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メドレー 晒し中  作者: 南国タヒチ
第二部 and I love you
22/52

蒼 改稿

 暗い夜道を無言で歩いた。

 時折通り過ぎる車の音と、ガードレールの向こう側から聞こえてくる波の音、それと光輝の泣き声以外なにも聞こえなかった。

 ほかの連中も、葬式帰りのように口を閉ざしている。

 朱美の件で、皆ショックを受けているのだ。

 もちろんおれもショックを受けている。

 いやショックどころではない。

 ――激痛。

 槍で心臓を貫かれたような激痛。

 あまりの痛さに悲鳴すらあげることもできない。

 悔しさと沸き起こる怒りを殺すため、おれは歯を強く噛んだ。

 血と鉄が入り交じった味がした。

 

 悔恨の味。

 後悔の味。

 

 〝不味いな〟

 無能なおれにはお似合いの味だ。

 おれの横を歩いていた恵が意を決したように頭を上げる。

「・・・・・・直人さん、あまり自分を責めないでください」

 ――あれは事故だったんです。

 恵は慰めの言葉を添えた。

「そうだな」気のない返事を返す。

 おれはその事故を防ぐためにあの場所にいたのだ。

「舞島、元気だしなよ。くよくよしたって仕方がないじゃない」

 加藤はおれを慰めてくれた。

「ああ」おれはから返事を返した。

「直人ごめんな。おれが悪いだよ。おれがスカートめくりなんてしなければ、ミツはあんなことしなかったんだから」

 ――あの子にはあやまっておいてくれよ。

 謝らなければいけないのはおれだよ。心のなかで答えた。

「直にぃごめんなさい。お姉さんの久美子が、ミツを見てればよかったんだよ」

「直にぃごめんなさい!」

 姉も弟も涙ながらに謝る。

 おれは久美子の頭を撫でながら、「久美子は悪くないからそんなに泣くな」

 久美子の頭を撫で終わると、泣きじゃくってるミツを抱き上げる。

「もうなくなミツ。誰も怒っていないしミツが悪いじゃない」

 おれはミツの頭を撫でながら囁いた。

 すべておれが悪い。

 全部おれが悪い。

 しばらくして、ミツが泣き止む。泣き疲れたのか眠ってしまった。

「加藤、ミツを頼む」

 加藤にミツを渡した。

「悪いが、今日は送れねえ。夜だが大丈夫か、加藤?」

「わたしは大丈夫だけど、舞島は平気なの?」

「馬鹿、おれは男だ。襲われる心配はなんてねえよ」

 なんとか空元気をひねり出して、微笑んでみせた。

「そうじゃなくて――」

 おれは加藤の言葉を遮り「大丈夫だ、加藤」と言った。

 加藤はまだ何か言いたげだったが、おれの顔を見るとそれ以上なにも言わなかった。

 加藤達と別れる。

 おれはガードレールに手を置いて、真っ暗な海を眺めた。

 すぐに足が崩れた。

 おれは生まれて初めて泣き崩れた。

「――なにやってんだおれは」

 福ちゃんはおれのことを信用して、朱美を任せたのだ。

 そして朱美は――

 朱美という名前が浮かんだ途端、体が震えだした。

 ──朱美は、ようやく前を歩き出したのに。

 背中を押してやるおれが、その歩みを止めてしまったのだ。

「くそったれ!」

 おれはガードレールに思い切り頭を打ち付けた。額からドクドクと血が流れるが、痛みは感じなかった。

「こんなんじゃ足りねぇ!」

 おれはもう一度己を痛みつけようと、頭を振りかぶる。

 携帯がなり出した。

 おれは頭を振り下ろすのを止めて、携帯を取った。

 福ちゃんからだった。

 出たくなかったが、出ないわけにはいかなかった。

「舞島君?」

「福ちゃん、朱美は?」

「大丈夫よ、いまは睡眠薬飲んで寝ているから」

 何も答えられない。

 睡眠薬を使うほどだったのか。

「舞島君、あまり自分のことを追い詰めないでね。今回の件は、わたしにも責任があるんだから。朱美ちゃんの足のこと、舞島君にあらかじめ伝えておくべきだった」

 ――でも朱美ちゃんから口止めされててね。

 福ちゃんは悲しげに呟いた。

「――そうか」

 おれに見られたくなかっただな。

「それで、今後のことだけど。とりあえず家庭教師は一旦中止。舞島君もしばらくの間、朱美ちゃんと接触するのは控えて。朱美ちゃんがどういう反応するか予想できないから」

「――わかったよ。福ちゃん」

 どのみち会うつもりはなかった。

 どの面を下げて会えというのだ。

「そんなに気を落とさないで、舞島君。朱美ちゃんは必ず立ち直るし、ショックから立ち直れば、舞島君とも前と同じように接することが出来るようになるから12」

「ありがとう、福ちゃん」

 福ちゃんに礼を言うと携帯を切った。

 これ以上自分を痛める気持ちはなくなったが、自分を許す気にもなれなかった。

 おれは夏の夜空を見上げた。

 こんなにもおれは悲しんでいるというのに、星々は輝いていた。

 〝おれが悲しもうが、人が死のうが世界てのは無関心なんだな〟

 世界は、おれのために悲しんだりしない。

 世界は、両足のない少女を慰めたりはしない。

 世界は、罰を欲しがる男を罰したりはしない。

 世界は無関心だ。

 だから人が、人を救わなきゃいけない。

 でもそんな大それたおれには出来ない。

 でも支えてやることぐらいは出来るかもしれない。

 〝どうやって?〟

 朱美はもうおれに会ってくれないかもしれない。

 いや。

 まずおれが朱美に会いに行く勇気があるのか?。

 胸の中で繰り返される自問自答。

 〝なさそうだな〟

 波が砕ける音がした。

「根性ねえなおれ」

 いつも亀吉に偉そうに説教してるのに、これじゃあ兄貴分気取れねぇや。

 もっとも亀吉も片桐もいねえが。

「酒でも飲みに行くか」

 酒なんてこれっぽちも飲みたいとは思わないが、貧弱な人生経験しか持ち合わせていないおれには、悲しみや怒りを誤魔化す方法など酒しか思いつかなかった。

 

 安いぽいネオンが、負け犬を迎え入れる。

 おれは安い居酒屋を梯子し、飲み慣れない酒をしこたま飲んだ。

 酒を飲めば飲むほど、自分が沈んでいく。

 全然ダメだ。酒じゃ、怒りも悲しみも後悔も誤魔化せない。

 もやもやするばかりだ。

「クソっ!」

 苛々してゴミ箱を蹴っ飛ばす。

 前を歩いていたラッパー気取りの三人組にぶち当たった。

「なんだテメー!?」

 夜だというのにサングラスをかけた馬鹿が、怒鳴る。

「こいつ舞島じゃねえ?」

 何年前の流行だかしらないが、ダボダボのズボンをずりさげてパンツを見せてる馬鹿が、おれを指さした。

「こいつ片桐と喧嘩・・・・・・」

 腕にタトゥーを入れた馬鹿は最後まで喋れなかった。

 おれが殴り飛ばしたからだ。

 突然の暴力に唖然とする二人。

「来いよ! テメー等」

 おれが怒鳴ると、馬鹿二人はようやく状況を把握した。

 グラサン野郎は、馬鹿御用達アイテムであるバタフライナイフをポケットから取り出し、斬りかかってきたが、おれはヒョイと避けるとがら空きの腹に膝を叩き込んだ。

 グラサン野郎は悶絶し、ゲロをぶちまけた。

 あっという間に二人撃沈。

 残されたタトゥー野郎は地面に転がってる馬鹿二人と、おれを交互に見つめた。

「なんか道具あるんなら出せよ」

 おれは明らかにビビッてるタトゥー野郎を煽ると、タトゥー野郎はクルッと背中を向けて逃げだそうとした。

 おれはタトゥー野郎の背中に跳び蹴りを喰らわしてやった。

 タトゥー野郎は頭からすっ転んだ。

「逃げてるじゃねえよ、テメーのタトゥーは飾りかよ」

 呻いてるタトゥー野郎の髪を掴むと、ボロビルの壁に叩きつけた。

 タトゥー野郎は完全に伸びた。

「簡単に倒れんなよ。おれはまだ暴れたりねえだよ」

 誰かを痛めつけたかったが、それ以上に自分を痛めつけたかった。

 それなのにこの馬鹿共と来たら、おれを置いて自分だけ伸びてやがる。

 許せねぇ。

 おれはタトゥー野郎を無理矢理起こすと、無防備の顔面を殴ろうとした。

「おーい、舞ちゃん。それ以上やったら死んじまうぞ」

 聞き慣れた声が、おれの手を止めた。

 後ろをふり返ると片桐が立っていた。

「――片桐かよ」

 血まみれのタトゥー野郎から手を離した。 タトゥー野郎は地面に崩れ落ちた。

「なにしてんだよ、片桐」

「なにもクソも、酒を飲んでたら喧嘩の音がするから覗きに来ただけだよ」

 片桐は道ばたに転がってる三人組を眺める。

「荒れてんな、舞ちゃん。いつもならうめき声ぐらい上げさせてやるのに、みんなノビちまってるじゃねえか。やりすぎじゃねえか?」

「ウルセエ。お前にだけは言われたくねえよ」

「違げーね」

 片桐は大笑いした。おれはその横を通りすぎる。

「おい、なんだよ。もう帰るのかよ」

「オメーの面みたら、酔いが冷めちまったんだよ」

 それは本当だった。片桐の面を見たら、自分のやってることが片桐と同じことなんだと気づき、急に喧嘩するのも酒を飲むことも嫌になった。

 〝違う道を歩くために片桐達と別れたというのに、おれは何をやっているんだ〟

「連れねえな、舞ちゃん」

 片桐はぼやいたが、おれを止めることはなかった。


 家に帰ると、すぐにベッドに飛び込んだ。

 すべてを忘れて眠りたかったが、朱美の泣き顔や泣き声が、おれを眠らせてはくれなかった。

 眠れないまま、時間だけが過ぎていく。

 〝酒がたりねえのかな〟

 おれはベットから起き出すと、酒をがぶ飲みして無理矢理寝た。

 携帯の着信音で目が覚めた。

 起きた瞬間吐き気と頭痛に襲われた。

 とても起きる気になれない。

 おれは布団のなかにもぐりこみ寝直すことにした。

 そのうち携帯も諦めて鳴り止むだろう。

 おれの思惑は外れた。

 携帯はストーカーのようにしつこく鳴り続けた。

 尋常な鳴り方じゃない。

 〝ひょっとして、朱美になにかあったのか〟

 おれは布団から這い出ると、携帯に手を伸ばした。

 着信を見ると、亀吉からだった。

 ついでに時間を確認すると、夜中の一時を過ぎていた。どうやら丸一日眠っていたようだった。

 飲み過ぎたな。

 おれは髪を掻きながら、電話に出た。

「どうした亀吉?」おれが問うと亀吉は震える声で「――おれ人を殺しちゃいました」と罪を告白しだした。

「はぁ?」

 亀吉が何を言ってるのか理解ができない。

「だから人を殺しちまったんです!」

 電話の向こうで亀吉は怒鳴った。

 〝ただ事じゃない〟

 冗談の類じゃないことを理解すると、一気に目が覚めた。

「亀吉、落ち着いて話せ」

「――だから言ってるじゃないですか。おれ人殺しちゃったんですよ」

「はぁ? 誰をだよ?」

「泥棒野郎ですよ。泥棒野郎が襲ってきたから鉄パイプで殴ったら――」

 亀吉は声を詰まらせた。

「泥棒? 資材置き場か亀吉!?」

「――そうス。資材置き場です」

 おれは携帯を叩き切ると、外に飛び出していった。

 


 資材置き場には、夏だというのに派手な革ジャンをきた死体が転がっていた。

 頭から血と脳漿が垂れていた。死体の側らには血まみれの鉄パイプが転がっていた。

 〝鉄パイプで殴ったのか〟

 おれは念のため、脈を確かめてみた。脈は完全に止まっていた。

「──死んでるな」

 おれの背中に隠れるように立っていた亀吉は、おれの言葉を聞くと腰をぬかした。

 亀吉のズボンは小便で汚れていた。

「直人さん、おれは悪くないス。泥棒野郎が襲いかかってきたから、おれは・・・・・・」亀吉の言葉が途絶える。「――おれ鉄パイプで殴ってやったんです。そしたらこの馬鹿が死んじまって――」

 亀吉は自己弁護を繰り返した。

 〝だから鉄パイプなんか持つなって言ったろうが〟 おれは亀吉を怒鳴りつけたかった。

 が、やっちまった後に何を言っても無駄だった。

「亀吉。わかった。わかったから落ち着け」

「人を殺しておいて、落ち着けるわけないじゃないですか!」

 亀吉は怒鳴った。

「だいたい直人の兄貴がいてくれれば、こんなことにはならなかったんですよ! どうしてくれるですか、おれの人生!」

 亀吉は崩れ落ち、そして泣きながら拳で地面を叩いた。

 おれは黙って、亀吉を見守った。

 何か言葉を掛けてやりたいが、かける言葉など思いつかなかった。

 それに亀吉の言うとおりだ。おれがいれば、亀吉は殺人を犯すことはなかったろう。


 でも、道は別れちまった。


 死体をそのままにしておくわけにいかないと思ったおれは、倉庫からブルーシートを引っ張り出してきた。

 死者は恨めしげに月を睨んでいた。

 一瞬、映画のように死体の目を閉じさせようかと思ったが、恨みのこもった目を見ると、触る気になれなかった。

 だいたい映画みたいに、あんなに綺麗に瞳を閉じさせることが出来るのだろうか?

 人を殺したことも、死体に接したこともないおれにはよくわからなかった。

 結局、ブルーシートで死体を覆うだけにした。

 〝成仏してくれよ〟

 おれはごく自然と掌を合わせた。

 死体を弔い終わると、亀吉の泣き声は小さくなっていく。

 〝もう落ち着いたかな〟

「亀吉。片桐には連絡したのか?」

「連絡しました。もうすぐ来てくれるはずです」

「そうか。なら片桐を待つか」

 おれは資材の山に背中を預けた。亀吉はおれの隣に座り込んだ。

 地べたには死体が転がっているのに、星空はやたらと綺麗だった。

 おれは目の前の現実に目を背けるかのように、星空をぼんやりと見上げた。

 亀吉はブルーシートに覆われた死体をジッと見つめていた。

「──直人兄貴」

「なんだ。亀吉」

「さっきはすンませんでした。直人兄貴は関係ないのに、喚いちまって」

 ――ヤクザ選んだの、おれスもんね。亀吉はぽつりと呟いた。

「そうだな」おれもぽつりと答えた。

 会話は続かない。仕方がないので黙って時間を過ぎるのに任せた。

 車の音がした。

 白いライトバンが資材置き場に入ってきた。 ライトバンを運転しているのは片桐だった。

 ブルーシートの前にライトバンを止めると、片桐は車から降りてきた。

 片桐は一升瓶を片手にぶら下げていた。

 片桐はおれ達を一瞥した後、ブルーシートを捲りあげた。

「相原じゃねえか」

「知ってるのか、片桐?」

「生首とかいうシケた族のチンピラよ。手癖が悪くて、むかしウチの組員の車パクリやがったんだよ。シメてやろうと思って追い込みかけたら、このクソ馬鹿たれ逃げやがって。噂じゃあ、関西のほうに逃げてるって話だったけど、地元に帰ってきてたようだな」

 片桐は死体に顔を近づけると「車の次は資材かよ、ええ相原よう?」

 片桐は憎々しげに吐き捨てた。

「片桐、もう死んじまったんだ。勘弁してやれよ」

「──舞ちゃんは相変わらず甘いな。まあそこが舞ちゃんの良いところなんだけどよう」

 片桐は立ち上がると、手に持っていた一升瓶を亀吉に押しつけた。

「カメ。とりあえず飲んどけ」

 亀吉は頷くと、日本酒をがぶ飲みした。

 大量の酒が。亀吉の口から零れる。

 あたりは日本酒の甘ったるい匂いで充ちた。亀吉は飲み終わると、日本酒を足下に置いた。

「でっ、どうすっか。山かなんかに埋めるか? 相原みたいなクズが死んだって、誰も捜索願いなんか出しゃしねーだろうし」

「――埋めたらバレないすかね」

 亀吉の声には、蜘蛛の糸にすがる悪人のそれだった。

「亀吉。やめとけ」

 おれは止めた。

「なんでですか。死体埋めて、パクられるのが恐いですか?」

 亀吉はおれを睨みつけ「だったら手伝って貰わなくてもいいスよ」と言ってふて腐れた。

「勘違いするな、亀吉。お前が片桐だったら、おれも黙って死体埋めるの手伝うよ。片桐なら、耐えられるからな」

「――なにを耐えられるですか?」

「パクられる恐怖と、罪悪感にだよ。片桐は生粋のならず者だから、人を殺しても屁とも思わないし、警察に怯えてビクビクしたりもしねえ」

「――相変わらず、酷でえ言われようだな」

 片桐は苦笑いすると「まあ、その通りなんだけどよ」と言った。

「でも、亀吉は耐えられないだろう。亀吉は片桐じゃないだから」

「おれヤクザだからそんなの平気・・・・・・」亀吉の唇は震えて、それ以上言葉にならなかった。亀吉は再び、泣き出した。

「落ち着け亀吉。いいか、今警察に行けば自首だ。それに死んじまったとはいえ、殺すつもりじゃなかったんだろう?」

 亀吉は黙って頷いた。

「なら傷害致死とか言うヤツだろう。それに相原とかいうヤツも襲いかかってきたんだろう? なら上手くいけば過剰防衛になるかもしれないだろう?」

 おれが説得すると、亀吉は泣きながら頷いた。

「――直人兄貴、どうしてこんなになっちまったですかね?」

 おれは何も答えることが出来なかった。

「・・・・・・おれが悪いですよね」

 亀吉はぽつりと呟いた。

「直人兄貴、迷惑をおかけしました。おれやっぱ自首します」

「わかった。亀吉。おれも片桐もついて行くから心配するな」

「自首で決まりか。まあ、こんなチンケな罪に怯えて暮らしても面白くもねえしな。シノギにも影響するし。まあ、安心しろや、カメ。知り合いのデコ助に口聞いてやるからよう。ちっと体休めに行くつもりでいってこい。どうせウチ等の稼業じゃあ、そのうち捕まるだからよう」

 ――これも勉強だ、勉強。

 片桐は笑いながら、亀吉の肩を叩いた。

 亀吉は片桐に合わせて、無理に笑みを浮かべた。

「片桐、お巡りに知り合いがいるのか?」

「いるよ。そりゃあヤクザと警察なんて持ちつ持たれつみたいなもんだもん。だいたいヤクザがいなかったら、警察廃業じゃん」

「片桐は本当にどうしようもないが、こういう時には頼りになるな」

「反応に困るほめ方やめろよな、舞ちゃん」と言った後「死体詰むの手伝ってくれよ、舞ちゃん。こんなところにほったらかしておいても邪魔だからよ」

 おれは頷くと、死体の足を掴んだ。

 死体は妙に重かった。死んじまって、体から力が消えちまったせいかもしれない。

 〝人間死ぬと重くなるんだな〟

 魂が抜けた分、軽くなるのかと思ってたよ。

 片桐もおれと同じ事を思ったらしく「クソ重めえな。相原の野郎。死んでも迷惑な野郎だ」と毒突いた。

 死体を積み込み終えると、みんな黙ってライトバンに乗り込んだ。

 ライトバンは警察署に向かって走り出した。

 亀吉は後部座席で、お袋さんに手紙を書き始めた。携帯があるから電話することもできるが、お袋さんの声を聞きたくないのだろう。

「忍兄貴。一つ聞いていいスカ?」

「なんだ、カメ」

「おれがもし年少行くハメになったら、お袋の面倒は組が見てくれるんですか?目を離すとパチンコや売りをするかもしれないし、体もガタがきてるから医者の世話になるかもしれないです。それに生活費だって――」

 こんな時までお袋さんの心配か。

 おれは悲しくなった。

 亀吉の心配はもっともだし、亀吉が心配している今もあのホテル街で体を売っているのかもしれない。

「カメ。そりゃあお前次第よ。お前が年少から出てき、ウチでしっかりやっていくというのなら、お前はウチの人間よ。お袋さんの面倒はしっかりとみてやる」

 片桐は言葉を切った。

「これを機会に、組を抜けるというのなら話は別だ。カメ、おめえとおれは他人よ。おれは他人のケツは拭かねえよ。どうするカメ?お前が選べよ」

「おれは組を抜けるなんて・・・・・・」

「おめえは揺れてるだよ。舞ちゃん見てよ」

「片桐!」おれが怒鳴ると、「舞ちゃんは黙ってろよ。これはおれとカメの問題よ」

 片桐は低い声で答えた。

 車内の空気がみるみると重くなっていく。

「──直人兄貴、もういいス。おれ腹括りましたから」

 亀吉が大声で言った。硬質な空気がその瞬間溶けた。

「忍兄貴。年少出たら、おれに杯を下ろしてください」

 ──忍兄貴お願いします。亀吉は、片桐にむかって威勢よく頭を下げた。

「そうか。ならお袋さんの面倒は組が見る。安心して、お勤めしてこいや」

「ありがとう御座います、忍兄貴」

 亀吉は片桐にむかって深く頭を下げた。

「なに格好つけて、覚悟きめてんだ。お袋さんならおれがなんとかしてやるよ」

 ――金もねえ、大人にも成りきれてねえ、単なる高校生のおれがカメのお袋さんの面倒など見れるはずはなかった。

 ――だがそれでも言わずにはいられなかった。

 亀吉は、今日初めて微笑んだ。

「その気持ち嬉しいです、直人兄貴」

 亀吉はおれにむかって、頭を下げた。

 おれは何も言えなくなってしまった。

 

 警察署の前についた。

 おれ達三人は警察署の中に入っていった。

 受付のカウンターには、暇そうなお巡りが一人座っていた。

 片桐は受付のカウンターに身を乗り出した。

「おう、兄ちゃん。片桐組の片桐忍ってもんだけどよう。悪いが菅賀のおっさんいるかどうか聞いてきてくれや」と言った。

 お巡りはムッとしたが、片桐に睨まれると、黙って電話を取った。

 受付のベンチに座って待っていると、頭を五分刈りにしたガラの悪い大男がやってきた。

 どうやさしく見てもお巡りには見えなかった。片桐の同業にしか見えない。

 この厳ついのが須賀とかいう刑事なんだろうか?

 ガラの悪い大男は、片桐の前に立った。

「誰だ、お前?」片桐は下から大男を睨みあげる。

 この大男は須賀ではないようだ。

「親父が組長だからって、調子に乗るなよクソ餓鬼」

 大男のデカはそれだけ言うと、片桐の面をビンタした。

「調子になんか乗ってねえよ。おれはテメーの名前を聞いただけだろうが、クソデコ助がぁ」

 片桐は血の混じった唾を吐いた。

「おい、あんたもお巡りだろう。片桐は何もしてねえだから気安く殴るなよな!」

 おれはムカついて、大男のお巡りを睨みつけた。

 大男のお巡りはおれの髪を掴み、思いっきり上に引っ張った。

 大男のお巡りはおれの顔を上から睨みつけながら、

「お前が舞島か。片桐と連んで暴れてるそうじゃないか。少年課じゃ、有名だぞ。お前」

「おれはテメーの名前も知らねえよ」

 大男のお巡りはおれの腹に拳を入れた。その体格に恥じない重いパンチだった。

 おれは思わず悲鳴を上げそうになったが、歯を食いしばって堪えた。

「今日からマル暴に配属された倉田健二だ。足りない頭でよく憶えておけよ。パッキン」

「――よーく憶えておくよ。倉田さん」

「生意気なガキだ。まあいい。ここじゃあ体裁が悪い。二階に行くぞ。お前等の話は上でゆっくりと聞いてやる」

 おれはこのクソ野郎を殴り飛ばしてやりたかったが、亀吉の事があるので何とか堪えた。


 二階のマル暴の部屋に入ると、小柄のおっさんが茶を飲んでいた。

「おう、片桐。今日はどうした? 顔なんぞ腫らしてからに? ピンサロの女と喧嘩でもしたのか?」

「その女となら別れたよ、菅賀のおっさん。それに殴ったのは、このクソ野郎だよ」

 片桐は倉田を指さした。菅賀は倉田に視線を移した。

「倉田君。いくら相手がヤクザだからって、殴ったらいかんだろう。こいつらだって一応人権があるんだからさぁ」

「ヤクザに人権なんかあるはずないでしょう、菅賀さん」倉田は吐き捨てた。

「それもそうだな」

 菅賀は軽く受け流した。

「で、今日はどうした、片桐? 盆の挨拶にはまだ早いぞ」

「今日は亀の付き添いだよ」

 片桐は、緊張して黙りこくっている亀吉を指さした。

「なんだ今日は亀吉か」

 菅賀は亀吉に視線を移した。

「どうした亀吉? 片桐の身代わりにでもさせられたのか?」

「おっ・・・・・・」

 亀吉は緊張のあまり声がでなかった。

「おっ、なんだ? 落ち着いて話してみろ?」

「おれ人殺しました・・・・・・」

 亀吉は震える声で言った。

「片桐じゃなく、お前がか? 片桐を庇ってるだったら、怖がらなくてもいいから正直に全部喋りなさい。ここは警察なんだから仕返しの心配なんてしなくてもいいんだぞ」

「――どいつもこいつも本当におれのこと何だと思っているんだ」

 片桐はぼやいた。

「忍の兄貴じゃないす。おれが泥棒を鉄パイプで殴って、そしたら死んじまって――」

「なんだ本当にお前か。で、相手は?」

「相手は相原だよ」

 亀吉のかわりに片桐が答えた。

「相原? 相原って、生首の相原邦男のことか?」

「そうだよ。相原のぼんくらだよ」

「相原はお前のところに睨まれて、関西のほうに体かわしてたんじゃないのか?」

「こっちに戻ってきて、うちの資材パクってたのよ」

「そうなのか? なんでうちに言わない? 捕ってやったのに」

「冗談きついぜ、菅賀のおっさん。うちが警察に泣きを入れるわけにいかねえだろう」

「そりゃあまあそうだ」

 菅賀は大笑いした。片桐も大笑いする。おれと言えば、人が一人死んでいるのに、こんなに和気藹々とやっていいのだろうか? と、珍しく首を傾げた。

「菅賀さん。殺しですよ。笑ってる場合じゃないでしょう」

 倉田は苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。

 気分が悪いことに、倉田と同意見のようだった。

「殺し? バカを言うな、倉田君。持っていけてもせいぜい傷害致死ぐらいだろう、こりゃあ」

 菅賀はそう言った後、「で、亀吉の面倒は組がみるのか? それとも亀吉に被らせるのか?」

「見回りさせてたのは組の命令でもあるからよ、おれが親父に話つけるよ」

「──と言うことは、出っ張ってくる先生は本田先生か?」

「ああ。うちの親父はそういう所には金をケチらないからな。そうなるだろうな」

「よかったな、亀吉。兄貴分が片桐で。本田先生なら過剰防衛でケリがつくかもしれないぞ」

 菅賀は、亀吉を励ますかのように肩を叩いた。

「菅賀さん。甘すぎますよ。こいつらヤクザですよ。殺人は無理かもしれないけど、傷害致死で引っ張るべきですよ」

 倉田が声を荒げた。

「倉田君。そう言うけどね。相手はヤメ検の本田先生だよ? 亀吉の話が本当だったら、とてもじゃないが傷害致死なんか通らないよ。傷害致死で検事先生に持っていても笑われて終わりだよ」

 倉田は、亀吉を睨みつけると「よかったな。人殺し野郎。兄貴分が偉くて」吐き捨てるように言った。亀吉は片桐を見習って健気にも倉田を睨みつけたが、ブルってるのが外からみて丸わかりだった。

「おいおい、倉田君。脅すなよ。亀吉がブルってるだろう。とりあえず、取り調べするか。ところで片桐、仏さんはどこだ?」

「車に積んであるよ」片桐が答えた。

 菅賀はチラリと腕時計を見ると、

「なんだ手回しいいな。おし、川村亀吉、午前二時四十五分逮捕な」

 菅賀は懐から手錠を取り出すし、亀吉に手錠をかけた。

 亀吉が手錠をかけられている姿を見て、おれは痛々しくって見てられなかった。

「あの、菅賀さん」おれは声をかけた。

「なんだ、舞島」

「亀吉のことよろしくお願いします」

 おれは深く頭を下げた。こんなことしたってなんの足しになるのかわからないが、それでも頭を下げずにはいられなかった。

「――舞島。お前があんなヤンチャしてるのに、少年課の連中がパクらないの、なんとなくわかるよ」菅賀はそう言った後「ところで舞島、お前卒業したら、片桐の所で世話になるのか?」

「いえ。大学に進学しようと思ってます」

 菅賀は驚いた顔をした後、大笑いした。

「大学かっ! 舞島そりゃあよかったな。しっかり勉強するんだぞ」

 菅賀はおれの背中をバンバン叩いた。

 もう初老の域に達してるくせに、デカだけあって力が強かった。

「しかし片桐。お前ふられたのか? うん、おい?」

 菅賀は愉快そうに、片桐を辛かった。

「そんなに笑うなよ、菅賀のおっさん」

 片桐は面白くなさそうな顔で答えた。

「よし、亀吉。馬鹿話も終わったところで行くか?」

「あのう、ちょっと待ってください。菅賀さん」

「どうした? 亀吉」菅賀は尋ねた。

「忍兄貴、それから直人兄貴。お袋のことよろしくお願いします」

 亀吉はおれ達に向かって深々と頭を下げた。

 おれが任せろと言おうとした瞬間、別の声が割り込んだ。

「なんだ。川田。お前、生意気にお袋が心配なのか? 人殺しのくせに。お前が殺した相手にだってお袋がいるんだぞ」

 と倉田が言った瞬間、おれは殴り倒してやろうかと思ったが、亀吉が歯を食いしばって堪えてるので我慢した。

 それに正論でもあった。

「まあ、心配するな。お前のお袋なら股開いて稼ぐさ。なんせお前のお袋、売春で二回上げられてるもんな。今は客とってないのか?」

「お袋は関係ねえだろう!」

 亀吉が切れて、倉田に飛びかかろうとした。おれもブチ切れて、倉田の野郎を殴ろうとしたが、二人とも殴れなかった。

 片桐が倉田を殴り飛ばしたからだ。

 倉田は床に倒れた。倉田は折れた奥歯を吐き出した。

「これで公務執行妨害に傷害だぞ、片桐」 

 倉田は口元の血を拭いながらニヤリと笑った。

 〝しまった。これが狙いだったのか〟

「なに一人で終わった気でいるんだよ、ボケナスが」

 片桐は倉田の鼻を靴の先で思い切り蹴った。

 倉田の鼻が吹っ飛んだ。片桐の履いてる靴は普通の靴ではなく、安全靴だった。

 倉田は痛みと驚きでのたうち回る。片桐はもがいてる倉田の口に安全靴を突っ込んだ。

 折れた歯が盛大に床に散らばった。

 おれは片桐の背中を羽交い締めにして止めた。

「片桐、やり過ぎだぞ!」

「もう切れてねえから大丈夫だよ舞ちゃん。放してくれや」

 片桐の声は落ち着いていたので、言われたとおり放した。

「菅賀のおっさん。おれ自首するぜ」

「バカ。こういうのは自首ではなく、現行犯逮捕て言うんだよ」

「なんだよ、ケチくせえな。大人しくパクられてやるんだから自首にしとけよな」

 部屋にいた若い刑事が片桐を取り押さえようとしたが「水野君、大丈夫だよ」

 菅賀が声をかると、水野と呼ばれた若い刑事は動きを止めた。

「菅賀さん。どうすんですか、これ?」

 水野は蒼い顔で床に散らばっている倉田の奥歯を見つめながら言った。

「片桐を傷害でパクるに決まってるだろう」

「──片桐じゃなくて、そのう倉田さんは?」

 水野は床にのたうち回っている倉田を指さした。

「倉田君か・・・・・・」

 菅賀は倉田の前に座り込んだ。

「なあ、倉田君。君はマル暴むいてないよ。本気で殺るやつと、脅しのやつが見分けられないようじゃ、長生きできないよ。交通課にでも転属願いだせ」

 倉田は藻掻いてるだけで返事が出来なかった。

「でも鼻もないしな。交通課も無理かな。倉田君。君は今日限りで警察やめるか?」

 倉田は震えながら頷いた。もう警察には未練がないらしい。

 菅賀はゆっくりと立ち上がると、片桐に向き直った。

「片桐。今回はうちも悪いから、三年ぐらいで手を打つから、親父さんに言って、ちょっと道具を出すように言ってくれないか? うちも最近成績悪いんだよ」

「わーたよ。親父に言ってみるよ」

「よし、わかった。午前三時五分。片桐忍逮捕な。水野君、手錠」

 菅賀に言われると、水野は片桐に手錠をかけようとした。

「ちょっと待ってくれ」片桐は手で止める仕草をすると「舞ちゃん、忘れもんだ」

 片桐はおれのことを思い切り殴り飛ばした。

 おれは派手に床に転がった。

「──痛てぇな。なにすんだよ、片桐?」

「誰かに殴ってもらいたいような面して、昨日喧嘩してたろう。だからおれが殴ってやったぜ。ムショでたら酒でも飲もうや」

 片桐はにやりと笑うと、取調室に消えていった。


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