1-23 VS変異ヤマワロ
そして、そいつは低い唸り声とともに現れた。
「ウウウウウ」
「へ……」
のそのそとうごめく黒い巨大な塊が何なのか馬鹿でもわかる。クマだ。どこからどう見てもクマだ。くまで、クマで、熊で、ベアーである。何でこんなところにクマがいるんだ。そして僕はどうして大先輩のタイトルっぽいリアクションをしたのだ。
ああそっか、トラックの荷台から現れたから今ドアを吹っ飛ばしたのはこいつなんだな。多分動物園かどこかに運搬する予定だったのだろう。
何故、の理由はこんなところか。だけどそんな事よりももっと重要な事がある。それはこの場に猛獣であるクマがいるという事実そのものだ。その事実に呆気にとられていた人々もようやく気付いたらしい。
「グオオオオ!」
「ヒィ!?」
クマが空目掛けて咆哮し人々は一目散に逃げる。二次災害のリスクはあると思っていたけれどまさかこんな全く予想していない展開になるとは。
「ガウウ!」
「あ、ああ……」
クマは逃げ遅れた女性の看護師を目指し突進をする。日本の自然界で最強の動物に生身の人間が敵うはずなんてないだろう。彼女に出来る事は少しでも死の恐怖を和らげるため目を閉じる事だけだった。
そしてやはりというか一人の少女が自らの命を顧みず、クマ目掛けて駆け出してしまったのだ。
「たーッ!」
「グオゥ!?」
弾丸と化したミヤタはクマの顔面に見事なドロップキックを浴びせ、完璧なフォームで繰り出されたその蹴りをもろに食らったクマの顔は歪んでしまい少しの間昏倒してしまう。我に返った女性はその隙に慌てて逃げ出しどうにかピンチは去ったようだ。
「上手だね。まるで鈴〇みのるみたいだ」
「ドロップキックはプロレスラーのりきりょーがわかるシンプルかつおくが深い技なの!」
「ぷひ!」
何故かぶたにくもドヤ顔をしているけれどコミカルな空気はここまでだ。意識を取り戻したクマはかなりブチギレており、歯茎をむき出しにして威嚇していらっしゃった。
だけど改めて見るとどうにも様子がおかしい。そのクマは身体の至る所が腐敗しており一部は骨や筋組織が露出している……まるでゾンビのように。
「ヨシノくん。このクマさんふつうじゃないの。多分この子もゾンビなの!」
「あー、そうなのね」
僕はミヤタの説明を無条件で受け入れる。ゾンビかどうかはともかく確実に危険なのは間違いない。
そのクマゾンビはとある世界では変異ヤマワロと呼ばれ、その尋常ならざるタフさとパワーで終末に生きる者たちを苦しめたそうだが、その時の僕らはそんな事を知る由もなかった。
「ミヤタ! 来るよ!」
「わかってるの!」
「ぷひー!?」
クマゾンビはミヤタに仕返しをしようと突進し、走りながら右腕で引っ掻き攻撃を繰り出した。だけど彼女はその腕を掴み、
「とりゃー!」
「グオ!?」
そのままグルンと回転させレインメーカーの態勢になり、その首に見事なラリアット食らわせたのだ。
「ふにー!」
「グォ!」
さらにミヤタは駄目押しにと仰向けになったクマの股の間に顔を入れ、豪快に肩に乗せて担ぎ上げる。
ゆらり。崖から巨岩が落下する様に、最初はゆっくりと、そして怪力と重力により瞬時に加速。この技はもしかして!
「ひっさつ、おにごろしー!」
「フゴォォ!?」
担がれたクマは勢いよく背中から地面に叩きつけられ立つ事もままならなくなる。最強の悪役レスラー、YTRの必殺技の鬼殺しだ。その衝撃はすさまじく、アスファルトが破壊されているからかなりのダメージを与える事に成功しただろう。
「クマを一本背負いとかスコップとか地獄突きで倒したって話はたまに聞くけど、プロレス技っていうのは珍しいね」
「プロレスは神様だってたおせるさいきょーのかくとうぎなんだよ!」
「ぷひ!」
技が見事に決まりミヤタと相棒はえっへん、と満足げな笑顔をした。
けれど厳密には僕が今言った事は違う。それらの方法はいずれも怯ませて逃げていったというオチがほとんどで別に倒したわけではないのだ。たった今のレインメーカーや鬼殺しもクマゾンビにとっては致命傷にはならないだろう。
無論戦意は一切喪失しておらず、うずくまっているクマゾンビはむしろより一層怒りが増大したようにも見える。
「さて、ミヤタ。この状況では逃げるのが無難だけどここは市街地のど真ん中。まず動けない負傷者が餌食になり、腹を満たしたところで奴はさらに獲物を求めて周辺住民を襲うだろう。この街の住民としてはこいつはこの場で倒しておきたいね」
「……ころしちゃう、って事?」
「そうだね」
ミヤタは少しだけ躊躇っているようにも見えた。動物を殺すのって結構勇気がいるからね。それがたとえ危険な猛獣だとしても。
「ならわたし、がんばるの! でもころしちゃうのはなしなの!」
「ぷひ!」
僕の提案にミヤタはそんな頼もしい事を言ってくれる。だけど元気だけでクマを倒すのは無理だろう。
……やれやれ、仕方ないか。これはあまり使いたくなかったんだけど。
「そうだね。ミヤタ、僕が時間を稼ぐから君はそのへんで武器になりそうなものを調達して欲しい。事故車両でも道路標識でもいいからさ」
僕はそう言いながら懐から重厚感のある黒光りする物体を取り出した。この平和の国日本において、日常生活ではまずお目にかかれない危険すぎる代物を。
「うん、わかったの!」
「ぷい!」
ミヤタたちはその異様な物体になんら疑問を抱く事なく、一旦後退し武器を探しに向かった。
さて、お喋りし過ぎた。クマゾンビは体勢を立て直し再度咆哮をあげる。それを見た僕は特に何の感情も抱かず、冷静に安全装置を外ししっかりと得物を両手で握りしめた。
人間が携行出来る最強の武器、そしてニューナンブを除けば普通の高校生は実際に見る事すらまずない回転式の拳銃を。
怒り狂うクマゾンビは叫び僕目掛けて走り出す。一撃でも食らえば死ぬだろうけど適切に行動すれば無傷で撃破可能だ。何をすべきか瞬時に思考した僕は処理すべき敵性生命体に対して狙いを定め引き金を引いた。
ズドンッ!
空気を振動させる火薬の衝撃をしっかりと受け止めると、高速の弾丸が回転しながら放たれる。
「グオオオオッ!」
まずはその眉間に一発。
ズドンッ!
「オオオオ!?」
のけぞって体を持ち上げたところで心臓に一発。
ズドン、ズドンッ!
念のため両サイドの前足の指も狙う。これで四足歩行は難しくなりスピードが大幅に低下するだろう。
そして――お待ちかねのヒーローが現れた。澄み切った青い空を背にして縦に細長い影とともに。
「そぉー、れえっ!」
跳躍したミヤタはコンクリート製の超特大のこん棒、電柱をクマゾンビの頭部に振り下ろした。それは真夏のスイカ割りでクリーンヒットをしたように爽快感溢れるものであり、敵の頭部が半分ほど潰れたのを見て僕は勝利を確信したのだ。
「ガッ、ウッ!?」
クマは踏み潰されたカエルのようになり、円形に衝撃波が広がる。
その後、バック宙をしたミヤタが地面に着地し、手放された電柱が鈍い音を立ててアスファルトを破壊したところで静寂が訪れた。
「ウガア……」
僕はクマゾンビのうめき声を聞いて視線をおろす。驚いた事にクマゾンビはまだ生きていたのだ。でももう戦えるほどの体力は残されていないし問題ないだろう。
うん、これで良し。ミッションコンプリートだね。
「だいしょーり、なの!」
「ぷひ!」
ミヤタはぶたにくを掴み上げルンタッタとボス撃破後のピンクの悪魔を彷彿とさせる愛らしい小躍りをする。僕は彼女に近付いたけど、ふと先ほどの顔色の悪い女性に視線を向けた。
「……………」
うん、そりゃ日本で銃をぶっ放したらこうなるよね。滅茶苦茶警戒してる目つきだ。ぶっちゃけクマ出没よりも遥かに大事な事をやらかしちゃったからね。というかクマが出ても負傷者を見捨てずに逃げなかったとか実はすごくいい人なのかな。
「さてミヤタ。とりあえず逃げようか」
「ふに? なんで?」
「ぷひ?」
「後で説明するからさ」
拳銃をしまった僕は不思議な顔をするミヤタを右脇に、購入した荷物を左手に、頭にブタを乗せて逃走する。なんていうか随分とヘンテコな姿だなあと僕はそんなどうでもいい事を思っていた。