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第26話 「黒猫の不安」

 ――――んっ?


 草むらを歩いていた黒猫は、ひくひくと鼻を動かした。

 どこからともなく、うまそうな匂いが漂ってきている。首を巡らせてみると、「教会」と呼ばれる建物が見えた。


 ――――あそこか。そろそろ腹が減って来たところだし、覗いてみるか。


 裏口の戸が半開きになっていた。

 黒猫は、そこからするりと身を滑り込ませる。


 部屋の中は、濃厚な果実の香りで満たされていた。その強さに鼻が曲がりそうになりながらも、黒猫はあたりを見回す。

 幸い、人間はいなかった。


 ――――よっと。


 身を大きくかがめると、中央の大きなテーブルの上に跳び乗る。

 卓上には、果実の載ったホールケーキが置いてあった。

 茶色い生地の上に、青紫色の果実がぎっしりと並べられている。そして、さらにその上にどろりとした赤いソースが、これでもかとかけられている。


 壁際に目をやると、煮炊き用の鍋がかまどの上に乗っていた。その中にも、同じような色のソースがたんまりと入っている。

 窯にはまだ小さなとろ火がついて、くつくつと煮えていた。


 どうやら匂いの元はこれだったようだ。


 黒猫はくんくんともう一度鼻を動かしてから、ケーキに口をつけてみる。


 ――――んっ! なんだぁ、こりゃあ……?


 酸っぱい匂いと、どろどろとした触感が口の中いっぱいに広がった。

 黒猫は思わず吐きだすと、残りのイメージをふりはらうように前足でごしごしと口周りをこする。あまり美味い食べ物だとはいえなかった。しきりに舌なめずりしていると、ゴトンと背後で物音がする。


「ねっ、猫!?」


 振り返ると、廊下に通じる開口部に若い修道女が立っていた。

 床には、たった今落としたであろうビンが転がっている。


「どうしたのです、エミリー」

「あっ、グレースさん! の、野良猫が入ってきちゃいまして。わ、わたしたちの、ケーキが……」

「野良猫?」


 続いて奥から老齢の修道女が入ってくる。

 黒猫は後ずさりした。

 複数の人間に囲まれるのはまずい。あわてて逃げようとするが、若い修道女の方が勝手口近くへ移動したため、退路が立たれてしまった。


 ――――どうしよう。


 二の足を踏みながら心の中でつぶやいていると、修道女二人はきょとんとした顔になった。


「え? い、今……グレースさん、たしかに何か今、聞こえましたよね?」

「ええ。そんな気が……少年の声、のような」

「ですよね、ですよね? いったいどこから……」


 ――――まさか。ボクの心の声が……こいつらにも……?


 黒猫は動揺した。

 まさかガーネット以外にも聞こえるようになってしまったのだろうか。


「ぐ、グレースさん、もしかしてこの声って……」

「ええ、もしかしなくとも……きっとそうでしょうね。信じられないけど、あり得ないことではないわ。……そこな野良猫、これは貴方の声なのですか?」


 黒猫は黙った。

 余計なことを言って、さらに興味を持たれたくはなかった。そういうふうに関わってこようとするのはあの少女だけで十分だ。

 どうにか隙をついて逃げ出さなくては……そう思いながらキョロキョロしていると、ふと妙な張り紙があるのに気が付いた。


 ――――これは……あの女!?


 貼り紙に描かれている絵に、黒猫は目が釘付けになった。

 書かれている「文字」は読めないが、絵だけはすぐに一目でわかる。


 それは、とある人間の全身図だった。

 昨日街で出くわした女と特徴がほぼ一致している。


 ――――どうしてあの女が? そういえば、似たような紙が他の所にも貼られていたような……。


 この張り紙は今日、街中でいくつか見かけていた。だが、それほど気にならなかったのですべて通り過ぎていたのだ。

 こうして改めて近くで見ると、たしかに昨日の女である。


 なんだか胸がざわついた。

 あの変な女は、「宝石加護」のことについて異常な興味を示していた……。


 そこまで考えて、黒猫はハッとした。

 また心の声が出てしまっていたのでは……と、おそるおそる修道女二人を見ると、それぞれ感極まったような表情で神に祈りを捧げている。


「おお! 神はまた新たなお恵みをお与えくだすった! この猫に代わって感謝いたします。奇跡の力という恩恵を、我らに与えてくださったことに……」

「わたしも、感謝いたします! 神の御力をこの世に授けていただき、ありがとうございます!」


 老修道女に続いて、若い修道女も天に向かって手を合わせている。

 黒猫はその様子を若干引き気味で見ていた。


 やがて陶酔したような表情で瞑目していた二人は、ふたたびその目を開ける。


「……さて。エミリー、良く憶えておきなさい。あの黒猫は、とても美しい色の瞳をしています。これは……明らかに宝石加護の特徴です」

「はい。動物に与えられたものは……わたしもはじめて見ました。本当に実在していたのですね。教典にも一例ほどしか記載されていなかったのに……」

「ええ、まさに奇跡です。幻の、宝石加護の力……これは神父様や教会本部にもさっそく連絡しなくては」


 ――――ボクが……宝石加護?


 はっきりと修道女たちに断定されたことで、黒猫はガーネットの言葉を思い返していた。


『あの……ね、あなたも宝石加護の力を持っているんじゃないか……って、思ったの』


 あの時はあくまで彼女の「予想」でしかなかったが、宝石加護に詳しいとされる教会の人間たちが言うのなら、ほぼ間違いないだろう。

 黒猫は困惑しながら、修道女たちに心の中で語りかけてみた。


 ――――おい、それって! 本当なんだろうな。もし嘘なら……。


 老修道女がやや驚きながらも、それに答える。


「嘘だったら、この奇跡に説明がつきません。お前の心の声がわたくしたちに届くのは……神の御力以外にないのですよ」


 ――――そうか……。じゃあ、ついでにちょっと訊くが、この紙に描かれている女は何なんだ? いったい何者だ。


「ああ、その魔女のことですか」


 ――――魔女?


「ええ。それは今朝がた役所から配布された『手配書』です。どうやら例の、『目腐れ病』を広めた犯人がわかったようですね。その身なりから、仮に『魔女』と……。さっきの口ぶりですと、お前はその者について何か知っているのですか?」


 ――――昨日、街中で会った。


「なんと!」

「ええっ?」


 修道女たちはそろって驚きの声をあげる。


「そんな……じゃあこの情報は……まったくのデマってわけじゃなかったんですね。この女が実在しているなら、早く捕まえないと」


 若い修道女が不安げにつぶやいたが、ファンネーデルはすでにそんなことを気にしている場合ではなかった。


 ――――あの女は、ボクの目に何かしようとしていた……それにガーネットのことも……。


「えっ? ガーネット?」


 ――――ああ、ボクは、ある宝石加護の持ち主と知り合いなんだ。そいつは、あの伯爵の屋敷にいて……。なんだか、すごく嫌な予感がする。


「そ、それって……。が、ガーネットって、宝石加護の……!?」


 ――――こうしちゃいられない。もう行くよ! ごちそうさま!


「あっ、待ちなさい!」


 動揺した若い修道女の横をすり抜けて、黒猫は勝手口の外へと走り出した。

 あまりにすばやかったため、修道女たちは追いつけない。


 また深い草むらに飛び込むと、黒猫はいちもくさんに伯爵の屋敷へと向かった。

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