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 闇。見わたすかぎり、闇。

 道はない。

 灯りも目印もない。

 迷うことなく男は、歩を進める。真っ直ぐに。それを追う娘は、見失わないように必死にその背を捉える。

 志摩禰の外套は闇色で、ともすれば世界に溶けて紛れてしまいそうだった。

 娘の腰あたりで揺れる大きな根付は、まるで闇に跳ねる小動物のようだった。

「ひとつ、質問が」

 ふり返らず、志摩禰は不思議なことを言う。

()()()()()()()()()()

 一瞬たずねられた意味がわからず、娘は言葉に窮した。だが、すぐにその真意に気づくと、

「……おっ母はひとりだ」

 うつむきがちに笑った。大きな目を前髪に隠して。

「知らずに、ですか」

 闇色の背中はまた問う。

「…………」

 娘は答えられない。一層顔を伏せる。

 知らないのだ。なにも。

 だからこそ会いたいのだ。

 その歯がゆさがもどかしかった。

「――ならば知りなさい」

「知る……?」

 立ち止まり、男はふり返る。

「知ることは罪ではありません」

 突如、風もないのに外套ははためき、影は大きくゆがむ。それはしだいに激しさを増し、包まれた娘は視界を失った。



 ――(くら)い。

 (よど)んだように質量のある闇の影。まとわりつく。

 沼の底に落ち込むようなどっぷりとした色彩に、体が腐敗しながら溶けていくような錯覚をおぼえた。

()なさい。たとえそれが闇であっても」

 どこからか志摩禰がささやく。あらゆる角度から聞こえる声。

「認めなさい。それが闇であったわけを」

 反響する。鈍い衝撃のように。

 残響が。鼓膜を揺さぶる。

 再び目を開けた娘は、飛び込んできた光景にまたしても驚きを隠せない。

 先程までの闇も森も。そこにはない。

 あふれ出るような音と光。とりどりの市が立ち並ぶ賑わいは、昼間の往来であった。あちこちで活気づいた呼び込みが交わされている。

 ここはどこだろう。いつの間にこんな場所に来たのか。こういったところにあまり連れてきてもらったことのない娘は、物珍しさに落ち着かない。

 威勢のいい掛け声と気前のいい話し声が飛び交っていた。

 すぐ脇は(かんざし)屋のようだ。店主は隣の店の男と立ち話をしている。屋台を構える二人の商人は、それぞれ持ち寄った品を売っていた。

 売台には幾つもの(かんざし)が並んでいる。愛らしいものから美しいもの、色も細工飾りもさまざまだ。どれも娘にとっては初めて見るもので、その華やかさに思わず胸が躍った。

 金など持っていないが、触るぐらいはいいだろう。そろそろと手を伸ばし、確認するように店主に目を向けるが、こちらには一瞥もくれない。

 そっと添えた途端――

 小さな手が空を切った。

 娘は驚いて身を引く。

 おかしい。たしかに掴んだと思った(かんざし)は、しかし触れることさえできなかったのである。

 不思議な出来事に目を白黒させながら、再び手を伸ばす。けれども、やはり娘の手は簪をすり抜けた。何度やっても同じ。その美しさを手にすることはできなかった。

「残念ですが」

 後ろから志摩禰が、起伏のない声でささやく。

「過ぎた事象は変えられない。過去(ここ)にあなたは存在しないのだから」

 ふり返ると、死神は無言で見つめ返していた。

 娘は胸の内で、いまの言葉を反芻していた。どういう意味なのかわからなかった。


(おいおい、ありゃあどうしたってんだ)

 簪屋の主人が、素っ頓狂な声をあげる。驚いて、娘はふり向いた。

(なんだなんだ? なにがだい。――ははあ、ありゃ仙吉じゃあねえか)

 隣の芋煮屋が往来になにかを見つけると、合点がいったように答えた。

(なんでも最近、えらい羽振りがいいんだと)

 彼らの話題の主は、通りをのんびり歩いている中肉中背の男のようだった。身なりから、町の人間とは少し違った感じがする。両手にたくさんの買い物を抱えているが、ここからでは、遠ざかる背中しか見えない。

(年の暮れに大層別嬪(べっぴん)な嫁をもろたそうでな、そんでほれ、今度可愛い()()も産まれるいうんで)

(そうかい、そいつぁ驚いたな! なるほどなあ……いや、あの無骨者が産着なんぞ選んどるもんだからびっくりしたわ)

 そこで、ようやく娘は違和感に気づいた。

 先程から二人はこちらを見ていない。

 客にもならない小娘だから軽んじられているのかもしれなかったが、連れは異様な格好をした死神(おとこ)である。

 ひょっとしたら、男たちはこちらに気づいていないのではないか。

 ――過去(ここ)にあなたは存在しないのだから。

 その意味を、おぼろげに娘は理解できたような気がした。

 ここでは娘も死神も存在しないのだ。いわば、幽霊のようなものであろうか。ならば、物に触れられないのにも納得がいく。

 奇妙な二人連れのことなど初めから見えないかのように、男たちの会話は続く。

(なんでもよう出来た嫁らしうてな。仙吉のやつ、酒も博打もぷっつりやめおって、いまじゃ真面目に木()って畑耕しておるわ)

(おいおい、家業の狐釣りはどうしたね)

(それがお前、先だって罠一式を(くわ)と種に換えたってんだから驚きよ。これも嫁の進言というじゃねえか。だが、そいつも大当たりよ。あのお山、土がよう肥えとるんか、仙吉んとこの野菜に果物、この実りの秋じゃ。毛皮に負けんほど売れおるいう話だて)

(こりゃまた驚いた。あの博打狂いの仙吉がのう……。なんだか――狐につままれたような話じゃのう)

 男たちの視線につられて目を移したが、そこにはすでに、(くだん)の男の姿はなかった。

「行きましょう」

 志摩禰が歩きだす。仙吉を追うように。

 娘が歩きだす。死神を追って。

 人々の営みの喧騒が、そこでは生き生きとつながっていた。



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