第20話 脳破壊
結局そのまま、駅前のカラオケへ向かう流れになった。
歩きながら、私は「どうして学校に来なかったのか」を、そのまま話した。
この人に気を遣う必要はない――そう判断したからだ。
案の定、弦巻は最初から分かっていたような顔で、余裕の笑みを浮かべるだけだった。
一方月宮さんは理由を聞くと、胸の奥の力が抜けたみたいに息を吐いて、
「二学期からは今まで通り2人でいられる時間を作るから、ちゃんと学校に来て!」
と言ってくれた。
……まぁここまでは良いのだが、問題は2人の関係性だ。
一体どうしたらこの月宮さんが黙ってこのよく分からない人の命令を聞くまでになるのか、というのが疑問である。
もちろんこの疑問をそのままぶつけたりすることなんてできないし、見ている限りだと基本的にこの2人の会話のやり取りは普通だ。
脅されてて月宮さんが怯えてる――なんて様子は全くない。
強いて言うならば、私とお母さんのような関係性に見えなくもない。
「しおっち、先に歌ってていいよ〜」
「え、私から? 私は茜ちゃんの歌を聞いてみたいんだけど」
「私も月宮さんの生歌聴いてみたいです。せっかくですし、たくさん歌ってください」
「それを言うなら、月宮さんじゃなくてシオンちゃんの歌を、でしょ?……先に歌うのは別にいいけど」
そう言いながらも、月宮さんはマイクを手に取った。
歌声が部屋に広がる。
スマホ越しで聴くのとはまるで違って音が近いし、息遣いが分かる。
胸の奥に直接触れてもらえるような声だった。
これが2人きりでの空間なら、どれだけ満足できたことだろう。
「やっほ〜」
「…………」
曲が始まってすぐ、弦巻が私の隣に腰を下ろした。
月宮さんは歌に集中していて、こちらを気にする様子はない。
なるほど。
どうやらこの人は彼女を“餌”にして、私と話したかったようだ。
「歌が終わるまで時間が無いから話を進めるけど、なんで私が最近学校に顔出してる分かる〜?」
「合計1時間も対面してない人のことなんて分かりません」
「まっ、分かんないよね〜」
「…………」
「ねぇ理解してる? ここ最近、しおっちが異常にイキイキしてるの。久しぶりにコラボ配信した時、私びっくりしちゃったもん」
そう言いながら彼女は水筒を手に持ち、それをグイッと飲んだ。
彼女からアルコールの匂いが漂ってくる。
「私は仮にもシスターを名乗ってる人が、酒カスなことに驚きですよ」
「あれ、普通に悪口とか言えるんだー。もしかしてファッション隠キャ?」
「……それに、月宮さん元気なのは凄く良いことじゃないですか」
「よくないよ」
即答だった。
軽い声なのに芯だけがやけに硬い声だった。
「フェス終わりからなんか変わったな〜って思ったけど、思った以上に変な人との出会いがあったんだね」
「…………」
「フェス最中に抜け出したいって変なお願いからの行動の急変、心配しない理由はないよね〜。私は最近になってやっと状況を理解したけど、茜っちはどうしてしおっちが抜け出して、キミなんかに時間を使ってるのか、ちゃんと考えたことないでしょ」
言われて気づいた。
そういえばその件に関して、確かに私は一度も深く考えた事がなかった。
当時は私自身パニクっててそう言う事もあるか……で済ませていた気がするけど、普通ならファンがそこら中にいるフェス会場を、生身で歩いたりするわけがない。
――だってデメリットしか無いから。
Vtuberというコンテンツの売り方を考えれば、中の人がバレるような真似をするのは、あまりにリスキーすぎる。
「あとさ、茜っちはしおっちの“欲しいもの”を何も知らないし、分かろうともしてない。でもね」
弦巻は私を見る。
笑っているのに、どこか値踏みするような目だった。
「無意識で思わせぶりなこと、平気でやってるんだよ。『私の側にいたら、あなたの一番欲しいものをあげます』って」
「一番……欲しいもの……」
「キミは主体性なくて受け身寄りの人間のくせに、そういうアンバランスなことができるのは、正直すごいと思う」
言葉が胸の奥に沈んでいく。
私はなんと言葉を返せばいいのか全く分からなかった。
「茜っちが女の子で良かったよ。もし男だったら、どこかの箱みたいに消し飛んでたかも。そんなの見てる分には面白いけど、うちの事務所――それも私が在籍してる残り半年の間に、それはちょっと勘弁して欲しいよね〜」
…………結局、弦巻が何を言っているのか、何一つ理解できなかった。
全て独りよがりで、モノの言いは自己完結してるようにすら思える。
「……弦巻さん、月宮さんの欲しいものって結局何なんですか。それを教えてもらえないなら……私には、何もできませんよ」
今かけられた言葉でそれでも理解できるのは、この人は今日、月宮さんのことを考えて私に話しかけたということくらい。
「ちょっと!!」
突然、月宮さんの声が話に割り込んできた。
「二人とも会話に夢中で、私の歌ぜんぜん聴いてなかったでしょ!!朝はあんなに雰囲気最悪だったのに、急に仲良くなるの何なの!」
はっとして顔を上げると、月宮さんはすでに歌い終えていた。
「すみません……興味深い話を聞かされたもので、少しだけ話し込んでしまいました」
「興味深い話をしちゃいました〜!」
「何それ……二人だけで楽しんでるのズルすぎるんだけど!!」
月宮さんの抗議の声と同時に、弦巻が私の膝の上へ、ぽん、とマイクを置いた。
「次は茜っちが歌う番」
「歌いませんよ。私の歌なんか誰に需要があるんですか」
「だからそれは、私が聴きたいって言ってるじゃん!」
「…………」
……需要。
歌というコンテンツにおいて、そんなものが私にあるなんて思ってもみなかった。
月宮さんが望むのなら――
……いや、それでも胸の奥がそわそわして落ち着かない。
「じゃあさ」
弦巻が楽しそうに目を細める。
「歌ってくれたら茜っちが求めてる答え、それと――茜っち自身が気づいてない答え。両方とも教えてあげる」
「……私が求めてる答えと、気づいてない答え?」
「そう。ほら早く歌いなよ。答えは目の前にあるんだから」
弦巻は私を試すかのような眼で言った。
「え? 二人ともなんの話してるの?」
月宮さんだけが、話に置いていかれたまま首を傾げている。
「良いでしょう、一度だけ歌ってあげます」
私はデンモクを手に取って、適当に昔人気があったバラードを入れた。
そしてマイクを手に取って歌う。
……こんなところに来たのもだいぶ久しぶりだ。
カラオケは基本的に家族でしか行かないから、自分がどれだけ歌えているのか分からない。
自信はない。
だから画面だけを見つめ、音程と歌詞とリズムに意識を集中させる。
「うっ、上手いよ茜ちゃん!! そんなに上手いなら歌手にだってきっとなれるかも!」
「ほへ〜……やるもんだねー」
自分の声が思っていたよりも綺麗に伸びている。
ちゃんと歌えている。
そんな錯覚が胸に灯る。
――そしてサビに入ったその瞬間。
「――んっ?!」
誰かの息が詰まるような、声にならない音。
違和感に引っ張られるように、私は視線だけを横へ流した。
そこにあったのは――
弦巻が月宮さんに覆いかぶさるように距離を詰め、頬に指を添え、ためらいもなく唇を重ねる光景だった。
「……へ?…………」
私はその最低な光景が目に焼きついた瞬間、歌うのをやめた。
指の力が抜け、マイクが床に落ちる鈍い音だけが、やけに現実的に響いた。
胸の奥に重く冷たいものが沈み込む。
次の瞬間、それは形を変えて喉元までせり上がり、強烈な吐き気となって私を襲った。
「茜っち、これが答えだよ」
弦巻が勝ち誇ったようにこちらへ振り向く。
その彼女の声に自分でも理解できていない怒りが、地の底から湧き上がってきた。
「ちっ、違うの茜ちゃん!これは――」
……無理だ。
この空間にこれ以上一秒もいられないし居たくない。
私はバッグを強く掴み、何も言わず逃げるように部屋を飛び出した。




