擬態 改稿
無数の星が微かな光を放ち、もう光を灯すことのない灯台のかわりに夜を照らしていた。
それは美しい光景かも知れないが、加藤家のガキンチョ軍団の目を奪うことは出来なかった。
今宵の主役は美しい夜空ではなく、山と積まれた花火なのだから。
「ねぇ直にぃ、こんなに花火買って大丈夫? お金なくなっちゃったりしない?」
久美子は不安げな顔で、権左右衛門の前に積まれてある花火の山を指さした。
「こんぐらいどってことないから、心配すんな久美子」
花火の予算のほとんどが鷲尾家から出ている。
加藤家も申し訳程度のお金を出している。
それでも、多少足が出た。
足りない分はおれが出しておいた。
鷲尾家から支給された予算が少なかったわけではない。
花火を選んでいるウチにテンションが上がったおれが、後先考えずにバカバカ買いすぎたのが原因である。
だからアシが出た分はおれの財布から出すのは当然であった。
「うぉ! すげぇ花火がいっぱいある」
花火の山を見た桂太は興奮して鼻息が荒くなる。
光輝も桂太の真似をして、うぉ! だの、すげぇだのと言って一緒になって騒いでる。
おれが知らない間に、光輝は桂太に懐いたようだ。
いいことだ。
加藤は、光輝が最近桂太の真似をして悪戯ばかりして困ると嘆いていたが、仲が悪いよりはずっといい。
「桂太ったらガキなんだから。花火ぐらいではしゃいじゃって」
絵里花は、姉のように兄を評すると「直にぃ、絵里花、クミと一緒にレディ向きの花火選んでくる」
絵里花は久美子の手を引っ張って、レディ向きという謎の花火を探しにいった。
「――加藤も自分の花火を選ばなくていいのか?」
おれは隣に立ってる加藤をからかう。
加藤はバイトで忙しいくせに、無理矢理予定をあけて強引に参加してきた。
――福ちゃんの予想通りだな。
加藤には悪いが、おれは少々うんざりしていた。おれはどうも追われると、うっとうしく感じてしまう。なんだろう、もっとサラッとした付き合いの方が好きだった。
「もう花火でよろこぶ年じゃないわよ。恵行ってきたら」
「――姉さん。直人さんと二人きりになりたいからって、さりげなく私を追い払おうとするのはやめてください」
恵はジッと目で姉を睨んだ。
「いや追い払おうとしたわけじゃ――」
目が泳ぐ加藤。恵の指摘はすばり図星だったようだ。
「――いや、それはそうと舞島も偉いわよね、足が悪い子の家庭教師を引き受けるなんて」
姉は強引に話題を変えた。
「別に偉くなんてねーよ。家庭教師引き受けたのも成り行きだよ」
しかも立ちションがきっかけである。
別に偉くもなんともない。
「成り行きでも普通の人はなかなか引き受けませんよ、直人さん」 恵は言った。
「なんかおれが普通じゃないと言われてるような気がするのだが」
「直人さんが普通の人の範疇に入るはずないじゃないですか。ハーフで、喧嘩が強くて、女の子からはラブレターを山のようにもらって、その上姉妹両方から告白されて・・・・・・」
恵の声は段々と険悪になっていた。
自分の言葉にむかついてるらしい。
──いかん、話題を逸らさないと。と思っていると足下で犬が吠えた。
灯台犬のポンだ。
「なんだお前も花火見に来たのか?」
おれはムツゴロウさんばりに、ポンの頭をなで回した。
話題を変えないと、な。
「恵、犬はやっぱり可愛いな」
「直人さん、わざとらしいにもほどがあります」
恵はブウブウと文句を垂れようとしていると、「舞島君!」林の方から福ちゃんの声が聞こえてきた。
見ると、福ちゃん達が林の前に立っていた。
おれが「福ちゃん!」と叫びながら手を振ると、師匠は腕が抜けるのでは、と心配になるぐらいの勢いで手を振ってくれた。
片手にコンビニ袋をぶら下げてる愛さんは、空いた方の片手でごく常識的な範囲で手を振ってくれた。
車椅子に座っている朱美は、今にも泣き出しそうな顔で小さく手を振っていた。
〝MAXで緊張してるな〟
──無理もないか。同年代の子は朱美にとって一番苦手な存在なのだから。緊張するな、という方が無理がある。
〝よく見とかないとな〟
チビ共が花火に浮かれようと、おれだけは油断しないようにしないと。
福ちゃんはゆっくりとこちらにむかって歩いてくる。
「こんばんわ、鷲尾愛と申します。今日はよろしくお願いします」
おれ達の前に立つと、愛さんは加藤にたいして丁寧に頭を下げた。
「こちらの方こそ、こんなに大勢で来てしまって申し訳ありません」
加藤は慌てて頭を下げた。
「気にしないでください。大勢の方が賑やかで楽しいですから」
愛さんは言い終わると、妹に向かって「朱美ちゃん、今日はいっぱいお友達が来てくれてよかったわね」
「――うん」朱美は小さく頷く。
〝大丈夫かな、朱美のヤツ〟
朱美の姿を見ていると不安になるが、朱美がギブアップ宣言したら、もしくは福ちゃんが無理だと判断したら、花火が途中でも朱美を撤退させることになっていた。
こちらも用心してるんだ。
なんとか乗り切れるだろう。
愛さんと加藤の挨拶が終わると、福ちゃんが口を開いた。
「福田福子です。この前はすいませんでした。誤解を与えるような事しちゃって」
福ちゃんはいきなり加藤に謝った。
「いやべつにわたしは――。そのう――」
あの時のことを思い出したかのか、加藤は一人悶えてる。
「舞島君、こっちの可愛い女の子は私に紹介してくれないの?」
ワンテンポ遅れて、恵の頬が赤くなった。
「こいつは加藤の妹の恵。本ばかり読んでるから福ちゃんとは話があうよ」
「加藤恵です、よろしくお願いします」
「福田福子です。福ちゃんって呼んでね」
福ちゃんの紹介が終わると、長姉は「花火は後にして、あんたらちゃんと挨拶しないさい!」
花火の前で騒いでる姉妹達を呼びつけた。
絶体権力者である長姉の声を耳にすると、チビ共はワラワラと集まってきた。
「ほらちゃんと挨拶しなさい」
長姉に急かされると、長男である桂太が前に出てきて、早口で「佳太です」と言って、ぞんざいに頭を下げた。
よく見ると桂太の顔は赤い。ああ見えても、照れ屋なところがあるから、見慣れぬ美人達を目の前にして多分恥ずかしがっているのだろう。
桂太が挨拶を終えると、光輝も頭を下げた。
絵里花は頭を下げながらも、ちらりと朱美の車椅子を盗み見た。
〝余計なこと言わなきゃいいが〟
絵里花は意地悪な性格ではないが、無神経で空気を読まないところがある。
なんの前触れもなく爆弾発言するかもしれない。
よく監視しとかないとな。
最期に久美子がおずおずと挨拶すると、加藤家の自己紹介は終了した。
チビ共は花火の山の前に戻っていった。
──と思ったら、久美子は一人残ってポンを見つめていた。
〝ポンに触りたいのか〟
しかしポンが怖いのか、久美子は遠巻きに見つめているだけだった。
しゃーない。おれが助けてやるか。
おれは久美子にポンを触らせようとしたその時、福ちゃんは目頭でおれを押さえた。
福ちゃんに何か考えがあるみたいだ。
おれは福ちゃんに任せることにした。
福ちゃんは久美子の前で屈むと、「久美子ちゃんはワンちゃんが好きなの?」
「うん、久美子ワンちゃん好きだよ」
久美子はおどおどした顔で答えた。
福ちゃんが怖いというより、人見知りの激しい久美子にとって初めて会う人は皆怖いのだろう。
「ワンちゃん大好きなんだ。お姉ちゃんもワンちゃん大好きよ」
福ちゃんは久美子に話題を合わせた。
〝福ちゃんは話題を合わせて、久美子のラポートを取ろうとしている〟
ラポートを得ようとしてる相手と共通の話題を持つことは、ラポートを簡単に得ることができるいい手なんだそうだ。
おれはそれを聞いたとき、相手の話題にまったく興味がなかったり、知らない趣味だったりしたらどうするんだ、と質問した。
「知らなくてもわからなくてもいいの。自分の知らないことなら、興味あるふりをして、相手に質問してみたり、ニコニコしながら黙って聞いてあげるだけでもいいのよ」と福ちゃんは答えた。
福ちゃんはその手口を巧みに使い、久美子の緊張をほぐしていった。
五分もしないうちに、久美子の口から笑い声が漏れるようになった。
「久美子ちゃん、それじゃあこのワンちゃんの名前知ってる?」
福ちゃんは名前を知ってるくせに、久美子に質問した。
「ううん、久美子はワンちゃんの名前知らない」
久美子は悲しそうに頭を横に振る。
「朱美ちゃんなら知っているから、一緒に聞いてこようか?」
〝なるほど、ポンを接着剤にして朱美と久美子をくっつける作戦か〟
福ちゃんに手抜かりはなさそうである。
二人は手を繋いで、朱美に名前を聞きに行った。その後ろをポンが尻尾を振りながらついて行く。
「朱美ちゃん、久美子ちゃんに犬の名前教えてあげて」
「――ポン」朱美は俯いたまま答えた。
「ポン?、この白いワンちゃんポンて言うの朱美お姉ちゃん?」久美子がはしゃぐ。
「――そうだよ。その子はポンていうんだよ」
「ポンかぁ――。可愛いおリボンにお似合いの名前だね」
「――リボン可愛いと思う?」
朱美はほんの少しだけ顔をあげた。朱美もリボンで髪を結ってるから、自分が褒められているみたいで嬉しいのかも知れない。
「うん、可愛いと思うよ。久美子も朱美ちゃんやポンみたいにおリボンで髪を結いたい」
「――リボンならわたしが持ってるわ」
福ちゃんは鞄からリボンを取りだした。
「好きな色のリボンあげるから、久美子ちゃんも朱美ちゃんみたく髪を結ってみたら?」
「いいの、福ちゃん?」
「いいのよ、久美子ちゃん」
福ちゃんは笑顔で了解する。
「ご飯抜いちゃったりしない?」
久美子らしい、切ない質問を放った。
「大丈夫、リボンをつけてもご飯は食べられるから」
福ちゃんは久美子の切ない質問を笑顔で受け止めた。
「じゃあ、福ちゃん久美子にリボン結って」
「うん」と福ちゃんは答えた後、「朱美ちゃん、久美子ちゃんの髪結ってあげて」
福ちゃんは朱美を上手く巻き込む。
「いいよ、久美子ちゃん後ろむいて」
久美子はクルッと回って、朱美に背中を見せた。
朱美は久美子の髪をリボンで結ぼうとするが、さして器用でもない朱美は大人のように上手く結うことができない。
朱美が悪戦苦闘していると、福ちゃんがさり気なく助けにはいる。
朱美は福ちゃんの助けをかり、久美子の髪を結う。
リボンを結び終わると、福ちゃんはコンパクトを手渡した。久美子はコンパクトに付いてる鏡を覗き込んだ。
「久美子、可愛くなってる!」
久美子は喜びの声を上げると、「リボン結んでくれてありがとうね、朱美ちゃん」頭を下げた。
「ボクだけの力じゃないよ、福ちゃんが・・・・・・」
と朱美が言い掛けたその時「桂太、花火で下品な事するの止めなさい!」
加藤の怒鳴り声が響いた。
何事かと思って見ると、桂太が権左右衛門の金玉を花火で炙っていた。
「なんでおれだけ怒られるだよ。絵里花だってやってただろう」
桂太は唇を尖らせ抗議する。
「絵里花はそこで花火やってるじゃない」
加藤が指さしたさきでは、絵里花はニコニコと笑いながら花火を楽しんでいた。
「くそぅ、あの女上手いことやりやがって・・・・・・」
桂太は歯ぎしりしながら悔しがったが、現場を押さえられた以上どうにもならない。
絵里花はしてやったりと言わんばかりの顔で、ほくそ笑んでた。
「――私達も花火やろうか」
福ちゃんが誘うと、朱美達は頷いた。
朱美達は好きな花火を手に取ると火をつけた。アダルト軍団はその後ろで、朱美達を見守る。
「直にぃ、花火がシュウシュウして怖いから、一緒にやって?」
久美子は勢いよく噴き出る花火に怯えたのか、おれに助けを求めてきた。
「ああ、わかった」
おれは調子よく頷くと、花火を握りしめてる小さな手を握ってやった。
「──直にぃに握ってもらったら怖くなくなったよ」
「そうか。こんなんで怖くなくなるなんて安上がりでいいな、久美子」
「じゃあ久美子がお願いしたらいつでも手を握ってくれる、直にぃ」
「お安い御用だ」
得意の安請け合いすると、久美子の隣にいる朱美がブスっとした顔でおれの顔を睨んでいた。
おれが見ているのに気づくと、朱美は顔をそらした。
〝どうしたんだ?〟
なんか気に障ることしたか、おれ?
「朱美ちゃんの花火も勢い強いから、舞島君手を握ってあげて」
後ろから福ちゃんが声をかけた。
「おっ、朱美のこと忘れてたな」
おれは朱美の手握ってやった。
「直人のバカぁ! 直人はボクの先生なのにボクのこと忘れるなんて――」
──本当にバカなんだから。朱美は呟く。
「悪かった、悪かった勘弁してくれ」
おれは平謝りに謝ると、空いてる左手で朱美の手をそっと握った。
「ふん、わかればいいだよ。わかれば」
「両手に花ね、舞島君」
福ちゃんが茶化す。
「――直人さん、私も少し怖いかも」
それまで黙って見ていた恵が呟くと「ならわたしが手を握ってあげるわ、恵」
姉は妹の手首をがっちりと掴んだ。
「――やっぱ怖くないです」
「あっそう」
姉は妹の手を解放した。
うっかり口を挟むと、面倒くさい展開になりそうなので見なかったことにした。
「小便の滝!」
桂太は股間に花火を押し当て、立ちションの真似をした。
光輝も真似しようとしたが、加藤が恐ろしい顔で走ってきたので、二人して逃げ出した。
〝馬鹿だな〟
おれも人のこといえないが、男というのは馬鹿なことをやるチャンスがあれば、逃さずやる生き物なのかもしれない。
騒がしい桂太達をよそに、女達は和気藹々と花火を楽しんでいた。
「――舞島さん」
「愛さん、どうしたんですか?」
「舞島さんにお礼を言いたくて。いつも朱美のことを面倒みてくださってありがとう御座います」
愛さんは深々と頭をさげた。
「大したことないですよ。福ちゃんのお手伝い程度ですから」
「いえ、舞島さんがいるから、朱美もあんなに笑えるようになったんです」
おれは照れくさくなって、顔をかいた。
「頭なんかさげ――」
おれは言葉を飲んだ。愛さんの瞳から涙が溢れていたからだ。
「――ごめんなさい。いきなり泣き出しちゃって。朱美がほかの子と遊んでるのを見たら、わたしまで嬉しくなっちゃって――」
「おれも嬉しいですよ、愛さん」
おれはポケットをまさぐりテッシュを取り出した。
テレクラのテッシュだった。
「――どうも格好つかないな」
「舞島さんらしいです」
愛さんは微笑むと、テレクラのテッシュで涙を拭った。
しんみりとした場面をぶち壊すかのように、桂太と光輝が手を広げながら、こちらにむかって走ってくる。
「一番機到着!」
続けて光輝が「二番機到着!」と叫んだ。
姉の姿が見えない。
「姉ちゃんは?」
「黒パンなら、林の中でへたばってるよ」
桂太は花火を掴みながら言った。
バイトで鍛えた加藤も、小学生の底なしの体力には勝てなかったようである。
「――舞島君、ちょっといいかな」
青い顔をした福ちゃんが、おれの肩をがっちりと掴む。
「どうした福ちゃん?」
何事か思って驚いて問い返すと「ウンウンが外に出たがってるから、ちょっとトイレ行ってくる」
「――なんだ便所か」
肩の力がどっと抜ける。
「早く行ってこいよ、福ちゃん」
「うん。行ってくる」
福ちゃんはケツに力を入れながらモジモジと歩き出した。
よほど我慢してたらしい。
せっかくの美人が台無しだな。
師の背中を見つめながら評していると、福ちゃんの足がぴたりと止まった。
〝エスパーか?〟
と思ったら「舞島君、私がいない間、朱美ちゃんのことよろしくね」
なんだ、そっちか。
「大丈夫だよ、だから早く便所行ってこいよ」
「――うん」
福ちゃんはトイレを目指してもぞもぞと進み始めた。
福ちゃんと加藤がいなくなると、桂太は派手な花火に手を伸ばした。
「おい、あんま危ないことすんなよ。小さい子もいるんだから」
「わかってるって。おれを信じろよ、直人」
あんまり信じられないが、危なそうな花火は買ってこなかったから大丈夫だろう。
「桂太! 絵里花も選ぶんだから勝手に取らないでよね」絵里花は唇を尖らせ文句をつける。
「絵里花の花火じゃねえだろう」
桂太が言い返すと「桂太のでもないでしょう。この花火は朱美ちゃんのお家が買ったんだから、朱美ちゃんのでしょう」
絵里花はなんの前振りもなく朱美に話を振った。
「――うん」
絵里花に話しかけられて、途端に下を向く朱美。
「ほら、朱美ちゃんのじゃない。あんたのじゃないだから偉そうにしないでよ」
「――ぐぅ」
言い返すことができず、唇を噛む桂太。
〝介入すべきか〟
桂太も絵里花もがさつだからな。
へんな事を口走るかもしれん。
だが逆に考えれば朱美と絵里花をくっつける良いチャンスかもしれない。
「喧嘩すんな! みんなの花火なんだからジャンケンで決めろ」
「ジャンケンか、うんならおれの勝ちに決まってるじゃん」
なんの根拠もないくせに桂太は自信たっぷりだった。
「ジャンケンなら絵里花だって負けないわよ。いつも給食で残ったプリンをこの黄金の右腕で勝ち取っているんだから」
絵里花は腕をまくる。
「ミツはグウ出す。ミツはグウを出して勝つ!」
ミツは心理戦に打って出た。
「――朱美ちゃんはなに出すの?」
久美子は朱美に相談を持ちかけた。
朱美は久美子の耳打ちした。
たかがジャンケンだけど、やり方は人それぞれである。
「ほれ、やるぞ」
おれが声をかけると、皆が構えた。
「ジャンケン、ポン!」
皆が一斉に手を出した。
ミツを抜かして、全員がパーだった。
「――ミツ負けちゃった。ミツのグー負けちゃった」
ミツが己の丸めた拳を涙目で見つめながら呟く。
「雑魚が一人へった!」
絵里花が止めを刺す。
「ウワーン!」
ミツは激しく泣き出した。
愛さんが慰めようとしたが、その前におれがミツの前に立った。
「ミツ、男なら唇を噛んで我慢しろ」
ミツははじめはおれの言葉がわからなかったが、おれの言葉を理解すると泣きながら唇を少しだけ噛んだ。
この程度じゃ、勿論泣き止まない。
おれは素早くミツを持ち上げると、タカイタカイをしてやった。
「偉いな、ミツ。よく我慢したな」
ミツを高く舞い上げながら褒めると、ミツの顔に笑顔が戻った。
おれはトドメとばかりに、ミツの脇の下に手を入れてくすぐった。
笑い転げるミツ。
〝よし泣き止んだ〟
このミツを泣き止ました手も福ちゃんに伝授された手の一つである。
応用行動分析的には、泣くという行動を無視し、指示に従うという行動を強化する。
分化強化というヤツである。
こうすることによって、子供は泣くより指示に従ったほうが得だということを学習させることができるのだそうだ。
福ちゃんが言うには、これには原型があって元のやり方は、子供の泣き声をただ無視するという簡単な手法だった。
無視することによって、泣くという行動を弱化させるのである。
子供の泣き声を減らすにはいい手なのだが、欠点が二つあった。
使用者の心理的負担。
無視することによって、一時的に泣くという行動が強化されてしまう。応用行動分析的に言うと、無視による行動のバーストというやつだ。
これら二つの欠点を克服するために、福ちゃんは分化強化の手法を使うことにした。
泣くという行動は無視し、指示に従うという行動は強化する。
これなら使用者の心理的負担も少ないし、指示に従うという行動も強化できるので、福ちゃん曰く一石二鳥の手なのだそうだ。
〝たしかに使えるな〟
無視を使うと泣いてる子供をほっといているようで体裁が悪いし、なにより心が痛む。
「直人、いつまでミツをくすぐってるだよ!おれは早くテポドン十三号やりたいんだから、早くジャンケンやろうぜ」
桂太が喚いた。
テポドン十三号は、おれがおもちゃ屋で選び抜いた逸品で、子供用とは思えない巨大打ち上げ花火であった。
危ない花火は極力買わないようにしたのだが、一本ぐらいシメ用にと買ってみたのである。
あれに目をつけるとは、桂太も侮れない。
おれは笑い転げてる光輝を解放すると、ジャンケンのジャッジに戻った。
「二回戦いくぞ、最初はグウ、ジャンケンポン」
朱美と久美子はあっさりと負けた。
「負けちゃったね、朱美ちゃん」
久美子は残念そうに呟く。「今度は勝つからいいよ」
朱美は負けて悔しいのか、ちょっとブスくれてるが機嫌が悪くなるほどではなかった。
「おし、決勝戦だ。ほらやるぞ、桂太、絵里花」
「絵里花、おれは負けねえからな」
桂太が凄む。
「お猿相手に絵里花が負けるわけないでしょう」
絵里花は鼻で笑った。
「女のくせに生意気な奴め」
「猿がなんか鳴いてる。餌の時間かしら」
絵里花は手を口に当て高笑いする。
悔しがる桂太。
〝桂太、諦めろ〟
口喧嘩で女に勝てる男はいない。
「ほら口喧嘩なんかしてないで、さっさとジャンケンやるぞ」
おれが間に入ると、二人は口を引っ込めかわりに拳を握りしめた。
「ジャンケン、ポン」
桂太はグー。
絵里花はパー。
「勝った勝った!」
絵里花はピョンピョン飛び跳ねながら喜びを表現をする。
「頭がパーだからって、ジャンケンまでパーを出すんじゃねえよ」
「そのパーに負けたウルトラ馬鹿は誰ですか!?」
絵里花は絞め殺したくなるようなむかつく顔で、桂太を煽る。
桂太は絵里花を睨みつけながら歯軋りをして悔しがる。
「──さて猿はほっておいて花火選ぼう」
絵里花は悔しがる佳太を無視した。
「おれのテポドン十三号が~」桂太は呻く。
「誰がそんな下品な花火選ぶのよ、レディの花火というえばヘビ花火に決まっているじゃない」
「ヘビ花火!?」
絵里花を除く全員が驚いた。
絵里花は皆の驚きを無視して、ヘビ花火に火をつけた。
モゾモゾと動き出すヘビ花火。
「キター。ニョロニョロきたよ! うわぁニョロニョロしてる!」
絵里花は一人で大興奮してる。
「ニョロニョロニョロ、ヘビ花火!」
興奮のあまり、絵里花は体をくねくねさせ喜びのヘビダンスを踊った。
「――つぎ行くか」
皆、無言で頷いた。
「やっぱおれの元に来る運命だったんだな」
桂太は花火の山からテポドン十三号を手に取ると、愛おしそうに頬ずりする。
「お前がテポドン好きなのはわかったから、早く火をつけてぶっ放してこい」
テポドン十三号はおれが選びに選んだ逸品だ。正直桂太に点火役の栄光を渡したくなかったが、ここは大人にならねばなるまい。
今のおれにはやることがあるのだから。
「直人、あれって大きな音する? 火とか吹いたりするの?」
朱美はおれを見上げ不安げに尋ねた。
「大丈夫だ、朱美。おれが隣にいてやるから」
「――じゃあ手を握って」
朱美は小さな手を伸ばしてきた。
おれが握ってやると、握り返してきた。
〝この小さな手をほっておくわけにはいかない〟
「ねぇ、直人。話があるんだけど」
「なんだ朱美?」
「ボクね。今度――」
朱美の言葉は途切れた。
手を広げた光輝が乱入してきたのだ。
「ブーン。二番機飛行中!」
佳太がテポドンに夢中になっているせいで、光輝はヒマになってしまったようだ。飛行機の真似をしながら、おれ達のところに走ってきた。
「テポドンやるから飛ぶのは後にしろ、ミツ」
光輝の手を引いて、強引に着陸させる。
「ブーンしたいのに・・・・・・」
光輝はしゅんとなって俯いたが、おれに逆らうことはなかった。
「火をつけるぞ!」
桂太が怒鳴る。
皆の目がテポドン十三号に注がれる。
しかしテポドン十三号は火を吹かなかった。
点火役の桂太はライターを握りしめながら固まっている。
「どうした、桂太?」不審に思って尋ねると「いや、そのう、やっぱ直人に譲るよ、火をつけるの」
桂太はあろうことか男のくせに土壇場になってビビりやがった。
おれは呆れた。
「なんだ、怖いのか?」
「いや怖いわけじゃないけど、これ直人が買ってきた奴だろう? だから直人に譲るよ」
「いいよ、佳太がやれよ」
テポドンを飛ばしてみたいが、今のおれの手はライターを握るわけにはいかない。
朱美が手を握ってるのだから。
「じゃあ、恵ねぇやるか?」
桂太は恵にライターを差し出した。
「いやよ、なんで私がそんなことしなきゃならないのよ」
恵に断られた桂太は、視線を再びおれに戻した。
「直人しかいねーよ。やっぱ」
「おれしかいないと言われてもなぁ」
おれはチラリと視線を落として、朱美を見た。
「いいよ、ボクは一人で平気だから」
「直人さん、朱美はわたしが見てますからどうぞ、火をつけに行ってください」
愛さんは勧める。
〝たしかにおれしか火をつけるやついないな〟
数少ない男性メンバーである佳太が引いた以上、残った男といえばおれと光輝しかいない。
「よし、おれが行ってつけてくる。朱美ちょっと待っててくれ」
おれは桂太からライターを受け取ると、テポドン十三号の前に座り込んだ。
導火線に火をつけた瞬間──
「いやぁああああああ!」
何事かと思うほどの悲鳴が夜の闇を切り裂いた。
朱美の声だ!
おれは慌てて朱美の方を振り返ると、朱美の膝を覆うアノ汚い毛布が捲り上がっていた。
朱美の足下で光輝がへたり込んでいる。
光輝のヤツが毛布を捲ったのだ。
朱美の足を覆っていた毛布の中にはあるべき物がなかった。
足が――。
足がなかった。
足の変わりに醜い切り株のような太股が剥き出しになっていた。
驚きのあまり、おれは固まってしまった。
おれはてっきり足が悪いのだと思っていた。
足があるのだと無意識に思いこんでいた。
それは大きな勘違いだった。
朱美には両足がなかった。
そしてあの汚らしい毛布は、その残酷な事実を覆い隠していたのだ。
〝──朱美のヤツ、誰にも見られたくなかったんだな〟
毛布の中を。
毛布の中の暗闇を。
その暗闇の中に隠されてる切り株のような両足を。
「いやぁあ! 直人見ないで!」
朱美は絶叫放つと自分の手首を噛んだ。
〝やばいパニックだ!〟
──まずい。早く毛布をかけてやらないと。
泣いてる朱美に駆け寄ろうとした瞬間、轟音が鳴り響いた。
テポドン十三号だ。
おれは間抜けなことに驚いて転けてしまった。泣き叫ぶ朱美の声や、みんなの悲鳴や泣き声が耳を刺した。
「朱美ちゃん!」
トイレに行ってた福ちゃんは機関車のごとく猛スピードでこちらにむかって走ってくると、朱美の無残な切り株のような太ももを毛布で隠した。
それでも朱美は暴れることも、己の手首を噛むことも止めなかった。
完全に我を失ってる。
おれは立ち上がると、暴れる朱美に駆け寄った。
「朱美!」
「いやぁあ! 見ないで、見ないで!」
朱美は泣き叫び、暴れた。
「舞島君! 今は逆効果だから加藤さん達をつれて、今日は帰って!」
福ちゃんは朱美に手首を噛まれながら、怒鳴った。