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魔神の受肉~悪魔が下界で貴族令嬢に擬態します~  作者: 烏兎徒然
一章 カルローネ家の令嬢
4/25

閑話 旅路

【Said リア】


魔物や妖魔という生き物は魔素の濃い、辺境の吹き溜まりのような場所で生まれる事が多いらしい。

『らしい』と曖昧な表現になってしまうのは、私自身が自分の生まれた経緯を良く分かっていないのですから仕方がありません。



私が初めて意識をハッキリと持った場所(ところ)は、当時はまだ人の手の入っていない大自然の山の中でした。

それはあまりにいきなりの事だったので、驚きのあまりポカンとした間抜けな表情のまま呆けていたと思います。

そして自意識を獲得してすぐに起きた現象もまた不思議なもので、一瞬の間に本能のようなものが働き〝私という存在〟と〝世界〟の事を知ったのです。


自身が吸血鬼という種族であるのだと理解し、この世界には吸血鬼だけではなく様々な種族がいる事も。

人種という種族のなかでも知恵のある人間は力こそ弱いものの数が多く厄介であり、そんな人間の国がいくつもあることも、自分が妖魔と呼ばれる特殊な存在であり人間にとっては討伐対象ということ、そしてその人間こそが私達吸血鬼のご飯なのだということも。


それでも分からない事は数多くありました。

知恵のない魔物の状態から、人や魔物を襲い、魔素を徐々に蓄えていき妖魔に至ったのか、それとも一足飛びで妖魔として生まれてきたのか、考える事は数多くあれど、今の私にはどうしてもそれらの考えごとに集中できませんでした。


私が裸で佇む山中の奥深くひらけたその一角は、周りの木々達がキレイな円形でこの場所に座る私をまるで守るようにして囲んでおり、小さな平原と言った様相でした。

山の中の小さな平原。

ふと足元に目を見やると、そこには色とりどりの花々が誇らしげに咲き誇っており、私はそれにしばらく目を奪われました。

そうか……木々が守っていたのは私ではなくこの花の美しさだったのか…………。



――それから数百年も後になって分かった事なのですが、その時咲き誇っていた花はどんな病をも治し、一口飲めばただの人間でも不老長寿になれると言われている、伝説の霊薬〝アムリタ〟を調合するうえで最も欠かせない、とても希少な素材の群生地だったようでした。

……初めて悔しさに震えて眠った夜の事です。



花から興味を移して、薄ぼんやりとした心地いい気持ちのまま辺りを見回し、何気なくゆっくりと空を見上げてみると、そこにあったのは何処までも続く深い漆黒に無数の光点が散らばる満天の星空。

自然と涙が流れていたことに気づいたのはあとになってからで、私はその日この満天の星空を明け方までじっと見つめていました。


朝日が奥の山の向こうから顔を出し、徐々に世界に色が付き始めた頃、ようやく私は自身の存在を思い出しました。

吸血鬼という種族にとって太陽の光は最大の天敵なのです。

慌てて木陰に隠れようとしたものの、しかしなぜだか私は陽の光を浴びてもなんの痛痒も感じず、むしろ心地良ささえ感じられる程。

私は特殊な吸血鬼なのでしょうか? 驚きです。


ああ、それにしても。


――こんなに美しい景色を見られないなんて、同族達はなんてもったいない……。


神々しい朝日を見た私は、神から生まれた事を祝福されたような気持ちでした。

どの瞬間からそう考えていたのかは知りませんが、たしかに私はその時『真に美しいものを見つけるためだけに世界中を回ろう』と決意したのです。


「ああ……ああ…………生まれたんだ、私は…………」


ポタリと落ちた一滴の涙を花弁に落とすと同時に、世界のどこかにある『私が求めるなにか』を探すための旅へと進むべく、足を一歩踏み出しました。



◇◇◇



大陸を歩き回ったのは四百年程。




人間と殆ど変わらぬ容姿のおかげで特に怪しまれる事もなく、人間社会に溶け込みながら生活を続けていると、自然と人間に対して情が湧くことも多くなっていきました。


あちらこちらを旅をしていると色々な人々との出会いや別れがあり、なかには美しいものもあれば、唾棄すべきような出会いも当然多くありました。

しかしそれもまた美しいものを、より美しく彩るためのスパイスのようなものだと割り切ってしまえば、不思議と誰かとの出会い自体を心待ちにし、楽しむようにさえなってきていたのです。


四百年もの間、旅を続けてきたのにも関わらず、誰かと共に旅をするという機会は一度しか訪れませんでした。

私は妖魔であり、吸血鬼。寿命の短い種族とは共に歩めぬ運命です。

しかしたった一度だけ共に歩めそうな者がいた時代もありました。


美しい噴水があると噂の町に立ち寄った際、何人目かの同胞と出会いました。

人間に擬態している同族を見抜くのは相当困難な事なのですが、この時ばかりは一目で目の前の彼女が同胞であると分かりました。


「あら、失礼。淑女のお食事を見てしまうとは、はしたない真似をしてしまいました」


彼女がお食事中だったからです。


深夜に少し開けた安宿の窓の外から美味しそうな血の匂いに釣られて、外へと出ていきフラフラと路地裏に迷いこんだら、まさか同族淑女のお食事風景を覗いてしまうなんて。はしたない真似をしてしまいました。


「ごめんね……運が悪かったね、お姉さん」


彼女は食事を放棄して私へ振り返り、そう言うやいなや彼女は四つん這いの体制から、しなやかな猫のように跳躍して、私に襲い飛びかかってきました。

私はそれを紙一重で躱し、彼女の腹部に一発お見舞いしました。

お食事を覗いたのは、たしかに私に非はありますが、これは正当防衛ですから、仕方ありません。


派手に吹っ飛んでいった彼女ですが、砂塵と共に静かに立ち上がりました。


「ケホッ! けほっ……ええー…………もうやだ、何もんなのお姉さん」


軽い口調で話してはいますが、その瞳にはまだ戦意があるご様子。

爪を鋭く伸ばした彼女は、こちらに踏み込もうとしますが、そうはさせません。


私は早々に決着をつけるべく、自身の魔力が通う血液を八本の鞭のように。

そして八本の血液の鞭は、彼女を全方位あらゆる角度から同時に襲いかかり、そのうちの一本に足を巻き付けられると、それが決定だとなり、瞬時に他の七本の鞭も彼女を締め上げました。


「えっ! 血液操作の術!?」

「ええ、貴女のお仲間ですよ」

「血液操作の術なんて私にも出来ないのに……あんな数を精密に操作するなんて…………なんかずるい」


逆さに釣り上げられた彼女は頬を膨らませ、あいも変わらず軽い口調で話しかけてきました。


「何がズルイですか。貴女がイキナリ襲いかかってきたのでしょう」

「うっ……同族だとは思わなかったから……」

「はあ、まあいいでしょう」


血の拘束を解き、開放してあげることで、ようやく警戒心が解けたのか、彼女――リアと名乗った少女とは妙に馬が合い、意気投合。

それから二人旅で二百年程、旅をすることになりました。


二人で冒険者の真似事をしてみたり、いけ好かない吸血鬼蔑視主義の貴族がコレクションしていた絵画を、全て下手くそなリアの絵に移し替えたり、時には吸血鬼とバレて国から脱出を図ったり。


初めて友人と呼べる存在と出会い、私はリアと共に旅をするのが楽しくて、そのうちに本来の当初の目的である『美しいものを探す旅』の事はすっかり忘れていました。



リアと旅を続けて大体二百年目頃に別れの分岐点が訪れました。

そのきっかけは水運都市の酒場で、吸血鬼が国を立ち上げるという噂話を耳にしたことです。

私達には幸い冒険者としてのツテもあり、その情報を集めるのには苦労することもなく。


正統な真祖の血統を持つと言われているルスヴン=カーミラと呼ばれる吸血鬼の、その圧倒的なカリスマ性に惹かれ、どうやら本当に大陸中の吸血鬼達が、彼女に夢を見て数多の吸血鬼達は今もなお西側諸国へ向かっているのだとか。


二人で情報を集めている間中、ずっと輝き続けている彼女の瞳を見て、私は未来を悟りました。


「……リア、行くのでしょう?」

「もちろん! 各地に隠れ潜んでいた吸血鬼達もみんな西側に向かっているらしいよ!」

「そう、ですか……」


私は、どうすればいいのか分かりませんでした。

彼女と吸血鬼の国へと行くべきか、また一人で旅を続けるのか。

リアとの旅は楽しかった。

それこそ本来の目的を忘れるほどに。


――けれど、私が生まれた時に感じた『何か』を私はまだ見つけられていない。


そんな中途半端な気持ちで、リアの側にいることが楽しいから私もと、そんな安易に決めるべきではない事だと、なんとなく思ったのです。

リアはきっと、その吸血鬼の国や大義に『何か』を見出したのでしょう。

そんな『何か』を見つけていない私が、一緒に行っても恐らく私はどこかで破綻してしまう気がしていました。


「リア、私は旅を続ける事にします」

「――そっか」


リアも薄々と、私がこのような決断することを察していたのでしょう。

どうあれ彼女に驚きはなく、その代わり、酷く寂しそうな表情を浮かべていました。


「けれど、私は私の『何か』を見つけたら、その時は必ず会いに行きます」

「……っ! うんっ!!」


そこでリアは吸血鬼の国に永住を決め、私は美しいもの探しを一人で再開するという理由で二人の旅はそこで終わりました。


「またいずれ」

「うん、また」


そう、会おうと思えば長命同士、いずれすぐ会えるのです。

なので私は簡素な別れの言葉を伝え、背を翻しまたアテもない旅へと歩き出します。


「またね~!」


突然の大声に振り向くと、リアは少し遠く離れた場所から精一杯の大声を張り上げ、私に向かって笑顔でぶんぶんと両手を元気よくふっていました。


「最初から最後まで煩い娘でしたね……」


吸血鬼の中でも優秀な私の視力は、手を振る彼女の目元に浮かぶ涙をハッキリと捉えました。


血の色をした真っ赤な涙。

吸血鬼の力の源でもある血液はとても大事なものなので、吸血鬼という種族は涙を流さないという話は有名です。

しかしそれが間違いであるという事を、私は生まれ落ちた頃に流した一滴の感動の涙で知っていました。


――真実は〝吸血鬼は滅多に涙を流さない〟のです。


景色だけではなく心の所作にも美しさはあるのだと。

また一つ気づきを得た私は、新しい門出に胸を膨らませ、足をもう一度踏み出して、一人旅を再開するのでした。



◇◇◇



ある町に訪れた時、吸血鬼の国が人種の連合軍により討伐されたと耳にしました。

リアと別れ、それから二十年と立たぬうちに、あっさりと吸血鬼の国は陥落したのです。


その報せを聞いた時、私はまるで水中にいるかのよう、耳はくぐもった音。

眼の前がチカチカと明滅し、それでも私は歩き続けました。


リアは『何か』をちゃんと見つけられたのでしょうか……。



その後は吸血鬼への執拗な残党狩りが大陸中で活発に行われ、けれど私は運良く捕まる事もなく。

危ない目に何度もあいながらも、私は懲りずに一人旅を続けていました。


その頃のわたしは周囲の過剰な吸血鬼排斥運動のせいでかなりナーバスになっており、人間に近づく事すら恐れていたので、できるだけ人に出会いそうのない場所を選んでは隠れ住むようにして、ただ生にしがみつくためだけの生き方をしていました。


しかし完全に隠れられるわけもありません。

一人に見つかれば噂はすぐ伝播していくし、怪しいよそ者が少しでもどこかに住み着けば誰かが訝しみ、吸血鬼なのではないかと密告するのは必然の時代でした。

それはたとえ街から廃棄扱いされたスラム地区であっても同じです。

むしろ多くの吸血鬼達はスラム街に隠れ潜んで暮らしていたので、余計スラム当たりは念入りに。



危機的な状況に陥る事は数えきれないほど経験し、幾戦もの死線を超えているうちに――気づけば人間の間では吸血鬼は絶滅した存在であるとされていました。



吸血鬼は絶滅したと噂される程なので、依然程の苛烈な吸血鬼狩りは行われないと思い、私は久しぶりの人里へ。

しばらく人の多い場所には寄らないようにしていたので、人間社会の貨幣の持ち合わせも当然あるわけもなく、切実な問題として当時の私はお金が必要でした。

長い間人間社会で活動していた私にとっては、森での暮らしや、スラムのような場所で暮らすのはいい加減うんざりしており、いち早くまともで平穏な暮らしを望んでいたのです。


あらゆる職を探そうと試みても、大抵の人間が勧めてくる仕事といえば私の容姿を見て高級娼婦の類いを斡旋されました。


…………リアを殺した人間に玩具のような扱いをされるなんて当然ごめんでした。

何か私の知らない胸の奥にくすぶるドロドロとネバついた黒い感情。

それがなにかも私には分からず。

ともあれそれが不快なものというのは事実で、結局私はその黒い感情を見ぬふりをして街から街へと、足を機械的に動かすだけ。



◇◇◇



その日も朝から職を探すものの、最近は特にツイていないのか、ガラの悪そうな人間に半ば無理やり娼館へと入れられそうに。

しかし『ここで暴れて吸血鬼だとバレては元も子もない。抵抗せず機会を見て適当に脱出すれば良いですね』などと普段の私なら呑気な考えをしていたのでしょうが、その時の私の精神はついに人間という種族全体に憎悪する一歩手前だったのです。

見てみぬふりをしていた黒い感情は、いつの間にかあふれる寸前。


優しい人間はたくさん見てきた。

人間とは一面だけで語られる事はなく、多角的に見なければならない、とはリアの言葉。

けれどここ最近のわたしは、人間という存在を一括りでまとめていました。


――ああ、もうなんだか、面倒ですね……。この街の人間全てを殺戮しても別に構わないのではないでしょうか?


そもそも普段は理性で抑えていても、私の本能は人を喰らうものです。

アレだけ固執していた、『何か』。

もしその『何か』が存在しないものなのだとすれば、私はあの時リアと分かれるべきではなかった。

ないものを探して、あるモノを置いて行き、死に場所を失って。


美しい、美しくない等という価値観も、もはや今となってはどうでも――


「お前、美しいわね」


子供の声がするりと耳に馴染むように入り込んで来ました。


「このわたしくしが、娼婦なんか目じゃない額の給料をお前に与えてあげるわ。だから、お前は今日から私のもの。これからわたくしのメイドとなるべく勉強し、以後わたくしに誠心誠意仕えなさい」


まだ十にも満たない子供でしょう。

長く黒い髪にルビーのように輝く瞳は、自信に満ち溢れているようでした。

明らかにお忍び用だと分かるようなキレイな平民用の衣装に身につけており、見るものが見れば貴族であるとすぐにバレるでしょう。

そもそも所作や言動からして隠す気があるのでしょうか?

なにより宝石の瞳は魂の器である魂器(コンキ)の大きい魂魄を持つ証。

つまり殆どが大貴族なわけです。

せめてフードをかぶるなどといった対策が必要でしょう。


普段の私ならそう呆れるはず。


けれど、呆れより先に胸の奥、もしくは遥かさらにその奥の何かが猛烈に熱くなるのを感じました。


一度その熱に気づけばドクンと私の中の核が強く脈を打ち続けるのを感じるのです。

異常な速度で血液が体内を駆け巡り、体は迸る熱で支配されました。



――――あれ、れ? 

あ、ああ…………!! 

ああっ、これだ…………ッ!!

これだっ! これだっ! これだッ!!


あの日、私が私になった日と同等の、いやそれ以上の美しさが今ここにある…………っ!

この人だ! この御方だ! 自身の魂魄が激しく彼女を求めている気がする。

これは勘? いいや確信であった。


「わたくしの名はルーナ=カルローネ=グラディウス子爵。グラディウス侯爵家が娘よ。返事は『はい』か『光栄でございます』のどちらかで答えなさい」


有無を言わせぬ傲慢な態度。

されど嫌な気分はまったくしない、それどころか――

ルーナ……ルーナ様…………。

気づけば私の体は勝手に動いており、自然と片膝を付き頭を下げていた。

そしていつの間にやら先ほどのガラの悪い男たちもいなくなっているけれど、そんなことは今はどうでもよいのです。

この御方は人間であるはずなのだが……なぜだかこの御方ならば信用出来る気がするのです。

つい先程までは人間全てを滅ぼしてやろうとも思っていたのに。


――なぜでしょう……この感覚は一体…………。


「ルーナ・グラディウス様。………………わたくしの名は――」


そこで私がまともに名乗るような名前を持ち合わせていない事に気づきました。


一人旅では名前などなくとも不便はなく、時々誰かに名乗る事はあってもその場限りの付き合いがほとんど。

適当な名前をその都度でっちあげていたのです。

リアと共に旅をしていた間も、リアは私の名前をその時々でとっさに作った名前から気に入ったのをチョイスして私の事を呼んでいたため、定まった名前が私にはなかったのです。

リアは私にたくさんの名前をつけて呼んでいましたが、一番長く呼んでいた名前も恐らく十年程。

数百年の間に付けられた数多の名前を長命種特有の記憶力のおかげで覚えてはいても、なにやらその中にしっくりくるような名前はありませんでした。


これが今までと同じようなただの名の問いかけであったのならば、適当な名前をつけていたのであろうけれど…………。

ルーナ様に今後仕える覚悟を決めたからには、恐らくこのあとに続く言葉が一生ものの私の名前となるのでしょう。


リア……私はどうやらちゃんと見つける事が出来たようです。

貴女はどうだったのでしょう。

もし不幸な最後であったのならば、私が貴女も共に連れていきましょう。


――――ならば、


「わたくしの名は〝リア〟と申します。ルーナ様に私の持ちうるすべての力を持って仕える事をお約束いたします」


「『はい』か『光栄でございます』の二択で、と言ったのに……。まったくもう。まあ、いいわ。リアね、いい名前じゃない。今の時点でもお前の所作は美しいわ。けれど! それでも! すぐにでも! メイドとしての勉強を始めなさいな。わたくしのメイドとなる以上、お前には世界一のメイドとなってもらわないとわたくしが困るのよ」


腕を組んで堂々と立つルーナ様。

けれど、どうしても聞いておきたいことがあった。


「ありがたきお言葉です。私の名を褒められる事は最大の名誉でございます。そしてもちろん、メイド術の修行も全身全霊を持って努力致します。しかし一つお尋ねしたいのですが、なぜ…………私なのでしょうか?」


私がルーナ様を一目見た時に思ったのはどれも崇拝じみた好意だ。

世界に、運命に、神に、背中を押されているような。

生まれた直後のあの一日に感じた美しさをもう一度幻視するような。

新たな街に入る一歩目のワクワクがあるような。


そんな私は生まれて初めて感じるような、火傷しそうな程の情熱に焦がれたゆえに、この御方の側に仕える事に決めたのです。

ルーナ様を見た時のあの美しさと衝撃は、語ろうと思えばいつまで語れる自信があるわけですが、全ては私の直感のようなもので、半ば勢いで決めてしまった感も拭えない。

けれど一切の後悔はない。


――しかしこの御方がなぜ私を選んだのかが疑問なのです。


そしてルーナ様は頬に手を当てコテンと首をかしげる。

その後、人指し指で下唇をなぞり、じっくりと数秒の間考え混む。

そうしてようやく出てきた答えは、


「勘よ!!」


の一言だけでした。

ルーナ様はズバリ「ただの勘である」と言い切ってみせたのだ。

私自身も似たようなものなのです。


しかし私はルーナ様へ仕えるため、言葉では表せない複雑な胸中の感情の理由を必死に探して、自身のルーツである美しさに例えてみたりと、たくさん〝自分〟の感覚と、そして〝ルーナ様〟を想う感情の理由を探していたのにも関わらず、この御方は『自分が信じたのだから間違いようがない』と言わんばかりである。


そのあまりに堂々とした傲慢な思想と、その態度に思わず笑いが溢れてしまう。

まだ背の低いルーナ様は、跪いたままの私を少し見上げるようにして睨みつけますが、そこに悪意や苛立ちのようなものが微塵も混じっていない事が私には分かります。


なぜ? なぜ分かるのでしょう? なぜここまでの好意を感じるのでしょう? 何が私の熱を起こしているのでしょう?


「無礼なメイドね。こう見えてもわたくしとっても凄い魔法師なのよ」


ルーナ様はあまりない、慎ましやかな胸を張ってそう仰っしゃりました。

そんなルーナ様の自信に満ちた表情を見て……思わず考えてはいけないことを考えてしまう。



――ああ……この御方の…………ルーナ様の血はきっと素晴らしい美味しさに違いない。



この御方の前では隠していてもいずれ、吸血鬼であるとバレるような気がした。

出会ってすぐでこれなのだ。いずれ魔が差す事は間違いない。

私の理性のタガは、もうすでに緩みきってすらいるのだ。

この御方の血を一滴も余すことなく、全て飲み干してしまいたいっ!!


「そうですね。中々の魔力量をお持ちのように思えます。実は私もこう見えて結構凄いのですよ」

「へえ? 面白いじゃない。なら私の最初の命令として、貴方に何か実力の程でも見せてもらおうかしら」


面白そうといった表情を隠す事もなく、奔放に振る舞う傲慢な主。

それがなぜだか私にはとても心地良く感じるのです。

ああ――もう我慢の限界だ。


ならばお望み通り見せてあげましょう、私の力を! 距離を一瞬でつめて、この御方の首筋に喰らいつき、その甘露な香りのする血液すべてを今すぐにでも一滴も残さず――――


「ねえまだなのかしら? さっさと見せなさい、〝リア〟」

『ねえ。起請の使役術きしょうのしえきじゅつって知ってる?』


ルーナ様にリアと呼ばれた瞬間、聞こえるはずのないリアの声が聞こえたきがした。


『なんですか? もちろん生まれた時から知っていますが?』

『だよねー。えへへ、ただこの〝三つ目の術〟が私は好きなんだ』

『もの好き極まりない吸血鬼ですね。貴女はという子は』

『えっへっへっー! でもきっと●●はいずれ誰かの式鬼(シキ)くらいにはなりそうだけどねー』

『それこそまさか。ありえませんよ。私は常に自由でいたいのです。〝三つ目の術〟などもってのほかですね』




「――……それではルーナ様『起請の使役術きしょうのしえきじゅつ』を私にお使いください。月に一度でいいので、吸血鬼一口分程度のルーナ様の血を頂くのを代償に《精神契約(せいしんけいやく)》を致しましょう。もちろん眷属化の吸血ではありませんし、他の条件についてはルーナ様が全て考えてくださっても結構です」


先程まで余裕綽々といったような態度だったルーナ様は口を半開きにポカンとした表情で私を凝視する。

それもそうでしょう。

起請の使役術きしょうのしえきじゅつ』とは人間が魔物や妖魔を使役するための術です。

そして三つある使役術の中でも『最も支配力が強く、妖魔にとって最も意味のなさない術』こそが《精神契約(せいしんけいやく)》なのですから。


これでこの方を殺してしまうような事態は避けられる。というのが私の一番の想い。

そもそもそんな事があろうがなかろうが、私はルーナ様に全てを捧げたいとも思っている。

けれど……。


――言ってしまいました……。私が妖魔であり、そして今もこうして太陽の下でも平然としている、少し特殊な体質の……そして既に絶滅したとされている吸血鬼であると……。


正直に言うのならば、私は今とても怖い。

一定のリズムを繰り返す心臓の音がうるさい。

先程のルーナ様の驚愕に満ちた両の眼は、過去に何度も見てきた瞳なのです。

先日までは友人であったのにも関わらず、正体を明かすと必要以上に恐れられ、追われたり殺されかけたりした過去は幾度となくあった…………。


しかし、この御方に裏切られるのであれば……。

私の旅の目的はそもそも美しいものを見るためであり、ルーナ様はその極地だった。

ならばそれはそれで目的を達したのだと、胸を張っていれば生の幕引きとしては今が一番良いタイミングなのかも知れない……。


しかしそんな私の浅はかな予想とは裏腹に、ルーナ様は驚きで少し空いた口を閉じ、片側の口端の口角を徐々に上げていき、目の輝きを増していく。

だがこのような表情も、学者や権力者などといった存在が幾度となく私に見せてきた表情である。

私の利用価値に気づき、自身の薔薇色の未来を夢見る大人の顔…………だと思ったのだがルーナ様のそれはどうも何かが違う。

根底は同じなのだろう。

利用価値の高さに喜んでいるのかもしれない。

なのに、それなのにどうしてこうもこの御方の感情は、全てが美しく見えてしまうのか。


――こんなに純粋で美しい好奇心を向けられたのは初めてです。


「素晴らしいわリア! やっぱり! やっぱりいたのよ!! 陽の光も聖水も効かない完全な吸血鬼は! 正しかった! 私はやっぱり間違っていなかったのね!! なら貴方は今日より私の専属メイド兼グラディウス家の、いえ私の式鬼神(シキガミ)となってもらうわ!! 二言はないはよね!? ね!!」


少し不安を感じてはいたが、やはり私の信じた心は正しかったようです。

この御方は私が吸血鬼であっても、気にしないどころかむしろ評価を上げてくれさえするのですから。


「さっそく我が家に戻って、精神契約(せいしんけいやく)の契約書を作るわよ! 善は急げってやつよ!」

「……はい、かしこまりました。ルーナ様」


――満面の笑みを浮かべるルーナ様を見て、私は一滴の血をこぼした。

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