ゆいの場合 後編
私はそのままの勢いで会社へと乗り込んだ。
本当はもう少し用意周到にしてからでも良かったのだけど、どうしてもイライラを押さえることが出来なかったから。
「妻ですが、今すぐ社長に会いたいのだけど」
私は受付に座る受付嬢に詰め寄った。
小さく可愛らしい受付嬢は、浮気相手と同系統の女でありどこか幼く見える。
「お、奥様。あの、社長より絶対に誰も取り次ぐなと命令が……」
「私にそんな命令が通じるとでも?」
まったくこの会社は父のものなのに。何を勘違いしているのかしら。それに本当にこういう子が好きなのね。
会社を私物化する人がいるって聞いたことはあったけど、まさか目の前でそんなものが見れるなんて思いもしなかったわ。
「まぁいいわ。あなたの意見なんて、関係ないから」
「で、ですが奥様」
「言っておくけど、ここはあの人の会社ではないのよ。うちの父のモノなの。私を止めたらどうなるか分かっているのかしら?」
「申し訳ございません。どうぞお通り下さい、奥様」
本当はこんな高圧的な言い方したくはなかったのだけど、あの人が社長になってから自分が天下を取ったような命令でもしているのかしら。
ここまで話が通じないとは思ってもみなかったわ。
私はため息交じりに、書類を持ったまま社長室へと向かう。
ドアの前まで来ると、中の様子など一目瞭然。
入らせないようにと命令していたのは、このためだったのね。
会社の中とは思えない嬌声が、ドアの隙間からは漏れていた。
「な、だ、誰だ! 誰も入室させるなとあれほど……」
夫はデスクの椅子の上にふんぞり返るように座っていた。
そしてその上には上半身をまくり、胸を露出した浮気相手がまたがっている。
ホント、呆れたわ。
会社でこんなことをしていたなんて。
先ほどの受付嬢の口ぶりからしても、どうせ常習犯なのでしょうね。
「ゆい‼ な、なんでここに」
「まったく。あなたにこんな趣味があるとは知らなかったわ」
私は探偵事務所から送られてきた、浮気の証拠資料を床にばらまいた。
夫は顔を真っ青にさせている。
「だ、誰が通したんだ!」
「問題はそこじゃないでしょう。あーあ、婿のくせに浮気三昧だなんて父が知ったらどんな顔するかしら」
「違う!」
「何が違うというの? 自分好みの秘書雇ってコスプレまでさせて……」
どうかしているわ、本当に。
会社をなんだと思っているのかしら。
「あなたも良くお似合いだけど、ソレは自分の意思で着ているのかしら。それとも命令されて仕方なく?」
私は夫の上から降り、服を直す秘書に問いかけた。
秘書は一度だけ夫の顔を見たあと、すぐに答える。
「奥様、ワタシはただ仕方なくさせられていただけです。ごめんなさい!」
「おい!」
「ですって」
私は思わず、鼻で笑ってしまった。
秘書は振り返ることなく夫を捨て、そのまま部屋を飛び出していった。
あの格好のまま逃げ出した秘書を、きっと多くの社員たちは目撃するわね。
そしてこの人が何をしたかなんて、わざわざ言わなくとも会社全体に広がるはず。
手っ取り早い制裁ではあるけど、こんなものではダメなのよ。
私が望んだものじゃないもの。
私はスマホを取り出すと、電話をかける。
その様子に怯えるように、夫が声を上げた。
「ええ、今社長室にいるの。お願いね」
「おい、どこに電話してるんだ。誰と話してる⁉」
「ホント、バカみたいよね。私だけが何もかも我慢していたなんて。大好きなあなたのためだからずっと頑張ってきたのに」
言葉が終わらぬうちに、バタバタと男たちがこの部屋に流れ込んでくる。
そう、先ほどの電話で私が呼び寄せた人たち。
うちの屈強なガードマンたちだ。
「おい、なんだお前たちは!」
状況がまったく分かっていない夫は、彼らに両脇をがっしりと掴まれながらも無駄に抵抗を試みていた。
逃げられるわけもないのに、ホント馬鹿な人。
「私はもう自分に正直に生きることにしたのよ」
そう夫に微笑みかけると夫は言葉を失くし、ただ私をじっと見ていた。
◇ ◇ ◇
「ん……? なんだ、これは!」
夫は張り付けられるように寝かされたテーブルの上で、ようやく意識を取り戻した。
私はつかの間の幸せな時間から、現実に引き戻される。
「あら、やっと目が覚めたのね」
フリフリとしたスカートの裾をそっと払いながら立ち上がり、夫に近づく。
「ゆい!」
「父に頼んであなたをココへ運んでもらったの」
「ここは……」
「私の趣味のおうちよ。昔、父に買ってもらったものなの」
外観も中身もすべて私好みのおうち。
どこからどう見ても、華やかなドールハウスだ。
この部屋の中にはたくさんの趣味を詰め込んだ。
レースをふんだんに使ったカーテン。色とりどりの小さなドールハウス。
もちろん可愛いたくさんのドールたちもだ。
私は夫が眠っている間遊んでいたドールを、一つ持ち上げた。
「素敵なおうちでしょう? 自慢の別荘なの」
「俺にこんなことをしてもいいと思っているのか? さっさとこれを外せ! お前の気色悪い趣味に付き合わせるな」
「あら、あなたまだ勘違いしているのね。まだ自分の方が上だと思っているのかしら」
気が強いというか、なんというか。
現実が分かっていなさすぎるわ。
「あなたはこの人形と同じなのよ?」
「は?」
夫は自分にそっくりなドールを口を開けて見ている。
「あなたはこの人形と同じ、私に買われた夫役の人形なのよ」
そう。この人は私がおねだりして父に買ってもらったモノ。
「あなたを父の会社の会報で見つけた時、びっくりしたわ。なにせ私の大好きなドールと同じ顔をしていたから。だから父におねだりしたの。あなたが欲しいって」
父は最初、ただの平社員でしかない夫に難色を示した。
いつもなら私が欲しいと言ったものは、なんでもすぐに買ってくれたというのに。
だから父が出した条件をいくつも飲んで、やっと手に入れたのだ。
「本当に高い買い物だったのに。あなた全然違うんだもん」
「違うって」
「この子はね、いつでも私の味方になってくれるの。ご飯だって美味しいって言ってくれるし、何をしても褒めてくれるのよ」
だけど夫はこのドールとは真逆だ。
会話もしてくれなければ、褒めてもくれない。
その上、私の趣味を全て禁止した上で、私ではない女を愛した。
「買って損しちゃった。だから父に頼んだの。あなたを浮気しない、この子のようなお人形にして下さいって」
私は夫の顔の前に、そのドールを近づけた。
やっぱり顔だけは同じなのよね。
「どういう意味だ!」
「ん-。ちゃんと麻酔はしてくれるっていうから安心して?」
「待て! 麻酔ってどういう意味だよ」
「だってお人形にするには、中身を全部出してしまわないと困るでしょう?」
私のかわいいお人形さん。
うん。やっはり、名案ね。
ウキウキした気持ちを押さえつつ、私は部屋から出て行く。
しかし夫は必死の形相でそれを阻止しようと躍起になっていた。
「それに父にお話したら、あなたの中身には、活用方法がたくさんあるから大丈夫だって。困っている人の元へ届け得てくれるそうよ」
「お、おい、嘘だろ」
「だから大丈夫! あなたがお人形になったら、ちゃんと一生愛してあげるわ」
「いやだぁぁぁぁぁ、嘘だ嘘だ、嘘だ! ゆい、ゆい、ゆいぃぃいぃぃぃ」
どこまでも無様に泣き叫ぶ夫を残し、私は部屋を出た。
◇ ◇ ◇
あたたかな陽が、カーテンの隙間から差し込む。
テーブルには紅茶が香りよい湯気を立てていた。
「おまたせ。今日はいい天気ね。あなたが好きな紅茶のクッキーとアップルパイを焼いたのよ?」
私は目の前の夫にそれを差し出す。
物言わぬ夫。
だけど私には夫の声が聞こえた。
「え、美味しい? ふふふ、嬉しいわ。お人形になったあなたは、私のことを何でも褒めてくれるのね」
対面の椅子に腰かけた夫は、ただ私を見て微笑んでいた。
「やっと夢が叶って、私、今すごく幸せよ」
どこまでも幸せな時間が過ぎていく。
彼となら一生、幸せに暮らしていける。
心からそう思えた。