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世界鶏

作者: Em-7


「お母さんっ! お母さんっ!」


子供が炊事場に飛び込んできた。そのとき、彼の母親はちょうど鶏の羽根をむしっているところだった。


「ダメだよ! そんなことしちゃ!」


子供は母の腕に飛びついて、必死に鶏から引き離そうとする。


「なんだね、いきなり。したくの邪魔だよ」


母親は面食らいながらも、我が子を軽く肘でいなした。だが、何度押しやっても、子供はしゃにむに挑みかかってくる。なにか新しい遊びでも始めたのだろうと、まともに取り合わなかったが、息子の目を見て異変に気付いた。遊びではなかった。彼は真剣だった。


「いったいどうしたんだね?」


盥に鶏を置くと、母親は痛む腰を叩いて立ち上がった。きっと駆け通しできたのだろう。息子の額に光る汗を手の甲で拭ってやる。

子供は俯き、ぽつりぽつりと言葉を繋いだ。


「今日、学校で習ったんだ。僕達がいつも食べてる鶏の名前、世界鶏っていうんだって。世界鶏の羽根の一枚には世界が一つ宿っていて、沢山の人達がその中で暮らしてるんだって。羽根をむしったら、その世界が壊れてしまうんだって」


「……そうかい」


母親は我が子を見下ろした。小さなつむじが自分の胸のすぐそばにあることに、彼女はかすかな驚きを覚えた。


「もうそんなことを習う歳かい」


子供は大きな目を潤ませて、母親を見上げた。


「ねえ、お母さん。鶏には何枚の羽根があるの? 僕達はお肉を食べるたびに、どれだけの世界を壊しているの?」


母親は腰のエプロンで手を拭うと、子供の頭を優しく撫でた。


「世界なんて大それたことはよく分からないがね。坊や、忘れちゃいけないよ。どちらにせよ、あたしらは食べるためにこの鶏の命をもらってるんだ。いいかい、命は重い。たった一つで数多の世界と釣り合うほどに」

「そんなに? 命ってそんなに重いものなの?」

「そうさ。だから、あたしらは食事のたびに祈りを捧げるんだ。感謝と贖罪の思いを込めてね。そしてきっと、命に感謝と贖罪を捧げることが、そのまま壊されてしまう世界全てへの感謝と贖罪に繋がるんだと、あたしは思うよ 」

「僕……」


子供は言葉をつまらせた。彼はこれまで祈りの時間にふざけてばかりいたのだ。その子供の不安を和らげるように、母親は彼に笑いかける。


「お祈りの大切さが分かったかい?」

「うん」

「よし! なら今晩はお前にお祈りの言葉をまかせるとしようか」

「えっ? いいの?」

子供の顔がぱっと輝いた。

「ああ、いいよ。わかったら、ほら外で遊んでおいで」


背中を押してやると、子供は入ってきたときとは打って変わって、軽やかな足取りで駆けていった。


「……知っているよ」

その足音が遠ざかり、外に出たのが確かになってから、母親は静かにつぶやいた。

「知っているとも」


自分がむしる無数の羽根の中に無数の世界があることも。その世界のひとつひとつに自分のような母親や、その母が愛する子供がいるであろうことも。そしていつか、我が子のいるこの世界もまた、誰かの手によって不当にむしられ破壊されるかもしれないことも。

そのとき、その誰かを、あたしは憎むだろう。祈りなどでは到底おさまらぬほど、深く深く憎むだろう。でも、それまでは……。


あたしが優先するのは、あの子を食べさせることだ。


母親は盥の前にしゃがむと、晩御飯の支度に戻った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても深くて重いテーマのお話だと思います。私はそうしたお話が好きなので、この作品に触れられて良かったです^^ 私たちが普段、何気なく口にしている食材たちは、命を奪った上で成り立っている。…
2018/03/17 13:38 退会済み
管理
[良い点] 面白かったです。きらりと光るセンスがよかったです。生きるためには他の命を犠牲にしなければならない、それを自覚しながらも、なおも生きるために食べることを選ぶ母親は強いですね。 [気になる点]…
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