ミュラーは思索する
遅くなりました。
クラレント男爵家の家令であるミュラーは、方々から寄せられた、とある報告を眺め、その困惑をより深いものにしていた。
「やはり、レイナ嬢を知る者はいないか・・・」
レイナ・フルンディング・・・フルンディング辺境伯の6人兄弟の末娘。幼少の頃から病弱で、デビュタントもしておらず、社交界で見かけた者は誰もいない、ここまではかつての王子として把握していた所領の貴族がそれぞれ抱える内情の一端だった。
しかし、その後の報告からは、彼女がどのような人生を歩んでいるか、伺い知ることは出来なかった。
「よもや生きているとはな」
デビュタントも出来ないほど病弱な令嬢の最後は、夭折というのが大体の結末だ。
齢はジュードと同じ20歳、年齢も問題ない。
爵位も、男爵であるジュードの婚約者としては、相手の方が家格が高過ぎて釣り合いは取れていないが、上位の貴族が店子として下位の貴族を取り込む時に用いる手段として、あり得ないわけではなく、末子というのも非常に都合は良い。
すなわち2人が婚約を行うことに何も問題はない、いや問題がないことが、逆に問題なのかもしれない。
これまでのように、年齢や、特殊な事情を理由に断わることは困難だろう。
病弱であるというのは、あくまで非公式な情報だ。風の噂、これを理由に断ることは出来ない。
これを攻撃と捉えれば、既に詰んでいる、ミュラーはそう結論付け、避けようの無い攻撃から如何にして与えられる損害を軽減させるかに思考を切り替えた。
問題は次だ。
誰が、「どうして」だ。
頭に浮かんだのは、あの赤髪の大男の姿だ。
レイナの父親、イヴァン・ヴァレント・フルディング。
ミュラーはもうひとつの用紙の束を取った。
そこには、赤く燃えるような髪と髭面の男性の肖像画であった。
よく描けているではないか、かつて一度だけ彼から謁見の申し出を受けたことを思い出した。
彼の印象は、牧畜が盛んな領らしく、領主というより牧場主のような印象を受けた。朴訥さがありつつも、時折のぞく鋭い眼光や、戦士としての全盛を超えてなお、衰えを見せず鍛えられた体躯を保つ、古兵であった。そして、獅子の立て髪のような鮮烈な赤髪が「赤雷」の渾名をより際立たさせていた。
「南方の英雄」「赤龍」彼を讃える二つ名は数あれど、唯一畏怖も持って語られる名一つが「文明の破壊者」
トルラキィア。実りの少ない貧弱な大地、過酷な環境、地政学的な利点の少ないギルヌベリアの隣国で、その主たる産業を交易に比重があり、王族も元を辿れば、財を築いた交易商と言われ、海を隔てた向こう側から多大な支援を受けた好戦的な国であった。
彼は、その小国の全て、文化も歴史も、そして街の一つ一つをわざわざ移転をさせるほどの熱意を持って、徹底的に破壊をした。
残されたのは、唯一人だけであったが、孫へ老婆が歌って聞かせた童歌を聞き、老婆と幼い孫を切り殺すほどであった。
今ではトルラキィアに由来のあるものは徹底して忌避され、童歌の一つも残されていない。
何が、彼をそこまで突き動かしていたのか、それは未だに誰もわからない。
ただ、フルンディング辺境伯家の人間は、家族の愛を優先することで知られていた。
そして、貴族の権謀術数を駆使する手合いではなく、正面から打ち砕いて行くような豪放な性格の持ち主だ。
その彼がこのような手を使うはずがない、すなわち他にこれを仕組んだ人間がいる、ということだ。
辺境伯を唆すことが出来るという時点で、それはかなり絞り込まれる。
ミュラーにも思い当たる節がないわけでもないが、それはあまり信じたくない相手でもあった。
「さて、南方の辺境伯領からは既に出立しているだろう・・・」
到着は、秋の終わり、冬の始まりの頃になるだろう。
◇◇◇◇
旅程は、かなり押したようだ。予定よりもかなり遅れ、オルフク山脈は雪を被り、時折雪がチラつくことも珍しく無くなった頃に彼女は到着した。
先触れが数日前に訪れ、慌ただしくも準備を進めながら、細心の注意を払って、この場を設けた。
クラレント家の使用人、また当主のジュードが待つ中で、フルンディング辺境伯家の家紋が押された豪奢な馬車が重々しく門をくぐり抜ける。4台も。
これまでは、令嬢本人とお付きのメイドは3名程度だったが、辺境伯程家格が違えば、まるで輿入れをするような大仰さがある、無論それだけではないかもしれないが。
馬車が停止し、恭しく御者が馬車の扉を開けると、1人の女性が姿を現した。
なんというべきか、千の言葉を用いても、この異様さを伝えられる気がしない。
だが、パッと天啓のように降りて来た最初の言葉は、「ミイラ」であった。
窪んだ眼窩、痩けた頬、仕立ての良いドレスから覗く、すらりとした手足は枯れ木のように細く、一方で、父親譲りの赤髪だけは、秋の紅葉を思わせる艶やかな輝きを異様に放っていた。
他の馬車から降りてきた侍従の手を借り、危なげな足取りで階段を下る。地に足を付けば、苦しそうに背を伸ばすと、まるで折れそうな背を無理やり曲げて、淑女の礼を取った。
そんな姿を見た、彼女の後ろに控えていた初老のメイドは、すがるように彼女の元へ向おうとするが・・・。
「下がりなさい!!」
それを気配で察知したのか、そうなるのが常であるのか、彼女は悲鳴のような金切り声でそれを制した。
手を伸ばそうとしたメイドはびくりと震え、その衝撃と動揺はさざなみのように広がる。
「下がりなさい。あなたの手を借りずとも、ちゃんと歩けます・・・」
その貴族然とした姿が彼女があのフルディング辺境伯家の令嬢、レイナ・フルディングである事を表していた。
しかし、ちゃんと歩ける、そう言いながら彼女はふらふらと覚束ない足取りで進み出す、控える侍従たちがまるで歩き出した赤子を見守るようにハラハラとした表情をするが、先ほどの命があったせいか、どう動くべきかを判断しかねているようにも思えた。
こちらも勝手に手を貸すことなど出来ない。両家の使用人が向かい合う中で、未だかつてないほどの緊張感を持った出迎えの場となっていた。
当然、エントランス前の広場は、歩行に支障のあるものは一切を取り払っていた、つまづく可能性のない小石、足を掛けるかもしれない枯れ草、そういったものは排除し切っていたが、それでも彼女の危うい足取りには、そういった準備では足りないことを如実に表していた。
まさか、歩くのも困難な程とは、ミュラーは自らの想定が甘かったことを悔やんだ。
「・・・あっ」
小さな呟きが沈黙を破る、フルンディングの使用人たちが悲鳴を上げる「姫様!」「おひい様!」しかし、もう間に合わない、彼女は広場の真ん中、なんでもない平坦な場所で足を突っ返したのだ。
恐らく受け身は取れないだろう、そうなれば全身を強かに打ち付けるだろうが、彼女の今にも折れそうな身体には、それは致命傷だ。
ミュラーは唐突に、この攻撃を仕掛けた者の意図を感じ取った。
なるほど、ここで彼女が死ねば、辺境伯は黙っていない、クラレント領を取り潰そうと大軍を嗾けてくるだろう。それに辺境伯であるなら幾ら女王陛下でも止めることは出来ない。
そして、その目論見は今まさに目の前で達成しようとしていた。
あまり予告は当てにならないとわかったので、頑張ります。
できれば、二週間後には、続きをお送りしたい。




