夜道その三
今夜も、顔馴染みの店員やら客やらと、ちらと眼で挨拶をして、煙草を吸う者は静かに紫煙をくゆらせ、コーヒーを飲む者は熱いコーヒーを両手に抱え、そっと飲んでいた。
一人二人と音もなく立ち去り、そこへ遠くからまた一人、ゆっくり歩くシルエットが近付いてきた。
この人も彼の顔見知りである。
ひどく陰気で地味な若者だった。
まだかなり若い。
くたびれた顔にやや老いを感じるが、実際は高校生か、いや大学生位だろうか。少年というには疲れていて、青年というにはどことない不安を覚えさせる不思議な雰囲気を漂わせていた。
青年は分厚い灰色のパーカーにシワっぽいチェック柄のシャツを着て、ダボダボのズボンを履いている。
チリチリの天然パーマらしきモジャモジャした頭にひどく不釣り合いな幼い顔立ちをしている。青白い顔色と圧縮されたような感のある背の低い、やや太めの体型である。
服装にあまり関心が無いのか、見かける度、大体いつも同じ格好をしている。
第一印象としては、本当に失礼ながら、ずんぐりむっくりとした不健康なキノコの様であった。
彼とて決して美男という訳でもなく、むしろ醜男の部類である。異性にも全く好かれないまま今まで生きてきた。それにも関わらず、今は己を省みる事もせず、偉そうに人の顔やら風体やらを知らず知らずに品定めしている。
自分もそうだけれど。
彼は心中で言い訳しながら、それでも、ああ、こいつはモテなさそうだなぁ、等という冷笑を含んだ憐れみを、まことに失礼ながら我知らず覚えるのを禁じ得なかった。
引きこもりの青年なのかも知れないな…。
何気無く向けられた視線に込められている彼の批評を知ってか知らずか、青年は少しばかり俯きがちにとぼとぼと彼の前を通りすぎてゆく。
チラと彼の方を見て、青年は軽く頭を下げた。
彼も無言のまま、軽く頭を下げて会釈に応じた。
青年はそのまま店に入ってゆき、また静寂が訪れる。
やがて彼も寒さに疲れはてて、肩をすぼめながら家路へと歩き出す。
家に帰り、すっかり冷たくなった布団に気だるく潜り込み、来る日の朝の光を煩わしく思いながら、ようやく浅い眠りが彼に訪れる。
彼の日常はこの淡々とした虚しい日々の繰り返しに過ぎなかった。
そんなある夜の事である。彼がいつもの様に背中を丸めて煙草を吸っていると、例の青年が唐突に彼の前に立ちはだかったのだった。だらしなく狼狽える彼に対して、妙に神妙な面持ちで深く頭を下げる青年の肩は小刻みに震えていた。
どうしたの?
やっと言葉が出た。
青年は暗く目を伏せたまま、しばし沈黙していた。
やがて彼を見上げる青年の目は幾らか涙ぐんでいた。
お願いします。び、病院に行きたいんですが。
青年はたどたどしい口調でそう言った。
ええ?どこか具合でも悪いんですか?
彼も流石に焦りながら聞いた。
あ、いや…。
しばし口ごもってから、彼は必死の形相で一気に早口になった。
祖母なんです。もうダメなんです。病院から連絡がきて、親父も母さんも急いで出掛けてしまったんです。母さんが僕の部屋をノックして、凄く慌てて、お祖母ちゃんもうダメなんだって!私達行ってくるから!って叫んで階段を駆け降りていったんです。
そんな時に僕はのんきにゲームをしていたんです。
しばらくして、あ、お祖母ちゃんか…って。
子供の頃の思い出が甦ってきたんです。
慌ててドアを開けたらもう両親は居ませんでした。焦って、もうどうしたらいいのか訳がわからなくなって。僕は最後にお祖母ちゃんに会いたいんです!
お願いします。お金も全然持っていないんです。タクシー代を貸してもらえませんか?必ず返しますから!お祖母ちゃんを裏切りたくないんです!最後に会いたいんです!
いきなりごめんなさい!ごめんなさい!お金を貸してください。お願いします!必ず返しますから! モジャモジャしたキノコの様な頭を何度も下げながら、かなり錯乱した様子で、青年は怒濤の勢いで叫ぶように彼に激しく哀訴した。
青年の声はまるで命乞いするかの様な切迫した震え声であった。
必死の青年を前に、彼はひたすら困惑せざるを得なかった。
なんで俺なんだ。近所の人とか友人知人とか、誰か頼れる人はいないのか。
誰もいないのかも知れないな。孤独なのかも知れないな。
可哀想な気がして、なんとかしてやりたいとも思った。けれども、なんともしようがないのである。
現実に、彼のポケットには数百円しかないのだ。
青年の言う病院はここから数キロ離れた海沿いの総合病院である。
とてもじゃないが、足りない。タクシーの初乗り運賃にすらならない。
一陣の冷たい風が二人の間を通り抜けてゆく。
お金、持ってないんだ…。彼の俯きがちな答えに青年は石の様であった。
気まずい無言のまま、彼と頭を下げたままの青年と、相対峙していた。




