第18話 メンヘラ女 (月宮:視点)
結局、私は茜の部屋の静寂に数分と耐えられず、自分から彼女の家事を手伝うと申し出た。
二人でキッチンに立ち、他愛もない話をしながら食器を洗い、洗濯物を畳む。
そして全ての家事を手早く終え、私と茜はそれぞれの布団に横になる。
部屋の明かりは消され、月明かりだけが窓から薄く差し込んでいた。
「茜ちゃん」
「なんですか?」
「寝る前に言うのもアレなんだけどさ、夏休みの始め頃、一緒に旅行に行かない?」
「急ですね」
茜ちゃんはそう言った後、こっちに体を向けた。
「…………部屋を見てもらえれば分かると思うんですけど、私結構グッズとかにもお金使ってて、しかもこの前はフェスにまで行っちゃったので、全くお金が無いんですよね」
「私が払うよ。今日は色々として貰って楽しかったし、お返しって事で」
「そんなの釣り合ってませんよ。それに私はどこへ行くにしても、人が多いところであまり物事を楽しめる自信がありません」
「きっと大丈夫! 私が茜ちゃんを全力でエスコートするから!」
そう返すと、茜は黙り込んでしまった。
私は次のライブの準備のため、夏休みはほとんど東京で過ごす。
自由に動けるのは最初の数日だけ。
その貴重な時間を私はこの子と一緒に過ごしたい、と強く思っていた。
それに【私がいないと茜ちゃんは人としてダメになる】なんていうこの関係性。
流石にちょっとよく考えなくても、健全さに欠けすぎている気がする。
別に狂った感性だろうと、変人だろうと、それ自体は構わない。
むしろ茜のそういう部分は、私にはとても魅力的に映るところもある。
でも――私の隣で歩く以上、彼女にはきちんと“自分の足”で立っていてほしい。
……それに友達なら、一緒に出かけるくらい普通にするだろうし。
旅行の提案は、その全部をまとめた想いから出た提案だったけど……
「……旅行は、嫌です」
「はぁ?」
「うっ……ごめんなさい。でもきっと月宮さんも私と外に出たら楽しめないと思いますし」
「そんなこと言ってフェスには来てたじゃん!」
「アレは、だいぶ特殊な状況ですので……」
そう言って、茜はぷいと背を向けるように寝返りを打った。
その子供みたいないじらしさに、私の口元が緩む――けど、そんな理由で逃すほど私は甘くない。
私は音を立てないように布団を抜け出し、彼女の背後からそっと覆いかぶさると、その両目を手で覆い隠した。
「これは命令、私と一緒に旅行へ行くの! 分かった?」
「はぅぅ…………卑怯ですよ、それ」
「行くって言うまで絶対に寝かさないよ。ずっと邪魔し続けてやるから」
「…………夜更かしは健康に良くないんです。……分かりました、行きます。行きますから……手、離してください……」
「最初からそう言えば良いんだよ」
よしっ!
これで夏休みを満喫できるし、長期間茜ちゃんを外に連れ出すことも成功になる。
ゆくゆくは退学なんて馬鹿なことも言い出さなくなる筈だ。
このまま茜ちゃんを健全な方向に進ませて、私好みの友達に作り変えてやるんだ!
「詳しい話は……明日以降にしましょう…………もう、眠いです……」
「うん、おやすみ。茜ちゃん」
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大体一時間ほど経っただろうか。
暗闇に目が慣れ、壁の輪郭すら掴めるようになっているのに、眠気だけは一向に降りてこない。
というか、まったく眠れない。
普段ならこの時間、配信のテンションで脳がぎらついている頃だ。
布団の中で急に静かになるなんて、身体が受け入れられるはずもなかった。
「………………」
茜ちゃんは、もう寝息を立てていた。
肩が規則正しく上下し、その度に布団の影がやわく揺れ――世界から切り離されたみたいに静かで、遠い。
……まだ0時なんだけど。
「茜ちゃん、本当にもう寝ちゃった?」
返事はない。
呼びかけ声が空気に沈み、私だけが取り残されるこの感じ……夏が近づいてるというのに、自分だけ別の季節にいるみたいだった。
「……ねぇ」
「…………」
「寂しいよ……」
私は堪えきれず、そっと背中に身を寄せた。
指先でなぞるように触れると、微かな体温だけが伝わってくる。
その温度が逆に私の胸を締めつけた。
「友達でしょ? もっと一緒に話そうよ……なんで自分だけ眠っちゃうの? 今日はファンのみんなもいないし…………」
私はここ数年、寂しいなんて感情はそもそも表に出ないようにしていた。
ひとりでいる時間など絶対に作らず、基本的に仕事に全力で、休みの日曜日は「何もしないで天井を見てろ」と言われてきて……
でも、流石にこんな変わった日を突然作られると、ちょっとだけ頭がおかしくなる。
「話そうよ。せっかくのお泊まりなんだから、朝がくるまで……」
返事は無かった。
彼女の寝息のリズムに、私だけ置いていかれる。
「……やっぱり無理なのかな、茜ちゃんとの旅行とか」
寝る時間違うし寂しくなっちゃうし、一緒の時間に合わせてくれないし。
アメならすごく嫌な顔しながらでも、私に付き合ってくれたのに。
こんなことなら、今日も1人で疲れ果てるまで配信してれば良かった。
お願いされたからって、家まで来るんじゃなかった。
茜ちゃんにお願いされたから覚悟してきたけど、結局それでも今日はかなり疲れるだけだったし。
……はぁ。
来るんじゃなかったな。
こんな気持ちになるくらいなら――
「………………ねぇ」
…………もう無理、涙が止まらないや。
「茜ちゃん…………ひっぐ……ぅぅ……ぐす――」
「っチ、……うるさいですね」
突然聞こえてきた舌打ち。
次の瞬間、茜の腕が強引に伸びてきて、私の身体を彼女の布団の中へと引きずり込んだ。
そして問答無用で、ぎゅっと抱きしめられた。
「あっ、茜ちゃん!?!?!?」
この出来事に私の心臓はとんでもないスピードで脈打った。
心音が耳に届くくらい騒がしい。
「ちょっとく、苦しいよ……」
「ずっと…………一緒に……すぅ……」
彼女のその囁きは、睡眠の淵でとろけた声だった。
言葉の端が掠れて、甘さと無防備さが混ざって私に刺さる。
「え、まさか寝言なの!?」
返事はなく、ただ寝息だけが規則的に落ちてくる。
……これはおそらく茜ちゃんが寝ぼけて、私に抱きついてきたという事なんだろう。
そう分かってるのに、不思議と身体が熱くなる。
「ずっと一緒に……ふふっ。私を抱きしめてくれるってことは、バスの時の夢でも見てるのかな?……う〜ん、これはこれで凄く嬉しいんだけど……」
こうなると心臓が高鳴り過ぎてて眠れない!
……流石は茜ちゃん。
こんなこと一度も経験したこと無かったのに、私にまた未知を教えてくれる。
だけど私は明日、昼間から配信がある……!
たとえ今凄く心地良かったとしても、ここから離れないと眠れない。
申し訳ないけど力づくで……
「離れ……ないで……」
「――――――ッ?!」
「ください……」
「…………この卑怯者。私にずっと起きてろって言うの?」
その寝言に呆れながらも、結局私は彼女の背中に両腕を回していた。
「本当に最低だね……」
囁きながら、私はゆっくりと茜ちゃんの首元へ顔を寄せた。
眠っている彼女の体温がじわりと近づいてくる。
白い肌に薄い血管がかすかに透けていた。
そして眠る彼女の首筋に顔を埋め、小さく噛みついた。
跡が残るほど深くじっくり、でも起こさない程度に。
――私を眠らせてくれない罰として。
「…………こんなの……熱すぎて眠れないよ」
息が震え胸がひどく疼いた。
…………はぁ。
どうして私ばかりこんなに乱されるんだろう。
……もしかしたら、まともになるべきなのは茜じゃなくて私の方なのかもしれない。
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「本日は泊めて頂きありがとうございましたっ!」
翌朝。
玄関先で私は少し大きな声でそう言った。
……昨日は結局一睡もできなかった。
途中で寝返りを打ってくれたおかげで、抱きしめられるのから解放されたけど、それはそれでなんかウザくて、私から後ろから抱きしめ返すハメになった。
それで気づけば一日経ってしまった!
……配信あるのに。
「それはいいけど……」
「お姉ちゃん、何か怒らせるような事したの?」
「……いえ、何もしてないはずなんですが……」
不可抗力とは言え、茜ちゃんにストレスをぶつけてしまっている今の状況にもイライラしてくる。
他2人もいるのに。
色々仕方ないにしても、このままじゃ私は悪印象でここを出る事になってしまう。
茜ちゃんに後から何か言われるかもしれないけど……それはともかく、妹ちゃんと母親に嫌われるのはまずい。
2人に悪印象を抱かれたままでは、茜ちゃんに近づきづらくなるし、後々面倒なことが起こる可能性もある。
……自分の機嫌をコントロールできないのが、もどかしい。
その時私の脳裏に、昨日の茜の言葉が蘇った。
『頬にキスしていた時のスキンシップの延長線なので……』
――これだ!
「茜ちゃん、ちょっとこっちに近づいてきて!」
「えっ……あぁ、はい」
そして玄関の扉前にいる私のところまで来てくれた。
「その……あんまり覚えてないんですけど、もしかして私の寝相が――」
「うるさい!ちょっと黙っててっ!!」
「……はぃ」
有無を言わさぬ声で、彼女の言葉を遮る。
そして、母親と妹妹ちゃんの視線が突き刺さるのを感じながら、私は茜の頭を引き寄せた。
驚きに見開かれる大きな瞳。
その戸惑いを無視して、私は彼女の柔らかい頬にわざと、ちゅ、と小さな音を立てて唇を押し付けた。
「へ?」
一瞬、時が止まる。
茜の頬の熱が、私の唇にじわりと移る。
シャンプーの甘い香りが、鼻腔をくすぐった。
「おっ?」「おおお……」
三者三様の反応が聞こえてきたけど、私は流石にこの場にこれ以上いるのが恥ずかしいので、退散することとする。
「茜ちゃんっ――旅行楽しみにしてるよ! また来週に旅行の計画立てようね!!」
私はそれだけ言い残して玄関を飛び出した。
『『おおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!!』』
背後からは厄介なカプ厨2人の叫び声が聞こえてきたけど、私は自分の耳を塞いでバス停へと直行した。
あとがきです。
次回は茜視点です




