微笑みのお披露目パーティー
貴族が八歳を迎えて行われる宴とは「これから貴族の仲間入りをするのでよろしくお願いしますね」という意味合いを込めたお披露目会である。
そして他にも一つ、とても重要な神事も行われる。
本来ならば自分の屋敷に他貴族を招いて行われるのが通例なのだが、今回ばかりは色々な要因が重なり王城での披露目会となった。
まず第一に私がカルローネという王家に劣らぬ格を持つ家柄の令嬢だということ。
第二に曾祖母以来のカルローネの濃い血を持つばかりか、初代カルローネの先祖返りであり、リアを完全に調伏できる令嬢だということ。
第三にあまりにも私の噂が広がっていること。
曰く『八歳にして天使と見紛う美貌を持つ』『大人顔負けの智謀を持つ』『幼くも慈愛に溢れ貧民街での炊き出しを自ら請け負う』等々そんな根も葉もない誇張に誇張を重ねた噂が広がっている。
でもまあ、大人顔負けの智謀はその通りだし、天使と比べられるのは癪だけれど、私が可愛くそして美しいのは事実だから仕方がない。うん。
でも炊き出しはやってない。
そもそもお忍びで外に出かける事は稀にあっても、別邸から出ることなど殆どないというのに。
〝リアに認められた〟というただそれだけで、そんな噂が立つ程カルローネのリアという吸血鬼の影響力は強いのだ。
そして最後にして最大の理由がティグレル王国のミーラン=エトワ=サントエーレ=ティグレル第三王女が私と同じ歳であるということだ。
栄光の意味を持つ〝エーレ〟は魔法師の名誉爵位であり、戦場等にて英雄的な活躍をしたものなどに与えられる。
つまり希少な魔法師の中でも更に希少な存在という、限られたものしか得られない名誉爵位である。
そして聖女の意味を持つ〝サント〟(男性の場合は聖人を意味するサン)とは、自己犠牲をも厭わぬ気高い精神を持ち、民の高い支持を得て、国と教会が認定しなければ正式に許可が降りないため、最も誉れ高い名誉爵位とも言われている。
ただし教会全体の正式な聖人や聖女認定ではなく、国家の聖人や聖女と呼ばれる特別な存在に与えられるものである。
所謂ご当地聖女だ。
そんな王女殿下は回復魔法師としての腕前は相当なものらしく、戦場後方で従軍医師として随伴し、そこで自身の魔力が枯渇して倒れても、なお繰り返し回復魔法を使い続けたという逸話から、エーレとサントの名誉爵位を同時に授けられ、特別に〝エーレサント〟という名誉爵位を冠する事になった。今まさに時の人である。
一方はティグレル王国の慈愛溢れる、聖女として名高い天才魔法師の王女殿下。
そしてもう一方は初代カルローネの先祖還りとして、数代ぶりに純吸血鬼のリナを完全調伏していると噂の、天使と称されるカルローネ侯爵家令嬢。
ただでさえカルローネ侯爵家は王家に比肩しうる家柄なのに、王女のお披露目より私のお披露目の方が参加する貴族が多い等という事に万が一にでもなってしまった場合には、様々な問題がわいてしまう。
そうでなくても、目立つ二人であるため必ず周囲には対抗馬のように見られてしまう。
そのため、今回は王女と私の親睦の意味も込めた同時お披露目会と相成ったわけである。
面倒くさい。本当に面倒くさいしがらみが物質界には多く存在する。
そもそも寝たり食べたり、少し走っただけで息がきれたりなどという、日々の些細な営みの一つ一つも、最初こそは懐かしんで楽しんでいたけれど、今となっては全てが面倒に感じられる。
肉体邪魔。超邪魔。
霊界にいた頃から私は自身が司る傲慢と、次男である弟の司る怠惰との司る役職トレードを願っていたりもした。
正直怠惰を司っていれば、怠けてても問題ない気がするという、完全に気分の話なんだけど。
もちろん父上とあの子がそれを許す許さない以前に、世界が私の存在を傲慢を司る悪魔ルシフェルとして、とうの昔に確立させてしまっているので、所詮はただの無駄なボヤきである。
弟妹達は当たり前の事だが皆それぞれ性格がかなり違う。そのおかげで無駄に忙しい霊界での日々も、毎日が賑やかで楽しく過ごせていたのだ。
私の影響をモロに受けて、皆が私のような性格になっていたとしたらと考えればゾっとする話ではないか……。
弟妹が光の玉から生まれ落ちた時、みんな最初は動物の姿だった。
最初に生まれた長男であるサーターは狼の姿で生まれてきたのだ。懐かしい。
ある日唐突に父上から『今から弟が生まれてくるぞ』と一つの光る玉を指さして言われ、一瞬なんのこっちゃと思ったが、すぐにピンときた私は駆け足でその光玉の側へと駆け寄った。
ワクワクしながらその時を、今か今かと待ちながらジっと見つめていると、唐突にその瞬間はやってきた。
手のひらサイズの光玉が一瞬で大きく膨らんで、すぐにシャボン玉のように弾け飛んで消えた。
――そして中から出てきたのは狼。
『え? え、私の弟って悪魔ですらないの? 狼なの? というか弟と呼んでいいのかこれは。ペット枠じゃないのかな』
興奮と驚きと落胆とが入り混じり、変に落ち着きのなかった私を見かねた父上に窘められた。
『成長すればルシフェルと変わらぬ人種型の悪魔となるから安心なさい』
そう言われてようやく落ち着きを取り戻し、ホッと一息して安堵と喜びを同時に噛み締めながらも
『悪魔って変な生態だなー。まったく分けがわからない。なんの意味があって動物から生まれる必要があるのですかシステムさん』
なんて呑気なことを考えていた。
大体一週間ほどペット気分で可愛がっていたのだが、ほんの一瞬目を離したすきに、気づけばいつの間にやら6歳児くらいの生意気そうな男の子に成長していた。
結果を聞いていただけに、流石に弟が狼だった時よりは驚かずにすんだ。
それからは毎日一緒にいた。
そして一年目あたりで、ようやく気づいたのだが、私の初めての弟のデフォルト姿は上半身が常に裸体らしかった。
毎日、真っ赤な髪をライオンのたてがみのごとくツンツンと逆立てていたが、日常でセットしている様子もない。
その時に初めて『これが肉体が存在しないという事か!』と一人納得した。
ガキ大将気質というか少し小生意気な弟であるが、赤い宝石のような瞳がお揃いなのが、ちょっと姉弟って感じがして、ひっそりと嬉しかったりもした。
の、だが後日、赤の宝石のような瞳を持つのは悪魔という種族全体における特徴らしいと父上から聞いて、私はひっそりと落ち込んだ。
それからしばらくは数年に一人のペースで次々と妹や弟が生まれてくる日々が続いた。
そうして末っ子のアスモスちゃんが成長しきって少したった頃に気づいたのだが、私も含めた七人弟妹全員で七大罪の悪魔として存在しているわけなのだが、
弟妹達の誰一人として司る大罪に、その当人の性格がカスリもしていない。
ほんのちょっとだけ長男のサーターが憤怒というのは似合うかな? なんて一瞬思ったりもしたが、サーターが怒った時は憤怒というより「ふんぬぅ」と拗ねる感じなので、これが本当に大罪の要素だとするのならば、さぞかし愉快で素敵な世界になることだろう。
その後も皆を注意深く観察してみても、司る大罪と性格への関連性はまったく見いだせなかっため、特に関係はないのだろうと勝手に結論付けた。
もしそうなのならば、私だけが特別なのかもしれない。
――――私は世界中の誰よりも傲慢であると自身を疑わない。
○ ● ○ ● ○
綺羅びやかな王城のホール。
今回のお披露目パーティーは料理から楽団までとにかく気合が入っており、参加する貴族の多さも異例の人数である。
それだけ第三王女殿下と、カルローネ家のご令嬢の影響力は凄まじいのだろうと少女は考える。
エーレサントを冠する希少な回復魔法師の使い手である、聖女ミーラン王女殿下。
純吸血鬼であるリアが当代の主として完全に認め、英雄の先祖返りと噂されているルーナ=カルローネ。
レッフラー公爵家の長女として数多のパーティーに参加してきた令嬢、ルイーゼ=レッフラーも今回ばかりは流石に緊張していた。
カルローネの名は一侯爵家であるのにも関わらず、国内どころか大陸中にまでその名が轟く名家中の名家。
ルイーゼも両親から耳にタコができる程『王女殿下とルーナ嬢、双方に対して絶対に無礼のないように』と強く言い聞かされている。
そしてあわよくば年齢の近さを持って近づき、友誼を交わす仲となるように、と。
それは流石に私には荷が重いと思われますわ、お父様……とルイーゼはつい令嬢にあるまじき、深いため息を吐いてしまう。
ルイーゼ・レッフラーは公爵家令嬢として十分な才能を持ち合わせており、努力家で大変優秀である。
まだ九つの子供ではあるが、公爵家の力を存分にふるった教育もあって既に大人顔負けの知識を持ち、厳しすぎるマナー教育や武芸等の類も努力をもってして、幾度となく高い壁を乗り越えてきた。
金髪縦ロールの長い髪に、空色のように薄青く輝く宝石の瞳。少し鋭利な目つきのせいでキツい印象も持たれるが、顔立ちはとても美しい。
そのため年相応になれば確実に社交界では大輪の華として成長することだろうと、周りからも期待されている。
そんな彼女であっても、今回相対する二人は別格の存在である。
初対面ならば、身分が下の者から上のものへと声をかけてはいけない、という社交界の暗黙のルールも、公爵家令嬢であるルイーゼならば誰かに仲介を頼まずとも、ルーナへと直接声をかけても、そこにたとえ大きな影響力の隔たりがあろうが問題はない。
ルーナ様に話しかけるのならば、まだ王族の方々が入場する前である今がチャンスですわ、とルイーゼは胸のあたりで両拳を強く握り、ふんすっ! と気合を入れる。
金色の豪奢な縦ロールをわずかに揺らしながら、絶対にこの場にいるはずであると、とても広い会場内をルーナ探して歩きまわる。
今回のお披露目は裏のアレコレはともかく名目上では『聖女と名高いミーラン王女殿下のお披露目のついでに、名家であるカルローネ侯爵家の令嬢であるルーナ様を蔑ろにする訳にもいかないので、お披露目を王家と共に行なえるという名誉をぜひ受け取ってくれたまえ』という建前を取っているはずである、とルイーゼは考えていた。
そのため王家の格が上であると周知させるために、流石にミーラン王女殿下とルーナ様が同時に入場してくるはずがないので、既にルーナ様はこの会場内のどこかにいるはずである、と。
その考えは正しく的を射ていた。
そしてルイーゼは思惑通り、会場でひときわ目立つ人物を見つける事に成功した。
というよりはその周りにあまりに人が多かったので、すぐに気づく事ができた。
白銀の髪を上品に纏め、見るもの全てを魅了するような中性的な顔立ちと、鋭利な特徴ある眼尻に妖しい紅い色を蓄えた瞳。そしてそんな彼女が着ている衣装はドレスではなくメイド服――このような場に一般メイドを連れ込む事は、高貴な者の嗜みである暗黙の了解として許されないのだが、たった一つの例外がある。
それこそが純吸血鬼のリアである。
本来であれば式鬼神の類であろうとも、このような場に入城する事は許されないが、それが許される唯一の存在である。
ティグレル王国にとってリアは準守護式神のような扱いとなっている。
妖魔を見下す貴族も未だ多いが、それでも美しいものを尊ぶ貴族からすれば、リアの実利だけではなくその端正な容姿も相まって、殆どの国内貴族達が例外として彼女を受け入れている。
――ならばその彼女の前にいるのが。
「ぁ……」
ルイーゼは思わず、声が漏れてしまった。
彼女の美貌に周囲の者たちは思わず軽く後ずさり、多くの貴族が道を開けていた。
そのためルイーゼは真正面から彼女、ルーナ=カルローネの尊顔を見た。
腰まで届く濡羽色の長い髪はツヤがあるのにも関わらず、青みは欠片程もない光を飲み込む漆黒。
リアの紅い瞳とは違う、彩度の高い赤の瞳はルビーのように反射で光って輝くように見え、その強烈な二色を際立たせる白いパレットのような艶めいた肌。
顔に歪みが一切ない、偉大な彫刻師でさえ匙を投げかけるような造り物めいた美。
八歳にして完成されつくしている。
ルイーゼのように今日を機に少しでも近づこうとした令息や令嬢も多かったであろう。
彼女はただ歩いているだけ。
しかしその美しさは、ある種の畏怖のようなものを会場全体に与え、誰一人として口を開かなくさせてしまう。
その会場の様相に何事かと楽団さえも演奏を止めてしまい、パーティーとは思えない無音の静寂が鳴り響いた。
束の間の静寂の後、ようやく最初の一人が正気に戻り、おそるおそると声を潜めて話を始めると、それにつられて皆も静かに会話を再開する。
『まさかこれほどとは……』
『確かに美しいとは聞いていたが、八歳にしてあれとは末恐ろしいものだ』
『なるほど。リア様が恋をしたという初代カルローネ様もこのような美しさだったのだろうな』
『将来が楽しみでもあり、恐ろしくもあるな』
『いや私は、ぜひとも我が家の息子をあちらへと嫁がせたいものだ』
『そなたの息子は跡取りであろうが』
『いやなに、今からでももう一人分の枠はあいているさ』※注釈※
次第に笑い声も増え、一瞬の静寂が打ち破られた時、なぜだか皆ホッと安堵した。
人は静寂を恐れる。
そしてそれがただ一人の少女によってもたらされたものであれば、尚不気味に思えた。
会場内の会話が活発になれば、そこにはただ美しい少女がいるという事実だけ。
無音の中の美貌とは非常に恐ろしいものなのだと、ルイーゼは自身の頬に伝った冷や汗に気づいて、新たな発見に身を震わせる。
周囲に音があるのとないのとでは、彼女の印象はかなり違って見えたのだ。
それこそ人を堕落させる悪魔の端正な容姿と、天使様の神聖なる容姿といったように、その雰囲気が瞬時にガラリと切り替わったように思えた。
その差異に呆けている貴族はまだ多い。
だからこそ今こそがチャンスだとばかりに、ルイーゼはルーナと接触を図るべく、ゆっくりと上品に、けれど心持ち足早に歩み寄る。
同じ女性としてせめてマナーだけでも美しくあらねば、隣に立つ事すらままなりませんわ、とルイーゼの貴族としてのプライドがそうさせる。
ルーナの美しさに魅入られ、その場に相応しく恥ずかしくない装いを心がけるよう、一歩一歩慎重に、緩やかにルイーゼはルーナへと近づいていく。
そんなルイーゼに気づいたルーナも、ルイーゼの元へと歩みを進めようとしていた。
「おいッ! 貴様! この場に下等な妖魔を連れてくるなど何を考えている!」
ルーナの背後から肩を勢いよく掴み、怒声を浴びせる年若い変声期前特有の男の子の声。
それは明確にルーナへと向けられている言葉であった。
肩が掴まれる直前の一瞬のうちにリアが動こうとしたが、ルーナが目線で動かぬようにと指示をし、リアは一歩前に出した足を一度後ろにひいて、無言のままルーナの背後に控える。
ある程度武術に心得があるものだけが、リアへの牽制の目線に気づく。
そしてその事実が示しているのはルーナは「かわそうと思えばかわせていた」という事実。
その様子を見ていた周囲の、主に軍属派閥の貴族達は驚く者、そして感心した者が多かった。
そしてそれ以外の周囲の貴族はただただ顔を青くして様子を伺う。
また会場内は静寂へと逆戻りする。
「と、申されましても許可は頂いておりますので」
鈴の鳴る様な声とはこのことかと、声まで美しいのかと、そして微笑む顔も美しい。
ルイーゼは現実逃避気味にこの後起こるであろう惨劇から目を背けるよう、思考を無理やり横へとそらした。
「はっ! どこの田舎貴族だ。侍従は連れてきても良いが、妖魔の――しかもただのメイドを連れてくるなど何を考えている。本来はこのような高貴な場に下賤の妖魔を連れて来てはならんのだ」
「そうでしたのですね。それはご親切に。ご忠告どうもありがとうございます」
そう言ってルーナは一歩片足を引いて、キレイなカーテシーを披露し一礼する。
「あ、ああ。わかれば良い。今後はこのような場に下賤な者を連れてくるなよ。目が腐り落ちてしまうからな」
あまりにもすんなり謝るものだから、当の本人も面をくらってしまっていたが、すぐに余裕の態度を取り戻して嘲笑する。
周囲の貴族もその様子を見てホッと一息ついた。
『ルーナ嬢がまだ子供で、そして温厚であって良かった』と。
カルローネ家は最大の貴族派閥筆頭であり、未だ当主として正式に爵位を戴いているわけではないが、リアが認めている以上彼女こそが実質カルローネ家の当主であり貴族派閥の筆頭となるのだ。
だからこそ面子は重要であり、本来ならば身分的にここで引くような態度を取る事は許されない。
しかしそれは、お披露目という初のパーティーでまだ十にも満たない子供のやり取りなのだ。
多少の傷はつくかもしれないが、売り言葉に買い言葉で声を荒らげ激高するような、傲慢な娘ではないと分かっただけでも周囲の貴族達にとってはむしろ好意的に思えたし、なによりも『カルローネの令嬢は温厚』という良い情報として収穫材料ですらある。
そんな事を殆どの居合わせた貴族達は考えていた。
――しかしそれはすぐに誤りであったと皆が理解することになる。
ルーナは天使と見紛う微笑みで瞳を輝かせ、いいことを思いついたと言わんばかりに、パンッと音を立てて両手を合わせる。
「――ああ、そうですわっ! 無礼のお礼といってはなんですが、このような場で大声を上げ、あまつさえ女性の体を無遠慮に触れるのは、このような高貴の場には相応しくはないのですよ? ご存知ないようでしたので以後気をつけた方がよろしくてよ。都会には田舎にはない色々なルールがあるので難しいですわよね? 貴方様も是非にお気をつけてくださいませ。お互いマナーには留意せねばなりませんわね。ふふふ」
大人しそうな令嬢と思ったが中身は中々に苛烈な方のようだ、とルイーゼや周囲の貴族達は皆一様に頭を抱えたくなる。
八歳児の応酬にしては、あまりにも皮肉が効きすぎている……。
ルーナの怒涛の言葉に対して最初はポカンとした表情で聞いていたものの、徐々に意味を理解したのか、今まさにルーナと対面して怒りが最高潮に達したのか、顔を真っ赤に染め上げている人物は第六王子、ハーロルト=エルデ=ティグレル殿下。
貴族社会では誰もが知る、傲岸不遜のワガママ王子。
もちろんそのワガママ王子をルイーゼも知っていた。
ルイーゼより一つ年上の十歳で、一時期ルイーゼの婚約者候補にまでもあがった相手だからこそ、なおさら良く知っていた。
コトここにいたってはもう既に彼が止まる事はないであろう、と。
「っ……女の癖に俺を田舎者呼ばわりするかッ! おいッ!! 貴様!! 俺を誰だか分かってものを言っているのか!? ――名乗れ。――――名を名乗れ――今すぐ名を乗れッ! 貴様のような木っ端貴族、親ともどもすぐに潰してやる!!」
人一倍プライドの高い彼は屈辱からか、徐々に声を大きく荒らげた。
彼の年齢がもう少し上であり、色を知る年頃であったのならば、ルーナの美貌を相手にここまでの暴言などは吐かなかったころであろう。
ちょうど十歳という年齢が絶妙であった。
美しい異性に相手にもされず、あげく嘲笑されたハーロルトの感情は複雑故に単純な怒りとして既に発露してしまっている。
王子のあまりの激昂ぶりに面をくらっている周囲の貴族達は誰も止めない。いや止められない。
せっかく王家とカルローネの均衡を取るためのお披露目で、あろうことか王族側がぶち壊してしまったのだ。
誰も何も言えず青い顔で二人の様子を見守る。
「あら? 人に尋ねるときはお先に名乗るのが礼儀でしてよ? わたくし、貴方様が田舎の方からお出でになさったのかと思っていたのですが、もしかするとただお勉強が苦手なだけでしたか? マナーのお勉強は大変ですものね。でも心配なさらないで? わたくしが貴方の苦手分野を優しく教えてあげますわ。さしあたってまずは感情の制御のお勉強から始めましょう? ふふ、ここだけの話ですが――そのような真っ赤に染まった顔は貴族どころか、商人でさえいたしませんのよ?」
『うわぁ……』と周囲で会話を聞いていたものたちが、彼女の強気にドン引きするように後ずさる。
王族としてのプライドを持っている相手とみるやいなや、平民以下だと言外に告げるルーナの笑みはそれはそれは美しい。
本当に心の底から微笑んでいるように見える。
可愛い子犬を愛でるような慈しみさえもって。
ルイーゼにいたってはルーナのその笑みが見たいがためだけに、王子にもっと罵声をあげてほしいとすら思ってしまう。
しかし次の言葉を聞いて、ルイーゼはさっそく手のひら返すように「もう勘弁してください! 今すぐ黙ってくださいまし!」と心の底から叫びたくなることになる。
「この、お、俺をッ……! 平民より下だとッ!? ッ…………!! わかったぞ。ああ、わかった! このハーロルト・エルデ・ティグレルの名において! 王家の威信を賭けて! 貴様をッ! て、徹底的に潰してやるッ!!」
怒りに震えたハーロルトはルーナへと指をつきつける。
その指先の震えから彼の煮えたぎる激情がよく分かる。
しかしそれはあまりにも悪手であった。
あろうことか彼は、国内貴族が多数いる中でその言葉を大声で口にしてしまった。
それにはルーナも流石に驚いたのか、キョトンとした表情でハーロルトを見つめる。
周囲の貴族の顔色は青どころか既に真っ白である。
「はんっ! 今更臆したか。所詮下賤な者を連れ歩く田舎貴族だな。口だけは達者のようだが頭の中がスカスカの女はせいぜい女としての仕事をしておけ。なに、殺しはしない。ただ貴様の家を潰した後は、この国に居場所があるとは思わないことだな! たとえ市井に出ても追い立てて、国外へ追放してやろう」
ルーナの驚愕を別の意図で捉えたハーロルトは、多少溜飲が下がったのか饒舌になるも、まだ怒りは収まらぬ様子であった。
ハーロルトの沸点の低さも勿論だが、この様な特殊な状況下で大勢の貴族に囲まれている中、これだけ尊大な態度で怒りをぶちまけられる胆力はどこから来ているのか、と周囲はむしろ困惑気味ですらある。
「なるほど――――ハーロルト殿下であったとは露知らず大変失礼致しました。何卒初めての社交でしたので、色々と手順を間違えてしまいましたわ。わたくしの不徳の致す所です、申し訳ございません。改めましてわたくしルーナ・カルローネと申しますわ。此度のことはお互いの紹介がないままだった故の不手際として、どうかここらで手打ちにしてはいただけませんでしょうか、殿下?」
その言葉にルイーゼは『流石ですわ、ルーナ様!』と内心で拍手喝采、まさに国家が割れる寸前で現れた、白い羽根を生やす救世主を幻視した。
それは、この場にいる周囲の貴族達も同じ気持ちである。
ここで会場内で様子を見守っていた貴族達も安堵し、冷静になればようやく事の全容が見えてきた。
恐らくルーナはハーロルトの事を知っていた。
しかしハーロルトの方はルーナを知らなかった様子。
式鬼神であるリアをバカにされたからか、高圧的な態度からか、ルーナは飽くまで異種返しのようにあえて身分を告げぬまま舌戦を繰り広げた。
あの程度の言葉の応酬など、夜会では日常茶飯事なのだ。
むしろ可愛らしい部類ですらある。
だが、流石にハーロルトが王族の身分を振りかざして、このような多数の国内貴族に囲まれた場で宣誓布告するとはルーナ自身も考えもしなかった事であろう。
終始様子を伺っていた周囲の貴族達でさえもそう思っていたのだ。
どこかタイミングのいい落としどころを見つけたところで、カルローネの名を告げて解決するつもりだったのだろうが、あまりにもハーロルトが感情的になりすぎてしまった。
そのためルーナは先程までの舌戦は、飽くまで夜会に不慣れな者同士が立場を知らぬまま起こしてしまった子供の喧嘩として片付けようとしている事に、周囲はこれでなんとかようやく丸く収まるとホっと安堵した。
多少ルーナ個人が泥を被った形にはなったが、むしろ王家を立てるというスタンスは力をつけすぎたカルローネ的にも良い事でもある。
「はんっ! カルローネがどうした。いくら名門といえ、たかが一侯爵家が王族である俺相手に喧嘩を売って手打ちだと? 知らぬ存ぜぬで済むと思うなよ。吸血鬼などという脆弱な式鬼神が一体しかいないような家などすぐに潰して見せるわ。せいぜい明日以降を楽しみにしているがいいさ」
捲し立てるように言い募り、不快だっ! 帰らせてもらう! という言葉を最後にマントを翻して、会場を颯爽と出ていくハーロルトをみなが呆然と見つめる事しか出来なかった。
「どういたしましょう?」
頬に手を当てコテンと首を傾げるルーナ嬢は大層美しかったとか……。
※注釈※『いやなに、今からでももう一人分の枠はあいているさ』
人種の女性は生涯で五人しか子を産む事が出来ない。
これはアンヘル教という宗教の最高神である夫婦神が五人の子しか生んでいない事に由来すると思われる。
しかしあらゆる保険のため貴族は三人しか子を産まないように制限されている。
そして側室を持てるのは王のみであり、貴族は一夫一妻制。