九月(2) 文化祭準備(前)
「あと、野口さんは体調不良のため欠席だそうです」
川崎先生は朝のホームルームでそう言って、教室から出て行った。
一瞬、教室内に冷たい空気が走ったが、すぐに元通りに戻る。気にしていない、というよりは触れたくない、といった感じだった。
そして今日も授業が始まる。そう、いつも通りに。
違うことといえば、前から配られて隣の机の上に積み重なったプリントを机の中にしまったこと。それだけといえばそれだけだ。
放課後。この間の金曜日と同じように、文化祭委員の二人が前に立っていた。
「では、今日も練習を始めたいと思います」
そう清水さんが言ったものの、ざわざわとした教室では練習が始まる気配が一向にない。そしてそんな空気に鞭打つ野口さんは、今日はここにいない。
まともな練習も始まらないまま、既に三十分ほどが経過した。僕はずっと、窓の外の景色を眺めていた。灰色の空を映す窓ガラスには、水滴が飛び散っている。
「脚本の人もいないしさー、練習してもしょうがなくない?」
長谷川の発言に、文化祭委員の二人はお互い顔を向ける。
しばらく小声で何かを相談した後、清水さんが口を開く。
「……わかりました、今日は野田さんも休みのことですし、練習はこれくらいにしたいと思います。みなさんありがとうございました。明日は練習するので、ちゃんと脚本読んできて下さい」
「いやっふぅー」
早々に解放されて、文化祭委員の二人を除いたみんなの顔は明るい。前で困ったような顔をして立っている清水さんに何人かの女子が寄り添う。
さて、せっかく早く終わったことだし、部活にでも行くか。
ぞろぞろと教室を出て行く人の流れに紛れて、僕も部室へと向かった。
「やあ、野田君。早かったね。今頃は文化祭の練習で忙しいんじゃないのかい」
部室に入ると、広瀬さんがこちらに顔を向けて言った。
「あ、こんにちは。それが、今日は文化祭の練習は流れてしまったので……。脚本書いた野口さんが今日休みで、クラスがまとまんなくって」
「えっ。今日は野口さん休みなのかい」
「ええ……。ところで広瀬さんこそどうしてこんなに早くから?」
「ああ、文化祭の件でちょっと連絡があってね。君が早く来てくれて助かったよ。流石に受験生がこんなところで何時間も待つわけにもいかないしね。本当は野口さんにも話したかったんだけど仕方ない。後日、伝えといてくれるかな?」
「はい、もちろんです」
そう答えると、広瀬さんは文化祭の事務的手続きの書類などを僕に渡して説明し始めた。
「……と、まあこんな感じだから。何か分からないことがあったら連絡してね。すぐに答えられるかどうかは分からないけど」
どうやら、一通り説明が終わったようだ。
「はい、分かりました。野口さんにも伝えておきますね」
「うん。よろしく。ところで、部誌の方の制作状況はどんな感じだい?」
「まだまだ……ってところですかね。印刷機の予約はいつ頃取っているんでしたっけ」
「来週かな」
「……なるほど、分かりました。ありがとうございます」
とすると、今週中には部誌に載せる作品を提出して貰わねばならないな。
「うん。じゃあ、よろしく頼むよ」
そう言うと広瀬さんは片手を挙げて部室から出て行った。
僕は部室に残って他の部員を待ってみるも、なかなか来ない。それだけ文化祭の準備が長引いているんだろうか。……だとしたらうちのクラスは大丈夫か?
でも特にすることもないままここに残っていてもしょうがない。
僕は黒板に「木曜日までに部誌に載せる作品を提出して下さい」と書き残すと、学校を去った。