さきの場合 後編
「さて、行きますか」
さわやかな風が帽子を揺らす。
お気に入りのワンピースとサンダルで武装した私は、まさに無敵になれた気がした。
頃合いを見計らい、別荘にある寝室へ足を運ぶ。
案の定、その大きなベッドには夫と共に抱き合って眠る浮気相手がいた。
「いいご身分ね。妻の別荘で堂々と浮気だなんて」
「⁉」
私の声に、いや登場に驚いた夫たちは、ベッドから飛び起きる。
「さき!」
「きゃぁぁぁぁ」
裸の女は、私を見るなりシーツにその身を包み叫び声を上げた。
「まったく、叫びたいのはこっちだわ。好き勝手してくれちゃって」
「さき、これは、その」
「どうだった、大きなベッドの使い心地は。気持ちよかったかしら」
「ち、違うんだ、さき」
「何が違うって言うのよ。あんたたちのせいで自宅とココの両方のベッド買い替えなきゃいけないじゃない」
ベッド二つでいくらすると思ってるのよ。
慰謝料っていったって、この二人からなんていくらも回収出来そうもないのに。
「ま。今出て行くなら、見逃してあげてもいいけど?」
私はそう言いながら浮気相手を見た。
顔を真っ青にした女は裸のまま、散らばっている服などを抱え込むと小走りで部屋を飛び出していく。
「ごめんなさい!」
「あ、おい!」
呆気なく見捨てられたわね。
私はベッドの上で一人狼狽える、夫にため息をついた。
その姿を見ていると、やっぱり自分のこの人に対する熱が、もうどこにもないことに気づく。
「あなたもさっさと服着なさいよ。そんな汚い体で、この家のモノに触らないで」
「そんなに怒るなよ、さき。ただの遊びじゃないか」
「一回目は目をつぶったわよ。だけどさすがに限界」
「もしかして……俺がさきより若い女と遊んだから怒ってんの?」
この期に及んで、そんなこと言うわけだ。
確かに自分より若い子に手を出したのは、許せない。
だけど、それ以前に自分以外に手を出すこと自体アウトって分からないのかしら。
私は自分の夫を誰かとシェアするほど、寛容じゃないのよ。
「もういい」
「おい、待てよ! 俺はさきと別れたいわけじゃないんだってば」
部屋を出た私を夫は追いかけてくる。
「私のお金で好き勝手したいものね。そりゃ、私があなただったら別れたくないって思うわよ」
「そうじゃないって。話を」
私は普段使わない一番最奥にある扉を開け、地下へと一人進んで行く。
ホント、何もかも最悪ね。
結婚した時はこんな予定じゃなかったのに。
「こんなとこに階段? 地下なんてあったんだ……」
私は後ろに続く夫など気にせず、ずんずん進んでいった。
電気をつけていない地下室は薄暗く、慣れていなければマトモに歩くことも出来ないだろう。
「おい、待ってくれよ、さき。どこに……うわぁ!」
案の定、夫が派手に転ぶ音が聞こえてきた。
「痛っ。なんか刺さったぞ……⁉」
薄暗い室内の中でも、その目が慣れてくれば見えるはず。
自分が今置かれた状況に。
「なんだこれ」
地下室一面に張り巡らされた有刺鉄線。
その中心で夫は動けずにいた。
「百舌のはやにえって知ってる? 百舌はね、捕らえた獲物を木の枝や有刺鉄線に刺しておく習慣があるの」
「さき?」
「冬の保存食としてもだけど、モテるためや美しい歌を歌えるようになるための体力をつける栄養素でもあるんだって」
夫は自分の周りの有刺鉄線をまじまじと見た。
しかし体のあちこちにそれは刺さっており、普通では抜け出せないことなど容易に分かる。
「で、それは私お手製の有刺鉄線。動けば動くほど絡まるようになってるし、毒も塗ってあるの」
「毒って、頭おかしーのかよ。フツーそこまでしないだろ!」
「フツーって言われてもねぇ」
「てめーみたいなババアとこっちは結婚してやったんだぞ! さっさと助けろよ!」
「そう。それが本音なのね」
知ってはいたけど。
面と向かってよく言えたものだわ。
「私はあなたに何一つ不自由させたことなんてなかったのに。やっぱり若い子がよかったのね」
「だからなんだって言うんだよ!」
「もういいわ。あなたも、私の栄養素になってもらうから」
そう言いながら私は壁に付けられた電気のスイッチを押した。
一気に明るくなる室内。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
夫は自分の目の前にある惨状を見て、悲鳴を上げる。
しかしその声は分厚いコンクリートに阻まれ、外になど響きはしない。
「な、なんだよ、これ!」
二人分の白骨化した死体たち。
そう、私から逃げようとした夫たちの成れの果てだ。
私が悪いんじゃない。
悪いのは私だけを見なかったこの人たち。
「なにって、私がいい女でいるための栄養素よ? あなたも前に言っていたでしょう、浮気相手に」
そっくりそのまま返してあげる。
「あれは」
「今回こそは運命の人だって思ったのに、ホント残念だわ」
「おい、嘘だろ? さき、なぁ、さき! 待って……助けてくれよ、さきぃぃぃぃぃぃぃ」
泣き叫ぶ夫の顔を見たら、やっと心が満たされていくのを感じる。
「さようなら、あなた」
微笑みながら私はそっと地下室のドアを閉めた。