めぐみの場合 前編
雪解け交じりの朝。
この地方にもようやく春が少しずつ訪れようとしている。
真冬にはあまり顔を合わすこともなかった近所の人たちが、集積所近くに集まっていた。
そう。ここではごみの日ごとに主婦たちによる井戸端会議が開かれている。
正直私はこの集まりがあまり得意ではない。
春になるのはうれしいのだけれど、この先秋までこれが続くかと思うと少しうんざりする。
いるとは思っていたけど、やっぱりね。
「あ、めぐみさーん」
「やだ、お久しぶり」
私は一瞬で気持ちを切り替え笑顔を作り、手招きする主婦たちに挨拶をする。
「おはようございます」
「聞いてよ。今ちょうど面白い話しててさ」
「どうしたんですか?」
特段聞きたくない話であっても、参加しなければいけないというのがここでの絶対的ルール。
ただでさえよそ者の私が、彼らから身を守る手段は下手に出つつ、すり寄るしかない。
田舎に越してきてここ数年、学んだことだ。
「ほら奥の夫婦いたでしょう? あそこの旦那さんがさ」
そそくさと本来の用事であるゴミ捨てをしながらも、視線と耳は主婦たちの方を向く。
「なんか浮気して追い出されたらしいのよ」
「昨日、喧嘩すごかったんよ」
「みんなは怒鳴り声聞かなかった?」
「こっちなんて畑挟んでても聞こえてきたわ。てめーとか、ふざけんなとか」
「やだぁ、修羅場じゃない、修羅場」
興奮したように話し出す三人の主婦たちは、私が近くにいるというだけでたいして会話に参加していなくても、楽し気だ。
ようは、会話に参加さえしていればいいのだ。
私がどう思おうと、どんな反応をしようと、そこにはあまり興味がないらしい。
ただテキトーに相槌打って、にこやかな聞き手にさえなっていれば。
「録音しなかったの?」
「さすがにそこまでしないわよー」
「そんなに、すごかったんですね」
「すごいなんてもんじゃないわ、めぐみさん」
「ああいうのは見ておかないと」
人様の修羅場なんて、見たいものかしら。
ホント、趣味が悪い。
「そうですね」
田舎の人って、どうしてこうも他人の話が好きなのか。
しかも悪い方の話ばかり。
まぁ、近くに娯楽もなければ、人自体も少ない。
たまの変わり映えといえば、こういった他人の話だけ。
夫の実家で同居するために引っ越してきた私だって、この主婦たち以外マトモに会話する人もいないんだけど。
「でもほら、あそこの奥さんも性格キツイから」
「ああ、言えてる。浮気されても仕方ないよね」
「そうそう。服装も体形もちょっとだらしないし。あれじゃ、女捨ててるって思われても仕方ないわ」
先ほどまで浮気した夫が悪いと言っていたのに、急にその矛先が変わる。
だから嫌なのよ。
この人たちとの会話って。
「その点、めぐみさんはいつ見ても綺麗よね」
「しっかりしてるもんね」
「ゴミ捨てだけだって、メイクもバッチリだし。やっぱり美意識高い人は違うわ」
褒めているようで、どこかけなしているような視線。
ほら、すぐにこっちにまで攻撃がやってくる。
どうせ都会の人は~って言いたいんでしょう。
うんざりする気持ちを、ただ笑顔で押し込めた。
「そうですかねー?」
「そうよぉ、あの奥さんとめぐみさん、あんまり歳も変わらないじゃないの」
「そういえば、お姑さんはうるさくないの? ほら、こっち来て三年くらいになるでしょう?」
「あー。三年目じゃ、孫孫うるさいでしょう」
「めぐみさん、あの家でよく耐えてるわー。都会育ちで学歴もあるのに」
ほんとほんとと三人は相槌を打ちながら、どこまでも高らかに笑っていた。
私は耳につくその甲高い笑い声が、本当に大嫌いだった――
◇ ◇ ◇
「もうやだ……これだから田舎って」
やっとの思いで自宅の玄関まで逃げ帰ると、すでにいい時間になってしまっていた。
不可抗力とはいえ、早く家のコトしちゃわないと。
またいつものアレが始まっちゃう。
そう思い急いで部屋の中に入ろうとすると、その声はすぐ後ろから聞こえてくる。
「めぐみさん!」
「!」
ああ、どうやら遅かったらしい。
振り返るとそこには、仁王立ちの義母がこちらを睨みつけていた。
「……お義母さん」
「めぐみさん、あなたたかがゴミ出しにどれだけ時間がかかってるの?」
「それは、ご近所の方がいらしゃっていたので、挨拶をしていたんです」
「またそんな言い訳して」
「いえ、言い訳なんかじゃなく」
「ほんと、禄でもない嫁ね」
「……」
義母だって、ご近所さんたちに私が捕まっていたことなど知っているはず。
だけどこうやって叱責してくるのだ。
ようは難癖付けたいだけ。
本当は少しも反論しなければ良い嫁なんだろうけど。
私だって人間なのよ。
言い訳くらい言っても、いいじゃない。
「家事も遅いし、すぐにサボろうとする。それにうちは本家だっていうのに、跡取りすら作りもしない」
「……」
「都会で何をしてきたのか知らないけど、ここの常識も分からないようじゃ、こっちが恥ずかしくて仕方ない!」
田舎と都会のルールがある程度は違うことは、私も分かった上で来たことだった。
だけど……。
「まったく、だから都会の女なんかと結婚するのには反対したんだよ! それをあの子が同居するっていうから認めてやったのに」
「……」
「三年で子どもを産まない女なんて、返品もいいとこだわ」
義母は吐き捨てるように言い切ると、部屋に戻って行った。
確かに、私たちに子どもはいない。
だけどそれは私だけの問題じゃなく、むしろ夫の方が協力的じゃないのに。
「もう一度、ちゃんと話さないと……」
出てくるのはため息ばかりだった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、聞いてる?」
ようやく二人きりになったベッドの上で、私は夫に声をかけた。
しかし夫は気だるそうにそっぽを向いて寝たまま、ゆすってもこちらを向くことはない。
「また、お義母さんに嫌味言われたんだけど」
「気にすんなよ、そんなことぐらい。どーせ若い奴に何か言いたいだけだろ」
言いたいだけって。
言われてる私の身にもなってよ。
「そうじゃなくって。同居する前に約束したでしょう? 何かあったらあなたが間に入ってくれるって」
「ん-。あー」
「あー、じゃなくって。どうして助けてくれないのよ」
「今は仕事が忙しくて、話す時間もないからなぁ」
仕事仕事仕事仕事。
毎日そればっかり。
忙しいのは分かっているつもり。
だから家のことは私がやるって決めた。
だけど、こんな扱いばかりされてたら辛いのに。
どうしてその少しも分かってくれないの?
「仕事のせいにばっかりしないでよ」
「仕方ないだろう。田舎での仕事は大変なんだぞ。人付き合いもそうだけど、こんなとこで無職になったら一貫の終わりだ。それこそ、再就職なんて出来やしない」
本音を言えば、田舎になんて来たくもなかった。
あんなに便利な生活を捨ててまで、どうしてここに来なければいけなかったのか。
私は夫についていくために仕事だって辞めて、全部合わせてきたのに。
「田舎ってのは周りとの繋がりが重要なんだ。職場でも地域でも、人間関係を大事にしないと、すぐにつまはじきになる。そんな目にあいたくないだろ?」
「だからって」
「母さんにはそのうち言っとくから、テキトーにやっていてくれ」
夫はそれだけ言うと、一人眠りについてしまった。
この人はいつもそう。
面倒ごとがあると、すぐに逃げてしまう。
この田舎で人間関係が重要なことなど、痛いほど分かってる。
だけどそれ以上に夫婦関係が重要だって、どうして分からないのだろう。
毎日がこんなことの繰り返しで、寄り添ってもくれなければ、子どもなんて出来るはずもない。
「都会では幸せだったのにな」
二人で誰の目を気にすることもなく、ただ自由で幸せに暮らせられたのに。
田舎に引っ越してくるのだって、この人となら大丈夫だって思ったから来たというのに。
私はどこで選択を間違ってしまったのだろう。
諦めて布団にもぐった私の耳に、バイブ音が聞こえてくる。
見れば暗がりの中で、夫のスマホが光を放っていた。
「こんな時間に、なに?」
目をこすりながら見れば、そこにはメールの本文が見える。
『週末やっと会えるね! 楽しみ♡♡ 雪降らないと――』
モモと書かれた相手からのメール。
私はそれを見たまま、動くことが出来なくなっていた。