第5話 「中庭の少女」
鳥たちの歌う朝。
空は真っ青に晴れ渡り、心地よい潮風が庭の木々を揺らしている。
つるバラが生い茂ったレンガの壁。きれいに刈り込まれた芝。清涼な水がわき出る噴水。すべてが美しく輝いて見えるのに、少女の心だけはそれに反するように深い悲しみで覆われていた。
「お父様……お母様……」
しくしくと、誰もいない中庭で、薄紅色のドレスを着た少女が泣いている。
正確には一人だけ、少女を監視するメイドが離れた位置に立っていた。少しの間だけ独りにしてほしいと少女に頼まれたので、あえてこのような位置にいる。庭が良く見える屋敷の通用口前だった。他のメイドたちは「なんであのメイドだけ、あそこに直立不動で立っているのかしら」などと口々に噂している。
「早く……帰りたい。戻りたい。ユリオン村に……」
少女の涙は止まる気配がなかった。
館に着いてから、ちょうど一夜が明けている。
少女はあれからひどい扱いを受けることも無く、満足な食事に風呂、ふかふかのベッドに綺麗なドレスと、至れり尽くせりのもてなしを受けていた。
それでも、急に家族と引き離されたことや、さらわれたという事実は変わらない。
「お父様たち、今頃どうしているかしら……。きっと、とても心配しているでしょうね……」
本当の親のように育ててくれた養父母のことを思い出して、ガーネットはまたその深紅の瞳から幾筋もの涙をこぼす。小鳥たちが、そんな彼女をあざ笑うように空へ飛び立っていった。
「ああ、あなたたちは空を飛べて……いいわね。わたしもああやって飛べたら……ここから逃げられるのに」
青空に消えていく鳥たちを目で追う。
けれど、唐突にその鳥の一羽が落下した。何か黒い大きな毛玉とともに地面に転がる。
「えっ?」
一瞬目を疑った。
急に視界に飛び込んできたものに驚く。それは……高い塀を飛び越えてきた一匹の黒猫だった。上手に小鳥を口でキャッチして、今なお、息の根が止まるまでその首根っこを強く噛んでいる。
「ね、猫さん?」
おずおずと近づいてみる。
猫は小鳥を仕留めきったとわかると、血に濡れた顔を上げて少女を見た。一瞬、その目が大きく見開かれる。
――――お前は、あの時の。
瞬間、あたりに少年の声が響き渡った。だが、見回してみても誰もいない。少女はいぶかしげにもう一度黒猫を見た。空のように、海のように透き通った青い目。この瞳は、どこかで一度見たことがあるような……。
「あっ、そうだ。昨日の猫さんに似てるんだ。たしかすごく綺麗な青い瞳だったわ。もしかして……あなた……」
じっと見つめていても変わった反応は見られない。
気のせいかと思っていると、また声が聞こえてきた。
――――本当に、あの時の人間だ。この赤い瞳、忘れもしない。そうだ。そういえばこいつらがいけないんだった。ボクの魚をとりやがって。
「えっ? 魚?」
どこからともなく聞こえてくる少年の声は、怒りに満ちていた。ふと黒猫を見ると、同じように背中の毛を逆立てている。
「えっ? どういうこと? この声……まさか……」
少女が一つの結論に達しようとしたところで、少女付きのメイドがあわてて駆け寄ってきた。
「こら、ガーネット様に近づくな! あっちへ行け! この野良猫!」
庭の角に置かれていた箒をぶんぶんと振り回し、追い払おうとしている。黒猫は分が悪いと思ったのか、先ほどの小鳥を咥えると一目散に駆け出して行った。庭を横断すると、ひょいと飛び上がって塀の向こうへと消えていってしまう。
メイドは箒を逆さにしたままため息をついた。
「まったく、このお屋敷は堀で囲まれているというのに……いったいどこから入ったんでしょう。ガーネット様も、迂闊にああいった動物に近寄らないでください」
「はい……ごめんなさい」
しゅんとして反省してみせると、メイドは腰に手を当てて困ったように言う。
「今回はこのケイトがいたからいいようなものの……何かあったら旦那様に申し訳が立ちません。貴女は……このサンダロスの街を救っていただくお方なのですから。もう少しそれを自覚していただかないと」
「ええ、そうね……」
屋敷で働く者たちは、全員すでに、ガーネットがどういう理由で連れてこられたのかを知らされていた。屋敷外には他言無用で、話した者には重い罰があるということもきつく言い渡されている。
ガーネットは自分が持つ力のことをなんとなく理解していた。
けれど、この街でもユリオン村と同じ「奇跡」が起こせるかはわからない。
少女は複雑な思いを抱えたまま、不思議な猫の消えた方角をじっと見つめていた。