第10話 偏食系Vtuber
私はテーブルに突っ伏したまま、月宮さんとの昼食時間を過ごしていた。
顔だけ横に向けて、視界の端で彼女の口元を追う。
箸が動くたびに、彼女の頬が少しだけ緩んで、嬉しそうに弁当を味わっているのが見える。
その表情だけで、胃の重さも、不安も、全部どこかへ消えていく気がした。
私は自分のコンビニ弁当のほうには手を伸ばさず、ただ、月宮さんが食べ進めていく様子を静かに眺めていた。
どうせ後で食べるし、今は彼女の「美味しい」という言葉を一つでも多く聞いていたかった。
そのほうが、ずっと満たされた気持ちになれるから。
話題は自然に、日常のあれこれへ流れていく。
私が再び学校へ来るようになってからの感想、初めての中間テスト、そして次の配信の内容。
彼女は笑いながら相槌を打ち、時折、真面目な顔をして考え込む。
そんな彼女の横顔を見ているうちに、10分ほどが過ぎていた。
ようやく体を起こすと、月宮さんがこちらを見て笑った。
「あっ、起きた」
「……外でこんな奇行をしていては変人扱いされますし目立ちますからね。長い時間あのままになんてなってられませんよ」
学校はというのは一度の出会いで縁が切れるものではなく、学年が違っても最低は一年、同じメンバーで長いこと過ごすのだ。
下手に目立って後に響くような事はしたくない――というのが私の思いである。
「でも、自分の弁当を食べてもらうだけでそんなになっちゃうなんて、やっぱり結構変人だよね。茜ちゃん」
「うっ、うるさいですよ。貴女は目立つことに慣れてるから、そんなことが――って、あれ?」
ふと視線を落とすと弁当箱の中に、ひときわ鮮やかな緑と赤が残っている。
ブロッコリー、ミニトマト、それにたくあんを添えた野菜ゾーン。
他のおかずやご飯は綺麗に消えているのに、そこだけ手つかずだった。
「月宮さん、なんで野菜だけ残してるんですか?」
「ん〜……これは本当に申し訳ないんだけど、とても野菜が苦手で〜」
月宮さんは、苦笑まじりにそう言いながら目を逸らした。
声の調子も仕草も軽く、どこか子供みたいな逃げ腰が混じっていた。
「なるほど?」
……彼女は私の弁当をほとんど食べきっていた。
つまり、味そのものは口に合ったということだ。
だが、残されたブロッコリーとミニトマトが無言で訴えている――“ここだけは譲れない”と。
……そういえば。
思い出してみれば、シオンちゃんは配信でも言っていた。
『野菜? ……あれは食べ物の顔をした緑色の排泄物でしょ』なんて、コメ欄が若干荒れるようなことを笑って言ってたっけ。
その時は別に配信だから〜、っと気にしてなかったけど、今こう……偏食っぷりを直に目の前にすると、言いたいことが込み上げてくる。
私は箸を取り、残されたブロッコリーを掴んで月宮さんの方へと持ち上げた。
「あっ、食べてくれる感じ? 残しちゃってごめんね?」
「まさか。私が食べるんじゃなくて、貴女に食べさせてあげるんですよ」
そのままブロッコリーの房を彼女の唇の前へ差し出す。
月宮さんの笑顔が一瞬で凍りついた。
「ちょちょちょっ、茜ちゃん?! 私無理だから! 絶対に食べないからね!?」
「いえ、ダメです。早く口を開けて下さい。月宮さんは今ここで野菜を食べる事を覚えないと、将来きっと後悔しますよ」
彼女の顔へ箸を動かし、少しずつ距離を詰める。
緑の塊が目前まで迫った瞬間――月宮さんの手が私の両腕を掴み、動きを封じられた。
その指先は細いくせに、驚くほど力がある。
「強情ですね」
「はぁ?こっちのセリフなんだけど! あんたは私の親にでもなったつもりなの?!」
「別にそんなつもりはありません。ただ私は月宮さんに健康でいて欲しいだけです」
そう言いながら、私は箸を握る手に力を込めた。
側から見れば、まるで小競り合いのような形になる。
互いの指がぶつかり、弁当箱の影がわずかに揺れた。
「要らぬお世話ってやつ! 人は別に野菜なんか食べなくても健康でいられるんだよ!私の顔を見たらわかるでしょっ」
「それは短い時間で見た場合の話ですね。長期的な視野で言ったら、肥満、高血圧、脂質異常症といった生活習慣病のリスクが高まるそうですよ」
「いらない、いらない! 説明なんて本当にいらないし食べないから!」
彼女の声がどんどん子供っぽくなっていく。
私はため息をひとつ落とし、静かに言った。
「全く……子供ですね貴女は。どこの親も基本的に『野菜は食べろ!』って口を酸っぱくして言うでしょうに、なんで月宮さんはそんな生活になっちゃうんですか」
言いながら、さらに体に力が入ってしまった。
押し返す彼女の力を受け止めきれず、二人の体が近づく。
その拍子に、私はほとんど押し倒すような格好になって――
その瞬間。
彼女の纏う空気が、音もなく変わった。
今まで弾けるように明るかった空気が、一瞬で沈み込む。
まるで色彩を奪われた世界に、私だけが取り残されたみたいだった。
「…………茜ちゃんのところではそう言ってくれたかもしれないけど」
月宮さんは、私を見ない。
掴んでいた手をゆっくり離し、膝の上で指先をもてあそんだ。
「うちの親は私を散々虐待した後に二人揃って飛んじゃったし、私自身あんまり小さい頃の記憶が無いから、たとえそう躾けられてても覚えてない」
言葉を聞き、一瞬のうちに頭の中が真っ白になる。




