嘘つきは泥棒の始まり
あれは3年前のエイプリルフールのこと。
私はお酒に飲まれ、意識が朦朧とした状態で家路につく途中だった。
春の心地よい夜風に吹かれつつ、おぼつかない足取りで川沿いの道を歩いていたとき、不意に体がバランスを失い、川の方へと傾いていった。
ーーやばっ。
酔いが回った頭でも危険だとわかった。しかし捕まるものもなく、落下を抵抗することすら出来ない。
そんな時、
「危ないっ!!」
ふと、暖かくて大きな手が私の手を掴んだ。
けれどタイミングが遅かったのだろう、私の体はその手を引いて勢いよく川へと落下してしまった。
4月1日の川は入るにはまだ冷たすぎて、びしょ濡れになった私はすぐに咳き込みながら跳ね起きた。
「ーー冷たいっ!」
そのあとにようやく繋がれたままの手に注意が届き、
「よかった。お怪我はないみたいですね。」
ずぶ濡れのスーツ姿で笑う男性に気がついた。
「すみません、お怪我は?」
「いえ、僕は大丈夫ですよ。小中高と柔道をしておりまして、体の丈夫さには自信があります。」
男性は立ち上がると川から出て、私の手を引いて引き上げてくれた。
「この辺街灯が少ないから結構危ないですよね。」
やんわり、私の罪悪感を消すように男性が言ってくれていることがわかる。
この人はどこまで人が良いのだろう。
「実は私、かなり酔っ払っていて、それで……」
「わかります、僕もたまにすごい酔っ払ってしまうことがあるんで。」
男性はまた優しい笑顔を浮かべた。
「家どちらです?」
「あ、〇〇丁目です。」
「ほんとですか! 僕も一緒です。良ければ家までお送りしますよ。」
何故だろう、肌で感じる人柄の良さからだろうか。
私はその男性を一瞬にして信用した。
家まで送ってもらう途中にいろんな話をした。
生い立ち、仕事の話、趣味の話、学生時代の話。
出会ったばかりの男性の話が不思議と物凄く魅力的な話に聴こえて、話に熱中した。
聞きたいと思った。彼のいろんな話を。
もっと知りたいと思った。彼のことを。
けれど歩く足を止めることができず、気づけば遠回りして、でもそれももう終わり。
家について、お別れの時だ。
彼に会えるのは今夜が最初で最後かもしれないのに。
「あ、あの!」
「……はい?」
「服、濡れてますし。風邪ひきますので、お茶だけでもお礼をさせていただけませんか?」
人生で初めて男性を家に誘った。
彼は一瞬困った顔をしたけれど、すぐに笑って、
「では、お言葉に甘えて。」
シャワーを貸した。服を貸した。
お茶と菓子をあげた。
ーーー心と体を預けた。
夜が明けた。目が醒めると部屋が荒れていた。
彼の姿はない。
手紙だけが置いてあった。
『私がした話は全て嘘です。名前も全て。ごめんね。』
全部嘘だったらしい。私が惚れ込んで、欲しいと願った彼は全て嘘だったらしい。
昨夜の出来事も温もりもすべて嘘だったらしい。
「嘘つき」
三年前のエイプリルフール。嘘が許されるあの日に、嘘つきの泥棒に私はたくさんを盗まれた。