第15話 「マークと伯爵」
「おやおや。こんな時間に……いったいそこで何をしているんだ? ガーネット」
「ま、マーク様……」
マークは暗い室内に入ると、後ろ手で扉を閉めた。
闇の中を歩き、月明かりに照らされた執務机のあたりまで近付いてくる。
「ふうん? どうやら調べものってところか」
ガーネットの手元にあった本を見て、マークがニヤリと笑う。
「それで? 書いてあったのか、俺の言ったことが。お前の宝石加護の力は、男の精力を高める。女は……妊娠しやすくなる、ってな」
「そ、それは……」
たしかに先ほど、自身の宝石の頁を見てみた。そこには生き物を活性化させる、という具体例として、マークの言ったようなことが書かれていた。
「じゃあ、せっかく二人きりになったことだし? 『お楽しみ』といくか」
マークはいやらしい笑みをはりつけたまま、机を回り込んでこようとする。ガーネットは捕まってなるものかと本を置いて逃げた。足元にいた黒猫も闇にまぎれながら走り出す。
「おいおい、待てよ。何も悪い思いはさせない。俺の手にかかったら、それは良い思いを……」
あと少しで出口に着くといったところで、ぐいっと左腕を掴まれてしまった。
「……させてやるんだからな。お前とだったらなおさらだ」
そう言って、そばにあったカウチに引き倒される。
ガーネットは恐怖に目を見開き、必死で抵抗した。
「や、やめてください!」
バシバシとマークの体を叩くが、両腕を取り押さえられ身動きを封じられてしまう。
「……あっ!」
「そうだ。そうして大人しくしていろ。すぐに終わる」
「や、やだっ! やめてっ!」
悲鳴をあげ、助けを呼ぼうとすると、マークはさらに手で口をふさいできた。もうダメかと思ったその時、マークの頭になにかがぶつかってくる。
「痛っ! な、なんだ……?」
マークは顔をしかめ、何かがぶつかって落ちた床を見た。
そこには、闇に同化した黒い生き物がうごめいている。
「なっ、なんで……ここに……? 猫が」
それは真っ黒な体毛の猫だった。
背を弓なりにし、二つの青い目を光らせながらこちらをにらみつけている。
「ふぎゃあああお!」
威嚇するように一声鳴くと、それはもう一度飛びかかってくる。
黒猫の鋭い爪がマークの頬を切り裂いた。
「うわっ、ぐっ! や、やめろ! こいつっ!」
マークと黒猫の格闘がはじまる。
マークはガーネットの上に覆いかぶさっていたが、このままでは不利と判断して立ち上がった。そして、何度目かの猫からの攻撃の隙をつき、首根っこを捕まえてしまう。
「は、はは……もう、許さねえぞ。こいつめっ!」
「や、やめて! ひどいことしないで!」
猫を床に叩きつけようとしたマークに、ガーネットが飛びつく。その姿を見て、マークはすぐ冷静になった。荒い息をつきながら、猫を抱き直す。
「はあ……はあ……そうだな。ここで殺しちゃ、色々と面倒だ。……助かったな、お前。ガーネットに感謝しろよ? だがここで『退場』だ」
「……?」
何を言っているんだと思ったのもつかの間。マークはつかつかと窓辺へ近寄ると、ガラス戸を開け、中庭の方へと猫を投げ捨ててしまった。外に落ちたのを確認すると、マークはまたぴっちりとガラス窓を閉める。そして、ガーネットへと向き直った。
「さあ、これで邪魔者はいなくなった。なんで猫がここにいたのかは知らないが……ようやく二人きりになれたな。嬉しいぜ? ガーネット」
そう言って、マークは心底楽しそうに笑う。
外では黒猫がうるさく鳴きながら窓ガラスに突撃していた。何回も跳び上がっては、窓の縁に爪をかけようとしている。だが、猫が乗れるような幅がないために、ことごとく落下していた。
「黒猫、さん……」
その光景を見て、ガーネットは「せめて黒猫が痛い思いをしないで良かった」と思うことにした。自分を助けてくれようとした、それだけで嬉しい。
ガーネットはちらりと出口の扉を見る。
今からでも逃げようと思えば逃げられる距離だった。マークよりも、今は自分の方がそこに近い。でも、恐怖で足がすくんでしまって、まったく動けなかった。だらだらと冷や汗が流れる。喉が渇き、舌がはりつきそうだ。
「さて。どんな塩梅だろうな、お前は」
肩をつかまれ、またカウチに押し戻される。ガクガクと震えながら覚悟を決めようとしたその時、部屋の扉がガチャリと開いた。
「マーク、そこで何をしている?」
「……父上」
サンダロス伯爵だった。伯爵が中に入ってくると、後ろからメイドのケイトも現れる。
「……ケイト」
「ああ、ガーネット様! あまりにも遅いので探していたのですよ! あ……マーク様、失礼いたします」
ケイトは小走りでやってくると、マークからそっとガーネットの身を引き離した。
震える体が、ケイトに抱きしめられることで徐々に治まっていく。
「何をしていると聞いているのだが」
あくまで穏やかに、けれど有無を言わせぬ厳しさをもって、伯爵がマークに詰問する。
「何って……見ればわかるだろう? 宝石加護の力がどれほどのものか試していたんだよ」
「試す……?」
サンダロス伯爵の眉間がみるみる険しくなる。
「そうさ。ガーネットって宝石には、血のめぐりを良くしたり、感覚を研ぎ澄ます力がある……と聞いた。だったら、どれほど気持ちよくなれるのかってな」
「マーク! お前というやつは……」
伯爵は怒りのためか声が一段と低くなっていた。
けれど、恐れるばかりかマークはそれをむしろ楽しんでいるようでもある。
「そんなことより、父上こそこんな時間に何を? どうしてここに……来たんだ?」
「それは……。眠れずに屋敷内を歩いていたら、その娘を探すケイトと出くわしたのだ。思うところがあってここへ来てみれば、お前たちがいた……というわけだ」
「へえ。眠れずに、ねえ?」
含みのある言い方をしながら、マークはニヤリと笑った。
「俺もさ、眠れなかったんだよ。そうか、父上も……ね。なるほど」
「何が……言いたい?」
「いやなに、父上もガーネットの力に『あてられて』、妙な気を起こしてたんじゃないか、ってね」
「ば、ばかばかしい!」
伯爵はマークの言葉に憤ってみせると、息子のむなぐらを強く掴み上げた。
「この娘は、この街を救えるかもしれない『希望』だ! 二度とこのようなことを……するな。さっきの言葉も聞かなかったことにしておいてやる。わかったなら、さっさと自分の部屋に戻れ!」
「希望……ね。くくっ。教会に見つかる前に、その力がうまく働くといいけどな」
相変わらず、人を食ったような態度のマークに、伯爵は諦めて手を離す。
「……お前たちも戻れ。ケイト、今後はもっと警戒をするように」
「は、はい。ガーネット様、行きましょう」
伯爵に命じられたケイトは、言われた通りにする。
ケイトに連れられて部屋を出ていく間際、ガーネットは複雑そうな表情をした伯爵を見た。マークの言う通り、彼もまた、自分に性的ななにかを期待していたのだろうか。
ガーネットは伯爵と視線が合わないうちに、顔をそらした。そして、このことについて深く考えるのをやめた。代わりに外に出されてしまった黒猫の身を案じる。
「もう……帰ってたり、してないよね……」
「ん? なんですか、ガーネット様?」
「あ、いいえ……なんでもないわ」
「そうですか?」
ガーネットたちは伯爵たちを残して、執務室を後にした。