1-46 護られた野馬追の伝統
マタンゴさんが最初に連れて行ってくれた場所は市街地から少し離れたところにある牧場だった。これといった特徴もないのどかな牧場である。僕らが降りたのを確認すると彼も牛の背中から降り、とてとてと厩舎に向かった。
「あそびにきたよー」
「ああ、マタンゴさん、こんにちは。適当に積んである缶詰を持っていくといいよ」
「わーい」
マタンゴさんは馬の世話をしている若い男性と親しげに話したあと、とてて、と走り去ってどこかに消えてしまった。よく見ると男性の眼は白く濁っており彼もゾンビであるようだ。
取りあえず僕らも厩舎に近づいてみる。牧場って感じがするなかなか強烈な臭いがしたけれど、ミヤタは躊躇わず駆け出した。
「お馬さんがいっぱいなの!」
「ブルル」
ミヤタの声に呼応するかのように馬は元気よく鳴く。お客さんが来て嬉しいのかな。
「ん? 君たちは?」
「おすすめの場所だって何か連れてこられました」
「成程ね、新しくやってきた人たちか」
男性はミヤタの瞳を見て大体の事情を察し、それ以上特に詮索する事はなく動物の世話を続けた。
「見てのとおりここでは馬の世話をしているよ。別の所には牛とかブタもいるけどさ」
「牛? 市街地のアレとかも?」
「ゾンビ牛の事かい? あれは別さ。ほら、動物に草を食べさせて除染させる方法があるだろう。上手くいくかどうかわからないけど取りあえず試しているんだ」
「へー、危なくはないんですか」
「こっちから何かをしない限り襲ってこないよ。ただまあうっかり怒らせたりしたら手が付けられないくらい大暴れするけどね」
その経験があるのか牧場の男性は苦笑してしまう。僕はまだ実際に見ていないから何とも言えないけど何故か潜在意識でそのトラウマを覚えていたのだ。
「あー、わかります。不意打ちからのマタンゴさんの混乱バステからうしさんに攻撃して全体攻撃で何度も全滅させられましたから」
「なんの話だい?」
「とあるなろう小説作家が趣味で作ったゲームの話です。気にしないでください」
「はあ」
ともあれこれで疑問点は解消された。僕は気を取り直し穏やかな表情の馬を改めて眺める。なかなか立派な体躯をしており一目で普通の馬ではない事がわかった。
「もしかしてこの馬って野馬追の」
「ああ。立派だろう。こいつもそうだけど大半の馬は元々競走馬だった馬ばかりさ」
「ブルル」
「おー」
ミヤタは一応話を聞いていたけれど、とある一匹の馬に夢中だった。立派なたてがみの馬もまた可愛いお客さんに興味を示しているように見える。
「にんじんを食べさせてみるかい?」
「うん!」
ミヤタは嬉しそうな牧場の男性からにんじんを受け取り馬に与えた。馬はご機嫌な様子でにんじんをもしゃもしゃと食べあっという間に平らげてしまう。
「ここにいるのは帰宅困難区域にいた馬でね」
「帰宅困難区域って……確か家畜の移動は駄目なんじゃ」
「ああ、原則駄目だよ。だけど野馬追の伝統を途絶えさせないために多くの人が頑張って特例で移動させたんだ。その甲斐あって規模は縮小したけど去年もどうにか開催出来たんだよ」
「そうなんですか」
牧場の男性は当時の事を思い出し切なそうな目になった。それを実現させるためにどれほどの苦労をしたというのだろうか。僕には到底わかるはずもなかった。
「んで、俺はここでのんびり動物の世話をしているわけだ。そろそろ食べごろのブタがいるから歓迎も兼ねて食わせてやるよ」
「え、本当なの!」
「あ、いや、まだここに定住すると決まったわけじゃないので」
「たべないの? ぶーぶー」
僕は遠慮だけでなくブタさんのためにそう言った。一瞬喜んだミヤタはあからさまに文句を言いたそうな顔になったけれど。
「ありゃそう。けどここはいいところだぞー。食いもんは美味いし平和だしさ。死んでからも楽しめる場所だぞ」
「はは」
ちょっとブラックなジョークだけど、笑っていいのか迷ったらとりあえず笑っておこう。
「けど本当に地元の事が好きなんですね。死んでからもここにいるなんて」
「いや、俺は生きてた頃はそうでもなかったなあ。死んでから郷土愛が強くなったパターンだ」
「あ、そうなんですか。そんなパターンは前例がゾンビ以外にないですけど」
「はは。ああ、ついでに言えば除染作業や廃炉作業をしている人間の中にはゾンビも結構いるぞ。ゾンビには放射能は関係ないからな」
「え、あ、そうなんですか」
僕はその言葉を聞き思わずドキリとしてしまう。それは僕にとって結構デリケートな話だったから。
「俺はそうする事を選ばず普通に外側で生きているけど……今思えば昔の南合馬をもっと知っておくべきだったな。他に生きるべき人間がいただろうに、自堕落な俺がゾンビになって生き返ったのはこの町を守れっていう意味なんだろうなあ」
「……………」
彼はゾンビになった事を前向きに受け止めていた。それは決して好ましい事だけではないはずなのに。
「マタンゴさんが僕らをここに案内してくれた理由がわかりましたよ。いい話を聞かせてもらいました」
「そりゃどうも。面白い話でもなかっただろうけど」
「なでなでー」
「ブル」
僕は無意識に体が動き牧場の男性にお辞儀をしてしまった。ミヤタはお構いなしに馬と戯れるのに夢中だったけどさ。




