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1-53 ヨシノとカネヒラの過去

 薄暗いランプの灯りがムードを演出する湖の近くにあるおしゃれなカフェ。窓から見える木々の景色もなかなかだ。あとは猪神湖が綺麗ならなおよかったんだけど。


 空もだんだん曇り今にも雨が降りそうだ。もしかしたら食べている途中で一雨来るかもしれないね。


「もひゃもひゃ」


 向かいに座っていたミヤタはテーブル一杯に広げられたティラミスやトーストを吸い込むような速度で食べていたので、店員さんやほかのお客さんは何事かと興味を示していた。だけど当の本人はなんだか不満がありそうな顔であまり美味しそうに食べてはいなかった。


「味はどうかな」

「おいしいけど」


 僕はコーヒーだけを頼み汚れた湖を眺める。見ていて楽しくなるものでもないけれど今の僕の気分には最高にマッチしていた。


「ねえ、ヨシノくんはさっきの人とケンカしてるの?」

「まあ、ね」


 ミヤタの問いかけに僕は否定せずにそう答えた。


「どうしてなの? なかなおりしないの?」

「したくても多分無理じゃないかな」

「それはかなしいの」


 ミヤタは食事の手を止め寂しそうな顔になったあと、ロールケーキをフォークで切って刺し僕の口のほうに突きつけた。


「これあげるの!」

「ふふ、ありがとう」


 僕は言われた通りにロールケーキを一口食べた。雲のようにふんわりとしたスポンジととろけるくらいに甘くてなめらかなクリームに癒される。なんて優しい味だろう。


「ミヤタになら話してもいいか」

「うん」


 どうせ彼女とは今日でお別れになる。立つ鳥跡を濁さずとは言うけれど、僕はこの澱んだ思いを吐き出さずにはいられなかった。


「僕の父さんはもう病気で死んでるんだけどさ。芳野ヨシノ敏弘トシヒロって言うんだ。名前くらいは聞いた事あるよね」

「うーん、どこかで聞いたことがあるような、ないような……」


 どうにか思い出そうとする彼女に僕は告げる。


四葉よつのは原発の所長だよ」

「へー、そうだったの」


 結構な衝撃発言だったけどミヤタは特にどうとも思わなかったらしい。


 僕の父さんが務めていた会社はあの惨劇を引き起こし、その結果多くの人が故郷を奪われたのだ。もしかしたらミヤタはこの事実だけで僕を嫌いになるかもしれないと心配していたけれどそれが杞憂に終わり僕は一安心する。


「父さんは単身赴任だったけど僕らはちょいちょい福島に遊びに行っていてね。カネヒラとはその時に友達になったんだ。昔はそこそこ仲が良かったんだよ、虫捕りとか魚釣りをして」


 僕は頑張って昔の事をイメージしようと頑張る。でもどれだけ想像力を膨らませても楽しかった日々をもうはっきりと思い出す事が出来なかった。


「で、震災とその直後の事は言わなくてもわかるから省くけど……カネヒラは家が酪農家でね。放射性物質とかは何も問題はなかったんだけど風評被害で生活が出来なくなってさ。お父さんが自殺しちゃったんだ。心労でお母さんも後を追うように亡くなったよ」


 ……………。


 ………。


 …。


 あの日の事は今でもまざまざと思い出せる。僕の父さんがガンだって事がわかり、家庭がドタバタしている時にその一報は入ったんだ。


 冷たい雨が降っていたあの日僕は傘もささず急いで親友の下に向かっていた。どんな言葉をかければいいのか見当もつかなかったけれど身体が勝手に動いてしまったんだ。


 火葬が終わり、学ランを着ていたカネヒラはただ一人お墓の前で拳を握り締めていた。その後ろ姿があまりにも辛そうで僕はその場に立ち尽くしてしまった。


『……カネヒラ』


 やっとの思いでその名前を呼ぶ。僕にはそれだけしか出来なかった。


 しばらくして彼は亡霊のようにゆっくりと振り向くと、水たまりを踏みつけながら僕に近付き胸ぐらをつかみ拳を振り上げる。


 殴られる。そう直感したけれど僕は特に何もしなかった。


 何故なら僕もそれを望んでいたから。彼の苦しみを、行き場のない怒りを受け止める事が出来るのなら親友として本望だったのに。


 だけどカネヒラは殴らず拳をおろす。


 そして彼は重々しく口を開いてこう告げた。


『……帰ってくれ、ヨシノ。今の俺はお前に何をするのかわからねぇ。ダチでいさせてくれ』

『……わかったよ』


 僕は黙ってうなずいてその場から立ち去った。土砂降りの雨でずぶぬれになった親友をその場に残して。


 だけどもしあの時殴ってくれたなら僕らは親友でいられただろう。僕も今の苦しみから解放されたのに。


 本当にどうして殴ってくれなかったのかな。そのほうがどれだけありがたかったか……君のせいでもうケンカも出来なくなったじゃないか。


 ……………。


 ………。


 …。


「……………」


 ヘビーな話だったけどミヤタは黙って聞いてくれた。こんな事子供に話すなんて僕もどうかしてるね。


「ま、そういうわけだからケンカとかそういう次元じゃないんだよね、これは。僕は父さんが一生懸命福島を守ろうとしたってわかってはいるけどカネヒラからすればね……むにぃ」


 僕が言いよどんだタイミングを見計らいミヤタは僕の両頬を引っ張って強引に笑わせた。そして何を思ったのかワッフルをずい、と僕の前に突き出す。


「これ食べて元気出すの! やけ食いなの!」

「ミヤタ」


 えへへ、と優しく笑うミヤタの顔を見て、僕の心の中でうごめいていた何かが弾けて消える。


 鳥肌の立つほどの優しさだった。


 僕はそこに天使を見たんだ。全ての闇を慈愛で照らし生まれた影すらも包み込む光を放つ天使が。


「いつか、なかなおり出来るといいね」

「……ありがとう」


 僕は愛情のこもったワッフルを食べる。それはほんのりと塩味がしたけれど僕の飢えた心を満たしてくれたんだ。


 カリっとした焦げ目。生地と相性抜群のクリーム。雪のような粉砂糖がかかった初恋のように甘酸っぱいフルーツ。食べていると自然と涙が出そうになってしまう。


 本当にまた福島に来れて良かった。


 もう何も思い残す事はない。公園で出会った赤の他人である彼女との不思議な出会いは確かに僕の人生をほんの少しだけ変えてくれたんだ。


 本音を言えばもっとミヤタと一緒にいたかった。けれどそれは単なるエゴだろう。彼女には彼女の人生がある。


 これがミヤタとの最後の食事だ。しっかりと味わって食べるとしよう。この優しい味を忘れないためにも。



 食事を終えた僕らは店を出るけど、やっぱりというか雨が結構降っていた。


「雨ふってるの」

「ありゃ。一応折り畳み傘はあるから相合傘をしようか」

「うん!」


 僕は紺色の折り畳み傘をさして歩き続ける。左肩が濡れてちょっと冷たかったけれどひし、と引っ付くミヤタの温もりが心地よかった。


「雨、やまないねー」

「そうだね」


 まるでカネヒラと仲違いをしたあの日みたいだ。意味もなく不安になって絶望感を抱いてしまう。まったく人が死にそうなほど陰鬱な空だ。


 でも今は……隣に彼女がいる。それは灯火の様に小さな光だったけれど、僕にとっては希望そのものだったんだ。

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