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「……なんでやろな」

 来女(くるめ)が独り言のように呟く。その声は乾いていた。

「おっ(とう)を恨む気にはなれん」

「それはきっと――琴音さんも同じなのかもしれませんね」

 ゆっくりふり返り、意外そうに志摩禰を見つめる。しかしその表情は、やはり影になっていて見えない。

「過去を見せるのが、死神の仕事なんか……?」

「走馬灯とも言います。ひとは死の間際、それまでの経験を思い出す。死出の旅の退屈しのぎには丁度良いでしょう」

「私の記憶じゃない」

 首を振る来女に、志摩禰は静かに腰のあたりを指した。それに気づいて娘は、「ああ」とすべてを理解したように息をつく。毛皮の根付が静かに揺れた。

「だから、これはここでお(しま)いです。――さあ行きましょう」

 二人はまた歩きだす。

 その後、遠くの縁者に引き取られた娘が幸福であったのか知るよしもない。だが、この現状を見れば、やはり推して知るべしなのだろう。

 憐れむように志摩禰はふり返った。

 後を追ってくる来女は、大人の足に追いつこうと必死だ。そのせいで、頭には狐の耳が、お尻には尻尾がひょっこりと飛びだしているのにも気づかない。

 待ち受けた志摩禰は、こっそりと娘の眉に自分の唾を塗る。すると妖かしの姿(しるし)が消えて、元の(ひと)容姿(かたち)に戻るのだった。

「少し早く歩きすぎましたか」

「平気」

 来女は微笑む。けれどもその表情には、疲労の色が見てとれた。

「まだ先は長いの……?」

 いいえ。と死神は答える。ほら、もうすぐ、そこに。と。

 死神が(いざな)う先には一転した目映(まばゆ)い光。それはあたたかく懐かしい。この先がきっと、望んだあの世に違いない。

「なあ。――おっ(かあ)は……おる?」

 改めての質問に、志摩禰は黙って頷く。来女の顔はぱっと輝いた。

「では。どうぞ。おいきなさい」

 促され、駆けだしそうになった娘は、けれどもはたと気づいて不安げに死神を見あげた。志摩禰はその場を動かなかった。

「わたしはここまでです。最初に言いました」

「……うん」

 納得しかねて来女は、心細そうに目を伏せる。やがてその濃いまつ毛を持ち上げると、力強く男を見つめた。

「ありがとう」

 その言葉を聞いて、死神はわずかに驚き、そして微笑んだようだった。

「大丈夫。真っ直ぐ進みなさい」

「うん……」

 まだ不安げな来女に、屈み込んで志摩禰は小さな布包みを渡す。

「餞別です。元気を出しなさい……と、死神(わたし)が言うのもおかしな話ですが」

 来女は笑い、その背を志摩禰が優しく押した。

 娘は駆けだした。光に向かって、脇目も振らず。ふり返らずに。

 そうして光に包まれてそのなかに消えるまで、黒衣の男は黙って見つめていた。やがてすべて見届けてしまうと、肩をすくめると、また来た道を引き返していった。

 そんな彼を迎えるように、小さな灯りがぽぅ、と遠く闇の先に灯った。


       *


 不知藪(しらずやぶ)から岩下来女が帰ってきたというのは、妖怪絵師としての彼女を語るうえでは非常に重要な逸話である。その際、美しい(かんざし)を持っていたというが、生涯手放すことはなかったそうだ。

 後年、人に語ったところによると、その幼き日の藪入りは、自ら命を絶つための逃避行であったとされている。育ての親より受けた悪辣な環境から逃れるため、死別した産みの母に会おうとしたのだという。

 しかし、神隠しより帰ってきた彼女は、やがて育ての母との関係も修復し、善き母善き娘として過ごしたそうだ。

 そんな岩下来女の描く絵物語には、たびたび鎌を持たぬ黒衣の死神が登場するが、それらはまた別の話である。


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