表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【恋愛】幼馴染がのこしていったもの【ファンタジー】

<第一の手記>


 昨日、幼馴染が駆け落ちした。

 昨日は彼女の15歳の誕生日であった。

 節目となる誕生日であり、ご両親は盛大なパーティーの準備をしていた。自分たちより格上の貴族も招待していた。将来の結婚のことなども見据えてのことであろう。

だが彼女は既に恋の相手を見つけていた。そう、リリアは。添い遂げたいと思う相手を既に心に決めていた。

 こんなこと、とても彼女の両親には、いや、自分の両親にだって言えないが、彼女はわたしには前もって伝えていたのだ。明言することはしなかったが、年頃の少女同士すぐにピンときてもおかしくない仕方で。わたしはこうして事が起こって初めて理解したのであるが。駆け落ちの相手である男と会わせてもらったことまである。商人の家の、わたしたちより3つくらい年上の人であった。遠い土地への交易の旅に参加したことがあり、近隣の王国や自治都市にはしょっちゅう出掛けていて、友人や知り合いが大勢いるとのことであった。

「仮の話だけど、この国を出ることになっても行先は沢山。ちょっと頼めば仕事は幾らでも紹介してもらえるそうよ。共同経営者になることもできるのよね」

 その男性も一緒の場で、リリアがそう嬉しそうに言っていたことを思い出す。恋心は理性を鈍らせると強く感じる。

 彼女のご両親が、彼女と一番親しい同性であり、ここ最近は別として幼い頃から彼女と一緒に過ごす時間が家族以外では一番多かったわたしに、あれこれと尋ねて来なかったのは有難いことである。本当は根掘り葉掘り、湿った布を絞り尽くして水を得るようにして、わたしに尋ねたいことであろう。

 それでも心身共に、わたしも疲れてしまった。書き物は好きな方であるが、今はこれ以上、文章を連ねることができそうにない。

 昨日、幼馴染が駆け落ちした。

 昨日は彼女の15歳の誕生日であった。



<第二の手記>


 あれから一週間が経過したが彼女は発見されていない。駆け落ちの相手が誰であるかは、その駆け落ちのあった翌々日、彼女の父親の従者が突き止めた。我が国の王都は人口10万人ちょっと。全員が知り合い同士ということはないにせよ、誰かが普通ではない仕方でいなくなったら、その情報はすぐ広まる。誰と誰が仲良くしていたという目撃証言もそうである。特に、それなりに有力な商人の息子が姿を消したとなれば。下級とは言え貴族の娘が街中で特定の男と会うことを重ねていたとなれば。

 父親である商人は、リリアの家族たちがリリアの駆け落ちの相手を知った時には既に、状況を察していたようであった。リリアの父親の側から接触する前に、お詫びの品を持参してリリアの父親の屋敷を訪れたそうだ。リリアの父親もその商人に対して厳しい態度に出ることは無かったらしい。恥に対しては貴族の方が敏感であるし、敏感であるべきなのである。

 お詫びの品はドラゴンの鱗を加工して作られた盾だったそうだ。工芸技術の高さで知られる自治都市へ商売のことで出掛けた際に購入した物であるとのこと。

 わたしはだいぶ落ちついて来た。彼女の思い出を整った形で心に描くことができるようになってきた。わたしの幼少期を回想し、語ろうとするならば、彼女の存在を抜きにすることはできない。近い内に、文章にまとめることにしよう。


<第三の手記>


 竹林の中で光る竹が1本。仕事で竹取に来ていた男性が注意深く切ってみると、中から小さな女の子が出てくる。家に連れて帰って妻と一緒に育てると、すぐ成長して美しい女性となる。それから竹林で時々光る竹を見つけるようになり、それらの竹には女の子ではなく黄金が入っていた。夫妻は裕福になり、竹から生まれた女性、かぐや姫はその美しさが評判となる。都の貴族や、時の帝まで求婚してくるが、かぐや姫は難題を提示するなどしてそれを断る。ある時からかぐや姫は落ち込んだようになったので、育ての親が理由を尋ねてみた。実はかぐや姫は月の世界の住民であった。罪を犯して地上へ流罪となっていたが、許されて、もうすぐ迎えの者が来るという。地上から去るのが悲しくて沈んでいるとのことであった。夫妻は帝にも協力を仰ぎ、月の都の使者からかぐや姫を守ろうとする。帝は兵を送ってくれるが、月の都の使者の不思議な力の前には無力であった。かぐや姫は月の都の使者が持参していた不死の薬を、世話になった夫妻と帝への贈り物として地上に残す。


 リリアがわたしに話して聞かせてくれた物語の1つだ。竹の実物は見たことが無いが、彼女が具体的に説明してくれたのでわたしもイメージはできる。

「月ってどっちの月? 両方に国があったら、戦いもあるかもしれないね」

 と、幼いわたしが尋ねると、彼女は、

「この物語の世界では空に月は1つなのよ」

 と、答えた。

「いずれ星のことも教えてあげるね」


 周囲の大人から、リリアは大人びた子供だと言われていた。面と向かって本人に言うはずもないが、大人が何を言っているかについて、子供は案外よく知っているものだ。

わたしも、他の同年代の子供たちも交えて遊んでいる時など、リリアはどこか違うと感じることが多かった。大人や他の子供がいる時のリリアは言葉少なであった。要点だけ伝わるような簡潔で落ち着いた話し方をして、決して生意気な印象を与えるものでもなく、それが子供らしくない話し方であったと今になると強く感じる。

 わたしと2人きりの時は、それは日々の暮らしの中で大きな割合を占める時間だったのであるが、彼女は饒舌であった。原則としては理路整然とした、これもまた子供らしくない口調で、色々と話してくれた。わたしと彼女が本当に幼い内は、かぐや姫の話のような、物語がほとんどであった。親やメイドからも伝承や神話を教えてもらうことはあったが、リリアの語る話はそれとは別であった。他の人からは聞くことのできない内容であった。わたしは、リリアの家のメイドさんが物語に詳しくて、その人から聞いた話をリリアがわたしにしているのか、あるいはリリアに話を作る才能があるのか、もちろん幼い時のことであるから明晰に論理的に考えていたのではないが、そういう仕組みなのだろうと漠然と思っていた。


「わたしがこうして話していること、他の人には内緒にしてくれるよね」

 わたしたちが7つくらいになった時のことであった。彼女にそう言われ、わたしは頷いた。もし否定したら、彼女はもう自分と遊んでくれなくなるだろうと直感していた。

「これから、自然や道具についても教えてあげる。この世界の自然とは少し異なるから、活用するには応用が必要だけど。物理法則はどうやら同じみたいだから、道具はそのまま作れるはず。ああ、難しい言葉を使ってごめんね」


 貴族階級とは言え女の子なので、親から臨時雇いの教師などを通じて与えられる教育はその内容も拘束時間もたいしたことがない。空いた時間、わたしたちは2人でのんびりと過ごしているように見せかけ、実際にはリリアがわたしに知識を授けていた。自分で言うのもなんだが、わたしは熱心な生徒であったと思う。リリアの方も熱心であった。どうやらわたし以外の人間には自分の持つ知識を与えず、そういう知識を持っているということも秘密にしているようだと、わたしには既に分かっていた。彼女にしてみても自分の知識について話すことができるのは、わたしを相手にしている時のみであり、そうやって話すことによって、知識を忘れないように、思考が錆びつかないようにしている面があったのかもしれない。


 太陽は月よりずっと大きい。そして夜空の、見た目は小さい星々も、実は太陽と同じくらいの大きさがあって、そのサイズにはばらつきがあるものの、月よりは大きい。わたしたちが暮らしている大地も実は丸い星であり、ただ太陽や星々とはタイプの違う星である。太陽や星々は自ら輝いているのだ。この大地と同じタイプの星は、夜空に、ごく小さく、薄暗い姿を確認することのできる少数の星であり、惑星と言う。わたしたちの住む星は、他の惑星と同じく太陽を中心として回転している。月はわたしたちの住む星の周りを回っている。こういう天文の話を教えてくれた。

「じゃあ、月の都の人はどうなるの?」

 と、尋ねたわたしに彼女は、

「あれは文学。こっちは科学」

 と、答えた。知識と一緒に、この世界には存在しないという言語も、少しずつ教えてもらっていた。恒星とか衛星とか、この国で使われている言語には相当する言葉が無いものは、直接にその言葉で教えてもらっていた。

後々、世間の知識人というものが講演するのを聞く機会があったが、その人は、この大地もまた星であると述べていたものの、その周りを太陽や月や惑星や星々が回っていると述べていた。

 料理のこともリリアは教えてくれた。材料が手に入り、台所も他の人に見られない形で使用することができる場合には、実際に作るところを見せてくれた。そして食べさせてくれた。実に美味であった。ありふれた材料でも組み合わせと加工の工夫によってこんなに変化するのかと、わたしは驚嘆した。

 医療と薬品に関わることも教えてくれた。病気で苦しんでいる人から血液を抜いたとしても、ごく一部の例外を除いて治療の効果は無い。看護や治療を行う人が自分の手や服を清潔に保つことには大きな効果がある。病気を治す力のある夢のような薬の話もしてくれたが、作るには高度な技術が必要であるから、今のこの国の状況では無理であるとも言われた。都市の衛生や栄養状態を良くすることの方が手を付けやすい。そういうことも教わった。

「まあ、この話に出てくる医学と薬学も完璧ではないし、治せない病気はあるけどね」

 そう言った時のリリアの表情はどこか寂しげであった。

 計算と幾何学のことも教えてくれた。この国にもおおよそ同じようなものが存在する知識であったが、女子であるわたしには学ぶ機会の無い学問であった。

 農業における肥料や農機具の知識、車輪や歯車を組み合わせた機械や装置についての知識、水を熱することで動力を生み出し、それで機械を動かす仕組みについての知識。

 通貨についても教わった。全ての通貨を金や銀などの貴重な金属で作らなくても、偽造への対策をちゃんとし、発行する量を多くし過ぎないようにすれば、安い金属の貨幣や紙で出来た紙幣を作って流通させることができる。それによって財政には負担が少ない形で通貨の流通を増やし、経済の発展を促進することができる。銀行という組織を作ればもっとやりやすい。

 こういう社会の仕組みについての話は特にそうだが、リリアはそうした知識を理想の世界、別の世界の話として語ってくれた。


 彼女がそうした知識をどうして持っているのか、そこは問いたださないようにしていた。彼女は知識をわたしに授けてくれたが、いずれ自分自身でその知識を活用するつもりであると語っていたものだ。女でも実力を示して国家の役に立てば出世できると彼女は言った。その考えもわたしにとっては新しい知識と言えた。自分がやってみようとは思わなかったけれど。

 彼女がわたしに知識を与えてくれるのは、もしかして将来その仕事を手伝わせるためではないかと、わたしは考えたこともある。わたしは良い人と結婚して、できれば郊外のお屋敷を持っているような男性と結婚して、そこでゆったりと暮らしたいなどと夢見ていたので、彼女の仕事を手伝わされることになったら困るな、などと少し悩んでいた。


 それが、彼女の方がわたしより先に男性と結ばれたのであった。それも世間的に言って結婚するにはまだ少し早い年齢で。駆け落ちという形で。



<第四の手記>


 あれから1年。リリアはまだ見つかっていない。我が国は3つの国と国境を接していて、東には山脈地帯、その向こうは我々と大きく異なる民族が住んでいるとされる。国の南側は海に面している。隣国の内の1つに、リリアとあの商人の息子が入ったところまでは確認できているのだそうだ。その隣国の貴族でリリアの父親と個人的に親しい人がいて、その人が国内を調査してくれたらしい。それで見つからなかったため、さらに別の国に行ったと見られるとのことだ。

 リリアのご両親はもう半分、諦めているらしい。

 友人であるわたしには手紙の1通くらいくれても良いのに、と思うことはあるが、離れている国に住んでいては難しいのであろう。それが手掛かりとなって居場所が発覚することもあり得る。リリアからかつて教えてもらった話の1つに郵便制度というものがある。決まった値段、それも低い金額で、他の国にいる相手も含めて手紙を届けてくれるそうである。手紙のやり取りはその内容を含めて秘密が守られるのだそうだ。この世界では夢物語である。交易や運送を行う商人、旅に出る友人などに頼んで、持って行ってもらうしかない。リリアが誰か信頼できる人物に、たとえば我が国から彼女の今いる国に出かけていた知り合いに偶然出会って手紙を託したとしても、その人物がリリアよりもリリアのご両親の方を優先しないという保証は無い。

 国全体としては、我がクルミキア王国としては、下級貴族の娘の1人が駆け落ちしたという事件よりもずっと気になる出来事が、あの駆け落ちの約2か月後に始まった。隣国の1つ、グリドン王国に天才が現れたという噂が伝わって来たのであった。まだ10代の少年であるが、国内の問題を解決した実績が既に複数あり、女王の覚えもめでたいとのことである。

 詳細は伝わって来ていないそうだ。我が国の偉い方々、有力貴族、王都の商人や職人、地方の農場経営者、どの階層でも気にしている人は多いらしい。クルミキア王国とグリドン王国は面積も人口も国力も同じくらいであり、抱えている問題もおそらくは似たようなものである。現時点での王がこちらは男で向こうは女王という点は異なる。現状では戦争状態や緊張状態にはなく、むしろ友好的な関係であるが、向こうだけがどんどん国内問題の解決を進めてしまえば、いずれ国力に大きな開きが生まれてしまう。

 こんな時リリアがいれば何か対抗手段を考えて実行してくれるのに、と思うが、それには駆け落ち前の、恋に落ちる前のリリアである必要があるであろう。今の彼女はきっと、難しいことなんて考えないで、愛のある生活をしているのだ。自分と同い年、そして1年前までは同じような家庭環境で暮らし、仲良くしていた女性が、今はもうもしかしたらお腹に赤ちゃんがいるかもしれない、既に産んでいるかもしれないと考えると、不思議な気分になる。



<第五の手記>


 我が国の焦りは苦しい程のものになっていた。グリドン王国で実施されている新しい政策について、断片的とは言え具体的な情報も入るようになっていた。天才少年は目前の問題の解決だけでなく、中長期的な政策にも取り組んでいるとのことであった。

 政策が効果を上げているという情報、繁栄につられて周辺諸国から移り住む人もいるという情報も伝わって来た。

 国王陛下や大臣、大貴族の皆さんが話し合い、我が国でも改革を開始しようという方針は決まった。だが実際の政策は進まなかった。中級貴族や大商人、学者などが議論の場を設けたり宮廷に意見書を出したりもしたらしいが、方針は定まらなかった。


「あの国は首都が小さい代わりに大きな街が幾つかあるのだが、その内の1つは長いこと疫病が多いことで知られていた。それが改善されたそうなのだ。長年暗躍していた盗賊団や贋金造りの逮捕にも成功したらしい。その一方で、何やら不思議なお金を発行して政策の財源にしているという話もある。質の悪い金属で造っているらしい。我が国でも真似しようなどと主張する者もいるが、そんな仕組みが長続きする訳も無いからね」

 ある夜の夕食後、父親がそう言った。普段は娘のわたしには政治の話はしないのに珍しいなと感じた。

「カルジンリーという名前みたいね、その天才。顔も格好よいらしいよ。そういう人と結婚できたら素晴らしいでしょうね。マーリアン。あなたはけっこう美人で物静かだから、知り合うチャンスさえあれば良い線いくかもよ」

 と、同じ貴族の娘の友人から言われたこともある。

 知り合うチャンスなんて無いと分かった上での会話である。


 わたしには1つの疑念が浮かび始めていた。そのカルジンリーという人物についてである。その人物もリリアがわたしに聞かせてくれたのと同じ知識を持っているのではないだろうか。疫病を防ぐ、お金を発行するなど、リリアが話してくれた話にそっくりなのである。リリアが駆け落ちの道中でその少年に知り合い、知識を授けたのかもしれない。あるいはリリアと同じく、わたしには仕組みは分からないが、幼い内から知識を持っている人物なのかもしれない。そういう疑念を抱いていた。


 その疑念は、確定的とは言えないまでも裏付けられることとなった。

 カルジンリーは豊富な知識を生まれつき有している人間である。そういう情報が我が国に伝わって来たのであった。本人が宴会の席か何かでそうほのめかす言葉を発し、それが瞬く間に国内外へ広まったとのことであった。

 一部の哲学者や宗教家は、これは魂の実在、この世とは別の世界の実在を示す証拠であると主張しているらしかった。グリドン王国の学者で、カルジルの主張を否定するために議論を展開する一派もいたらしいが、そういう学者たちには優れた政策の1つも実施できず事件の解決だってできないのであり、世間では役立たずの学者が嫉妬交じりの難癖をつけていると受け取られているようであった。

 我が国の王はごく素直に、生まれ持っての知識という話を信じたらしかった。噂が伝わって来て間も無く、

「我が国にも生まれつき高度な知識を有している者がいれば名乗り出るように」

 というお触れが出た。


 あまり考えのない人が数名、自分がその生まれつきの知識を有している人間であると名乗り出たが、知識やアイディアを求められてもうまく答えることができず、すぐ嘘だと判明して処罰された。

「大貴族や大臣の方々としては、その人物が実際に生まれつきそれを有していなくても、政策の役に立つ知識と技術を持っていれば採用しただろうな」

 と、父が夕食の席で語った。


 自分の住んでいる国の雰囲気が沈んでいて、しかもイライラしているというのは辛いものである。自分がちょっと努力して危険を冒すだけで、それが改善されるかもしれないとなったら、それをするのが自然ではないだろうか。

 わたしは、リリアから授かった知識の幾つかを紹介する手紙を、宮廷当てに匿名で出すことに決めた。知識を授かった人物は名乗り出るようにというお触れに次いで、自分の知り合いでそれと思われる人がいれば知らせるようにというお触れも出ていて、そのための投書箱のような箱が王都の各地に設置されていた。知り合いについて密告するみたいな文章を入れる箱という特質上、目立たない場所に置かれている箱や、逆に人通りが多くて、その人混みに紛れて投書することができる場所に置かれている箱があった。

 その内の1つに投じたのであった。

 簡単に検証できて結果が分かりやすいものが良いだろうと考えて、リリアに教えてもらった料理関係の知識を幾つか書いた。それから火薬の作り方。普通はドラゴンの排泄物や魔樹の枯れ葉などを原材料として作るが、鉱物から作る方法、というより少し加工すれば火薬になる鉱物の種類を、リリアは教えてくれていたのであった。

 手紙を出しに行く時はドキドキした。普段あまり外出はしない。貴族の若い女性はあまり気軽に歩き回ってはいけないことになっている。リリアが駈け落ちして以来は特に、外出に対して親たちが心配するようになっている。

 友人が家で裁縫をしているので、それを一緒にするために出かける。その途中でちょっと買い物してお土産にする。という行動を実際にして、その道中でコッソリと手紙を箱に投じた。

 それを実際に王様や側近の方たちが読むとは限らないし、実践に移す可能性はさらに低いのであるが、自分としてできることは一応した、という気持ちであった。




<第六の手記>


 こうしてプライベートな書き物をするのは久しぶりである。


 あの手紙を出したのは、もうずっと昔のことのように感じる。その料理と火薬の知識を書いた手紙は、投じてすぐに国王の手に届いた。そして宮廷料理人と騎士がそれぞれ担当者となって実際に試したのだそうだ。その結果は芳しく、料理の味にも火薬の威力にも国王は満足したそうだ。その料理に使う食材はこの国に豊富に存在するものであり、火薬に使用する鉱石も国内の山で見つかった。料理法はすぐ国内に普及し、騎士が責任者となって火薬の生産も始まった。

 満足はやがて次なる欲求を生む。国王はさらなる知識を求めた。正確に言うとその知識によって得られる富や快楽や力を求めた。手紙の出し主は名乗り出るか、あるいはさらなる知識を知らせるように、というお触れが出た。

 わたしに、ちょっと調子に乗る心が無かったと言えば嘘になるかもしれない。国のためという気持ちもあった。火薬と言ってもそこまで強いものではないから、それだけで我が国が安泰、隣国がどれほど強くなっても安心というものではない。料理のことでも、グリドン王国ではカルジンリーの指導の下、幾百の料理が生まれ、国民を楽しませるだけでなく外交や観光の役にも立っていた。

 わたしは料理のことの他、荷物運び用の一輪車や計算用のソロバンなど、実際に製作することが容易な装置について書いて送った。それらはすぐに採用された。

 今思うと浅はかな行為だったとも言える。

 何通か手紙を出した時点で、わたしの身元が分かってしまった。わたしにも手紙を投じる箱を毎回変えるくらいの知恵はあったのだが、王都に百か所近くある箱の中の、ごく狭い範囲の数か所であった。おそらく役人や兵士が箱の側で隠れて見張るなどもしたのであろう。

 家に突然、国王の使いがやって来て用件を告げた時の両親の驚きようと言ったら。家族でお出かけの相談をしていた時のことであった。結婚相手を見つける、あるいはわたしを見つけてもらうという目的もあって、郊外の公園へ出掛ける計画を話し合っていたのであった。その計画が実行されることは無くなった。

 丁重に、しかし断ることはできない形で王宮へと連れて行かれたわたしは、いきなり国王との謁見を許された。そして手紙の主であるかどうか確かめられ、わたしは肯定した。緊張していて、額面通りに言葉を受け取り、返してしまったのであった。結果として、自分が生まれ持っての知識の持ち主であると認めたことになってしまった。

 それからは王宮内に役人のような部屋を与えられ、夜寝る部屋も王宮内であった。家には帰ることができなくなった。

 部屋は快適であり、食べ物も豪華であった。手始めに料理の知識を求められ、宮廷料理人と話し合いながら、実際に料理を作ることで応じた。そうやって作った料理が、わたしの食事にもなるのであった。

 王宮で生活するようになって数日後から、本格的に知識を伝える仕事が始まった。王子や貴族の若い人、役人や軍人に囲まれるようにして、彼らの質問に答える形で知識を伝えた。わたしもリリアから教えられた知識であり、全体像にも細かい点にもよく分からない点が多かった。だから貴族や軍人の方たちとわたしで一緒に考えているような状態であった。たとえば火薬の爆発力で弾を飛ばす銃や大砲という概念は知っていても、まっすぐな筒を作る技術、その銃を使っている人に危険が無いように発射できる仕組みとなると、わたしは詳しいことを知らないのであった。

 実行できたことも色々とあった。たとえば医療関係者への手洗いと消毒の推奨、水道や道の清潔化による病気の抑制。これに関しては、医療従事者や一般市民に対して強い力で命令することさえできれば実現可能なことであった。わたしには、生まれ持っての知識を有する者としての威光があり、料理や発明などの小さなことでの実績もあったので、命令が遂行されたのであった。

 他の改革でも事情は似ていた。知識そのものが活用された政策もあるが、知識による権威のおかげで反対論を抑圧したり大勢を動かしたりすることができ、そのおかげでうまくいったという要素が大きい政策もある。

 そうやって一緒に仕事をすることを通じて王子や大貴族の若者と親しくなり、彼らと食事を一緒にする機会も出来た。下級貴族の娘であるわたしには本来あり得ない好待遇である。ある軍事貴族の青年からは実際に愛の告白をされた。将来は将軍にもなろうというお方であった。

 だが、わたしにはもったいない話であった。彼がわたしに興味を持ったのも仲良くなったのも、リリアが授けてくれた知識のおかげである。わたしは生まれ持っての知識の持ち主ではないのだ。本来、愛されるべきはわたしではないのだ。

 直接に断る勇気が無く、わたしは卑怯な手に出てしまった。その頃には周辺の地理や各国情勢についての情報を与えられていたのであるが、東の山脈地帯の奥の方に存在すると推定される植物について、新しい発明を行う上で必要だから取って来て欲しいと頼んだのであった。国家の力の助け無しでそれを入手して来てくれたら、あなたの愛を受け入れると言ってしまった。そんなことを言って生意気だ、という具合に彼がわたしを好きでなくなり、状況が解消されることを期待する気持ちもあった。

 だが彼は本当に山脈地帯へと出発してしまった。従者や、自分の金で雇った数名の人間だけを引き連れて。

 そして戻って来なかった。金で雇われた内の1人だけが生還した。その人は、その軍事貴族の青年がわたしの頼みのために山脈地帯へ出掛けたという経緯は知らないようであった。何かを捜すためとだけ聞かされていたと証言した。その貴族の青年は、何か個人的な目的で出掛けて、命を落としたということになってしまった。


 わたしの存在が他国に認識され始めた。グリドン王国のカルジルとは違って、国として存在を宣伝するようなことはせず、名前の公表もしていないものの、情報は伝わってしまうものである。女性であるとかまだ10代であるとか、そういうパーソナルな情報は守られていた。他の国から、外交や見学と称して貴族や役人がやって来て、我が国の政策の内、公開している部分について視察した。そして交流や友好を名目にして、生まれ持っての知識の持主の正体を探ろうとしてきた。

「我が国とグリドン王国にしか、生まれ持っての知識の持主は生れていないようです。新しい政策を実施しているのは2か国だけですからね。そしてグリドン王国はしばらく前から秘密主義ですので、視察ということで我が国に人が集まるのは仕方がない面もあります。もちろんあなたの秘密と安全は守りますよ」

 と、王子が直々に言ってくれた。

「グリドン王国ではカルジンリーを狙った刺客が何名か現れて、カルジルが危ない目に遭ったこともあるそうです。その頃から国全体として秘密主義の度が強くなったそうで。あなたの名前などを公表しなかったのは正解ですね」

 わたしも目立つのは苦手であるから有難かった。


 リリアの死という情報が届いたのもその頃であった。我が国から見てグリドン王国よりもっと西にある国で、亡くなったのであった。一緒に駈け落ちした青年が、一時的にはうまく商売をしていたものの破産し、窮乏の末の死であったという。

 その知らせを聞いた時、悲しいという気持ちよりも、これでもう、わたしが本物の、生まれ持っての知識の持ち主ではないということを証明してくれる人がいなくなった、ということへの絶望と感慨の入り混じった気持ちの方が強かった。そのことに驚く気持ちが続けて訪れたため、死を悼む気持ちは離れてしまった。

 また、仕事が多忙であったため悲しみに浸る暇が無かった。


 グリドン王国のカルジンリーから、クルミキア王国の「生まれ持っての知識の持主」へと手紙が届いたのは、そのすぐ後のことであった。国王や大臣も交えての相談があった後で、その手紙は未開封のままわたしに渡されることとなった。

 自室に1人だけの状態で読む。

 周辺諸国は全て同じ言語と文字を使っている。話し言葉には多少の地域差があるが、書き言葉はほとんどどこでも同じである。

 その言語で当たり障りのない外交儀礼的で社交辞令的な文章が書かれていた。数枚の短い手紙であった。

 わたしは安心した。その手紙を国王たちに見せると、彼らも安心した様子であった。


 だから2通目の手紙が来た時には、国王たちは特に話し合うこともなくその手紙をわたしにそのまま渡した。封を開ける。前回より分厚かった。

 その紙の束の上の方と下の方は前回と同じような文章が書かれた紙であった。しかし、間に挟まっている数枚の紙は別の言語で書かれていた。

 わたしには読むことができた。ゆっくり読み進める必要があり、所々読めない文字も混じっていたが。

 かつてリリアがわたしに教えてくれた言語であった。


<やっと接触できたね。君の方も同じようにしただろうし一々説明する必要も無いけど、こっちのこれまでの様子を書くね。男は自分の成し遂げたことを愛する女性に語りたいものだと思って大目に見てくれ>

 という書き出しに続いて、以下の文章が書かれていた。

<ぼくはグリドン王国の富裕な商人の息子として生まれた。大きな店を持っていて、貿易にも関わっていて、王家のために商品を仕入れる役目を与えられることもある商人だ。

 ぼくは小さい内から父親の仕事の現場にできるだけついて行くよう心掛けていた。おかげで商慣習に詳しくなることができ、商品として流通しているものに限定されるとはいえ自然の産物や工芸品などの知識を得ることができた。この2つは改めて学習する必要があるからね。計算については、この世界の表記法を覚えることよりも、あまり幼い内から能力を披露し過ぎないように気を付けるのが大変だった。

 10歳の頃には商人の子供が成人までに身に付けるべき水準の知識は既に身に付けていたので、次の段階へ進んだ。王宮に出入りすることもある商人の家の子という立場を活用して、貴族の子供たちとできるだけ交流するようにした。貴族の子供たちに歴史や古典を教える役割の人を見つけ、その人に気に入られるよう接近した。それは成功して、貴族階級がほとんど独占している状態にある知識も得ることができた。こうやって学問好きで頭の良い子供というイメージを作り上げることによって、後々自分が斬新なアイディアを披露した際に、怪しまれにくくするための布石でもあった。

 そして13歳の時にはこの国の王女とも会うことができた。王女が君であることを少し期待していたのだが、それは虫が良すぎたね。王族との接点を持ったことは、情報という意味で重要だった。国内の問題で、市民が心配しないよう、そして政治が批判されないように、隠されているものが色々とあるから。

 そうした問題の1つが盗賊団や贋金造りといった犯罪集団だった。街や村から離れた場所に根城を持っているような集団もいて、これはもう国内に小さな独立勢力がいるのと同じだ。

 ぼくはその問題を解決してみせることを当面の目標とした。お金と知識だけで得られる尊敬には限りがある。既存の秩序を越え出るほどの尊敬を得るには武勇が必要なのさ。武勇とは悪を退治することだ。だが武勇には準備がいる。

 ぼくはこの国にある食材や家の商売によって手に入る食材を使って、色々と料理を作った。まずは仲の良い貴族の少年たちに食べさせて、自然と評判が広まるようにした。間も無く爵位を持った連中や王女から招かれて料理を作るようになった。ちょっとアレンジを加えて、うちの店で取り扱っているスパイスを使用する料理を複数考案して、流行るように仕向けた。おかげで父親は一儲けすることができた。ちょっとした親孝行さ。

 家が裕福な商人なので機械の材料になるような物を手に入れることも比較的容易だった。職人も金で雇うことができる。それで自転車のような人力で動かすことのできる道具を作った。知り合いの貴族に幾つか献上してから父親の店でも売った。これも親孝行だね。

 ぼくは周囲から天才と認識され始めた。支持者のような人まで集まり始めた。そこで武勇の段階に入ることにした。

 表向きは貴族の若者がリーダーということにして、盗賊団の討伐に出掛けた。もちろん大人たちには別の目的を言っておいた。参加する全員が一緒に出発しては怪しまれるから、郊外で狩猟とか森でキノコ採りとか村へ商品を売りに行くとかいう名目で、少人数の集団に分かれて出発した。

 盗賊団の規模や拠点、行動のパターンなどは既に研究済みだった。そしてこちらには銃もある。簡易なものだが爆弾もある。勝つことができた。

 帰還。勝手な行動を叱られはしたが、それよりは賞賛の声が大きかった。

 次は贋金造りだった。盗賊団の退治の時とは別の貴族をリーダーに据えて、捜査と摘発を行った。その貴族は警察に相当する仕事を何代も続けて行っている家系であった。これも下調べはぼくが行った上での行動だった。

 実績と信頼が大きくなるほど大きな仕事ができる。国の政策として衛生の改善や農業の改良を行った。国内を回って肥料になる鉱石の採掘できる場所を発見したから、国のお金で肥料を作り、作った肥料は農民たちに無料で配るという事業も始めた。お金は宮殿に貯め込むだけではなく有意義な事業に使うことで世の中に回してこそ国を発展させることができるということが、最も重要な知識かもしれない。

 さあ。近い内に会談を公式のルートで申し入れる。君と2人で会えるように。その前に君の話を知らせて欲しいな。弓香へ>


 手紙の内容にもよく分からない部分があったが、それよりも弓香とは誰のことだろうとわたしは不思議に思った。

 とりあえず、同じように本当の用件の文章を挟んで隠す仕方で返事を出した。

 今はまだお会いすることができない、という風に言葉を濁した。一応、自分が提案した政策の幾つかについて書いた。まさか、弓香とは誰ですか? とも書くわけにはいくまい。手紙を出す際に、中身を検められずに済んで助かった。もし調べられたら、その時は、生まれ持っての知識の持主が有している知識の1つである文字体系であり、この国の文字で書かれている文章と同じ内容を書いてある、と誤魔化すつもりであった。それでは誤魔化しにもなりそうにないが。


 次の手紙は十日もしない内に届いた。隣国とは言え首都同士は離れていることを考えると、こっちの手紙が届くと相手はすぐにその返事を書いたことになる。


<もしかして記憶の一部を失っているのかい? そんなことは無いと思うけど、思い出を振り返るのは心に元気を与えてくれることだと思うから、ここに書く>

 その後に書かれていることは、驚くべきものであったが、同時にこれまで謎だった複数のことを説明するものでもあった。

 この世界とは別の世界。夜空に輝く星々の内の1つを巡る、この大地と同じような惑星の1つという意味ではなく、別の世界。ドラゴンは住んでいないけど学問と技術が大いに発展していて、人口もけた違いに多い世界。それが存在して、カルジンリーとリリアは元々その世界に生まれた。

 2人とも若くして重い病気にかかってしまい、専門的な病院で長期入院することになった。医薬の技術が優れている病院のことはリリアから教えられて知っていたが、治る見込みの薄い人たちが最後の時を過ごす病院というものはこの手紙で初めて知った。

 2人は仲良くなった。弓香というのはリリアの元の名前、その世界で生きていた時の名前であった。カルジンリーは大地という名前であった。2人とも読書好きで、大地はどちらかというと科学や経済の本が好きであり、弓香はどちらかと言うと小説や童話が好きであった。それぞれが読書で得た知識を話題にしてよく会話していたらしい。

 その世界にはファンタジーというフィクションのジャンルがあり、弓香はそのジャンルの小説が特に好きであった。ファンタジー作品の中の小ジャンルとして、死んだ人間が別の世界で生まれ変わる、そして元の世界にいた時の知識を引き継いでいて、その知識を駆使して活躍するという筋書きの作品群が流行っていた。異世界や転生という言葉が使われていたそうだ。

 本当にそういう風に生まれ変わることができたら良いのにね、と2人は語り合った。はじめの内は楽しい会話の種であり、転生したらあの科学の知識を活かして、ああしてこうしてという会話を楽しんでいたが、やがて真剣に願い始めた。間も無く2人ともベッドに寝たきりになり、そのまま死ぬことになると予感した時、最後の2人きりで話すチャンスの日、2人は固く手を握り合って約束した。そして願った。異世界に転生して、お互いを探し出して、幸せになろうと。知識を活用することでその世界の成功者となり、それぞれが有名な存在となれば、お互いがお互いであることが分かる。居場所も分かる。だからきっと会えるさ、と。

<もう待ちきれないよ。君がそうして知識を活用して国を繁栄させているということは、ぼくに見つけられることを今でも望んでいるということだろう?>

 そう、手紙には書かれていた。


 わたしは怖くなった。会って話せば、わたしが偽物であることが分かってしまう。それにわたしは相手のことを好きではない。会ったこともないのだ。カルジンリーのことも少し怖かった。一途過ぎるというか。そして今は亡きリリアのことも怖くなった。不実過ぎて。せめて自分で、自分はこちらの世界で他に好きな人が出来たということを、伝える努力をしても良いだろうに。だが一番の嘘つきはこのわたしなのであった。

 わたしはまた浅はかなことをした。自分の正体は隠したままで、すなわち自分がリリア、弓香であるという体裁で返事を出した。そして、前世の記憶はちゃんと残っている、あなたを思う気持ちも変わらない、とした上で、前世のことにはこだわらず、この世界での人生を大切にしようという意を書いた。

<グリドン王国の王女様とも親しいのでしょう? わたしなんかよりその方と結婚なさってはいかが?>

 今、思うと、なんであんなことを書いたのか。


 手紙は来なくなった。我が国の国王や大臣たちに対しては、話し合うべき事柄は一通り話し終えたのです、だから手紙のやり取りはいったん終わりなのです、と言って誤魔化した。王子が、

「外交、ご苦労様でした。本当にありがたいです」

 と、気さくに言ってくれた。わたしは内心で恥じ入った。申し訳なかった。


 しばらくは平和な状態が続いた。数々の政策が軌道に乗り、安定した。わたしはあまり忙しくなくなった。わたしの知っていることには限りがあるのであって、後は貴族や市民たち自らが発展させてくれるのだ、と思っていた。

 実はわたしのお教えできることはこのくらいなのです、という意を、王子を通じて国王などに伝えることもした。それで、王子が取り計らってくれたこともあり、いったん家に帰ることが許される流れになった。

「もうすぐ帰ることができますよ」

「ありがとうございます」

「ぼくは少し寂しいですけど」

 あの時は幸せであった。

 その直後に不幸は訪れた。わたし1人にとってではなく大勢にとっての不幸が。


 カルジンリーが謀反を起こしたのであった。秘密主義のベールの中で、軍備増強と兵器開発は元々進められていたようだ。そして、天才にして英雄であるカルジンリーを崇拝し、彼が新しく編制した軍団に入った者たちは事実上、彼の私兵であった。先祖代々の近衛兵としてのプライドを持つ者たち、貴族の中でも成り上がり者の成功を疎ましく思っていた者たちほど、カルジンリーの進める軍備改革には参加しておらず、装備も古臭いままであった。謀反に際して率先して女王を守るべく馳せ参じた彼らは、カルジンリーの軍勢の前にあっけなく敗れ去った。

 女王は隣国へ逃げた。我が国とは別の隣国である。王女もそれに従った。カルジンリーは王女を捕まえようとはしなかった。むしろ謀反を起こしてすぐのタイミングで、女王と王女の命を奪うべく奇襲部隊まで差し向けている。その時に侍女が1人、影武者のようにして代わりに死んで、そのおかげで女王と王女は難を逃れ、その後で戦には敗れたものの、亡命に成功したそうだ。


 周辺諸国は無論、女王と王女に味方した。カルジンリーは謀反の後に素早く国内を制圧し、国民の多くはそれに従った。一部は抵抗の姿勢を示して国内の砦も立てこもり、山に陣取った。そうした勢力と連携しながら、周辺諸国は軍勢を派遣した。

 我が国でも軍勢を出そうという機運が高まったが、その前に揉めることがあった。わたしのことである。わたしが手紙のやり取りを通して今回の謀反を予め知らされていたのではないか、さらにはカルジンリーと内通しているのではないかと、主張する人が何名も出て来たのである。

 わたしとしては、こんなことは事前に知らされるどころか予想もしていなかったが、原因は自分にもあると知っていて、これまでのことで罪悪感もあったので、これで処罰を受け、場合によっては処刑されることになっても構わないという気持ちであった。

 だが、王子が守ってくれた。貴族や役人、軍人が集まった場で、王子は演説した。彼女はこれまでの数年間、国のために尽力してきたではないかと。この国に害をなすつもりならば、ほんの少し戦略上有利になる程度の情報提供や内通をするために、わざわざ国を繁栄させるような、そんな回りくどくて不効率なことはしないだろうと。

 王子のおかげでわたしは助かった。


 その後で我が国も軍勢を送ることが決まったのであるが、その軍勢が出発する頃には、グリドン王国へ攻め込んだ他の諸国の軍勢は軒並み敗走していた。急なことであったため、それぞれの国の軍隊同士でうまく連携が取れなかったこと、兵器や装備の質と数に大きな差があったことが原因であった。

 わたしは軍事や兵器のことについては特にリリアから教わっておらず、そのためわたしが伝えた知識に基づいて実施された政策の中に、軍事そのものの範疇に属するものは無かった。だが衛生状況と栄養状態の改善によって健康な人が大勢いて、産業育成と経済政策によって軍資金と兵糧の調達がやりやすくなっていた。また、火薬の大量生産も行えるのであった。そのためグリドン王国との戦いを、他の諸国よりはまともに遂行することができた。

 我が国の軍勢がグリドン王国の軍勢の相手をしている隙に、周辺諸国は体勢を立て直して、再び軍勢を送り込んだ。それで一時的には諸国の連合軍がグリドン王国のクーデター政権に対して優位に立った。

 だがカルジンリーが再び優勢になった。彼は我が国との前線には抑えの部隊だけを置いてこちらの進軍を防いだ上で、主力部隊を結集した状態で転戦させ諸国の軍勢を各個撃破した。さらに兵の募集を行った。グリドン王国の国民だけでなく、他の国の人間も受け入れると大きく宣伝して。グリドン王国がカルジンリーの下で発展、繁栄していたことは周知の事実であり、その募集に応じる人は多いようであった。そうやって新たに編成された軍勢は、既に軍勢を失っている各国に攻め込み、その領土を占領していった。そしてグリドン王国の主力部隊は、しばらくの休養の後、我が国へと再び攻め込んで来た。


 数日前。カルジンリー自らが率いる大軍勢が、ついに我が国の王都の近くまで迫った。そして陣を敷いた。我が国の軍勢は籠城戦に入った。クルミキア王国の王都は元々、それほど高くはないものの壁と堀によって主要な部分が囲まれているのである。

 カルジンリーは国王に向けた書面で、交渉の担当者として使者を寄越すように要求してきた。そしてその担当者としてわたしを指名してきた。

「罠だよ。自分と同じ知識の持ち主であるマーリアンを捕まえて、自分に対抗できる勢力を無くそうとしているのさ。それにマーリアンにとっても危険過ぎる。相手の陣営に到着した途端、殺されるかもしれない」

 と、会議の場で王子は主張した。王子はこの戦いの中で自ら前線に立つこともした。幼い頃から王子と一緒に育った若者たちが既に何名も、戦場で命を落としていた。

「だが既に他の国はグリドン王国と和睦しております。それぞれ領土を大きく奪われ、金まで支払うことにされて。送られて来た書面によると、我が国に対しては金を求めない方針で、領土についても国境地帯を少しという方針らしいですぞ。その代わり生まれ持っての知識の持ち主を使者として来させろ、と」

 と、大臣の1人が発言した。言葉の上では状況の確認であるが、実際には意見である。

「それはまさに、マーリアンをこの国から奪うのが第一の目標ということじゃないか」

 王子が食い下がる。沈黙。

「わたし、使者になろうと思います」

 と、わたしは言った。

 安堵の空気が流れるのを感じた。王子は沈痛の面持ちであった。

 それが今日の昼過ぎのことである。

 敵の陣営に手紙で知らせる。要求を受け入れ、明日、わたし自らが向かうということを。

 両親とも話す気にはなれなかった。少しだけ面会したが、その後、個室で1人にしてもらった。

 そして深夜まで起きていて、この手記を書いた。

 彼はわたしが本物の弓香ではないということを決して受け入れないだろう。仮にそれを受け入れたとして、おそらくわたしは殺される。そんな気がする。

 実際はわたしのことを弓香の転生した人間だと信じるというより、それを前提として行動するであろう。こちらも数名の兵士を帯同して行くが、きっと早い段階で、どこかで2人きりの状態になるであろう。一段落ついたら王妃として迎え入れるかもしれない。

 カルジンリーのことがきらいであるとか手を触れられるのもいやだとかそういう感情は、実は無い。

 ただ、自分が国の皆から裏切り者と呼ばれ、後世までそう語り継がれるであろうと強く感じる。王子が批判と嘲笑の矢面に立たされるであろうということが、特に心苦しい。


 迎えに来た使者と共に月の都へ帰ったかぐや姫。

 幼き日にリリアから教えてもらった物語を思い出す。

 月の使者と一緒に地上を去った「かぐや姫」は、本当に月の都から地上に来た人物だったのだろうか?


お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ