九月(4) 文化祭準備(後)
「何か知っている人がいたら、教えて欲しい」
野口さんが学校に来なくなって三日目。流石に先生も心配し始めたようだ。クラスにも流石にもう、「練習しなくて良い」と騒ぐ奴はいない。
でも、野口さんが来ていないこと自体よりも気がかりなのは。
朝からずっと握りしめている僕のスマートフォンは、まだ一度も振動していない。
「ねえ、野田!」
昼休み。須山さんの乱暴な口調で、僕は呼ばれた。
須山さんの側には、清水さんと宮本の姿。大体の要件を察する。
「なに?」
気が進まないが、自分の席から立ち上がり、須山さんの方へ歩み寄る。
「脚本書き換えたけど、野田の許可がどーのこーので見せたくないって言うんだけど」
「やはり一応野口さんの許可が必要かなと思いまして」
困ったように見てくる清水さん。本当に申し訳ない。
「ああ……そのことだけど……」
――「やっぱダメだよ、勝手に書き換えるのは」
相手は露骨に、不快感を顔に現す。
「はあ?じゃああんたはこのまま練習が進まなくたっていいとでも言うの?」
「だいたい、この練習が進まない状況を作ったのは誰だ?まさか別れたこととかそんなくだらないことが原因だとは思わないが、それでも今月最初の練習をぶちこわしたのは誰だ?」
――とでも言えればいいのだが。いっそのこと『脚本を書くシンデレラと、それを邪魔する姉たち』みたいな脚本を書いて渡したいものだ。
そんな勇気も、力もない僕は、すがるような気持ちでスマートフォンの画面を点ける。そこに通知は、一件もない。
目をつむり、祈りながら通知のないメッセージアプリを開く。
「既読」
そこにあるその二文字で、敗北を悟る。
「そのことだけど、何よ」
須山さんの声で、我に返る。
そっと、画面の電源を落とすと、僕は答える。
「ああ、いいよ。せっかく清水さんも書いてきてくれたんだし」
それ以上、会話を続けられる気がしなかったので、じゃあと言ってその場を立ち去る。
放課後、数枚の紙が配られた。
「おっ、ずいぶんスリムになったな」
「これなら最後まで読めそうな気がするー」
軽い歓声が聞こえてくる。
「文化祭までの時間も無いことですし、書き直しました。これからはちゃんとみなさん練習して下さい」
早速、練習が始まる。やはり数名の男子が自分のところで詰まってしまうことを除けば、非常にスムーズに進んでいった。本当に、滞りなく。
そして今日の練習が終わると、みんな満足そうな顔で教室を出て行った。
……嘘をついてでも、書き換えるのはやっぱりダメだと強く出ても良かったかもしれない。
でも、野口さんはそれを望んでいない。
そうやって、自分の弱さを野口さんを言い訳にして正当化しようとしている自分に気づき、嫌気がさす。
だけど。
少なくとも野口さんは僕の背中を押してはくれなかった。
そして僕は、野口さんのを守れなかった。
……それでいいのか?こうやって、あの脚本が無くなってしまって。野口さんの存在が消えてしまって。
「野口さんがどんな感じか、知っている人がいたら教えて下さいね」
金曜日。僕の隣の席は、ぽっかりと空いたままだ。
一方クラスは文化祭に向け活気に満ちている。
放課後の練習も、今までより断然やる気のあるものとなっていた。
こういう光景を見ると、脚本を変えることになって正解だったのかなと一瞬思い、すぐさま重く沈んだ気分になる。
今日の練習は、劇に出演する人は宮本の下で練習、そうでない人は清水さんの下で小道具・舞台作成の話し合い、であった。
特にデザイン能力も制作技能もない僕は、隣で話を聞いているだけで、ずっと元の脚本のことばかり考えていた。
練習が終わり、教室からクラスメイトが飛び出していく。
さて僕はどうしようか、とぼんやり考えながら歩いているうちに、いつの間にか文芸部の部室の前に来ていて苦笑する。よりにもよって、僕の身体はここに向かうのか。
ガラッと目の前で戸が開き、僕は一瞬驚く。そこには、広瀬さんの姿があった。
「おっ、ちょうど良いところにいた。早く入って」
広瀬さんに促されて部室に入ると、何枚かの書類を渡された。
「これ、文化祭関連の書類。今日配られたんだ。……で、野口さんは」
「……今日も来てません。そして、もう、来ないと思います」
連絡してもダメでしたし、と言いながら、メッセージアプリの画面を見せる。
「……なるほどね。でもじゃあ、文化祭のリーダー、部長の仕事の引き継ぎはどうしようか……。川北あたりか…?でも今更突然伝えても」
一人で考え込む広瀬さんを横に、僕は渡された書類に目を落とす。
「文化祭 企画案提出書
代表:二年四組 野口 文子」
久々に見る名前に、目を逸らせなくなる。
……ここには、野口さんの名前がある。
ならば。でも。いや、やっぱり。
「あの、よろしければ」
震える心に鞭打ち、勇気を振り絞る。
「野口さんの代わり、僕に、やらせてはくれないでしょうか」