第21話 好きの自覚
時間はまだ朝と昼の間頃。
私は駅まで走りトイレに駆け込むと、堪えきれずに吐いた。
胃の中が空になるまで。
喉が焼ける感覚だけが残るまで、しっかりと……
その後、近くの空いているベンチに腰を下ろし、人が行き来しているのを、ただぼんやりとずっと眺めていた。
「……はぁ」
何を……何をやっているんだろう、私。
目の前で起きたのは、ただ月宮さんと弦巻がキスをしているという、それだけのことだったはず。
普通に一般人的な反応で流すなら『友達同士で何をやってるんですか?』で返すのが普通なはずだ。
なのに私は……それを見て意味が分からなくなって、気分が悪くなって、二人の元から抜け出してしまった。
「まるで馬鹿みたいです。今すぐそっちに戻るって連絡しないと……」
私はスマホを開いてLINEを立ち上げようとする。
でも手が震えて出来なかった。
いや、これは言葉に表すなら怒り……なのかもしれない。
言いようのない怒りと、私の物が取られたと言う悲しみ。
脳が複雑な感情の混ざり合いで、おかしくなりそうだった。
「なんで私が…………私がこんなことでッ!!!」
あまりの出来事に少し叫びに近い声が出てしまった。
本当に酷い話だ。
どうしてこうなってしまったんだろう。
どこにイライラして喚いて、あまつさえ嘔吐するほどにストレスが掛かる要素があったのか?
私は一ヶ月以上前に、月宮さんのある問いについて考えたはず。
『もし私が誰かと付き合ったら、茜ちゃんはどう思ってくれるのかな?』
この問いは月宮さんに対して言った返事と、私自身のうちに秘めたもので回答は違った。
月宮さんはただの中の人で、私が好きなのは天野シオンちゃんという別レイヤー――別次元のキャラクターであると、あの日の私は自分に定義づけた。
だというのに、これを客観視するなら……まるで好きな人を取られた負け犬ではないか。
「私が好きなのはシオンちゃん……私が好きなのはシオンちゃん……私が好きなのはシオンちゃん。…………月宮さんなんて、シオンちゃんが生きていくのに必要な、ただの付属品なんです……」
私はうわごとのように呟く。
「…………シオンちゃんは他全ての人と違って、画面の前で明るく輝いてくれて、偶にコメントを返してくれて……配信は面白くて……誰も私を見てくれない中、シオンちゃんだけは………」
そう、シオンちゃんだけは私の側にいてくれている気がした。
だけど彼女は二次元の存在、現実にはいない子。
私はぶいフェスという夢の場所でさえも、その現実から眼を背けられなくて……とても寂しくてダメになりそうだった。
弱肉強食は世の常で絶対不変の真理。
私は生まれながらの負け組で、現代社会の仕組みによって、ただ生きながらえさせてもらってるだけの蛆虫みすぎない。
そんな空っぽで弱い私の中に、嵐のように飛び込んできたのが――月宮さんだった。
『アカネちゃん、LIИE交換しない?』
あの日……初めて家族以外の誰かに、手を差し伸べられた気がした。
『分かった! 茜ちゃんはこっちで条件付けないと、心配でしょうがないんだ!そうでしょ?!』
そして学校という牢屋に縛りつけられて……でも、初めて誰かに必要とされた気がした。
『美味しいよ、茜ちゃん!』
初めて家族以外の誰かが、私の作ったものをあんなに嬉しそうに食べてくれた。
画面の向こうのVtuberじゃない。
私の隣で笑って、怒って、意地悪をして……そして私の手を引いてくれた、現実の女の子。
シオンちゃんに恋をして約三年。
月宮さんに出会ってまだ二ヶ月。
――あぁ、そうなんだ。
私はいつの間にか、現実の“月宮さん”越しに“シオン”を見ていたんじゃない。
目の前の“彼女”の中に、“シオン”の面影だけを必死に探していたんだ。
「私は、月宮さんが…………好き、なんだ」
――月宮さんを好きになってしまったという、最悪な現実から目を背けるために。
私の目からポロポロと涙がこぼれ落ちていった。
「……自分の想いに気づくって本来喜ばしいことのはずなのに、類を見ない人生最悪のシチュエーションのせいで、本っ当に嫌な気分です」
……体の力が抜けて、何もかもがどうでもよくなってくる。
というか私はチョロ過ぎだ。
これが本当に恋だとしたら、きっと初めて出会った日には、月宮さんのことをそういう目で見ていた可能性が高い。
そしてあのぶつかった直後に、私を藤崎茜と知りながら且つ、自分がシオンの中の人だと隠しながら近づいてきた月宮さんは…………あまりに性格が悪すぎる。
よくここまで、人の純情を弄んでやろうと思えたものだ。
おまけに今日、私の前でキスをするなんて、
普通に二人揃って死んで欲しい。
結構真剣に嫌いになりたい。
「……でも、嫌いにはなれないし……私は月宮さん無しじゃ生きていけません」
あーあ。
もう本当に、こんな世界滅んでしまえばいいのに。
地球ごと爆発して全員死んでしまえばいい。
………………というか、私以外苦しみながら死ね。
そんな事を思っていた時、スマホの通知音がなった。
LINEの通知は着信ごとオフにしているで、今は月宮さんからメッセージが来ることはない。
一体誰だろうか。
そう思いながらスマホを開いた。
するとそれはとTmitterからの通知で、名前は……
「アメ…………なるほど、そういうことですか」
そういえば月宮さんにはフェスの日に、Tmitterアカウント名について喋ったのだった。
どうせフォロワーが多すぎて特定なんかできないとタカを括ってたけど、まさかやってくる相手がいたとは。
今の月宮さんが私を追うことなんてとても考えにくいし、このタイミングでTmitterアカウントを特定できるわけがない。
おそらく諸々全てをあの変に頭が回る女に押し付けた……と、言ったところだろうか。
今の月宮さんのやることなすこと、全て癪に触るような気がしてならないけど……
《しおっちにしっかり謝るよう怒られちゃった!――というわけでボーリングで遊ぼうよ。場所送っとくから12時までにきてね〜》
「ふふふっ……。全く、あの2人は人のことをなんだと思っているんでしょうか」
本当にVtuberという輩は、性格が悪くてクズでどうしようもない人の集まりらしい。
あの2人は私がガチ恋だと理解しておきながら、あんなことをしたのだ。
私の今の心理状況を読めないほど、頭が猿なわけでもないだろう。
まともな思考回路をしていたら、その誘いに乗る人なんているわけがない。
そしてそれに気づかないほど、彼女達は愚かではない。
だけど――
「……いいでしょう」
弦巻とかいう女。
今最も死んで欲しい相手だ。
目の前で私の好きな人をラブホに誘ったり、私と月宮さんだけの時間を奪い取ったり、挙げ句の果てには目の前でキスを見せつけてくれたり。
「いっぱいお話ししてやりますよ」
ならば、私はいっそのことここで彼女と対面して、この気持ちに諦めをつかせて欲しいと考えた。
月宮さんのことを諦めて嫌いになって、そしてシオンちゃんのファンも辞めて、私は全てから逃げて家に引き篭もる。
弱い私の本来あるべき姿は、家から出ずに余生を過ごす。
それが一番合理的で正しい選択肢なのだ。
今回の弦巻とのお話の内容次第では、私を縛る罪の方向性さえ叩き消して、学校を辞めることも容易くなる可能性が結構ある。
……月宮さんが私に求めてる物の正体と、話の流れ方次第だが。
今回得られたのは、自分の不要な恋心の気づきだけだし、分からなかった月宮さんの欲しい物とやらをさっさと渡して、ここで関係を終了させよう。
とりあえずはこの計画が黄金のルートで、今回が最後の労働と思えば、喜んで初めてのボーリングに挑めるというものだ。
私は立ち上がって、体と手を伸ばしながら言った。
「あ〜……!これは最低で最高な日になりそうですね」




