悪魔と聖女の異例の儀式
この会場にはいくつかの扉があり、身分によって通れる扉が決まっている。
王族が使う専用の扉は中央に位置しており、一際大きく荘厳な装飾を施された両開きの扉である。
会場内から見て右側の扉は王族専用の扉よりは些か小さめだが、それにしても大きいのには変わりない。これは公爵家の者のみが通れる扉である。
それから扉は右に向かうに連れ徐々に小さくなっていく。
それは分かりやすく侯爵家、辺境伯家、伯爵家、子爵家、男爵家、騎士爵家と自身の家の格によって分けられた専用の扉である。
扉から左も同じく徐々に小さな扉となっているが、こちらは出口専用らしい。
こういった目に見える格差は細々としたものから、大仰なものまで随所に現れている。
それこそが貴族社会での社交である。
初めはルーナも無駄に扉をいくつも作ってまで権威を象徴する必要ある? と半ば呆れてもいたが、実際に会場内でのパーティーに参加しているうちに、その扉には一定の合理性があると考え直した。
大国でありながらも非常に豊かな国であり、歴史もあるティグレル王国には貴族が多い。
全ての貴族の顔と身分を覚えるというのは土台無理な話である。
だからこそ本来は重要な相手や、話題の人物の顔と名前さえ、ある程度覚えておけば困る事はない。
しかし今回のように異例の数とも言える程の貴族が集まった場合は、商人が新たな販路開拓するかのように、貴族もまた自身にとって利のある人物を見つけ出し、新たな人脈を築き上げようと考える。
しかし正直なところ、初対面の相手である身分の見分け方は服装の品質から探ってみたりと、あまりにも曖昧な部分が多い。
話を持ちかけた相手が自身よりも身分が上であったという場合は最悪であるし、自身より身分が下であった者に謙った態度を取ってしまうのも失態とされてしまう。
そのため貴族は〝まったく知らぬ者と話はしない〟という前提が存在する。
だからこそ新参の貴族であったり、滅多に王都へと訪れない貴族であったり、そういった者達は懇意にしている貴族や、自身の寄り親を頼り、他の貴族達に『自分の事を紹介してもらう』。
もちろんその紹介はただの紹介ではなく、仲介者側も自身が保証人としての役割を果たしているため、下手な相手を高位の貴族に紹介することも出来ない。
だからこそ、それが『恩義』と『貸し』の関係にまで発展する。
しかしここにある扉のどれを通ってきたかで、見知らぬ貴族であってもすぐに相手の爵位を察する事が出来る。
だからこそ新米貴族であるルーナにとってこれは大変有り難かった。
第六王子であるハーロルトを認識できなかった失態から学んだルーナは、今では法術を使って常に会場内すべてを把握できるようにしている。
ルーナが戻ってきて少したった頃、中央の扉がゆっくりと開かれた。
皆が一斉に話を中断し、王族を迎え入れる態勢を整える。
最初に会場へと入って来たのは第一王子にしてイケメン王太子とルーナが称するトルトラントと、今回の主役であるミーラン第三王女と王太子のトルトラントとは同腹の兄妹でもあるアンネリーゼ=ティグレル第一王女。
エトワの爵位が名にない事から第一王女は王位継承権を既に放棄している。
近々、隣国で友好国でもあるイルシオン共和国の王子との婚姻があるとかないだとか、噂されているのをルーナは先程聴いたばかりである。
プラチナブロンドの髪に、空色の宝石眼。
王妃である母によく似ており、おっとりとした雰囲気の美人である。
トルトラントがアンネリーゼをエスコートしながら、中央に敷かれた黒の絨毯の上を通ってまっすぐ進み、そのまま会場より数段高い壇上へ繋がる階段を上がっていく。
この大陸では魂魄の色とされている白と黒、そして神と天使の瞳の色とされる金の三色こそが最も高貴な色とされている。
その黒い絨毯の上を歩めるのは、高貴な色に相応しき者のみ。
つまりは王族の通り道である。
その後、王であるヴィルヘルムと、その正妃あるアウレーザが今回の主役であるミーラン第三王女を連れてやってくる。
● ○ ● ○
ヴィルヘルムが壇上に登り、数段高い位置から会場に詰めている貴族達を一度見渡す。
(やはりこの数は異例だな……)
既に頭の痛くなる問題は目白押しであるのに、これら貴族の相手も同時にしなければならないのだ。
貴族達は既にみな最敬礼の状態で待機している。
「楽にしてよい、今日は祝い事の場であるのだ」
謁見のような場でない限りは、ルーナが先刻まで悩んでいた、二度の固辞のようなルールはないため、貴族達は数拍置いてからゆっくりと顔を上げる。
その様子を見てヴィルヘルムは話を進める。
本来ならばここで祝言の一つでも言うべきなのであるが、今回は何よりもまずこの場の貴族達にいち早く伝えなければならぬ事がある。
「既に聞き及んでいる者もいると思うが……」
普段の〝魂魄宣言の儀〟とは違う話の切り出し方に、周囲は一瞬困惑するが、すぐに先程のルーナ嬢とハーロルト第六王子の事だろうと誰もが思い至った。
「ハーロルトは既に王位継承権を剥奪済みであり、廃嫡が決定された身である。故に、あやつの言は妄言の類いにすぎない。王家も、カルローネ侯爵家もどちらも争いは望まぬものである、という意思決定は既になされている。廃嫡の発表が遅れた故に、みなに余計な混乱を与えてしまった、許せ」
どう考えても後出しの廃嫡であるということは誰もが分かっている。
しかし王がそういうのならば、そうなのだ。
ましてや当事者であるカルローネ家もその決定に納得したということならば、貴族側にはなんの不満もない。
元々ハーロルトは政治的にも特に重要な人物でもなく、その上あらゆるパーティーに顔を出しては王家の威信を笠に着て、横柄な態度で散々な態度をとっていた人物でもある。
未だ子供であるから仕方がない、と表では気にしない素振りはしていたものの、多くの貴族達にとって、ハーロルトへの認識は『糞ガキ』であった。
しかしいくら『糞ガキ』ではあっても、それ以上でもなければ、それ以下でもないとハーロルトと今まで接してきた者達は思っていた。
貴族社会とは魔窟のようなものであり、そこら中を化け物達が闊歩しているのだ。
そんな中であの程度の横柄さなら、まだまだ可愛らしい部類の悪意だった。
しかし今回の件は別だ。
いくら横柄なハーロルトといえど、今日ほどの暴れっぷりは初めての事である。
誰も気づいてはいないが、その原因はルーナが施した『理性のタガを少し緩めただけ』の法術が原因である。
しかし今回のパーティーは遠方から訪れた貴族も多く、殆どのものがハーロルトを初めて間近で見る者達であった。
そして初めて目にしたハーロルト王子のあの沸点の低さと、あまりにも思慮に欠けた言動の数々は頭の痛い問題である、と多くの貴族が危うさを感じていた。
だからこそ廃嫡の意思決定を早々に纏め上げ、罰を下した王家の早急な対応に、多くの貴族達が好感を覚え、結果的に王族に対して遠方から訪れた多くの貴族達は良い印象を持つ事となった
貴族達の表情にある程度の納得の色が浮かんだのを見て、ヴィルヘルムは改めてパーティーを再開させる事とする。
「さて色々とあったが、今日は祝い事の日である。美しき令嬢二人の魂魄宣言の儀をこれより執り行う事としようではないか」
ヴィルヘルムのその宣言により、「おぉ……」と貴族達から僅かな興奮のざわめきが沸き起こる。
《魂魄宣言の儀》とは教会が主導する神聖な儀式の一種である。
見世物としても充分神秘的であり、なにより今話題の二人の令嬢の魂器の上限が知れるのだ。
● ○ ● ○
魂器とはそのままの意味で、魂魄のうち最も魔力に影響を及ぼすとされる、精神エネルギーである魂の大きさの事を意味する。
そして当然の事ながら魂器の数値が高ければ、体内に蓄えておける魔力総量も必然多くなる。
それを〝数値化して表す〟ための儀式が『魂魄宣言の儀』である。
魔法を扱える貴族ならば、何よりも魂器の上限量の数値は最も重要視されるものであると言えるだろう。
魂器の数値が多いと、多量の魔力を体内に蓄えられるだけではなく【術の精密な操作が容易】になる。
また【魔力を使った術への耐性も高く】なるうえ【一度に取り込める魔素量の増加】や、【魔素から魔力への変換もより効率的に行われる】といった傾向にある。
つまり魔力を扱う上でもっとも重要なのが、魂という精神エネルギーなのである。
そして今回測る事はないが、身体エネルギーである魄の場合も同じく魄器の数値が大きいとその多寡によっては、たとえ女の細腕であろうとも、豪傑の上段からの振り下ろした剣を片手で受け止める、などといった離れ業も容易になるほど、身体能力が向上する。
魄は総合的な肉体の強さに直結するうえ、自己治癒能力も向上し、あらゆる五感の強化など魔力的ではなく、身体的な恩恵が多く現れる。
魄器の数値を図らないのは、ルーナ達がまだ八歳であるという事が理由である。
魂魄は通常五歳程で安定し初め、七歳になる頃には完全に安定する。
魂である精神エネルギーは生まれつき不変と認識されているものであるが、
逆に身体エネルギーの魄は運動によった訓練で増えていく。
しかし八歳の貴族家の子が魄を大幅に増やす程の運動をしているはずもなく、ましてや令嬢であれば尚更の事。
学園入学時や卒業時などの節目節目に魄器を図る事はあるが、魂器は不変であり、増える事はないとされているため、魂器を図るのは八歳の披露目時に人生で一度きり、という非常に目出度い祭事なのである。
● ○ ● ○
Side 一般貴族
まだ幼いながらも、格段に美しい二人の少女。
一方は少女特有の愛らしさがあり、その笑顔には誰もが癒される。
子供特有の愛らしさだけではなく、その整った容姿は成長すれば他三大大国の王子からの求婚が殺到するのではないかという、半ば冗談、半ば事実になりそうな話が各所で持ち上がる程。
もしもそうなった場合、大国のパワーバランスは崩れる可能性を秘めており、まさに将来の傾国の美少女筆頭と言った所だろうか。
あまり笑えない話である。
もう一方は八歳児にしては些か冷静な側面があり、しかしだからこそ稀に見せる微笑みは美しい。
黒という高貴な髪色は珍しく、そのうえその髪質は今まで見た事もないような漆黒の輝きを放っており、周囲の奥方はこぞって、髪の手入れの仕方についてルーナ嬢から聞き出していた。
ここにいる令嬢の髪色こそが『真の高貴な黒』という色なのだと納得出来る。
そしてその容姿に関しては語るのが難しい。
なぜならば八歳にして既に完成されつくしているように思えるのだ。
魂魄の大きな者は実年齢よりかなり下に見える。
逆に若いうちは、魂魄に合わせて見目の成長が早い。
貴族であれば肉体年齢は十六~十八歳程の見目でしばらく老化が止まり、そこから徐々に老化が見られる場合と、一定の年齢で一気に老化が進む場合がある。
また稀に肉体年齢が十代前半程で止まる場合もあるが、これは長命種とのハーフによく見られる傾向である。
八歳の彼女も、もし平民であれば十二歳程の少女と同程度といった見た目だろうか。
しかしそれでも少女は少女だ。
大きな魂魄を持つ貴族たちはみなそれを理解している。
だがこのルーナ嬢は少女であるのにも関わらず、思わず劣情を抱きそうになってしまうほど。
その所作や表情、そして本来忌避される色であるはずの妖しい紅い瞳が全て上手く合わさり、妖美な色に魅了されてしまっている自身に気づき、慄く貴族は多かった。
男性を虜にする悪魔がいると言われているが、まさに彼女のような瞳を持っているのだろう。
この場にいる数多の貴族女性達よりも、彼女が最も妖艶さを醸し出している女性と言ってもいい。
しかし、そんな二人の少女はただ美しいだけではないのがまた驚きだ。
一方はエーレサントを冠する事が許された天才魔法師と謂われる王女様と、もう一方は英雄の先祖還りであり最強の式鬼神使いとされる高位令嬢。
誰もがその結果を心待ちにしていた。
彼女達ならば凄い数値を出すのではないのではないか、と。
しかし驚きの数字を期待しつつも、やはり常識の範囲内での驚きを想定していた。
――そして、その常識は二人の少女によって壊される。
○ ● ○ ●
side リア
白と黒は魂と魄の色とされ、アンヘル教では『光と太陽を司る女神マーネス』と『夜と月を司る神ノックス』の二柱の夫婦神の色とされており最も高貴な色という扱いです。
次いで神と天使の瞳の色が金である事から、この三色には特別な意味合いが含まれることが多くあります。
例えば本来、貴族間でのパーティーでは最も高位爵位の者や、主催の者が黒や白のドレスやスーツを纏うというのが暗黙のルールです。
つまり今回の場合は王族がそれにあたるわけですが〝魂魄宣言の儀〟では、最高神の色に近しい、黒か白の衣服を纏う事が許されております。
ルーナ様はその漆黒の髪色に近しい黒のドレスを身にまとい、ミーラン王女殿下もホワイトブロンドの髪色に近しい白いドレスを身に纏っており、とても対照的であるがゆえにお二人が並ぶと、より神秘的な光景に見えてきます。
ルーナ様とミーラン王女殿下のお二人が共に並んで歩みながら、王族達が居並ぶ壇上へと近づき、そのまま舞のようにくるりと同じタイミングで王族達へと背を向けます。
この儀式は王ではなく、神へと祈る儀式という側面が強いため、今この時だけは王族へと背を向ける事も許されるのだと聞いています。
ここら辺は教会側のメンツもあるのかも知れませんが……。
そしてお二人は見事と言わざるを得ない静かな所作で正面の男性へ向けて、ゆっくりと跪き、祈りを捧げるように両手を組みます。
「ルーナ様を跪かせるとは何事か!」と怒鳴り散らかしたい気持ちもありますが、従者である私が騒いで、主であるルーナ様に恥をかかせる訳にもいかず、モンモンとした気持ちでその様子を見守ります。
真っ白いローブに黒と金の刺繍が施されている祭服を纏った老人が、ルーナ様とミーラン王女に近づき、なにやら厳かな雰囲気で朗々と聖句を述べています。
ルーナ様は悪魔です。
もし聖句を聞かされて具合でも悪くなってしまったらどう致しましょう……。
今回の『魂魄宣言の儀』について私は非常に危ういものを感じてしまい、どうにも集中力が散漫になってしまいます。
それというのもルーナ様の正体がバレないか、という事です。
『魂魄宣言の儀』はアンヘル教の秘中の秘であり、その儀式のやり方等については教会関係者でも高位の人物にしか知らされておらず、大国の長であろうとも知る事がかなわない儀式です。
そもそも受肉した悪魔がこの儀式を受けた事など、いままで一度もなかったに違いありません。
前例がない故に何かが起きてもおかしくはないのです。
ハラハラと見守る私とは対照的に、ルーナ様は常に堂々としておられ、大変ご立派であるのですが、やはり心配で仕方ありません。
私は一度自身を落ち着かせるべく、先日のルーナ様のお言葉を思い起こします。
◇◇◇
「儀式で悪魔バレしないか心配ですって?」
呆れたと言わんばかりのため息を吐くルーナ様。
私は〝魂魄宣言の儀〟の話が近づくに連れて、日々不安を募らせていたのですが、どうやらルーナ様にとっては『そんな事はありえない』とばかりに絶対の自信を持っているようです。
「おバカなリアに魂魄とは何か教えてあげるわ」
ふふん、と得意げな表情で満面の笑みを晒すルーナ様。
普段は努めて冷静な御方なので、こういった表情を見られる機会というのはなかなか珍しいのです。
ルーナ様は思いの外、自身の知識を分け与える事に喜びを覚えるタチのようで、よく私やティエラ様に、世界の真理に近い事柄さえも惜しみなく教えてくださるのです。
その様子がいつも得意げで、満足げで、大変愛らしくあるのですが、その内容はどれも私のこれまでの常識が崩れるような事柄ばかりで〝あの獣〟よりも遥かに知識が豊富なように思えます。
それはどれも突飛な内容ばかりですが、嘘をついているとも思えません。
そしてそこには理路整然とした、キチンとした道理があり「言われてみれば」といったような話も多くあるのです。
「よく『体内中を魔力で循環させるように』だなんていうものだから、みんな漠然と魂魄も体内にあるのだと勘違いしている人種はとても多いわ――けれどそれはただ魔素を取り込んだ魂魄が生み出す魔力というエネルギーなのであって、魂魄そのものは体内に存在するような類いではないのよ。
魂魄とは命そのもの。それ即ち、陰と陽、負と正、黒と白、相反するのにも関わらず一つであるもの。命が始まって終わりに向かうように、二つであり一つであるべきもの、常にそこに存在し、存在しないもの。矛盾し、相反し、されど確固たる一つの存在。それが命であり、ひいては魂魄と呼ぶもの」
朗々と可憐な声で謳うように説明されますが、正直まったく理解できません。
そんな私の様子を見たルーナ様は、一度ため息をつき、先程よりも少し分かりやすく私に再度教えてくださいます。
「いいかしら、リア? 命や魂魄の存在というものは、常に身体全体をオーラのような光が覆っているものだと思って頂戴。それは異なる位相に存在しながらも、自身と重なって常にソコに存在し続けているの。今いる世界とは、ちょっとズレた空間があるようなものだと思ってちょうだい。
私は受肉する際に、初代ルーナの魂魄をそのまま貰い受けて、それまでの悪魔本来の魂はそれとはまた別の、新たに少しずらした異なる位相空間を生み出して、そこに補完しておいたのよ」
なるほど、たしかに先程よりは分かりやすいですが、こうして聞いてみれば魂魄とはあまりにも曖昧な存在だと思わざるを得ません。
しかしそれが命=魂魄と考えるのならば、その曖昧さも頷けるような気がします。
人種も妖魔も魔物も誰もが持っていて、誰にも見えない命という存在――。
生命体は魂魄がある故に命や死という概念を持ちますが、精神生命体は魄がない故に、死という概念が存在しないものだと聞き及んだ事があります。
きっと矛盾であるべき相反するエネルギーのもう一つが足りない、という事なのでしょう。
しかし、一つ疑問が残ります。
ルーナ様の受肉方法はとても高度なことなのではないのでしょうか。
そうでなければ、この物質世界は既に受肉した悪魔で埋め尽くされているに違いありません。
そんな私の考えをあっさり肯定されるような言葉が続きます。
「ザックリ言うとね、左にちょっとズレた空間に初代ルーナの魂魄と、右にちょっとズレた空間に悪魔本来の魂を置いてあるようなもの。つまり今のわたしは二つの魂器を持っているのよ。だからどちらかの位相からエネルギーを供給するかを魔道具のスイッチのように選べるのよ。便利でしょう? まあ、魄器は悪魔時代にはなかったものだから、一から鍛えなくてはいけないのが今後の課題よね」
ふふん、と自慢げに教えてくださったそれは――悪魔本来の受肉方法とはあまりにも違います。
強い魂を持つ悪魔は、自身の魂と釣り合いがとれる量の魄を集めて、その均衡がとれて初めて魂魄を宿して、物質界へと受肉すると言われています。
そんな規格外なやり方で受肉していたなんて――ルーナ様は私が思っているより遥かに高位の悪魔なのかもしれません。
噂に聞く『七十二柱の大悪魔』と呼ばれる悪魔の爵位持ち達。
その中のお一人なのかもしれません。
さらにその上の存在に、神とも称される悪魔を逸脱した魔神が七名いると言われていますが、それは流石にないでしょう。
――もしそうであれば、毎夜大人しく私の抱きまくら代わりにされているはずがありませんからね。
「あの儀式に使う白い杖と黒い杖。今回は魂器を測るから白い杖ね。あれはそもそも先史文明の魔道具なのよ。ハウライトっていう珍しい鉱物を原材料にして造られた画期的な魔道具なのだけれど――まあ、珍しくはあっても所詮はただの魔道具よ。きっと私が作った異なる空間は測れないだろうし、普通に初代ルーナの魂魄にピントが合わさると思うわ。そもそも魔道具相手なら他にいくらでもやりようがあるもの。心配しないで」
そう断言して話は終わりとばかりに、ルーナ様は先程まで読んでいた本に視線を戻します。
なんでも物質界の常識は新鮮で楽しいということもあり、良く本を読んでいらっしゃいます。
そうしていつものように、最後に一言。
「リア。このことは秘密よ」
「もちろんです」
精神契約をしている私は彼女に秘密と言われれば、どうあっても口にすることができません。
それは首に付けられた首輪のリードを握られているようで、そんな私はルーナ様から命令される事がとても幸せに思うのです。
○ ● ○ ● ○
ティグレル王国の王都に建てられているアンヘル教の教会から、今回の儀式にと派遣されてきたのは、敬虔なアンヘル教の信徒であり齢120歳を越えるミヒェル=ゲーテという名の老人であった。
もう何十年と伸ばし続けている真っ白な白髪頭に、それと同じほど長いヒゲを生やしており、いかにも古の大魔道士といったような容貌だ。
歳を感じさせない伸びた背筋に高い身長が相まって、祭服を着た彼はどこか神聖で厳かな雰囲気を感じさせる。
しかし好々爺じみたその人柄故に、親しみやすさを覚える人物でもあった。
魔法師としての腕前もかなりのものであり、一時期は騎士団団長を努め上げていた事もあったため魄器も相応に高く、王都では評判の高い人物である。
本来祭儀を執り行うのは司祭以下であるはずなのだが、今回はなぜか王都の教会のトップであるミヒェル=ゲーテ大司教が自ら執り行う運びとなった。
教会の元締めともいえる大国〝ジュラメント神聖国〟。
アンヘル教の総本山とも言える国であり、ティグレル王国の北側に国境を有する〝四つの大国〟のうちの一つ。
もしかすると神聖国側からの要望で、内情調査も兼ねているのではないのだろうかと、ヴィルヘルム王は思う。
しかし同時に騎士団団長を勤め上げたほど愛国心もあるゲーテ大司教がスパイの真似事をするとも思えず。
むしろ『面白そうだから』という理由のみで立候補したのではないのか、という考えが一番確率が高そうなのだから頭が痛くなる。
たとえもし神聖国側の思惑があるのならば、注目しているのは初代カルローネの先祖返りであるルーナなのか、はたまた弱冠八歳にしてエーレサントという名誉爵位を戴いた、希少な回復魔法の使い手である聖女ミーランか。
兎にも角にも、その名はすでに他国にまでも轟いている二人である。
◇◇◇
〝魂魄宣言の儀〟の開始を告げる鐘が一つ鳴り響く。
そしてゲーテ大司教が王族の通路でもある中央扉からやってきた時には、にわかに貴族達がザワめいた。
それは中央扉を使ったからではない。
王族専用といっても、他国の重鎮等が招かれる際にも中央扉は使われるものであるのだから。
そのザワめきは偏に、ミヒェル=ゲーテ大司教が現れた事につきる。
王国では知らぬ者はいない教会のトップなのだから当然である。
ザワめきが落ち着いた頃を見計らってゲーテ大司教は一つ咳をして、喉の調子を整えた。
「これより二人の少女の〝魂魄宣言の儀〟を執り行わせて頂きます」
アンヘル教の祭服を纏ったゲーテ大司教が少女二人の前に立つと、右手に嵌めていた白い腕輪が光り輝き、純白の杖に早変わりする。
ハウライトが原材料である事は分かっているのだが、現在の技術では複製の不可能な先史文明時代に造られた魔道具の一つ。
僅かの歪みもなく、真っ直ぐと伸びている純白の柄。
杖本来の役割である、魔術や魔法行使の補助具としての機能はないに等しいだろうが、祭事で扱われる杖というだけあって、その見栄えはとても神聖なものであった。
実際のところ、これは杖ではなく正確には魂器を測るという一点にのみ特化された魔導具である。
「この白き杖は魂器を測るため造られたとされる、先史文明時代に発明された魔道具であり、その起動方も魂器の判別手段も教会の秘中の秘の一つです。それ故私が執り行わせて頂きますが、その際偽りを述べる事は神々に誓って行いません」
朗々と長い呪文を唱え『神々に誓います』という最後の言葉によって虚空に光り輝く魔術陣が展開されると、それは一瞬のうちにゲーテ大司教の体内に吸い込まれるようにして消えていく。
これは『神々に誓う』という自身の言葉に大きな説得力を持たせる最も重い誓約の魔術。
もしそれに反したら、その瞬間に命を落とす事になる。
二人の少女の身長とおおよそ同じ程であろう長さのその杖は、先端の部分に半透明の水晶が取り付けられている。
「この水晶がこれより光り輝き、それによって御二方の魂器を私が知り、この場で数値を宣言させて頂きます」
水晶の中を覗くと、まるで意思ある生命のように蠢いている白と黒の靄が常に入り乱れている。
もしかするとこの杖のかつての製作者は、魂魄の形を想像し、それをモデルとしたものがこの水晶なのかもしれないと、ゲーテ大司教は語った。
今の時代、想像上の魂魄の形というのは、白と黒のおたまじゃくしのような形が混じり円を作っている〝太極図〟と呼ばれるもので、二次元的に分かりやすく可視化されているものが一般的であり、三次元的な魂魄を可視化した水晶はとても珍しい。
「ではまずミーラン=エトワ=サントエーレ=ティグレル第三王女殿下、前へ」
ルーナと並んで跪いたままだったミーランが、その言葉で起立し、一歩、二歩、前に歩み寄り、そして再度跪き両手を組み直す。
それを確認したゲーテは瞼を閉じ、聖句を唱える。
水晶の中の白と黒の靄の動きが徐々に激しさを増し、ゲーテとミーランを中心にそれぞれ色の違う七つの大きな魔術陣が虚空に展開される。
途端杖の水晶は白く眩しい程に発光する。
水晶の一瞬の発光が終えると、その七色の魔術陣が弾けるようにして形を崩し、七色の粒子となって会場内全体に降り注ぐ。
それはまさに祭事らしい神秘的な光景であり、美しきを尊ぶ貴族達はその光景に感動し、瞳をうるわせる者さえいる。
降り注ぐ七色の粒子が消えたと同時に、ゲーテは瞼を開く。
――そしてミーランの魂器が宣言される。
「――ミーラン=エトワ=サントエーレ=ティグレル、魂器5万1000!!」
一瞬の静寂――。
今はまだ儀式の最中。
ルーナの番も来ていない。
しかしそれでもその数値の驚愕的な高さに貴族達は思わず声を上げる。
『五万だと!? 歴史書を紐解くレベルではないか!?』
『大陸中の王族であろうと魂器は2万前後が普通であるのだぞ。3万を超えれば英雄の器とも呼ぶ事もあるが、これはあまりにも――』
『なにかの間違い――なわけはないか。それにしても信じられん』
『ではサントエーレを冠する事になったあの話も、それだけの魂器の魔力が空になるほど回復魔法を何度も使っておられたということか!?』
最初こそ小声であったものの、あまりの興奮に皆が徐々に声を大きくして話を続ける。
また頭痛のタネが増えたヴィルヘルム王が、会場内のその惨状に一喝する。
「静まれ! 儀式はまだ終わっておらぬ!」
良く通るその声の威圧に皆が冷静さを取り戻し、そういえばといったようにハっとする貴族達。
王女殿下が千年に一人といったレベルの数値を出した事によって、みな儀式自体が意識の外に追いやられていた。
そして冷静になった頭で、考えるのは次に呼ばれるルーナ嬢の事。
ここまで異例続きの〝魂魄宣言の儀〟であったが、ミーランの出した数値は歴史上でも稀な異例だった。
次に宣言されるルーナへと貴族達はみな憐憫の眼差しを向ける。
まだ幼くあの美しい少女の、せっかくの晴れの舞台であるのに。
せめて順番が逆であればよかったと、会場内にいる貴族、王族、そして大司教とその付添いの数名の教会関係者達、誰もがそう思う。
ゲーテはもう一度咳をして喉の調子を再度整え、驚愕の思考を一度頭の隅に追いやり、改めて神聖な儀式である祭事を続ける事に全力で集中する。
「ルーナ=カルローネ嬢、前へ」
同じ流れで儀式が再開されるも貴族達の感情はまだ少し呆けたままだった。
先程と同様の光景が続いて水晶が光り輝く。
本日二度目の七色の粒子が会場全体に降り注ぐのにも関わらず、今度は誰一人としてその美しさに見惚れる者はいない。
ミーランの魂器はそれほどまでの異例であり、少なくとも国内の派閥関係は大幅に塗り替わる事となるのは明らからである。
今後のミーランの立ち位置や、自身の立ち位置をどうするか等でみな頭がいっぱいであった。
だからこそだろう。
誰もが聞き間違えだと思った。
「――――ルーナ=カルローネ……魂器4万8000」
ゲーテも思わずと言った調子の声でルーナの魂器を宣言する。
遡れば六百年以上前に神童と呼ばれ、その後英雄となった――初代ルーナ=カルローネの魂器と全く同じ数値である。
貴族には聞き逃したものも多い。
もしくは自身の聞き間違えであろうと『いくつだといった?』と周囲に尋ねる貴族があまりにも多かったため、ゲーテは再度声を大にして告げる。
「――――ルーナ=カルローネ! 魂器4万8000!!」
『まさか!』
『王女殿下より3000程低いが殆ど誤差のレベルではないか』
『いや3000を誤差というのはどうかと思うぞ』
『偉業だ……まさしく我が国の転換点となるだろう!』
『そうか――たしか初代様の魂器も同じ程ではなかったか?』
『やはり六百年以上前の英雄の先祖返りか』
『まさしく歴史に残る一日だろう。遠方から来たかいがある儀式だった』
貴族が思い思いにルーナとミーランを褒め称える。
既に儀式が終わったものと、談笑が始まる始末である。
「す、素晴らしい……」
思わず声を漏らしたゲーテ大司教。
彼もまた儀式終了の宣言を忘れていた。
――異例続きの〝魂魄宣言の儀〟は、最初から最後まで異例のまま終わりを迎えた。
大体の参考値
【魂器】平均
一般人100~
騎士爵 3000
男爵 3000
子爵 3500
伯爵 5000
名門伯爵 8000
辺境伯 9000
侯爵 8000
名門侯爵 1万
公爵 1万5000
王族 2万
宮廷魔法師筆頭 3万
宮廷魔術師筆頭 3800
一般騎士 1500
隊長格の騎士 3000
騎士団長 9500
ルーナ4万8000
ミーラン5万1000