あいの場合 後編
私はその日のうちに夫を紹介してくれた子から、夫のSNSのアカウントを教えてもらい、そこから浮気相手のSNSを見つけることが出来た。
薄暗い自宅の部屋の中。
ただ私は幸せそうな二人の画像を確認していく。
「この子、結婚式にも来てた子だわ」
若く派手で、見た目も私とは真逆のタイプ。
確か、会社の後輩だと夫から紹介された子だった。
こういう子がタイプだったんだ。
しかも浮気相手を結婚式に呼んでいたなんてね。
でもその子のSNSを辿れば辿るほど、匂わせだけでは済まないような投稿がたくさん出てくる。
日付もそう。私と出会うよりもずっと前からだ。
「そっか……そういうことだったんだ」
あの厳格で意地の悪い義母が、こんな子との結婚を許すはずがない。
だからあの人は身代わりを探していた。
どこまでも真面目そうで、口答えもしないような人間を。
それがただ私だったというだけ。
「全部カモフラージュだったってわけ。あのお義母さんに差し出す人が欲しかっただけじゃない。自分は面倒ごとを全て私に押し付けて、あの浮気相手と幸せに暮らしてたってわけね」
夫が買ってきてくれた、たくさんのお土産たちが目に映る。
これだけが寂しい部屋の中で私の支えだった。
だけどあの人は、浮気相手と共にこれを選んでいたってことね。
お義母さんを相手にしている私への、ただの安い報酬として……。
私はその中の一つを掴むと、力任せに投げつけた。
壁に当たったその置物は、私の彼への信頼と同じように、呆気なく砕け散る。
「ふざけないでよ!」
しかし私のそんな思いなど気にすることもなく、またいつもの時間にスマホは鳴り始める。
拳を握りしめ、深呼吸を一つすると私はスマホを取った。
「出るのが遅いじゃないの、あいさん」
「すみません、掃除をしていて」
「しっかりしないさいよ。今週末はあの子が帰ってくるんでしょう?」
そうだった。
長かった出張という嘘から、あの人が帰ってくる。
大方、浮気相手と二重生活でも楽しんでいるのだろう。
だけどあのSNSの写真から見ても、海外渡航禁止なんて守ってもないんでしょうね。さっき見たやつに、バッチリ海外での画像があったから。
「今度こそ、ちゃんとしなさいよ!」
「え……なにをですか?」
「子どもよ、子ども! また今度いつ海外出張になるかも分からないんだから、帰ってきたらしっかりご奉仕して、跡取りを授けてもらうのよ!」
義母の言葉に、背筋がぞわりとする。
たとえこれが浮気していなかったとしても、夫婦間のことにここまで口を出すなんて普通ではない。
ましてや、こんな状況では子どもなんて望むわけもないのに。
「聞いてるの?」
「……はい」
「いいわね、ちゃんとしなさいよ!」
またいつものように、言いたいことだけ言うと、義母からの電話は切れた。
「もう無理。何もかも……もう嫌」
どうして私ばっかり。
こんなの許せるわけがない……。
絶対に許せない。
悲しみが憎しみに代わると、どこか頭がすっきりとしていく気がした。
◇ ◇ ◇
「みんな、お世話になりました」
晴れ晴れとした最後の出勤日。
私はデスクの荷物とみんなからのお祝いの中に、そっと一つの小瓶を忍ばせる。
もちろんそれに気づく人など誰もいない。
「あい、元気でね」
「席空けておくから、いつでも戻ってきていいんだからね」
「うん。ありがとう」
そう大丈夫。あの小瓶は、ココへ戻った時に返せばいいだけ。
どうせまたすぐに戻ってくることが出来るから。
私は手を振りながら、笑顔で会社をあとにした。
そして帰宅する夫のために、最高なイベントを用意する。
義母が言うように、最高の笑顔で。
ただ彼のために。
「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
「あー疲れた。やっぱりいいな、日本は。はい、お土産」
中にたくさんの洗濯物を入れたであろう大きな荷物を持って、夫は帰宅してきた。
手にはまた、いつものようにお土産がある。
いつもならすぐに喜んで確認したあと飾るそれも、今日は気にすることもない。
気づかれないようにそっと玄関の棚の上に、私は袋ごと置いた。
「ご飯用意してあるよ、あなたの好きな和食」
「ああ悪い。ラウンジで済ませてきたんだ」
知ってる。
写真載せてたもんね。
彼と離れるのいやだー、なんて子ども染みたこと書いてあったっけ。
「じゃあお風呂入るよね。沸かしてあるよ」
「お、さんきゅー。やっぱお前はサイコーの嫁だよ」
そう言いながら脱いだ夫のスーツからは、甘い香水の匂いがした。
嫌味のように鼻につく匂い。
きっとこれもわざとなのだろう。
だってこの人は香水なんてつけないから。
「そんなの当然じゃない。ん-でも、私も海外とか行ってみたいな、あなたと」
「おいおい、俺のは仕事だぞ?」
「分かってる。言ってみただけよ」
そう言ってみただけ。
あなたがどんな反応するか、確認するために。
もしほんの少しでも私に気があるのなら、きっとどこかへ連れて行ってくれるって思ったから。
でも返って来た答えは予想通りだった。
知ってはいたけど……これでもう、迷いはない。
服を脱ぎ、そのまま風呂へと入る夫を見送る。
「バスタオル、置いておくね」
「おー。今日の入浴剤、なんかいい匂いがするな」
「知り合いが温泉の素をくれたの」
「それでか。なんかヌルっとしてて、本物の温泉みたいだ」
「でしょう? 美容効果もあるから、ちゃんとしっかり浸かってね」
風呂場からは、バシャバシャと体に水をかける音が聞こえてくる。
「観光したの?」
「少しだけな。湖見せてもらったよ」
「へー。綺麗だった?」
「ああ。泳いでる人もいたぐらいだ」
「そっかぁ。それは良かったね」
うん。ちょうど良かった。
私は洗面台の下に隠した小瓶を見る。
持ち出し厳禁。
ホント、ちょど良かった。
そう一人ほくそ笑む。
リビングに戻ると、海外のニュースが流れ出した。
アナウンサーが映像を交えながら、話し出す。
『B国の湖から人の脳を食べる殺人アメーバが見つかり、そこで泳いでいた二人の死亡が確認されたとのことです。海外旅行などの際には必ず確認をするよう心掛け、知らない湖などでの遊泳などはしないようにと注意を呼びかけているとのことです』
「ふふふ。これならどこで感染したかなんて、分かるわけないわよね」
『なおこのアメーバは温泉などの温かい水の中でより活発に活動する性質を持っており、その致死率は90%を超えるとされています――』
お風呂場から、むせ込んだような夫の声が聞こえてくる。
もうすぐ私の復讐は完成する。
誰にも気づかれることもなく。
そう思うと、どこまでも幸せな気持ちで満たされていった。




