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極楽クラフト  作者: ゆまち春
一章『引きこもりの涛万里』編
8/40

008 不思議なコーヒー

 涛万里とうばんり家から帰宅した俺は、リビングで寝息を立てていた姉貴を部屋に連れてあがった。姉貴の摂取せっしゅした栄養量を流し目で確認する。

「油そば……しかもぶぶか」

 俺と涛万里が食べたものと、同じカップ麺を食べていた。健康的な食品であるとはいいがたい。いや、美味しいけどね。一日一食でもいいぐらい。好評発売中!


 水洗いされた容器をゴミ袋に放り込んでから、テレビで時間を確認した。八時過ぎ。電話をするにあたって、悪くない時間じゃなかろうか。一般的に日本人が食卓を囲むのは七時らしい。我が家もそのくらいだ。いつもの八時ならゆったりとテレビを見ている。

 ……でももしも水無月みなづき家のご飯が遅かったらどうしようか。それに、八時から水無月のお気に入りの番組が始まるかもしれない。そんな時間に電話を掛けるのは。


 自分の頬をはたく。

 弱気でどうする。他人の時間を簒奪さんだつするくらい強引な男たれ!

 コップ一杯の冷水を飲んでから、受話器を耳につけた。

 コール音が鳴る。コール音が鳴り続ける。コール音は鳴りやまない……。


「留守か? 気づいてないとか」

 水無月の携帯電話にかけているはずだ。機械音声の応答がない辺り、水無月の電話の電源が入っていることは確実だ。


 一分が経った。昨日は電話をかけたとき、お風呂上りの水無月だったらどんないろっぽい声なんだろうと想像していた。けれど今は、時間経過に比例して、不安ばかりが募った。雪が降るように永遠、嫌な想像ばかりが巡ってしまう。着信拒否か。無視か。嫌われたか。

 昨日の元気はどこに行ったのかと自問自答する時間さえあった。単に、姉貴にかつがれていただけだ。姉貴は俺を乗せるのが上手い。俺の活力の半分は姉貴が用意してくれる。けれど今はベッドで寝ていた。夜に囲まれたリビングには俺しかいない。


 二分が経った。電話モニターの表記を見て、相手方の都合をかんがみる大人の対処法として一度受話器を置こうとしたときだった。耳元にノイズが走った。


『はい。神のごとく可愛い神河かんがちゃんでーす!』

「すいません間違えました」

 ノイズが走ったから受話器を置いてみた。幸か不幸か、折り返しの電話があった。

「もしもし、爼倉まないたぐらです」

『あ、はい。六月です。えっと、牡牛さんですよね?』

「そうです。そちらは六月なにさんですか?」

『………………神のごとく可愛い神河っ――ああ、無言で切ろうとするのをやめてください!』

 耳元に届く女の子の声は、紛れもなく水無月のものだった。若干テンションが高く発言が酩酊めいていしていたが、頭がおかしいのは既知の事実だ。

『なんだか失礼な称号を私に授けてませんか? 「千鳥足の千手観音」みたいな』

「意味がわからない。千もかかってないし。何、酔っぱらってんの?」

『へへーん。どうでしょー』

 うぜえ。二割増しぐらいでうざい。けれどほがらかに笑う声が十割増しぐらい気持ちいい。どうしようもないのは俺だった。


『昨日は電話取れなかったですけど、何か用事でした? デートの誘いだとか近親相姦とか留守電に入ってました。前者はともかく、後者はあまりよろしくないと思いますよ。相続遺伝子的に』

「姉貴とは何の肉体関係も持ってない。いや、普通に、なんか、お礼とか、そういうんだよ」

 素直にありがとうと言えばいいのだろう。けれど、それだと会話が終わってしまう。だけれど回りくどく感謝するのも男らしくない。

「助けてくれて、ありがとう」

 やっぱこういうしかないよなあ。水無月のお眼鏡にかなったかはさておき。

『いえいえ。どういたしまして』

 声が遠のく。お辞儀されたのかもしれない。受話器越しだとわからないけど。

 少し言葉に詰まってしまった間に、水無月が会話を差し込んだ。

『私も、牡牛さんに言いたいことがあったんですよ』

「言いたいこと?」

 彼女にしては平坦な声音で会話は続行された。


『コーヒーって、不思議ですよね。昨日思いついて、でも誰にも言えなくてうずうずしてたんです』


 昨日、渋谷のファミレスで水無月は確かにそんなことを言っていた。

 水無月はコーヒーにミルクとガムシロップを三杯も投入していた。最早それはコーヒーと呼べないだろう、という会話だった。

 ……些細な会話だったのに、意外と覚えてるもんだ。昨日の今日だから、かな。

『コーヒーって――インスタントコーヒーならって但し書きがつくのかな――豆を水に溶かして作るじゃないですか。コップの中には黒い液体。そこにミルクを入れます』

「普通は一杯だけな」

『人の好みに寛容かんようじゃない男の子は嫌われますよ』

「水無月が好きだ」

『……もう、なんか、それ言っとけばいいみたいな思考回路じゃないですか? そういうのはよくないと思いますよ。ほんと、いつか信頼が地に落ちると予報します』

 呆れているのか照れているのか。電話越しで聞き取ることは難しい。


『ミルクを入れたら、コップの中にあるのはコーヒーからカフェオレに変容します。ここからが不思議なのですが、ここでカフェオレの味が濃かったらどうしますか?』

「味が濃い。っていうのは、コーヒーの苦みが強いってことか」

 カフェオレが苦く感じたのなら、溶けた豆の密度が高いということだ。だったら容積、つまり水を増やせばいい。

「ミルク……は、二杯も入れたらカフェオレですらなくなるな」

『はい。ミルクは最初の一杯だけでノーモアフィニッシュです』

「答えは一つだろ」

『はい。答えは一つです。――それを、許せますか?』




 水無月との会話にはずみがなくなってきた。なんとなく、水無月が切りたがっている気がした。

「……そうだ。水無月は今日も、誰か助けてたのか?」

 言ってから、今日は学校があることを思い出す。日曜日だったから俺は救助されたわけで、平日に街を出歩いていたら女子高生は補導されるだろう。

『今日はどなたも。まあ、そういつもいつも困ってる人を見つけられるわけじゃないので。牡牛さんも、二週間ぶりくらいでしたよ。その前に助けたのは迷子のお子様でした』

「いつも迷子案内してんのか」

『まあ、迷子以外だとなくしもの探しが多いですね。土地柄、スリや物取りはどうしても沸いてしまう場所なので。他の悩みはお金の工面が厳しいみたいな、私じゃどうしようもないものばかりですから』

 一高校生である水無月には無理だろう。金銭問題から救済するならいよいよ王様にでもなるしかない。

「都会も大変だな、スリだなんてドラマでしか見たことないよ」

『そこまで多くはないですよ。観光客が増える休みの時期だけです』

「水無月は渋谷に住んでるの?」

『ですね。家は駅から少し離れますけど』

 さりげなく、家を聞き出せた。聞いたから遊びに行くわけではないが、水無月のホームを知れば、デートに誘いやすくなるのではないか。そう思っていたら、水無月から話を振ってくれた。

『家の場所を知りたいだなんて、がっつく雄牛さんせいよくばですね。デートのお話ですか?』

 改めて女子の口から言われると、デートという言葉が脳内で反響した。夢うつつになりかけた頭を振って現実に戻す。

「そんな感じ。暇な日ってある?」

『牡牛さんの日程に合わせて差し上げますよ。というより、何か助っ人の名目で私を呼び出す気じゃなかったんですか?』

「俺だっていつも助けを求めてるわけじゃないよ」

 今のところ万事順調だ。問題なんて何もないよ。

「じゃあ土日のどっちか。金曜日に日程を連絡するけど、それで問題ない?」

『はいはい。では私はこの後お風呂に入りたいので、また金曜日に連絡してください』

「お風呂?!」

『どうして牡牛さんが驚くのかはわかりません。神様だって女の子なんだからお風呂に入りますよ。それじゃあ、おやすみなさい』

「お、おや――」

 またしてもその一言が言えずに、通話が切れてしまった。

 にしても、なんで俺もお風呂の一言で動揺するかね……。

 話題に何か面白いことがあったわけでもない。ちょっとした予定を入れただけで、水無月のことを詳しく知れたわけでもない。なのにどうして声を聞くだけで心が満たされるのか。



  ♰ ♰ ♰



 俺もお風呂に入ろうかな。

 浴室まで向かった後に、心が浮足立つと発症する「湯船に浸かりたくない症候群」、略して bath soak syndrome ―― 罰則症候群 と改題しよう。絶対使わないな。やっぱりやめよう。

 服を着なおした俺は、キッチンへ向かった。

 湯飲みと牛乳を用意したはいいが、肝心のコーヒー豆がなかった。

 戸棚を探している物音で起きてしまったらしく、寝ていた姉貴がキッチンまでやってきた。

「姉貴、前閉めろ、前」

 あい色のパジャマのボタンを全開にしながら。下着も着けていない姉貴の素肌が、夜空に光る天の川のように輝いていた。

 ……ほんと、姉貴が姉貴じゃなかったらと思うとぞっとする。

 危うく出そうになった手を押さえつけ、後ろを向く。目を擦る姉貴も理解してくれたらしく、「いいよ」と言われて姉貴をちらりと伺うと、上の二個を除いた全てのボタンを閉じていた。まだ教育上よろしくない谷間が見えているが、弟の俺に見せるぐらいなら問題ない、はず。


「起こしちゃってごめん」

「構わないけれど、どうしたのがさがさ。お金探してるの?」

「家の中で埋蔵金を探すぐらいなら海に素潜りするよ。珈琲豆あった? インスタント」

「あるよ。冷蔵庫のなか」

 コーヒー豆ははたして冷蔵庫で冷やすべきものなのだろうか。聞いたことないけれど、家の中で唯一飲んでる姉貴が満足してるならそれでよかった。二十四時間頑張れますの栄養ドリンクがダースで置かれたその隣に、透明の瓶に詰め込まれたコーヒー豆があった。

「姉貴、これもらっていいか」

「いいよ。コップ二つあるけれど、淹れてくれるの?」

 置いてある二つの湯飲みを姉貴が指さす。処理を考えていなかった。姉貴が飲んでくれるならそれでいいか。

「いいよ。しばらくかかるから、リビングで座ってて」


 湯飲みの一つを姉貴のマグカップに変更する。

 俺の湯飲みと姉貴のマグカップにコーヒー豆を落とす。小石ほど小さな欠片が降り落ちる。底の小山にもう一振り、苦くなるように豆を足す。目分量で二つのカップの豆を等量にする。沸かしていたお湯をコップの半分ほどに注いでからかき混ぜた。小山は湖の底に沈んだ。

「姉貴。姉貴の分、一口飲んでいいか?」

 実験のためには姉貴のコーヒーを飲む必要がある。ソファに倒れていた姉貴がカウンターに頬杖を突いた。

「私に、欲情してるの?」

「どういう突飛な思考展開をしたんだよ……。調べたいことがある」

「唇の味?」

 どうやら、姉貴は間接キスについて提言していた。寝ぼけてやがる。

 順を追って話すことにした。変な誤解をされて、うるんだ目をされ続けるのはたまらない。

「姉貴はコーヒーにミルクを淹れる?」

「たくさん淹れる。あまり苦いのは飲めないから」

 そうだったのか。俺が姉貴のコーヒーを作る機会はなかったから、そんなこと知らなかった。苦いのが嫌いなら、甘いのが好物なんだろうか。でも姉貴がスイーツを食べているところを、俺は一度も見たことがない。

「ミルクを入れたら、それはカフェオレになるだろう」

「カフェオレはフランス語で、コーヒーに牛乳を混ぜたもののこと」

 首肯してくれた姉貴。


 牛乳を姉貴のマグカップにだけ注いだ。乳白色と混ざり合って黒色が和らぐ。コーヒーにミルクを足した分だけ、俺の湯飲みにお湯を注ぐ。こちらは色にさして変化はない。

 ……ここから、どうすればいいんだろう。

「牡牛は何がしたいの?」

 俺の手が止まったことに気づいた姉貴。整理するついでに、姉貴に説明する。

「カフェオレにお湯を注いだら、味が薄くなる気がする」

「うん」

 当然だ、と姉貴が即答で頷く。そして俺の言葉の続きを待っていた。

「……うん。それだけ」

 なんてことはない。水無月の言葉で不思議に思って、確かめたくなったのはそれだけだ。

 俺の湯飲みを姉貴に渡す。

「これ、飲んでみて」

「……苦い」

「豆を多めに入れた。次、姉貴の」

「……こっちも苦い」

 コップを置いた姉貴は、口を歪ませていた。苦いのが苦手だと言っていたのは事実らしい。悪い事をした。


「姉貴は、コーヒーが苦かったらどうする?」

「ミルクを足す」

「ミルクは一杯しかだめ」

「どうして?」

「そういう前提なんだからしょうがないじゃん……」

 ミルクがこの話の肝ではないのだ。姉貴は次の候補を言わずに指を顎にあてた。

 二つのコーヒー。ミルクが入ったものと、入っていないもの。

 見比べて、姉貴は得心がいったみたいだ。やかんを手にした。

「コーヒーが苦くて、でもミルクも入れられないなら、お水を足す」

 やかんを持った姉貴は、けれどカフェオレに水を注ぐことはなかった。

 やかんを置いた姉貴は、一口だけ飲んだマグカップの中身を流し台に捨てた。

「どうして捨てたの?」

 姉貴に望んでいた言葉を求める。

 姉貴もわかっていたように、端的に答えてくれた。

「味が水っぽくなりそう」

「同意見」

 ミルクの入れていないコーヒーに、お湯を入れるのに躊躇ためらいは無い。豆にお湯を注いでコーヒーを作ったから。

でも、一度ミルクを注いでカフェオレにしてしまうと、お湯を注ぐのが間違いに感じる。

 たったこれだけの、水無月曰く不思議な話。

「タイミングが大事って教訓?」

「どうなんだろ。水無月がそこまで考えてたとは思えないけど」

「そ。六月さんに電話したのね」

「うん。たぶん、土日のどっちかに出かける」

「どにちのどっちか。そ。お金はあるのか」

「安く済ませるよ」

「女の子相手なんだから、万全にしていけ。私はもう寝る」

「うん、おやすみ」

 苦いコーヒーを口に含みながら、宿題を進める。

 そういえば、水無月に確認するのを忘れたことを思い出す。

 ネトゲの自称神様は、水無月だったんだろうか。

 違うことはわかっている。ただ、次はそれを話のとっかかりにしようとメモしておいた。



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