口がすべって 改稿
海の見える丘の上に、朱美の家は建っていた。
〝なんだおれがよくカブトムシを捕りに行く森のすぐ近所か〟
カブトムシを捕りに行くとき、何度も朱美の家の前を通った。
鷲尾姉妹とすれ違っててもおかしくないのだが、まったく記憶になかった。
〝まあ、朝の五時頃じゃあ会うはずもないか〟
カブト虫の朝は早いので、人と縁がないのは仕方ない。
カブトムシと人の縁というやや哲学的なことを考えながら、鷲尾家のチャイムをならそうとしたが、ふとためらい覚えた。
この家の人間である愛さんに頼まれてやって来たとはいえ、今は真夜中だ。
他人の家のチャイムを鳴らす時間ではない。
悪いことをするわけじゃないだが、気が引ける。
しかし大声で呼ぶのはもっと非常識なので、ためらいながらもボタンを押した。
すぐに愛さんが出てきてた。
「ごめんなさい、舞島君こんな夜中に・・・・・・」と言いかけて、愛さんは吹き出した。
「どうしたんですか、愛さん? てっ、この格好か」
おれはアイラブ鮭フレークと書かれたTシャツを指で引っ張った。
〝まあ、笑われてもしかたねえわな〟
「ごっ、ごめんね、舞島君」
愛さんは涙を流しながら謝った。
もちろん悲しみの涙ではない。
「大丈夫ですか、愛さん?」
愛さんの笑いがなかなか収まらないので、さすがに心配になった。
「だっ、だいじょ・・・・・・」
愛さんはなんとか笑いを収めようとしたが、へんなスイッチが入ってしまったらしく、床に座り込んで呻くように笑っている。
〝いくらなんでも笑いすぎだろう〟
笑う門には福来たると言うが、これじゃあ福が来る前に笑い死んでしまう。
心配になったおれは、愛さんの背中をさすった。
「そんなに心配することないのよ、舞島君。愛の笑い上戸はいつものことだから」
頭上から福ちゃんの声が降ってきた。
笑ってたら本当に福が来てしまったようだ。
「どさくさに紛れてお姉ちゃんの背中撫でてるのよ、エロ直人!」
福ちゃんだけではなく、朱美も来ていた。
車椅子と毛布といういつもの装備で、朱美は車椅子の上に座っていた。
「背中をさすってるだけだろう、朱美」
「フン、どうだか! 直人のことだから、どうせエッチなこと考えながら触ってたんでしょう!」
どんだけ信用ないんだおれは。
何か言い返してやろうと考えていると、「舞島君、なかなか可愛いTシャツ着てるわね」福ちゃんはニコニコ笑いながら言った。
「なにそのダサイTシャツ? 今時そんなTシャツ誰もきないよ」
朱美はセクハラ疑惑から、おれのファションセンスに矛先をかえた。
「おれは鮭フレークが死ぬほど大好きなんだよ」
本当はそんなに好きではないのだが、悔しいから大好きということにしておいた。
「ダサっ」朱美はお気に召さないようだ。
「女と違って、男は中身で勝負すんだよ」
「だから直人はモテないんだよ。髪型だってダサイし」
〝さっき二人の女に告白されたばかりなんだが〟と思ったが、馬鹿なおれにも口にしない程度の分別はあった。
おれは憎まれ口を叩くかわりに「この髪型ダメか。なら今度朱美の好きな髪型教えてくれよ」
「なっ、なに言ってるの直人!」
朱美はおれの予想外の反応にビックリしたのか、声がドモリまくっていた。
「だってそのポニーテール似合ってるぞ、朱美。オシャレのセンスがあるんだから、おれの髪型もなんとかしてくれ」
「・・・・・・本当に似合ってる?」
朱美は褒められて恥ずかしいのか、顔を伏せた。
「ああ」
おれは笑いながら頷く。
「よかったね、朱美ちゃん。今日は舞島君に見せるためにいろいろな髪型ためしたもんね」
朱美の顔はたちまち朱に染まる。
「言っちゃダメェ! 言っちゃダメなの、福ちゃん!」
朱美は手をパタパタさせて福ちゃんに抗議したが、無論本気では怒ってない。
照れ隠しである。
「ごめん、ごめん」福ちゃんも笑いながら謝る。
〝こんな感じでいいのかな〟
実は、朱美の髪が綺麗に整えられてるのは、事前にわかっていた。
マックで福ちゃんと打ち合わせしたとき、
「舞島君が来る前に、朱美ちゃんの髪を私と愛で綺麗に整えておくから、舞島君は褒めてあげて」
「いや可愛いければ褒めるけど、こういうのは自分が可愛いと感じたときに褒めればいいじゃないの?」
「舞島君の言うことにも一理あるけど、でも髪型を整えるとということも訓練の一部でもあるのよ」
「髪をいじるのがなんで訓練になるんだ?」
「学校に通学させることに成功しても、鳥の巣頭のまんまで学校に行かせたら、他の子に苛められるかもしれないでしょう」
「それもそうだな」
学校というのは、異質なものを弾いたり、苛めたりする。
おれも金髪頭なのでよくわかる。
「ガキはくだらねーことで苛めるからな」
「せっかく朱美ちゃんを学校に通わせることに成功しても、すぐに苛められて朱美ちゃんが不登校になったら嫌でしょう、舞島君」
「そりゃあやだよ、おれだって。――わかった。協力するよ福ちゃん」
「ありがとう舞島君」
福ちゃんはニコリと笑った後「でもこんなこと言わなくても、綺麗になった朱美ちゃんを見れば、舞島君も可愛いと褒めてくれるかもしれないわね。朱美ちゃん、元はいいから」
福ちゃんの言う通りかもしれない。
鳥の巣頭から、ポニーテールに変化した朱美は愛らしかった。
「さて、笑い転げてる愛はほっておいて、部屋に戻って授業はじめますか。今日は舞島先生の初授業だしね」
「今日はよろしくね、直人」朱美が言うと「教えてもらうときは、舞島先生と呼ばないとね、朱美ちゃん」
福ちゃんはすかさず訂正した。
「うん。・・・・・・舞島先生」朱美は恥ずかしいのか蚊の泣くような声で言った。
「――よろしくな、朱美」
朱美に影響されたのか、おれの方まで恥ずかしくなってきた。
「――なんか恥ずかしいね・・・・・・」
舞島先生――。
朱美は口のなかでそっと呟いた。
朱美の勉強部屋は、小窓が一つしかついていない殺風景な小部屋だった。
子部屋の中央には、机と椅子が一個だけ置かれていた。
本来ならもう一つ椅子がないといけないのだが、悲しい事に車椅子の朱美には必要がなかった。
朱美の車椅子を押して、机の前に移動させ、車輪をロックする。
作業を終えると、おれは対面の椅子に座った。
緊張のためか、掌が汗ばみ、動悸がはげしくなる。
落ち着けおれ。
おれは自分に言い聞かせたが、動悸が収まる気配はなかった。
〝古武道の昇段審査のときだって、こんなに緊張しなかったぞ〟
まあ、無理もないか。
馬鹿なおれがはじめて人に勉強を教えるのだ。緊張しないわけがない。しかもおれの先生振りをチェックするために、朱美の後ろには福ちゃんが立っていた。
これでは初授業と授業参観が重なった新米先生みたいなもんだ。
緊張でカチコチになっているおれを見て、福ちゃんはおれを励ますかのように微笑んでくれた。
多少、気持ちが軽くなった。
「じゃあ、授業はじめるぞ。漢字のプリントからやるからな」
おれの声は緊張のためか、語尾が上擦っていた。
ヤクザに掠われてもこんなに緊張しないような気がする。
「ボク、漢字得意だから余裕だよ」
「本当か?」
「うん」朱美が頷く。おれは朱美に漢字のプリントを配った。
朱美は自分の言葉を証明するかのように、スラスラと解いていった。
「できた! 舞島先生点数つけて。全部あってるから」
朱美に急かされながら採点すると、朱美の宣言通り満点だった。
朱美が国語が得意というのも勿論あるのだろうが、福ちゃんが朱美に自信をつけさせるために、課題のレベルを低めに設定しておいたのが効いているのだろう。
「よく出来たな朱美」
おれは朱美の頭を撫でてやった。
「――なんか舞島先生にナデナデされると恥ずかしいね」
朱美は照れ笑いを浮かべた。
おれも恥ずかしかったが、「朱美が頑張ってるのだから褒めるのは当たり前だろう」となるべく普通に聞こえるように祈りながら言った。
「――じゃあ、次も舞島先生にナデナデされたいから、ボク満点とるね」
――なんか昨日の朱美と違ってえらい素直だな。
おれがやりやすいように、福ちゃんが下地を作っておいてくれたんだろうか?
おれが一瞬考え込んでしまうと、福ちゃんが指を振った。
早く授業を進めるように、というサインだ。
考え込んでる場合じゃない。早く授業を進めなければ。
「次のプリントをやるぞ、朱美」
「うん。つぎはなに?」
「今度は漢字を書くテストだ」
おれは漢字のプリントを机の上に置いた。
「こんなの余裕だよ」
と朱美は宣言したが、今度は70点しか取れなかった。
「もう少しだったな、朱美」
――七〇点の場合は褒め言葉はナシだったな。
マックで言われたことを、おれは頭のなかで暗唱していた。
「もっと取れるとおもったのに」
朱美がブウたれるが、おれは構わず次の課題に移った。
朱美は課題を次々とこなし、朱美が八十点以上とると褒めた。
プリントが終わると、漢字の書き取りとなった。
朱美は黙々とノートに漢字を書いていく。
教えるわけでもないので、おれは少し暇になった。
「ねぇ舞島先生。舞島先生って付き合ってる人いる?」
不意に朱美は話しかけてきた。
「いっ、いるわけないだろう」
加藤と恵の顔が頭の中に咄嗟に思い浮かんで、必要以上に焦ってしまった。
アレは付き合ってるとは言えんだろう。
「嘘くさい。本当はいるんでしょう?」
朱美はおれを睨みつける。
「おれは嘘はつかねえよ」
おれは大嘘をつく。福ちゃんは指でバッテンを作った。
〝しまった。朱美の手が止まってしまっている〟
朱美のペースに巻き込まれちまったな。
主導権を取り返さないと。
「朱美、今は勉強の時間だから、休憩時間にお話しよう」
「やだ! いま話す」
「朱美、約束したろう。授業中は私語をしないって」
「福ちゃんとした約束だもん」
「朱美、鉛筆を手にとって、漢字を書きなさい」
福ちゃんに教わったとおり、無表情かつ静かな声で朱美に命じた。
「やだ!」
朱美は叫ぶなり、おれ目がけて鉛筆を投げつけてきた。鉛筆はおれの胸に命中し、床に落ちる。
おれは鉛筆を拾い上げた。
「朱美、人に物ぶつけたら、漢字の書き取り一枚増やすと約束したよな」
おれは朱美の前にプリントを一枚置いた。
「やりたくないの!」
「朱美、鉛筆を取って、漢字を書きなさい」
おれは機械的に言葉を繰り返した。
朱美はその後、しばらく抵抗したが、おれが同じ言葉を繰り返していると、朱美はふて腐れながらも漢字の書き取りを再開した。
おれはチラリと福ちゃんの方を見た。
福ちゃんは軽く頷いた。
この対処でよかったようだ。
おれは授業を続けたが、朱美はふて腐れたまんまだった。
そして休憩時間。
「舞島先生、付き合ってる人いるの!?」
朱美の尋問が再開した。
「まさか舞島君、わたしのこと狙ってたの?」
何故か福ちゃんまで参戦してきた。
「ねっ、狙ってるわけないじゃないですか!」
ちょっといいかな、とは思ったけど。
「怪しい! 絶対福ちゃんのこと狙ってたんだ!」朱美が騒いだ。
「馬鹿言うなよ」
「残念! 舞島君。わたしはいま朱美ちゃんに夢中だから、ほかの人にしてね」と言って福ちゃんは朱美に抱きついた。
「福ちゃんは、舞島先生より、ボクの方が好きだよね?」
「もちろん好きよ、朱美ちゃん。わたしは小さい女の子大好きだから」福ちゃんは、男なら問題発言になるようなことをさらっと言った。
「福ちゃんは、ボクの方が好きなんだから、舞島先生は諦めなさい!」
〝いや、あきらめるもなにも〟と思ったが、これはひょっとしたら福ちゃんの助け船かもしれないと思って、「おれも男だ。福ちゃんは諦めるよ」と言った。
「本当に?」朱美が念を押す。
「おう、男に二言はねえよ」おれは啖呵を切った。
「ふん、どうだか。福ちゃん、直人みたいなタイプはストーカーになりやすいから気をつけてね」
なんかえらい言われようである。
「大丈夫よ、朱美ちゃん。舞島君はああ見えてもさっぱりした性格だから、もう私のことは綺麗さっぱり忘れてるから」
――ねぇ、舞島君。福ちゃんが念を押すと、おれは頷いた。
朱美は機嫌が直ったらしく、「舞島先生はモテないだから!」と言っておれをからかった。
おれが苦笑いを浮かべてると、愛さんがお菓子とジュースを持って部屋に入ってきた。
愛さんは机の上に、お菓子とジュースを置いた。
「朱美ちゃん、勉強頑張ってる?」姉は妹に尋ねると「ボクは頑張ってるけど、舞島先生はエロだからダメ!」
「朱美ちゃん、先生を辛かっちゃダメでしょう?」
「先生だけどエロだもん」
「エロエロ言ってる間に、おれがお菓子全部食っちまうぞ」
おれがそう言って手を伸ばすと、「あっ、ボクもポウさん食べる」
朱美は慌てて熊の形をしたクッキーに手を伸ばした。
お菓子を食い終わると、愛さんは食器を片付けて出て行った。
さて授業を始める時間だ。
今度はおれが朱美の後ろに下がり、福ちゃんが先生になる番だった。
科目は算数だ。
福ちゃんは手慣れた感じで授業を進めていく。
朱美が算数に飽きて福ちゃんと喋ろうとしても、福ちゃんは話しに乗ることはなかった。
朱美が飽きそうになると課題を変えたり、課題の難度を下げたりした。
これだけでもたいしたものだが、福ちゃんは朱美に勉強を教えながら、机の下で朱美の課題の点数をメモっていた。
まったくもって隙がない。
さすがは福田先生である。
福ちゃんは簡単な計算プリントをやって、授業を終わりにした。
授業終了後、朱美は遊ぼうとしきりにおれ達を誘ったが、福ちゃんは今日はもう遅いからと言って、朱美の誘いを上手く断った。
おれ等は、姉妹に見送られ家を後にした。
外はまだ真っ暗であった。
――夜が明けるにはまだ早いか。
福ちゃんは徒歩のおれに付きあって、自転車を降りて歩いてくれた。
始発にはまだ時間があるから、家まで自転車で帰るつもりなんだろう。
「舞島君。今日はよく頑張ったわね」
「いや、朱美にへそ曲げられちまったからな」
「あれは無視すべきだったわね。ああやって私語をして、授業のペースを乱そうとするのは、子供達の常套手段だから誘いに乗ってはダメ。でも、その後機械的に注意したのはいい対応だったわ」
「おれの手柄じゃないよ。福ちゃんが教えてくれたことだろう」
「教えられたことをちゃんと実行できるのは立派なことよ、舞島君。それはそうと舞島君、あの後眼鏡の彼女と巧く仲直りできた?」
福ちゃんの目は下世話な好奇心で輝いていた。
結構、野次馬な性格なのかもしれない。
「――福ちゃんが火をつけてくれたおかげで、エライ目にあったよ」
「えっ、まさか告白されたの舞島君」
「うん」
「でっ、舞島君は付き合うの、あの眼鏡の子と?」
「――卒業まで返事は保留てことになったよ」
「ずいぶん長いのね、舞島君。もっと早く返事してあげればいいのに」
「そう早くも決められないよ、加藤だけじゃなく、恵にも告白されてるから・・・・・・」
と言った瞬間、おれが自分が口を滑らした事に気づいた。
「えっ、まさか舞島君、眼鏡の子以外からも告白されたの?」
案の定福ちゃんは食いついてきた。
「・・・・・・実はそいつの妹にまで告白されちまって、正直困っている」
おれは観念して、これまでの経緯を簡単に喋った。
なんで福ちゃんに喋ったのか自分でもわからないが、人に相談したかったのかもしれない。
「舞島君は根っからの王子様体質ね」
おれの話しを聞き終えた福ちゃんは、わけのわからない感想を漏らした。
「なんだよ、福ちゃん。王子様体質って」
「女の子のほうから寄ってくるタイプの人。命名私ね」
「中学のときは言い寄られたことあったけど、高校になってからはさっぱりだぞ」
「環境に問題があるんじゃない?」
「環境?」
「たとえば周りが男ばかりだとか」
「なるほど、言われてみれば男ばかりだな」
タマカスは一応共学だが、生徒の99%は野郎で構成されている。
「男には言い寄られないの? 舞島君は」
福ちゃんはとんでもない事をサラッと尋ねた。
「・・・・・・さすがにないよ」
本当は言い寄られたことも、告白されたことも数回あった。
恥ずかしいし、福ちゃんが喜びそうだから言わないけど。
「ところで福ちゃん、おれどうしたらいいと思う?」
おれは話を元に戻した。
「舞島君はどうしたいの?」
「わからん。そういう目で、あの二人を見たことないから、正直戸惑っている」
「うーむ。私、キャバ嬢のバイトもしているけど、自分自身が男の人に熱くなったことないからな。恋愛相談は苦手なのよね。いい年こいて処女だし」
「えっ、福ちゃんキャバ嬢なの?」
てか処女なの?
と聞きたかったさすがに恥ずかしいのでスルーした。
「うん。家庭教師だけだと学費払えないからね・・・・・・ おっと忘れてた」
福ちゃんは立ち止まり、自転車を道に止めた。福ちゃんは、男が使うような実用一辺倒のカバンをまさぐった。福ちゃんは整理整頓が苦手らしく、カバンの中がグチャグチャらしく、捜し物はなかなかみつからない。
暫くして、ようやくカバンから捜し物をみつけた。
福ちゃんが探していたのは封筒であった。
「はい、舞島君。今日のバイト代。話し込んでて危うく渡すの忘れるところだった」
「えっ、いいよ。おれバイトのつもりでやったわけじゃないし」
「舞島君は立派に仕事したんだから、報酬を受け取る権利はあるし、報酬を受け取る以上職業的責任も発生もするわ。私は舞島君に責任をもって家庭教師をやって欲しいのよ」
「――わかった。もらっておくよ福ちゃん」
おれは金を受け取ることにした。
おれは金を拒否することによって、責任を回避しようとしていた。
やるからには覚悟を決めてやらないとな。
「じゃあ、舞島君これ」福ちゃんは給料袋を差し出す。
おれが給料袋を受け取ろうとしたとき「舞島君。私は不真面目な人間だから、仕事なんて給料分働けばいいと思っているの。でもね例外の仕事もあるのよ。それは人の命や人生が関わっている仕事。そういった仕事に関しては給料以上の責任と働きを持たなければいけない。教師という仕事は、私にとってその例外の一つなの。教師は子供の人生に多大な影響を与えることがあるし、そして預かっている間はその子の安全に関する全責任を持たなければいけない。だから教師という仕事は、お給料に見合わない大変な仕事なのよ、舞島君」
「わあったよ、福ちゃん。おれも気合いをいれて先生やるよ」
「さすが舞島君、男気があるわ」
福ちゃんはそう言うと、おれに封筒を手渡した。
なかには二千円が入っていた。。
「全部こなせるようになったら四千円になるから、今日は二千円で我慢してね」
「四千円も貰えるのかよ!?」驚きの声を上げると「これでもお友達価格で安く引き受けてるのよ、舞島君」と言って福ちゃんは笑った。
「ところで福ちゃん」
「なに舞島君?」
「自転車で家まで帰るつもりなのか?」
「そうだけど」
「危なくないか、こんな夜中に」
福ちゃんはお金は持ってないかもしれなけど、胸には男なら誰でも揉みたくなるような二つのメロンをぶら下げている。
ある意味、札束の詰まった財布を見せびらかしながら歩いてるようなもんである。
「大丈夫。いざとなったら私自転車漕ぐの早いから」
福ちゃんは、レイプマンに襲われたら自転車を漕いで逃げるつもりらしい。
「相手が車だったらどうするんだよ、福ちゃん」
「それは考えてなかったな」
――うーむう、車は盲点だった。福ちゃんは小首を捻りながら唸った。
福ちゃんは考えてるようで、実はあまり考えてない人なのかもしれない。
いや、興味のあること以外、頭が回らないタイプの人間なんだろう。
そんな気がした。
ようは変人なのだ。
「福ちゃん、送ってくよ。おれが漕ぐから、後ろにのって」
「えっ、いいよ。明日学校でしょう。舞島君」
「福ちゃんが襲われたら、学校もクソもねえよ」
「──今の舞島君の言葉聞いて、私ガラにもなくドキっとした。これが王子様体質の力か・・・・・・」
――王子様の力、恐るべしね。福ちゃんは呟いた。
「福ちゃん、あんまりおれをからかうなよ」
「からかってるつもりはないんだけどな、私」
そう言いながら福ちゃんは自転車を降りた。
かわりにおれが自転車のサドルに跨がると、福ちゃんは荷台に座った。