第17話 「伯爵家の陰鬱な朝」
サンダロス伯爵夫人は、朝から陰鬱な表情をずっと浮かべていた。なぜなら、家族「以外」の者の顔が今日も食卓にあったからだ。ちらりとその相手を見てみる。
ガーネット=ユリオン。
山間のユリオン村を統治する、ユリオン男爵家の養女だ。この街の異常を食い止めるため、自分の夫がわざわざ人攫いに攫わせてきたという娘。
人攫い――その言葉だけで虫唾が走る。
いつのまに自分の夫はそんな卑劣な人間に成り下がってしまったのだろう。夫人はそのことでもかなり頭を痛めていた。
サンダロス伯爵は、元はかなりの人徳者だった。
いつも街のことを第一に考え、領民を愛し、家族を愛し、誰からも尊敬される人物だった。自分もそんな彼に惹かれて結婚した。
だというのに、今はこんな犯罪に手を染めるまでになってしまっている。
憎い。
憎しみの根源は、あくまで街の民を脅かす奇病だ。しかし、その憎しみを病自体にぶつけても仕方がない。代わりに夫人は、目の前の娘にその矛先を向けようとしていた。
「ガーネットさん、あまりお食事が進んでいないようですけれど……お口に合わないかしら?」
そうしてつい、嫌味を言ってしまったりする。
少女はビクッと肩をはねさせると、小さな声で返答した。
「はっ、あ、えっと……と、とても美味しいです。でも、今朝はちょっと……食欲がなくて」
「あら、大丈夫? どこか具合でも悪いのかしら」
その言葉に、ぴたりと男たちの手が止まる。
伯爵とマークだった。伯爵はちらりとマークを見、マークはコーヒーの入ったカップを表情を隠すように口元へと持っていく。夫人はその様子に眉をひそめた。
何か……あったのかしら。
昨夜のことを思い出す。夫がふらりと寝室から出て行った後、しばらく帰ってこなかった。戻ってきてからどこへ行っていたのかと問いただしてみれば、まるで要領を得ない。再び眠りにつくまでひどく動揺したそぶりを見せていたが、あれはいったい……。
マークもマークだ。
なぜか頬に昨日にはなかったひっかき傷を作っている。
おそらく、二人はこの娘のことで昨夜何かしていたのだろう。
そしてそれは決して自分には言えないようなことだ。
あくまで『女の感』でしかなかったが、夫人はそのように感じた。
「無理しないで頂戴ね。食べられそうになかったら……残したっていいんだから」
「いえ、もったいないのですので……紙に包んで持って帰ります。そのかわりお昼はその、休ませていただきたいのですが……」
少女は夫人に向かって話しかけながら、同時にちらりと伯爵の方を見る。
今の言葉は自分に向けられたのだと悟った伯爵は頷いてみせた。
「構わん。お前はこの街にとって大切な存在だ……体調が万全になるまで休んでいるといい」
「……ありがとうございます」
ガーネットは側に控えていたケイトに料理を包む紙を持ってきてもらうよう頼むと、朝食の残りを包ませてすぐに退室していった。
その背を見送りながら、夫人はぽつりと愚痴をこぼす。
「『この街にとって大切な存在』……ね。ずいぶんな表現だこと。『この街』じゃなくて、『あなたにとって』の間違いなんじゃないかしら」
「…………」
昨夜のことをなじるように言うと、伯爵はため息をつきながら首を振る。
「お前も変なことを言うのはよせ」
「変なこと? お前『も』ってどういうことかしら」
「マークもだ。お前たち、断じて妙な気を起こすな。あれはあくまでこの街を救うための代物……『物』なのだ。『人』と思って接してはいかん」
「まあ……ひどい。あの子はまだマークよりも若いじゃないの。そんな娘をモノ扱いしろだなんて……わたくしそんな非情にはなれませんわ」
「そういうことでは……ない」
伯爵は口元を拭うと、険しい表情で言った。
「あの娘は……神の力をたまわった宝石加護持ち。そういった存在をみくびっては、己の身を滅ぼしかねん。どういう立場であれ、神を侮った接し方をすれば、すなわち……」
「よく言いますわ。一番神を冒涜しているのはあなたではなくって? 教会の許しも得ずに、娘を強奪するような蛮行に及ぶだなんて……まったく呆れましたわ」
「この街の人々のためだ……。民のためならば神も許してくださるだろう」
その時、くくくっ、と押し殺そうとして失敗したような笑いが食卓に響き渡った。
「マーク……」
夫人は、口元を抑えながら笑っている息子をたしなめる。
「何がおかしいのです」
「いや、なに……ずいぶんと自己都合にまみれた解釈だと思ってな。くくっ……神はそんなことであれば許す、か。あははっ」
「……まあいい。ともあれ、街の変化はまだ見られない。私はウィンザーとともに、目の病を発症した者を探し、あの娘に直接会わせてみようと思っている。お前たちは、決して余計なことはするな。すべて私にまかせておればよい」
「はいはい……くくくっ」
伯爵の言葉に、マークは肩を震わせながら頷いている。
夫人は沈黙しながら、もう一人の息子ルークを見た。
彼はまだ10歳にも満たない少年だった。不安そうな瞳で、家族の面々を見回している。
「あの……父上、母上。兄上も……。神様にお祈りしなくて良いのですか。あのガーネットという娘は……宝石加護持ち、なのでしょう? であれば……その加護が強まるよう教会にお祈りしに行かなくては……」
「ああ、ルーク。あなたはなんて純粋な子なの。そうね、そうしたいのは山々だけれど……わたくしたちはきちんとした手順を踏んでいないのよ。あの娘は、もともとはユリオン男爵家にいたの。本来なら教会に申請して、そちらからうちに養子にとらなければならないはずだったのだけれど……その方法だととても時間がかかるのよ。だから……」
夫人の言葉を引き継いで、伯爵が続きを話す。
「そうだ。申請している間にこの街が滅ぶ危険があった。ゆえに、やむなく強硬手段に出た。教会にはもう顔を出せん。今はただ、この災禍が早く無くなるよう、ここで祈っているほかはない」
「そう、でしたか……わかりました」
しゅんとしたルークを見て、夫人は明るく声をかける。
「ルーク、神様に許しを乞いながら、望みを持ちましょう。そうしていればきっと……」
「……はい、母上」
ルークは食べ終わった後、神への感謝の儀式をし、そのまま何かを一心に祈りはじめた。
両手を合わせ、目を固く閉ざし続ける息子を見て、夫人は夫の罪深さを思い知る。早くこの悪夢が覚めてほしい。そう願い、夫人もまた神に手を合わせた。