第25話 「ルークの治療」
「えっ、ルーク様が……ですか?」
「ええ。ですので、また貴女に『治療』を頼みたいのです」
ケイト同席の元、ガーネットの部屋には執事のウインザーが訪れていた。
ブランチをしに出かけていたルークが出先で例の病を発症し、それを知った夫人もショックで気絶してしまったという。
「あの……昨日のことでもうお分かりかと思いますが、わたしには『治療』なんてとても……」
ガーネットが自信なげに断ると、ウインザーは首を振った。
「いいえ。病状の進行を止めるだけでもやっていただきたいのです。事は一刻を争います。奥様も……あなたであれば回復なさるかもしれません。どうか、どうかお願いいたします」
「か、完治は望めなくても……よいのですか? それでよければ……やります」
「ありがとうございます」
そうして、ガーネットはルークと伯爵夫人がいる部屋へ向かった。
ルークには昨日の画家と同じように目のあたりを撫でて、腐敗を止めてみせる。
「ありがとう。ガーネットさん……」
椅子に座ったままのルークは、片手で目元を押さえながら礼を言った。
続いて、ガーネットは寝台に横たわっている伯爵夫人の所へ行く。
青ざめた顔で目を閉じている。頭の方に手をかざすと、しばらくして夫人は目を覚ました。
「あ……わたくし、いったい……。ゆ、夢ではなかったの? おお、おおルーク!」
勢いよく起き上がると、ぼうっとした表情のルークを見つけて駆け寄った。
ルークの頬を両手で包み込みながら夫人は泣き叫ぶ。
「ああ! 本当に目が……こんなになってしまったのね! どうして……どうしてこの子だけが!!」
「その件ですが奥様。二・三お訊きしたいことが……」
遠慮がちに訪ねてきたウインザーに、伯爵夫人は鋭い視線を向けた。
「何? 今更何を訊くっていうの? もう、手遅れよ! この子は、この子はもう!」
「落ち着いてください、奥様。何もルーク様が助からないわけではありません」
「……え?」
「とりあえずは、命の危険がなくなったと申し上げておきます。この宝石加護の娘・ガーネット様が、今、ルーク様の病状の進行を止めてくださったのです」
「な……っ? あ、貴女が?」
驚きの目で見られて、ガーネットは答える。
「はい。視力までは元に戻らなかったんですけど……。でもたぶん痛みとか、これ以上は悪化しないと……思います……たぶん」
「……そう」
半ばホッとしたような、半ば悔しそうな表情で、伯爵夫人は頷く。
「貴女の力は、本物だったのね。でも……貴女ですらこの程度しか治せないなら……領民たちは……」
「その件なのですが奥様」
「何、ウインザー」
会話に割って入ってきたウインザーは、うやうやしく頭を下げて言う。
「旦那様の命で、この病の調査を続けているのですが……その中でもひとつ判明したことがありまして。この奇病にかかった者はおしなべて『妙な女』を見ているのです」
「妙な女?」
「はい。ルーク様は、昨日までは異常がなかったご様子。もしや今日、何かそのような者と会ったのではありませんか?」
「……? さあ、どうだったかしら。ルーク、そんな女性に会った?」
伯爵夫人が訊くと、ルークは身震いしながら答えた。
「お、女の人……? は、はい。僕、会いました。見た、と言った方がいいですかね……。あの人、とても気持ち悪い笑顔で、僕のことを見て……ました」
「えっ? いつ? いつそんな人と……。まさか店にいた人?」
「違います。店に入る前……馬車の向こうにいて」
「そんな……」
ウインザーは動揺する伯爵夫人を気遣いながら、ルークに質問する。
「ルーク様。その女はどのような人間でしたか。身なりは」
「よく、憶えていない……です。普通の街にいる人と変わりない服装……でした。でも髪だけは……とても長くて。金髪の……」
「ありがとうございます。なるほど……」
ウインザーはお礼を言うと、ぶつぶつとひとり言を言い始めた。
ガーネットはがぜんその人物に興味がわく。
「あの、その女性って、いったい……?」
訊ねようとすると、ウインザーに笑顔でけん制された。
「ああ、ガーネット様。貴女もご苦労様でした。もうお部屋に戻られていいですよ」
「う、ウインザーさん……!」
「貴女は詳しくご存知にならなくても……結構です。あとはこちらで」
「で、でも」
自分にも、教えてほしい――。
仮にもこの街の異常を解消する役目を担わされたのだから。知る権利はある。
強いガーネットのまなざしからその思いを読み取ったのだろう、ウインザーはしぶしぶ話すことを決めたようだった。今の詳しい捜査状況を話しはじめる。
「ガーネット様は、昨日の時点で多少お聞きになられていたでしょうが……その女が、こたびの事件に関わっているとされています。魔女のような格好をした女……今はその特徴を書いた手配書が市内に出回っていますが、どうやらそれを警戒されて、服装を変えられたようです。どんな手を使って……奇病を発生させているかはまだわかりません。しかし、その者を捕えることができれば、ことは少なからず収束していくでしょう。新たな患者が出なくなりますからね。それだけでも……」
「…………」
もし捕まらなかったら?
とはガーネットは言い出せなかった。もし捕まったとしても、ルークも、昨日の画家もずっと目が治らないかもしれないのだ。
一軒一軒ガーネットが患者の家を回っていけば、死ぬはずの人も死なずに済むかもしれない。
しかし、発症してから半月ほどで死んでしまうというスピードなら、とても全部の患者を救えるとは思えなかった。
こうしている間にも、多くの人が亡くなっている。
ガーネットは己の力の弱さを嘆いた。
「ガーネット様、行きましょう……」
ケイトに促され、すっかり意気消沈したガーネットは自室へと戻った。
こんなとき黒猫がいてくれたら――と、つい想像してしまう。
側にいてさえくれれば。
心細い今の気持ちを、丸ごと受け止めてくれるだろうに。
ご褒美のためとはいえ、あの優しい猫はしぶしぶながらも側に寄り添ってくれていた。
彼も宝石加護の力を持っていたとしたら――。
つい、そんな妄想もしてしまう。
共鳴し合って、自分の力も、もっとまともなものに変化するかもしれない。
「なんてね……」
どちらも、ガーネットの希望的観測でしかなかった。
「今夜も、来てくれないのかな……」
ケイトに聞こえないように小さな声でつぶやくと、ガーネットは一瞬だけ強くまぶたを閉じた。




