マシンガンをぶっ放せ
おれは少女とランニングする約束をし別れた。
走り込んだせいでクソ疲れていたが、家路を辿る足は軽かった。
ルンルン気分で家に帰ると、弟の数馬が朝飯を食っている最中だった。
「おっ。朝からドンブリ飯か。若いんだから、がんがん喰えよ」
おれは機嫌良く、弟の背中を叩いた。
数馬はふり返る。
「痛てえな。それに気持ち悪いだよ。朝からなにニヤニヤしてんだよ」
弟は眼鏡越しからガンをたれてきた。
細いフレームの銀縁の眼鏡、ムースでガチガチに固めたオールバックの髪型。
どこからどう見ても、立派なヤンキーだった。
おれは生意気な弟のダテ眼鏡を取ってやった。
レンズの下から、お袋譲りの子鹿のようなつぶらな瞳が現れる。
「生意気言うのは、その可愛いお目々をなんとかしてからにしろ」
おれが追い打ちをかけると、数馬はガチで恥ずかしくなったのか、耳が真っ赤になった。
天の邪鬼な数馬は、恥ずかしくなると頬を染めるかわりに耳が赤くなるのだ。
「返せよ! クソ兄貴」
数馬は耳を赤くしながら、おれから眼鏡を奪い取ろうとする。
いつもならゴミ箱にでも叩き込んでやるのだが、今日は機嫌がいいので返してやった。
台所から自分の分の飯と味噌汁を持ってくると、数馬の正面に座った。
おれは頂きますをしてから、箸に手をつける。
しばしの間、無言で飯を食う野郎二人。
茶の間には、タクワンをボリボリと囓る音と、味噌汁をすする音しか聞こえない。
味噌汁をお代わりしたところで、おれは気になっていたことを弟に尋ねた。
「そういえば親父は?」
トラブルメーカーの親父の姿が見えない。
居たらいたでむかつくし鬱陶しいのだが、姿が見えないと外で何かやらかしてるじゃないかと不安になる。
「なんかメロン食いたいから、三宅の婆さんのところ行って貰ってくる、とか言って出て行ったよ」
「貰ってくるって・・・・・・。どうせ盗んでくるんだから止めろよな、お前」
「止めて聞くような親父かよ。それに面倒くさい」
数馬は箸を止めることなく言い返してきた。
〝また騒ぎになったらどうすんだよ〟
親父は果物が喰いたいと、幼なじみの三宅の婆さんの畑から、貰ってくると称してよく果物を盗んでくる。
それが原因で三宅の婆さんと壮絶な喧嘩になり、一時は裁判沙汰にもなりかけたが、親父は懲りることなく今も畑泥棒をしている。
親父に言わせると、三宅の婆さんの畑ではじめて種まいたのはおれっちだから、タダで野菜を貰う権利があるそうなんだ。
三宅の婆さんに言わせると、アレは襲われただけなので、果物をくれてやる義理はないと言う。
どちらの言い分が正しいにしろ、犯ったのは間違いないようだ。
若い頃の話なんだろうが、ババアとジジイの姿しか見たことないおれにすれば、キモイとしか言いようがない。
玄関の方から、ガラガラと音がした。
親父だ。
「おっ、帰ってきたのか。穀潰し。仕事もしないけど飯だけはしっかり喰うだな」
親父はいつもの通りの、クソ親父だった。
クソ親父の右手には戦利品であるメロンが。左手には不細工なゴリラ人形が抱え込んでいた。
「親父、なんだよ? そのゴリラの人形は」
「ああ、これか。メロン貰いに行ったら、三宅の婆さんと畑でバッタリ会ったんだよ。三宅の婆さん、皺だらけの小汚い顔を崩してニヤニヤ笑ってお早うなんて言うから、なんかあったのか? て、聞いてやったら昨日パチンコで大勝ちしたって言うだよ。それで珍しく茶でも飲んでけ、て言うからよ、大人しく飲んでやったら、帰りパチンコのあまり玉で貰ってきたゴリ公の人形をくれたのよ」
「そんなもん貰ってきてどうすんだよ。邪魔になるだけじゃねえか」
野郎所帯に人形は不要だった。
「それもそうだな」
親父はゴリ公の面をマジマジ見つめながら呟いた。
「親父。ゴリラータンいらないのなら、おれにくれ」
〝ゴリラータン?〟
数馬が突然気色悪いことを言い出した。
「お前。ゴリラータンてなんだよ。オカマにでも目覚めたか?」
「うるせえよ」
数馬がおれを睨みつける。
「人形欲しがるぐらいで、オカマだとか決めつけるなよな、クソ兄貴。ゲーセンにあんだけUFOキャッチャーがあるんだ。男だって、人形ぐらい集めるよ」
「なんだよ、UFOキャッチャーって?」
おれの言葉を聞くと、数馬はぽかーんと口を開けて驚いた。
「――今どきいるだな、UFOキャッチャー知らない人間が。兄貴、少しはボクシング以外のことに興味もったほうがいいぜ。マジで社会復帰できなくなるぞ」
数馬は真顔で忠告した。
「仕方ねえだろう。中卒なんだから、ちっとばかし物知らなくても」
「いや、中卒とかそういう問題じゃ――」
と数馬が言いかけたが、語尾は駄犬の吠え声によってかき消されてしまった。
「うるせえ馬鹿犬だな。兄貴、なんとかしろよ」
数馬はウンザリ顔した顔で、前庭に繋いである駄犬を見た。
さっきまで疲れて寝っ転がってたくせに、駄犬は起き上がって、元気よくおれ等にむかって吠えていた。
「おい、一平。ロッキーに朝飯ちゃんとやったのか?」
親父は、前庭で吠えまくる駄犬を見つめながら言った。
「やったよ。朝飯なら」
「なら、骨っ子だな。骨っ子喰ってないから苛ついてるだよ、ロッキーは」
親父は一人合点して、ゴリラータンを抱えたまんま台所に消えていった。
親父は、骨っ子とゴリラータンを抱え戻ってきた。
親父は窓をあけて、駄犬に骨っ子をやろうとした。
駄犬は骨っ子には目もくれず、親父にむかって飛びかかってきた。
おれは一瞬、駄犬がトチ狂って親父に襲いかかったのかと思った。
しかしそれは勘違いだった。
駄犬が襲いかかったのは親父が抱えているゴリラータンだった。
駄犬は親父からゴリラータンを奪い取ると、首筋に噛みつきながら猛レイプしはじめた。
〝レイプするにしても、もう少し優しいやり方はできねえのか?〟
おれは猛レイプされている、哀れなゴリラータンを見つめながら思った。
親父は顎に手をやりながら、物知り顔で呟いた。
「――骨っ子じゃなくて、ゴリ公だったか・・・・・・。盲導犬ってのは難しいもんだな」
おれは、この家はダメだな思った。
親父と数馬は朝飯を食い終わると、親父はジムへ、数馬は学校へと出かけていった。
おれはというと、やることがないので、居間でぼんやりテレビを眺めた。
画面の中のテレビキャスターは、
覚醒剤を使ったロッカ――
いつまでも不景気な世の中――
すぐ自殺する少年と少女――
について語り始めた。キャスターの隣にいる引退した野球選手はしたり顔で毒にも薬にもならない意見を口から吐き出した。
メチャクチャウンザリしてきた。
〝他人なんだからほっといてやれよ〟
それが他人ができる唯一の優しさだと思う。
リポーターが、失踪した歌姫のプライバシーを暴こうとしたその時、おれはテレビのスイッチを切った。
静まりかえる部屋に、蝉の鳴き声が響いた。
暇だ。
〝点字の勉強でもするか〟
暇だし。
二階のおれの部屋には、お節介な弟が買ってきてくれた点字の本が置いてある。
たとえ失明しなかったとしても、どんどん視力が悪くなるという現実がある。
視力の悪化にそなえて、目が見えているうちに、点字の一つぐらい覚えておくべきだろう。
でも、おれは点字を覚えたくなかった。
点字を一つ覚えるごとに、失明に近づくようで嫌だった。目をそむけたい現実が迫ってくるようで嫌だった。
リングを降りたおれはなんて臆病なんだろう。
ため息が出た。それと同時に屁も出る。
「ニートって奴だな、こりゃ」
おれは己の現状に苦笑した。
元日本チャピオンだろうが、元プロボクサーだろうが、他人から見ればおれは立派なニートだった。
過去にどれほど苦労していようが、過去にどれほど偉業を成し遂げていようが、今がダメなら無意味だ。
人間、過去にも未来に生きられないだから。
刹那的に続く今しか生きることができない。
暇になって考えて見てつくづくそう思う。
だって今のおれ、ウンコ製造マシーンだし。
またしてもため息が漏れた。
ダメだ。居間でゴロゴロしていると悪いことばかり考える。
こんな時は――
センズリしかない!
ダークフォースに引きずり込まれそうになった時は、センズリをぶっこくにかぎる。
本当はセンズリするよりも、ソープに行きたかったが、軽い財布が贅沢を許さなかった。
贅沢はニートの敵なのだ。
ソープへの未練を断ち切るべく、おれはさっさく頭の中でズリネタの選定を始めた。
すぐさま朝の少女の顔が思い浮かんだ。
あの子があんな事したり、あんな事されたりしたことを想像すれば、充実したオナニー
ライフをおくれそうだが――。
「おれの大馬鹿野郎!」
おれは居間で吠えた。
庭で、自分のチンコを懸命に舐めていた駄犬が、ビックリしておれの方に顔を向けた。
おれはといえば、己の浅ましい獣欲に恥じ入っていた。
あの子はAV女優じゃないだ。劣情は、他のもんで解消しないと。
そうじゃないとおれも庭でチンコを舐めている駄犬と変わらない。
おれは少女をズリネタに使うことを断念した。
おれは少女の代わりに、自分の部屋にあるズリネタライブラリーを使うことにした。
〝さてなんでブっこくか〟
自分の部屋にあるズリネタライブラリーを思い返してみる。
どれもこれもすり切れるぐらい使い込まれたネタばかりだった。
〝どうもいまいちだな〟
レンタルビデオ屋で何か借りてくるか?。
と思ったが、最近のビデオ屋はDVDしか置いてないので、ビデオデッキしかない我が家では使えなかった。
こうなったら親父のネタを借りてみよう。
親父はお気に入りのズリネタを、押し入れの奧に隠しているのは知っている。
正月の大掃除のときに発見したのだ。
親父のことだ。今も押し入れに隠しているに違いない。
おれは親父の部屋に侵入して、押し入れを漁った。
押し入れの奧から花柄がプリントされたメルヘンチックな小箱が出てきた。
〝なんだこりゃあ〟
まさか、母ちゃんの思い出の品とか、子供の可愛い写真とか、へその尾とか、仕舞ってるんじゃないだろうな。
――あの顔で。
まあ、親父も人間だ。そういう所があるのかもしれない。
覗いちゃ不味いな。
おれは良識に従おうとしたが、結局好奇心に負け、小箱を開けてみた。
中から、たくさんのチケットが出てきた。
はじめは文字が滲んでてよく見えなかった。がマジマジとよく見ると、エロ本の付録のソープの割引券だった。
「クソ親父! もう少し入れるモン考えとけ!」
思わず怒鳴ってしまった。
「――まあ、気持ちはわかるがな」
入浴料半額はデカイ。おれは三枚ほど貰っておいた。
さて半額券ゲットしたところで、ズリネタ探しを再開するか。おれは押し入れをガサゴソと漁る。
五分ほどして、ズリネタの山を発見した。
おれはビデオのラベルに目を思い切り近づけて、題名を確認していった。
親父のズリネタは、青カンものがやたら多かった。
〝青カンになにか思い入れでもあるのか、うちの親父は〟
そう言えば親父、よく畑の横っちょで蚊帳を張って女とやっていた、とか言ってたな。
千葉で蚊帳を張る優しさがある男は、おれだけだとも自慢していた。
〝三宅の婆さんとも、蚊帳のなかで犯ったのか?〟
ふと思ったが、想像すると気持ち悪くなったので思考するのを止めた。
ズリネタ選定作業を再開する。
考え抜いたうえ、太陽と月と青カン・ぶっかけ五郎渋谷へ行く・人妻美貴の淫らな挑戦をチョイスして、居間に戻った。
おれは居間のカーテンを閉めた。
カーテンを開けっ放しでやると、何故か駄犬が吠えまくるので、おれはセンズリをするときは、必ずカーテンを閉めてやることにしている。
まあ紳士の嗜みだ。
それに一回、庭から侵入してきた三宅の婆さんにセンズリしているところ見られたしな。
警戒するにこしたことはない。
しかしなんで田舎の婆さんは、庭から家に上がりこんでくるんだろう?
玄関の意味がねえじゃねーか。
まあいいや。三宅の婆さんは。
今はエロビデオだ。
おれはテッシュを用意し、人妻美貴の淫らな挑戦をセットした。
見えない目でもよく見えるように、テレビに囓りついた。
クレーン車らしき物がテレビに映った。
なんだこりゃ?。
エロビデオになんでクレーン車が映るだよ。
おれの息子は、乗り物好きの幼稚園児じゃないだから、こんなモン見せられてもちっとも嬉しくないぞ。
頭に来てビデオを消そうと思った瞬間、おれはとんでもないことに気づいた。
クレーン車には裸の女が吊されていた。
滲んでたから気づかなかった。
何をやろうと言うんだ?。
カメラは、女の真下を映した。
地面にはなんと、竹槍がそそり立っていた。
竹槍だとっ・・・・・・。
まさか・・・・・・
INするつもりなのか。
おれは思わずブラウン管を両手で掴んでしまった。
おれを挑発するかのように、人妻美貴は淫らに笑う。
こいつやる気だ!
「馬鹿やめろって! お前は今、おれ以上に無謀なことしてるだぞ!」
おれはテレビにむかって怒鳴ったが、鎖にぶら下げられた美貴は下に向かって降ろされていく。
股間と竹槍の先端がぶつかろうとした刹那、玄関のチャイムがなった。
おれは条件反射で、素早くビデオの停止ボタンを押し、センズリポジションを解消した。
いつもならセンズリを邪魔されると機嫌が悪くなるが、今日だけはホッとした。
女が串刺しになるところも、女が竹槍を飲み込むところも見たくない。
おれはズボンをはいて、玄関にむかった。
玄関の扉を開けると、小太りのおっさんが立っていた。
金蠅の異名を誇るフリーライターの野崎国近だ。
異名の由来は、クソにたかる蠅のように、金になるクソにたかるのが上手いからだ。
「よう、チャンピオン。久し振りだな」
野崎の声は酒臭かった。
昼酒をかっ喰らってきたらしい。
いい身分だ。
「元チャンピオンだよ。野崎さん」
おれは不快さを抑えながら言った。
野崎とは付き合い長いが、おれはどうもこいつが苦手だ。
なにかあるとすぐ絡んでくるし、人に聞かれたくないなと思った質問もズバズバしてくるし、どうもこいつとは馬が合わない。
「そうだったね、沢村さん。高山が存在感がないから、ついチャンピオンて呼んじまったよ」
「きよしが存在感がないって、どういう意味だよ」
おれの声は怒りのあまり低くなっていた。
「沢村さん。あんたほどじゃないが、おれもボクシング業界では長くメシを喰ってるんだ。輝いてる人間と、腐ってる人間の見分けぐらい目をつぶってもできるさ」
「きよしが腐ってるとでも言うのか」
握りしめた拳が怒りで震えていた。
きよしのクソ野郎なんて思い出しただけでもむかつくが、おれのボクシング人生にトドメを刺した男だ。
強くあって欲しかった。
「ああ、腐ってるよ。あの男は。あんたという目標がなくなって、弱くなっちまったよ。高山きよしという男は、勝って弱くなる典型だな」
野崎は薄い唇を曲げて笑った。
嫌な野郎だ。
「それにくらべてあんたは違う。勝っても強くなるし、負けても歯を食いしばって、強くなろうとするタイプだ。あんたみたいに才能のない人間が日本チャンピオンになれたのも、ボクシングに対するキチガイじみた情熱のお陰だな」
「褒めてるのか貶してるのか、どっちなんだかハッキリしてくれよ、野崎さん」
「――これでも褒めてるんだよ、チャンピオン」
とてもそうは聞こえないが。
「なあ、チャンピオン。世間話はこれぐらいにして、本題に移ろうか?」
「本題って、自伝の件か?」
おれが引退をしたとき、野崎は自伝を出版を持ちかけてきた。
おれはその気はなかったので断った。
「そう自伝の件だ。あんたはただ頷いてくれるだけでいい。後はおれが書く。おれの筆の力はあんたも知っているだろう」
知ってるよ。おれは無愛想に答えた。
野崎の言うとおり、おれは野崎の筆の力をよく知っている。
野崎国近という虫の好かない野郎が生き残れるのは、ゴーストライターとしての腕が超一流だからだ。
実際野崎の書いた自伝がきっかけで再ブレイクした芸能人、スポーツ選手は実に多い。
ハイと返事するのがお利口な人間のやることなんだろう。
「なら頷いてくれるのか?」
野崎は、おれに返事を求めた
「いや、悪いが諦めてくれ」
でもおれは馬鹿だから断っちまう。
「意地張るなよ。もう大人だからさ。好き嫌いで仕事選ぶなんて餓鬼のすることだぞ」
野崎はおれの目の色をのぞき込んだ。
そう。たしかに野崎の言うとおりだ。
人間メシを喰わなきゃ生きていけない。
「それに、その目。おシャカになるだろう。金がなくて目が見えないなんて、みじめなもんだぜ、チャンピオン」
「なんで知っているんだ。てっ、商売だからか」
ハエがたかってないクソを見つけように。
野崎は、まだ人がたかってないクソを見つけるのが上手かった。
「そう商売だからだ、チャンピオン。まあ、気が変わったら電話くれよ。おれの携帯番号知ってるだろ?」
「残念ながら覚えているよ」
「よかった。それじゃあ、今日はお暇するよ。本命はあんたじゃないから、あまり時間はさけないのでね」
野崎は去っていた。