めぐみの場合 後編
モモ……モモって。
確かこっちへ越してきたばかりの頃、夫の幼馴染たちを紹介してもらったことがあったっけ。
その中に、夫にべったりな女がモモという名だった。
自称サバサバ系とか言いながら、夫が悪さしたら何か言ってね。叱ってあげるから、なんて嫌味にしか聞こえないこと言ってたっけ。
あまりに仲良しアピールするもんだから、それ以降私の方から会うのを嫌がっちゃっていたけど。
「だけどこれどういう意味?」
週末に会うなんて。
確か週末は、他の人の代わりに夜勤になったって言っていたじゃない。
「嘘でしょう……まさか」
夜勤って、この女に会うための嘘だったってこと?
でもこの子も結婚していたはずよね。
それなのに、そんな子と浮気なんてしていたら……。
頭の中に、あの近所の人たちの声が、大きな笑い声と共に流れてくる。
『めぐみさんの旦那さん、浮気してたんだってね』
『でもほら、めぐみさんっていっつも派手で、気取ってたし』
『旦那さんに愛想つかされたんじゃない?』
『ああ、だから子どももいなかったんだぁ』
聞こえるはずもない声に、私は耳を塞いだ。
もしこんなことが、あの人たちにバレたら私が終わる。
次のターゲットは間違いなく私だわ。
冗談じゃない。
今まで私がどんな思いで耐えてきたと思うのよ。
「大嫌い……」
この町も、ここにいる人たちも全部全部。
自分の両手で体を抱え込み、私はただ小さくうずくまった。
◇ ◇ ◇
その日の週末は、春の始まりだというのに、朝から雪が降っていた。
全てを覆いつくすような、どこか重たく真っ白な雪。
片手に荷物を持ちながらブーツで歩けば、雪が音を立てる。
シーンとどこまでも静かな白銀の世界に、私の靴音だけが響き渡っていた。
私はすぐに夫たちの密会現場にたどり着く。
どこで会っているのかと思っていたが、まさかこんな近場だったなんて。
それは大型スーパーの駐車場。
一台ポツンと止められたワンボックスカーの排気口からは、白い煙が出ていた。
「はぁ」
まさか本当にこんな近所だったなんてね。
これで他の人に気づかれないなんて、どうして思えたのかしら。
私はゆっくりとその車に、身をかがめながら近づいた。
ギリギリまで近づけば、中の声が聞こえてくる。
「やっぱりおまえといる方が楽しいな」
「ふふふ。そりゃあ、そうでしょう。何年幼馴染やってると思ってるの? 都会人の奥さんなんかと全然違うでしょ」
「だなぁ。あいつといると、最近疲れるからな」
「そんなに?」
「あいつイライラしっぱなしなんだよ。隣にいるだけでこっちがストレス溜まっちまう」
「じゃあ、なんでそんな人と結婚したのよー。早く別れてスッキリしちゃえば?」
二人は仲睦まじく狭い車内で抱き合いながら、どこまでも楽しそうに会話している。
「そういうおまえだって、いつ離婚すんだよ」
「ごめーん。中々タイミング掴めなくってさ。でも、ちゃんとそろそそ切り出すから」
「浮気してるのだけは気づかれるなよ? 慰謝料とか払いたくねーし」
「わかってるってば」
馬鹿ね。
そんなの相手方の旦那さんを騙せたって、ここらへんの情報網を誤魔化すなんて無理に決まってるのに。
まったくおめでたい人たち。
でも、もうどうでもいいわ。
これで全部おしまい。
私には関係なくなるのだから。
しばらく様子を見ていると、車からは激しい動きと共にどこまでも甘い嬌声が漏れ出してきた。
そしてそれもしばらくすると、ただの寝息が聞こえてくる。
「こんなところで寝るなんて……」
大雪で風邪をひくかもしれないし。
車が雪で出られなくなるかもしれない。
それに……。
「エンジンなんてかけっぱなしにして寝たら、排気口に雪が詰まって大変なことになるかもしれないのにね」
私は大きな大きな雪の塊をつくり、排気口を埋めていく。
幾度も幾度も、完全にそれが埋まってしまうまで。
「さて。風も強いし、寒くなって来たからそろそろ行かなきゃ」
私は白い煙の止まった排気口を確認すると、ただ微笑んだ。
「みんなこの噂、楽しんでくれるかしら」
未練すらなくなった私は、そのまま白い町をあとにした。
だから想像でしかない。
次の日、近所の人たちがどんな会話を楽しんでいたかなんて。
「今朝パトカーすごかったわね」
「それがビックリよ!」
「なんでも車で人が死んでたんだってじゃ」
「何それ⁉」
「一酸化炭素中毒らしいわ。車の排気口が雪で詰まったんだって」
「まさか自殺とか?」
「ん-。どうかしら。なんかカップルかと思うんだけど、全裸で抱き合ってて、そのままみたいよ」
「やだぁ、それって車でしてたってこと⁉」
「それじゃあ心中?」
「あー。でも車内で裸なんて、絶対にワケアリよね」
「もしかして浮気とか?」
「嘘! 誰と誰⁉ 聞き出さなきゃ」
「お気の毒ね~」
どこまでも高らかに笑う声は、晴れた春の空に響き渡っていた。