声をあげると、素早く井戸の影に隠れた。
「馬鹿野郎、コンニャクじゃないだから、腰なんかふるんじゃねえ」
お父さんはぶつくさ言うと、スイカの残骸を拾い上げ、目の見えない息子に差し出した。
「おうガキ、親切なおれっちがスイカをたたき割ってやったから遠慮せず食えや」
「そうか悪いな」と言って何も知らない一平さんはスイカの塊にかぶりついた。
「冷えてるじゃねえか、これ。それに甘めえ」
「そうだろう。お前のには特別に塩味がついてるから、美味いだろう。なんなら丸々一個食ってもいいだぞ、一平。おれっち等は残り一個をみんなで食うから」
そう言いながら、お父さんは僕等に綺麗なスイカを配ってくれた。
「いいのかよ、親父」
一平さんはちょっと驚いた声で言った。
息子は、父の優しさに慣れていないようだ。
「いいってことよ。お前はこのくそ暑いなか頑張って走ったんだからよう」
「そうか悪いな」
お父さんは笑みを浮かべながら「馬鹿は転がしやすくて助かる」とぼそりと呟いた。
〝一平さんのお父さん、意外と腹黒いな〟と思いながら、冷たいスイカを頬張る。ふと隣を見るとミミちゃんもスイカをガツガツと食べていた。ミミちゃんの口のまわりはスイカの種がいっぱいついていた。
「ミミちゃん口のまわり種だらけだよ」
「うるさいわね、スイカはちょっと下品に食べるぐらいが丁度いいのよ」
ミミちゃんはスイカの種をつけたまんま、すまし顔を作った。
僕は吹き出しだ。
「なに笑ってるのよ!」
ミミちゃんはスイカの種を飛ばしながら怒鳴る。
ミミちゃんのせいで僕の顔もスイカの種をだらけになってしまった。僕の顔を見て、ミミちゃんは腹を抱えて笑い出した。
僕はミミちゃんに文句を言おうとしたが、結局吹き出してしまった。
「そういやポン。お前こんな所で何しているんだ? 灯台から随分離れているぞ」
一平さんはスイカを貪りながら尋ねた。
僕は犬語で「ミミちゃんのお母さんを捜しに、隣町に行く途中です」と答えた。
もちろん、犬語ができない一平さんには、僕の言ってることなど理解できない。
「なんだテメーは、そんなこともわからねえのか?」
お父さんは横から口を挟んだ。
「親父にはわかるのかよ」
「旅だよ、旅。若い頃の旅は、人間を大きくするからな」
「旅って、犬と猫だぞ。こいつら」
「お前もつくづく馬鹿だな。おれっちの言葉に間違いがあるはずないだろう。男なら一度は女を連れて旅に出るもんなんだよ。おれっちもむかし極道の女房マメドロした時、その女房つれて北海道に旅かけたもんよ」
「ヤー公に追われてただけだろう」
一平さんはスイカの種を吐き飛ばした。
「馬鹿野郎、もてる男は困ってる女を助けてやるもんなんだよ」
「助けたって、親父がそもそもの原因だろうが。――で、その女どうしたんだよ?」
「それがよう、北海道行ったはいいけど、金はねえわ、寒いわで、なんか面倒くさくなってなぁ。女の枕元に千円札置いて千葉にけえったわ」
お父さんは無責任極まりなかった。
「何が旅だよ。北海道に女捨ててきただけじゃねえか、この極道親父が」
「失礼なこと言うなよ。札幌ほどの大都会だったら、女ならいくらでも稼げんだろう。女は神様から一つ多く穴貰ってるからな」と言った後大笑いし「まあ、北海道の寒さは恋いの熱を冷ますほど冷てえってことだよ。オメーも、女とハメようとするなら北海道はやめとけよ。枕元に千円札置かれて逃げられるからな。もっともオメーじゃあ、北海道にいくまえに涙の連絡船か!」
そう言うと、お父さんは唾と種を飛ばしながらガハハハと笑った。
「言ってろ、クソジジイ。おれとポン子との愛は、北海道の寒さぐらい屁でもねえだよ」
「愛ときたか、この素人童貞が。オメーが熱をあげてても、相手は微熱程度だからすぐ冷めるぞ」
「うんなことはねえよ」
一平さんはいくぶん自信なさげな顔で言った。
「だいたいよく考えてみろよ。相手は芸能人で女だぞ。まわりには若くていい男が掃いて捨てるほどいるんだ。金だって向こうのほうがもってる。それに比べて一平、オメーには何があるんだ?」
「・・・・・・チャンピオンベルト・・・・・・」
一平さんは項垂れながら呟いた。
「このボケっ! そいつはこの前後輩に取られたばかりだろう! オメーにあるのは加齢臭と素人童貞の看板だけだろうがっ!」
「――大きなお世話だっ、このインチキ丹下がっ! だいたいさっきからクソミソに俺のこと言ってくれてるが、そう言うテメーはどうなんだよ! テメーが持ってるもんって言えば、潰れかけのジムだけじゃねえか!」
「おれっちはいいだよ。いい男だから」
お父さんは息子の言葉に熱くもならず、ごくあっさりと言い切った。
「――自信だけは無駄にありやがるな、この糞親父は」
一平さんは、父の自信に圧倒されたのか、小声だった。
「自信だけじゃねえよ、おれっちに――」
うん?
お父さんは急に目を細めると、道路の方を見つめた。
何事かと思ってみると、坊主頭の男が黙々と道路を走っていた。
「おっ? ありゃあ裏切り者じゃねえか」
おい、裏切り者!
お父さんは耳を塞ぎたくなるような大声で怒鳴った。
坊主の男は走るのをやめて、僕達の方に顔をむけた。
見覚えのある顔だった。
「思い出した! 一平さんの後輩のきよしさんだ!」
「だれきよしって?」ミミちゃんが問う。
「きよしさんは、一平さんの後輩でボクサーなんだ」
「ふーん。この男の後輩ねえ」
ミミちゃんは一平さんをジロジロと見た後、「この男の後輩というのなら、あの坊主頭の男もきっと馬鹿ね」ミミちゃんは辛辣な口調で言った。
まだ会ったばかりなのだから、そこまで言うことないのに。
僕はきよしさんのことを擁護しようと口を開こうとしたが、一平さんのお父さんの怒鳴り声の方がさきだった。
「おい、裏切り者! オメーにもスイカ食わせてやるからこっちこい」
きよしさんはどう反応していいのかわからないのか、呆然としている。
「天下の往来で、ナニ突っ立ってるんだこの裏切り者が! 早くこっちこい」
きよしさんは押忍と怒鳴って返事をすると、こちらに向かって走り出した。
きよしさんは、お父さんの前まで来ると、「押忍」と言いながら頭を下げた。
「――きよしか?」
一平さんが問うと、きよしさんは「・・・・・・押忍」と小声で返事した。
「──きよしに決まってるだろう、一平。平安時代から裏切り者といえばきよしと決まってんだから。──そうだろう、きよし。おれっちを裏切って食う朝メシは美味いか?」
「――いや・・・・・・そのう」と口ごもった後、きよしさんは結局押忍と答えた。
「しかしオメーも、なにウチのシマを勝手に走ってんだよ。本来なら処刑モンだが、おれっちは優しいから、裏切り者にも特別にスイカ食わしてやる」
そう言うとお父さんは、一平さんの足下に転がっていたスイカの塊を拾い上げた。
もちろん、ロッキーが粗相したヤツだ。
「ほれ、喰え」
「押忍、ありがとう御座います」
何も知らないきよしさんは、スイカに囓りついた。
「なんかスイカ食ったら腹いてえな。ちょっくらクソ垂れてくる」
お父さんは大声で宣言すると、畑の向こうに消えていった。
気まずい雰囲気が流れる。
犬の僕にはわからないけど、この二人には何か因縁があるらしい。
そういえば去年ぐらいから、きよしさん灯台にこなくなったし。
この二人には、犬の僕にはわからない込み入った事情があるのかもしれない。
空気の重さに耐えかねたのか、ミミちゃんがスイカを食べるのを止めて、顔をあげた。
「なんか重苦しくない、この二人」
「うん。なにか事情があるんじゃないかな」
「事情だか慕情だか知らないけど、この空気なんとかしなさいよ。せっかくのスイカが不味くなるじゃない」
「いやでも僕、犬だし――。事情とかよくわからないし」
「なによ、役立たずね。言葉がダメでもなんかあるでしょう!」
〝なんかって、言われても――〟
なにもないよ、と思った瞬間閃いた。
僕は一平さんの足下でコロンと転がって、お腹を見せた。
大抵の人間は、このポーズを見せると和やかな雰囲気になり、僕のお腹を撫で回すはじめる。
と思ったが、一平さんにも、きよしさんにもガン無視された。
「――そんな」
破られた?
「――あんた何やってるの?」
ミミちゃんはあきれ果てたと言わんばかりの顔で、お腹を見せている僕を見下ろした。
「いや、そのうお腹ナデナデ作戦だけど」
「なにその作戦。犬ごときのキューティさで、成功するはずないでしょう。見せてあげるは真のキューティさを」
ミミちゃんは高らかに宣言すると、きよしさんの足に頭を擦りつけた。
一瞥もされなかった。
僕は思わず吹き出してしまった。
ミミちゃんはマッハの速度で僕に駆け寄ると、鋭く尖った爪で僕の顔を引っ掻いた。
「なに笑ってるのよ、あんた!」
「ゴメンなさい、ミミちゃん」
僕達が二人の足下でドツキ漫才を繰り広げていると、きよしさんは重い口を開いた。
「――一平さん。――あのう。目の方大丈夫スカ?」
「ダメに決まってるだろう。よければ、クソ親父の手なんか握って走ってねーよ」
「――押忍」きよしさんは深く頭を下げた後、「すいませんでした」
「――きよし一歩前に出ろ」
一平さんの命令通り、きよしさんは一歩前に出た。
一平さんは、きよしさんを殴り飛ばした。
息を飲む、犬と猫。
「うんなことはもう気にしてねえよ。おれが今気にしてるのは、テメーの不甲斐なさだけよ」
きよしさんはよろよろと立ち上がると「押忍」と言って目を伏せた。
「一回も防衛できずにあっさりとベルトを渡しやがって。情けねえ野郎だ。テメーが情けないと、オメーに負けたおれまで情けなくなるだろう。そこら辺のことわかってんだろうな?」
「押忍。すいませんでした」
「押忍じゃねえよ」
一平さんは平手できよしさんの頭を叩こうとしたが、外れた。
気恥ずかしげな顔になる一平さん。
「――馬鹿野郎、試合じゃねえだから自分から当たりにこんかい!」
「押忍、すいまんせん! もう一回お願いします」
「いーよもう。テメーの石頭なんか殴ったって、拳痛めるだけだからよ」と言った後、一平さんは真面目な顔になって「お前はおれに勝ったんだ。いつまでもおれの背中なんか見てないで、自分の道を歩けよ」
きよしさんは寂しげな声で、押忍と答えた。
「おれはもう、お前なんか見ちゃいねえだから」
見たくてもオメーのせいで見れないからな。 そう言うと一平さんは声をあげて笑った。
「それになあ、きよし。おれはたしかにボクシングではお前に負けたけど、人生には勝ってるつもりだ。なんせおれにはアイドルの彼女がいるからな。これからは盲目のマラソンランナーとして活躍して、野崎のおっさんに自伝書かせて、それが元で一躍有名になって、お涙頂戴のテレビ番組かなんかに呼ばれて、金をバカバカ稼ぐ予定だからな」
「――アイドルって誰スカ」
「秋月舞って言うんだよ」
一平さんは少しテレながら発表する。
「舞ちゃんですか。おれ大ファンなんすよ! 一平さん、こんどサイン貰ってきてくださいよ!」
「なに食らい付いてるんだ、このボケ! さっきまで萎れてたくせに。スケベな野郎だ。だいたいなんで、おれがオメーなんかのタメにサインを貰ってこなきゃいけねえだよ」
「――そうスよね」
きよしさんは肩を落とした。
「――まあ、世界チャンピオンぐらいになったら、サインの一つぐらい貰ってきてやるよ」
きよしさんはガバリと顔をあげると「本当スカ!?」と声をあげた。
「本当だよ。そのかわりお前もインタビューされるたびに、おれの名前をだせよ」
「どんなこと言えばいいですか?」
「耳障りの良い言葉を適当に連呼しとけばいいだよ。僕の一生の目標ですとか、ボクシングの師ですとか、なんかあるだろう」
「それならいつも思ってます」
きよしさんは目をキラキラさせながら、一平さんの瞳を見つめた。
「気持ち悪いこというな! まあいい、とにかくベルトは取り返してこいよ」
「押忍!」
犬と猫である僕達にはイマイチ事情が飲み込めないが、二人とも気が晴れたようだ。
二人とも顔が晴れ晴れとしている。
「男って単純ね」
ミミちゃんは盛り上がる二人を呆れたように見つめていた。
「おい! すげえデカイクソが出てきたぞ。オメー等も見に来るか!?」
お父さんは大声を張り上げながら、こちらにむかって歩いてくる。
「なんでオメーのクソなんか見に行かなきゃならねえだよ」
息子が毒突く。
「これを逃したら、一生拝めないほどのデカイクソだぞ」
「うんな汚ねえもん。一生拝みたくねえよ」
「可愛くねえガキだ。ところでオメー等すっきりした顔してるけど、なんかあったのか?」
「別になにもねえよ。ただよ、このアホがウジウジとしてたから、人生の先輩としてちょっとアドバイスしてやっただけだよ」
「馬鹿野郎。オメーなんかにアドバイスできる事といえば、ソープの隠れた名店情報ぐらいだろう」
「ソープ、ソープ言うな! おれはソープを卒業して、彼女持ちに進化したんだから」
「まだキスしただけだろうが。逆上せあがるなよ、素人童貞」
「――えっ、舞ちゃんとキスしたんですか」
きよしさんは、驚きと羨望が混じった声を上げた。
「――まあな」
一平さんは頭を掻きながら、照れ笑いをうかべた。
何故か、僕は一平さんの笑顔を見てイラっとした。
「いつまでにやけてるだ! 馬車馬みたいに走らねえと女に捨てられるぞ」
父は、にやけている息子にむかって怒鳴り散らした。
「ウルせぇえ! そんなこと、テメーに言われなくてもわかってるよ」
息子は怒鳴り返すと、僕等に背をむけた。
「うんじゃあな、お前等。お前等もおれを見習って頑張れよ」
父と息子は、僕達を置いて走り始めた。
「おれも世界チャンピンになって、彼女作るぞ!」
きよしさんは高らかに宣言すると、親子とは逆の方向にむかって走り始めた。
「――男って本当に馬鹿ばかりね」
ミミちゃん走り出していく男達を見つめながら呟いた。