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魔神の受肉~悪魔が下界で貴族令嬢に擬態します~  作者: 烏兎徒然
一章 カルローネ家の令嬢
1/25

プロローグ

ふわふわ。ぷかぷか。


まるで体が宙に浮いているような、そんな不思議な心地。

悪くない。

むしろ絶対的な安心感に包み込まれているようで、とても気持ちがいい。


それでもきっといつかは起きなくてはならないのだろう。

それがいつなのかは分からないけれど、いつまでもこの微睡みの中で甘えてはいけないような気がする。


そうだ。三秒数えたら起きよう。そうしよう。


一……二……三………………。


――あ……無理そうだ。


ああ、叶うならばいっそこのままでいたい……。

なぜ起きなくちゃいけないのか。

とはいえ、そんな気持ちとは裏腹に、なぜか起きねばならない気も。

…………あら? 今の今までぼんやりとしていた思考が、徐々に明瞭(めいりょう)になってきている?

なんだか少しだけ、感情的になってきてるような……。


そもそも、私は誰だ? 名前? 性別? 

何も思い出せる気がしないけれど、確かに私はかつて一個の生命としてあったはず……。


ああ――少しずつ思い出してきた。

私は……たしか、地球の日本で生まれて……暮らして……それから…………それから…………。


親の顔も、友の顔も、自身の顔も名前も何も思い出せない。


エピソード記憶の欠如というやつなのだろうか?

たくさん蓄えてきたはずの知識はあっても、大事な経験という記憶が、すっぱり欠如してしまっている。

『エピソード記憶』なんて普段使う事もないような単語を覚えている、というのが証左とも言えよう。

他には何一つ思い出せる気がしない。


けど、まあ、いいか。

今の私の心境は、なんとも楽観的な気分なのだ。

もちろん、未だ軽い微睡(まどろ)みのなか。


あまりの心地よさに、脳に(かすみ)がかったような夢心地だからこそ、今の心境なのかもしれないけれど。


でも…………もう起きないといけない。


何かにつきうごかされるような。

もしくは何かに急かされているような気がして。

そして、やっとの事で起き上がる決心がついた。

すると、さっきまでの心地よさも、頭の中の霞も、それらが一瞬にして霧散し、今度こそハッキリと思考が明瞭になったのだ、と確信をもって感じ取れた。


スッキリとした頭を使い、自分の意思で体を動かそうと決めた途端、ボテっとお尻から〝ドコか〟に落ちた。


私は先程までどこにいたのか。

そしてどこに落ちたのか。

今はどういった状況なのか。

考える事はたくさんあるはずなのだけれど。

それでも、落ちてすぐに私が思った事は「落下距離は一メートルもなかったみたいだけど、それでもちょっとお尻が……痛い気がする……? そもそも痛い? ってなんだっけ……?」である。

自分の事ながら、なんとも楽観的な感想である。


それでもまったく困惑もしないのだから、不思議なもの。

そもそも不思議だとも、そんなに思えない。

自身の存在自体が、ひどく曖昧に感じられる。


「すごいな……」


私以外の声が聞こえて、初めてその存在を私は認識した。

男性のようにも見えるし、女性のようにも見える。

けれど、決して中性的な容姿をしているわけでもない。


そもそも人間のように見えないし、でもやはり人間に見えるような、そんなひどく曖昧で、けれどとてつもなく大きな存在(物理的な意味ではなく)が、臀部を強打したままの、私を見下ろしていた。

なんだろう、すごく大きい。

何が大きいのかは分からないけど、その凄まじさだけはわかる。

なんだろう? 存在感? オーラ? 格の違いというやつか?


「面白いと思うべきか、望外の喜びとでも思うべきか、はたまた頭を抱えて困ってみるか……?」


その存在は、興味深そうに私をマジマジと見つめている。

期待と困惑の色が滲んだ瞳を私に向けながら、呆然としているような表情を浮かべているような――気がする。

『気がする』というのは、目の前のその存在すべてが、何もかもが曖昧であるからだ。


「目覚めてまもないようだが、君には私が誰だか分かるかい?」

「はい」


違和感もなく、咄嗟にその声に答えられた。


しかし声と呼ぶのには、あまりにも音がない。

それは思念のようなものに近く、言語を介さないで意思を直接手渡されているような。

未だかつて経験したことのない感覚。

そして私も、喉から声を発していない。

なぜだか、自然と眼の前の存在と同じ芸当が出来た。


最初はあまりのその存在感――そう、途方もない存在の大きさに神様なのかとも思った。

けれどそれも一瞬の事で。

私は既にその人? をひと目みた時から、すぐに理解していた。


――この御方が、私を生み出したのだ、と。


性別もわからないが、なぜだか私には父上だと感じてしまうのだ。

ならばこの曖昧な存在は、私にとっての父上なのだろう。


私が一人うんうんと納得するように頷いていると、父上は未だ尻もちをついていた私に手を差し伸べてくれたので、遠慮なくその手を握る。

けれどなんだか記憶の中の、手と手の触れ合う形とは何かが違う。

何が違うのかと問われても、やはり私には分からないのだが。


「奇跡の子ルシフェル。我の……父上の手伝いをしてくれないか?」


どうやら先程の質問に正確に答えるまでもなく、私の考えていた事はすべて筒抜けだったようだ。

けれど不思議なことに、私の胸中には恐れのようなものは微塵も感じない。

むしろ、それより気になる事があった。


「ルシフェル……それが、私の名前ですか?」

「そうだとも。少々君の知識から拝借し、その中で最も君の役割に近く、君が願った存在に近い名前を授けたんだ。いやだったかい?」


父上は『私の知識から』と言っていたが、私自身はつい先程生まれたばかりである。

つまりそれは、私が人として生きていた頃の知識の事なのだろう。

今の私は人ではないと本能的に理解している。


「いいえ。父上から名前を頂けた事に、とても嬉しく思います」


なぜだろうか。

私はまた微睡みの中に戻ったかのような、絶対的な安心感に包まれている気分にあった。

お互いがひどく淡白な会話の応酬だが、微睡みのなかで呆けていた先程までの私と違って、現在私自身の思考は至って明瞭である。

しかしそれなのにも関わらず、なぜか機械的な受け答えしかできない。

これは私の個性なのか、はたまた生まれたばかりという事が関係しているのか。

現時点ではまだ答えは出せそうにない。


「そうか、気に入ってくれたのならばそれは良かった。それでルシフェルは父を手伝ってくれるという事でいいのだよね?」


そういえば最初の問に対して、まだ口にして答えていなかったと思い出す。

今の私には、考えるまでもないことだった。


――もっと、この御方の側にいたい。


ただ、それだけが私の頭の中を支配していた。


「ええ、もちろんです」



◇◇◇


そうして父上は私を連れて、様々な所に連れて歩き回りながら、たくさんの事を教えてくれた。

しかし、一向に周囲の気配は変わらない。

どこもかしこも同じような場所だ。

目的地があるのかは不明で、ただ歩き、そして会話をする。


曖昧な存在から、いつの間にやら気づけば、私も父上もしっかりとした人の形を成していた。

今では自身の体などもきちんと見えている。


光も何もないはずなのに、自身が人の形であることに気づけた。

光がないとは言うが、ただの暗闇でもない。

ただここは360度、どこを見渡しても、だだっ広い真っ白な空間。

いや、これはきっと真っ白な〝世界〟なのだと思う。


そんな真っ白な世界にいる、私を除いた唯一の例外が父上なのだが……その父上の容姿は白く長い髭を蓄え、引きずる程にまで長い真っ白な髪をした、ローブ姿の……いわゆる仙人を想起させるかのような老人の姿だった。

そして、そのローブも白色と来ている。

ここは白以外に色が存在しないのかな?


そんな事を考えながら歩いていると、父上はこちらを見ず、まっすぐ前を見据えたまま口を開いた。


「ルシフェル、君はイレギュラーだ。そしてそれは特別とも言いかえられる。本来私は、君に自我をもたせるような処置をするつもりはなかった。概念としての存在を創ろうとしたのだ。しかし、なぜだか君は生命として現れた。手違いなどないはずであった。これはただの偶然とよべるが、言い換えれば奇跡の産物なのだ。そもそもそんな事は今のこの世界では、やろうとしても出来ない事なのだ。しかし何故か君には、別の理で動く世界の人間として暮らしていた記憶がある。これは本来あり得ざる事であり、君にも分かるように説明すれば『プールに部品をばらまいてみたら、勝手に懐中時計が出来上がった』という程の稀な出来事なのだ」

「たしか……宇宙や地球が生まれて、始まりの生命が出来上がる程の偶然、ということの例えでしたよね?」


どこかで聞いたような、あまりにスケールの大きい例え話の偶然は、もはや必然のような気がしてしまい、あまりピンとこないものだ。


「……いいや、すまない。先程の例えはあまりにも君に寄せすぎてしまった。それよりももっと神秘的な奇跡の産物なのだよ。高次元種族と呼ばれる存在の中でも、更に高次の精神生命体である私にとっては宇宙等たやすく作れる。しかしルシフェル、君はそうではない。たとえ私であろうとも、もう一度意図して創り出せるような存在ではないのだ」


色々と衝撃的な話を聞いているつもりなのに、私の中に驚愕という感情は一切湧いてこない。

そうなのか、珍しいのか、そういった程度の感想だ。

私としては、もう少し驚いてもいいと思うんだけど、その感情が湧いてこないのだ。


「それは君がまだ生まれたてだからさ、いずれは感情も豊かになる。安心しなさい」


また私の心を読んだのか、それとも私には想像もつかない何かで察したのか、父上は私の素朴な疑問に対して、あまりにも簡単に答えを口にした。


――ならばこの先、私はいったいどういった個性になるのだろうか。



◇◇◇



なぜか幼女姿の私は、父上と手を繋ぎ、歩く。

あらゆる話を聞きながら、永遠のような道なき道を只々ひたすらに歩いていく。

特に目的もないのだろうし、景色も一切変わらぬ白い世界なのに、なぜだかそれだけで心が満たされる気分であった。


自身に残った人間としての知識と、現在の感情との乖離に些か戸惑いはするが、これはきっと私が人間ではなくなったからなのだろう。

どれだけ生きるのかは知らないが、もし今の私が前世の頃から恐らく好んで読んでいたファンタジー世界に存在する、長命種や不老種のような存在なのだとするのならば、この今の感情はきっと正しいものなのだと思う。

もし人間としての感性のままであったら、おそらく既に発狂して自我は失っている気がするほど、それだけの時間が流れていた。


どれだけ時間が経ったのだろう。

きっと数百年はそうしていたのかもしれないし、もしかすると万年かもしれないし、あるいは一秒にも満たないのかもしれない。


――ここは何もかもがひどく曖昧な世界だった。


「そう。ここは、まだまだ不完全な世界だからね。でも世界が完成する前にルシフェルが生まれた事によって、この世界は着実に面白く変化している。ある程度の安定が見込めるまでは、君の中にある知識が今後至る所で創造されていくことになると思うよ。意識的にしろ、無意識にしろ、ね」


父上の表情はやはり曖昧であるため分かりづらいが、それでも出会った当初よりずっと父上の存在を認識できるようになっているし、表情の些細な機微も僅かながら察せるようになってきた。

おそらく優しげに微笑んでいたと思う。


休憩要らずのこの体。

しかしなぜだか父上はたまに休息と称して、二人で床に腰を下ろす事もある。

何度か繰り返しそうやって歩き続けていると、時折宙に浮いている光る球体と出くわす事があった。


父上はただの気まぐれか、唐突になにか突拍子もない事を教えてくれたりと、わりとそんなトコロがある。

話したい時に、話したい事を話す。

そして今日、初めて父上はその謎の球体を指さしてその正体を教えてくれた。


気にならないわけではなかったが、あれだけの時間があったのにも関わらず別段興味もなかったので、わざわざ聞くような事をしなかった、私にも問題がある気はするが……。


「実はね、ルシフェルもあの中から出てきたんだよ。私はこの世界を作って最初にああいった〝卵〟が何個か生まれるように世界を創ったんだ。本来は概念が生まれてくる卵なのだけれど、君という存在が現れた時点で、既に概念は自然に生まれつつある。これらは君が生まれてから比較的早い段階で現れたから、君の影響を大いに受ける事になるんだろう。私が願った卵の数は少ないからね。人間的に言えば所謂、君の弟妹(きょうだい)のような者達が生まれてくる事になると思う。その後は自然と世界が卵を作ってくれる。これらは後輩のようなものかな? 世界を安定させるための手伝いと共に、彼らへの教育も頼むよルシフェル」

「かしこまりました父上。万事私におまかせください」

「うん、よろしく頼むよ、私の唯一の愛娘である始まりの生命。そしてこの世の始まりの悪魔――ルシフェル」


そう言って父上はまたニコリと微笑むのだ。


本能的に自身が悪魔という存在であるのだ、という事はとうの昔に理解してはいた。

けれど、前世のわたしが願った形に一番近い存在が悪魔って……以前のわたしは一体どんな人間だったのだろうか。


……………………少し考えるのが恐ろしい。


そうしてまた私は父上と手を繋ぎ、静かな白の世界でまた一歩と歩みを進める。

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