第23話 レイプ未遂 その一 ☆
ボウリング場を一歩出ると、世界は灰色に沈んでいた。
昼過ぎだというのに空は低く、重い。
天気予報で雨が降ることは知っていたが、まさかこれほどまでの土砂降りになるとは思わなかった。
駅から離れたこのバス停に、わざわざ足を止める物好きは私たちくらいのものだ。
人通りは途絶え、ただアスファルトを叩きつける雨音だけが、暴力的なまでの音量で鼓膜を震わせている。
バス停の屋根の下に逃げ込んでも、風に煽られた飛沫が容赦なく制服の裾を濡らした。
「……なんで私が、貴女とここで時間を過ごさなきゃいけないんですか……」
「えー、じゃあ今からコンビニとか行く? すじこのおにぎりとか奢ってくれると嬉しいな〜」
「行かないですし死んでも貴女には奢りませんよ。1人で行ってきてください」
「ならやめるー」
隣に座る銀髪の少女は、リズムを取るように楽しげに身体を揺らしている。
私の内面はこの外の景色と同じくらい、救いようのない土砂降りだというのに。
…………あーあ。
何してるんだろか、私は。
縁を切りにここへきたつもりが、話を一方的にされて…………おまけに話が酷すぎて、私の目標が何一つ達成できなかった。
言うなれば、彼女の手のひらで踊っていただけである。
こうなると結局、明日はちゃんと旅行に行かなきゃいけないし、夏休み後は学校だし……
「おまけに相手は好きな人だという自覚を持ちながら、これから月宮さんと過ごす事になるなんて……」
「考え事しながら出てくる言葉がそれなんだ。っていうかまだそんなこと考えてるんだ」
「はぁ?! こっちは今日、貴女達のことを嫌いになりたくてボウリングしにきてるんですよ!! それがなんですか、これはぁッ……!!!!」
「雨が降ってるからって、あんまり大きい声出さないでよ。近くに人がいたらどうするの〜?」
「…………そういえば外に雨が降ってて、貴女の名前も雨、なんですよね……ふふっ」
私はそう言いながら、顔を見せないように横を向いて笑った。
「あ〜、茜っちが壊れちゃった!!」
そして私はすぐさま自分で自分の頬を叩き、正気――というか気持ちを切り替えた。
「ふぅ」
「…やっぱり、茜っちって頭がおかしいんだね〜」
「貴女にだけは言われたくないですよ。弦巻さんは月宮さんの一億倍ぐらい変人です」
「いやー、褒めすぎだよ〜!」
「…………はぁ。もう……ホント、明日どうすれば良いんでしょうか…………」
私は頭を抱えて蹲った。
すると隣から弦巻さんの、妙に落ち着いた声が降ってきた。
「それなら明日のために、凄く効くおまじないをしてあげよっか?」
「はあ?」
「だって怖いんでしょ、これからが。なら私のおまじないは受けとくべきだよ〜」
弦巻さんは神妙な変顔をしながらそう言った。
今は猫の手どころか厄病神の手でも良いので、縋れるものならなんでもよかった。
なんなら一度寝た後、実は夢でしたコースが一番ありがたい。
私はそれで月宮さん相手ではなく、シオンちゃんの方に恋心を戻したいとさえ願ってしまう。
「おまじないをするくらいなら、私が凄く眠れるように暗示でも掛けてください。今日の記憶が全部飛ぶレベルのやつでお願いします」
私は何も期待せず、適当にあしらうように冗談でそう言った。
けれど、弦巻は待ってました!というように声を弾ませた。
「それなら得意だよッ!!」
鼓膜を叩く大声に、思わず肩が跳ねる。
ちょっと面食らってしまったが、まぁいいだろう。
「茜っち、眼を瞑ってよ。今までしおっちに掛けてきたように、茜っちにもやってあげる」
「……あなた、月宮さんにまでこんなくだらないことをしてるんですか」
「いやいや、私の傷見たよね?! 普通にしおっちは調教してやらないと、死ぬよ!?」
あぁ、そうだった……!
……これについても考えなきゃいけないんだった。
よく思い出してみれば、泊まりの時に不機嫌だったのは私が先に寝たせいとも考えられる。
そして弦巻の肩の傷は、先に寝るというただ普通の事をしただけでできたものだ。
ヤバいなぁ、今日の情報量。
でも、弦巻の暗示――もしくは催眠術が本物なら、私の記憶くらい消し飛んでくれるかもしれない。
そうなれば今日あった出来事なんて気にしなくて済む。
私は一粒の希望にかけてお願いする事にした。
「……期待は毛ほどもしてませんが、貰えるものは貰っておきます。どうぞやってください」
そう言って私は眼を瞑った。
バス停の屋根を激しく叩く雨音だけが、耳の中で反響している。
目の前に立った弦巻の体温と微かな呼吸音。
意識が聴覚に集中していく。
「……いいね、茜っち。そのまま力を抜いて」
弦巻の指先が私のこめかみにそっと触れるのが分かった。
肌を労わるような優しい圧だ。
雨音に合わせて、トントン、とリズミカルなタッピングが始まる。
「雨の音が今日の嫌な記憶を全部洗い流していく。キミは今安全な場所にいる。何も考えなくていい」
繰り返される低い声と一定のリズム。
重かった頭がふわりと軽くなるような感覚。
体の力が抜け弦巻の言葉だけがクリアに響く。
「あなたはもう怖がる必要はない。明日も明後日も全部うまくいく。だから安心して、私に全部預けて……」
その言葉を最後に、タッピングが止まった。
そして、弦巻の気配が、ふっと近づいた。
次の瞬間、唇に柔らかく湿った感触が押し当てられた。
「ん……???」
何が起こったか理解する前に、それは一瞬で離れた。
しかし、私が驚いて目を開けようとしたその時、今度はもっと強く唇が塞がれた。
「んんんッッッ!?」
更には私の唇に舌を当ててこじ開けようとしてくる。
そして私の一瞬の隙を許さず、熱い舌が滑り込んできた。
「……ッ!!」
…………本当にコイツ……………………ヤバすぎる。
暗示を掛けると言ったのに、眼を瞑ってることにかこつけて、私にキスをかましてくれた。
結構ガチで許せない案件だ。
彼女は私が月宮さんに恋してるのを分かってて、これをやっているのだから。
……こっちは弦巻が月宮さんにキスした件も飲み込めて無いというのに。
私は瞑っていた目を見開き、侵入してきた舌を強く噛み締めた。
「いったぁ!?」
私は弦巻が痛みで怯んだ隙を逃さない。
私は濡れたベンチから、弦巻の細い手首を掴み、その勢いのまま地面に押し倒した。
「な……あっ、あきゃねっち!?」
「…………貴女から始めたんですよ」
「ちょっとした軽いジョークじゃん?! ほら、しおっちにだけキスするなんてバランスが悪――」
それ以上言葉を聞く必要もなかった。
驚きと恐怖で見開かれた弦巻の瞳を見下ろし、私はもう一度、深く、今度は私の方から舌を差し入れた。
「んんッ……! ふ、ぁ……」
これは合意の上ではなく仕返しのキスだ。
弦巻さんのペースではなく私のペースで。
息継ぎの隙も与えず、口内の全てを味わい尽くすように、激しく舌を絡めとる。
彼女の綺麗な銀髪が、雨と泥水に濡れていくのも構わなかった。
数秒か、数十秒か。
弦巻の体がビクンと一度跳ね、抵抗する力が完全に失われたのを確認して、私はゆっくりと唇を離した。
「……は……ぁ……、……っ」
弦巻は地面に倒れたまま、焦点の合わない目で私を見上げていた。
頬は朱に染まり、口元からは銀色の糸がこぼれている。
完全にデロッデロだ。
……これを見ていると、こんな馬鹿が本当に人殺しなんかできると思えない。
月宮さんが弦巻さんの言いなりになってるのも、何かの間違いなのではないかと思ってしまう。
まぁ、きっと人は見かけによらないということなんだろうけど。
それにしてもひっどい顔で倒れているものだ。
「……何一人だけ気持ちよくなってんです――か!!」
私はそう言いながら思いっきり、弦巻の左頬を平手打ちした。
「ぶへぇっ!!」
「月宮さんに平手打ちされた分だけでは、バランスが悪いでしょう? ここで追加しておいてあげますよ」
「ひ、酷いよ〜、フォークで刺された時より100倍ひどいやぁ……」
「……こっちは酒臭いクソキモ女にキスされて、最悪な気分ですけどね」
私は倒れている彼女の背中を椅子にするようにして座り、スマホを取り出してTmitterのTLを漁った。
ちなみに別にこれ以上のことを彼女相手にするつもりはない。
わざわざ嫌いな相手を抱こうとは思わないし、同性同士の交尾の詳しい手順を知ってるわけでもない。
もしかしたら嫌いな相手だからこそ、好き放題に滅茶苦茶にしてやる……っていうのも、ありなのかもしれない。
だって月宮さんと恋人同士になるなんて、絶対に無理だろうし、私に事実として同性愛の側面があるのなら、この馬鹿でそれを諌めるのも悪く…………いや、難しい問題だ。
「…………人生でこんな酷い目に遭ったの、初めてかも〜」
「私も今日が人生最悪の日です」
「……こんな好き勝手して、私が許すと思ってるの?」
「なら、どうするっていうんですか?」
「そんなの――私の友達に頼んで、茜っちの家族を懲らしめてやるとか?」
私はそう言った弦巻の顔に視線を向けた。
彼女は乱れた息を整えながらも『私は怒ってるんだよ!』という眼をしていた。
私はその眼を見ると同時に、一つの可能性を考えてしまった。
私はその疑問を胸に、彼女に問う。
「貴女は私と月宮さんがキスした件も、もちろん知っているんですよね?」
「うん、少し前に喋らせたよ。……茜っちって不登校隠キャのクセに、性的なことだけは欲求に忠実なんだね」
「…………欲求に忠実ですか……」
「そうだよ、今だって私にこんなことしてるもん! 自分から罪を増やして何がしたいのって感じ〜!」
「ふふふっ……それはこっちの台詞ですよ」
私は笑いながら、弦巻の襟を強引に引っ張り起こし、地面に座らせた。
彼女はまだ肩で息をしていながら、私を少し睨みつけていた。
そして私も彼女と視線を合わせるため正座する。
もはや制服がびちゃびちゃである。
「弦巻さんって頭良いですよね」
「……まぁねっ!」
「それなら私の前で月宮さんとラブホの話をしたり、目の前でキスなんかしたら私がどう動くかもある程度読めてたんですよね?」
「うん、そうだよっ! 茜っちも馬鹿だから凄く動きが分かりやすかった!」
私はその言葉を聞いて顔がにやけてくる。
弦巻さんは私の顔を見て、一瞬体を硬直させた。
「――なら私にキスなんかしたら、こうやってやり返されるっていうのも読めてたはずですよ。それは月宮さんの経験を知っている貴女なら分かっていたはずです――違いますか?」
「……………………」
どうやら図星らしい。
彼女は言い返そうと口を開こうとするが、どうにも言葉を返せなさそうだった。
それにしても、いつから彼女が私にそんな興味を持ったのか知らないが、よくもまぁそんな危ない真似をできるものだ。
私が自力で彼女の行動原理に答えを出すとすれば、友人の様子が変わってしまったから、ちょっと私もそれに飛び込んでみよう――などという短絡的思考のもとで動き、面白さを求める彼女の行動原理で、進みすぎた結果でここまできてしまったというべきか。
……まぁ、もうなんでもいい話である。
今日の私は最低に気分が悪く、最高にハイになってる状態だ。
私は彼女を片手で抱き寄せた。
そして耳元で囁く。
「実は期待しちゃってたんですね、弦巻さん」
「…………してない。わっ、私は妹の友達がどんな人なのか見にきただけだしぃ……」
月宮さんもそして明日菜も、私のキスやマッサージには満更でもない様子だった。
あの2人は私に恋心なんて抱いてくれないが、果たして彼女はどうだろうか?
「素直じゃない子は嫌いなんですよ、私」
私はそう囁きながら彼女の唇を再び奪った。
激しく、深く。
短い時間だが容赦なく舌を絡め、口内を蹂躙するように味わい尽くす。
「キモっ……やめ……へっ…………」
弦巻さんの声は掠れ拒絶の言葉とは裏腹に、唇は熱く湿っていた。
離れる瞬間、私は彼女の舌を優しく、ねっとりと吸い上げる。
そして逃げようとするそれを、二本の指で優しく、だが確実に挟み込み引き留めた。
「…………ぁぁ…………」
「では聞くんですけど、続きを今からしても良いですか?」
すると彼女は私に舌を捕らえられながらも、とても小さく横に首を振った。
過呼吸気味でまるで涙を流しそうな顔で。
「ダメですよ、自分の気持ちに素直にならなきゃ。期待してるんですもんね?」
私はそう言った後ゆっくりと指を離し、ぬるついたそれを自分の唇へと運び、弦巻さんの味を確かめた。
ただただ酒の味がするだけで、全く美味しくはなかった。
「……こ、ころしてふはら! 絶対にこおひてやふはら!!」
どうやら呂律が回らなくなったらしい。
酒の酔いがまわったのか、この雰囲気に当てられたせいか、どちらが理由か分からない。
「まともに日本語も喋れないんですか? 可愛いですね」
「!!!!!!!」
弦巻さんは怒り心頭という顔である。
全て自業自得から始まってるのに、よくもまあそんな顔をしてられるものだ。
「あっ、バスが来るまであと15分くらいあるそうですよ」
「…………」
「なので――時間いっぱいまで弦巻さんで遊んであげますね!」
「――――!!!!!」
「今日やられた分を100億倍にして返すので、しっかり耐えてください。お願いしますよ?」
そして私は他人には言えないような、元々はシオンちゃんやりたかった一部の欲のソレを、いっぱい弦巻さん相手に試した。
彼女はぎゃんぎゃん鳴き喚いていたが、私は一切手加減せず短い時間で本気で仕返しをしてやった。
一応ギリギリ最後の一線は越えてない………………はず。
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私は一度全ての動きをぴたりと止めた。
「……ぇ……? な、んで……」
与えられていた快感が突然途絶え、弦巻さんが不安げに私を見上げる。
その瞳は先ほどまでの反抗的な光を完全に失い、ただ私の次の行動を待つだけの、従順な光を宿していた。
もはや私の様子を見て遊んでいた彼女の面影一つなかった。
「どうしましたか? 」
「…………」
弦巻さんは少しだけ歯軋りを立て始めた。
「……言いたい事があるようですが、言葉にしてくれないと分かりませんよ」
私はわざと冷たく言い放った。
弦巻さんは、はくはくと唇を動かす。
彼女は言えないのだ。
プライドが最後の抵抗をしているせいで。
「…………何も聞こえてきませんが、これで終わりでいいんですか?」
そう言って私が本当に手を離そうとした、その時。
「……ま、って……」
私の制服の裾を小さな震える手が掴んだ。
「……おねがい……」
私は何も言わず、ただ彼女の次の言葉を待つ。
そして雨音に混じって消え入りそうな声が、私の耳に届いた。
「……もっと…………してほしい……」
私はその言葉を聞いて口角が大きく上に上がった。
「だから…………少しの間だけ…………私と二人きりに……」
「ふふっ、いいですよ。ではその場で地面に正座したまま少しだけ待ってて下さい」
「まつ?……なん、で……?」
「ちょっと近くの自販機で水を買ってくるだけです。ちゃんと待っていられますね?」
弦巻はかすかに頷いた。
期待と不安が入り混じった瞳で、私の背中を見送るように。
私は彼女をその場に残し、バス停を後にした。
そして別のバス停まで全力で駆け、ちょうど到着したバスに飛び乗った。
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「ふふふふふっ、あははははは」
私は誰も持っていないバス車内の2人席で、口元を抑え声を殺しながら静かに笑い狂っていた。
「あ〜、こんな面白いこともあるんですね。それにしても良いストレス発散になりました」
弦巻が私の攻撃に耐えられず『もっとしてほしい』などと涙ながらに言っているのを見るのは最高に面白かった。
こんな真似を本能のままに人は楽しめるのだから、虐めなんて無くなるはずもないだろう。
……そしてなるほど。
小学生の頃の弱くて優しかった私が、虐められるのも納得である。
人は様々な方法で自己価値を証明し、更には高みを目指していく生き物なのだ。
初めて他人相手にやったけど、この私の行為は一種のマウント行為として例えるべきだ。
きっとは人はみんな今回の私と違えど、他の何かの方法で自己の存在を肯定して生きて――
「馬鹿なんですか、私は!」
私はすぐに自身の頬を手で叩いた。
今はこんなことに思考を回している暇なんて、1秒もない。
正直今やった感覚を思い返して、自身の糧としたい気持ちは凄くあるけど、明日の旅行という大事な日程が控えている。
余裕が全くない今、この件は一旦頭の超片隅にしまっておくべきなのだ。
なんなら旅行中のノイズでしかないのだから、忘れてしまっても良いレベル。
「ふぅ……とりあえず帰ったら体を洗わないとですね」




