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極楽クラフト  作者: ゆまち春
一章『引きこもりの涛万里』編
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004 これから千回万回と続く、弟との食事シーン


「姉貴、ただいま」


 渋谷しぶやのファミレスから駅まで歩き、別の路線だった水無月と別れた。揺れる電車の中では身体がカイロを貼り過ぎたみたいに熱かったのに、家に帰った頃には体も冷え切っていた。夕澄ゆうずみってどうして急に冷え込むのかね。


 埼玉県の浦和市には、親から継いだ一戸建てがある。軒並みの住宅街の一つで、標識をシャッフルしてもおそらく同じ生活が送れる。俺と姉貴だけが住んでいる我が家の一角に、明かりが点いていた。玄関前の道路に面しているのは姉貴の部屋だ。


 俺が玄関を開けるのと同時に、階段を降りる足音が玄関にまで届いた。

 やはり部屋にいたようだ。


「おかえり。首尾は?」


 階段から降り立った姉貴は、早々とナンパの報告を求めた。


「先に風呂」


「女の匂いを落とそうとしても無駄。先に答える」


 それが姉貴の台詞かよ、と多少ならず思うが。両親が死んでから親代わりに一家を支えてくれた姉貴だ。過保護な干渉かんしょうは当然な気もしている。

 ハーレムを築きたいと相談したらナンパをしろと導いてくれたのも姉貴だった。親身にアドバイスをくれたわけだし、顛末てんまつが気になるのも仕方ないか。


「匂いって、ちょっと手を握ったぐらいだよ。後、その子の連絡先ももらった。携帯電話持ってないから家の電話番号教えたけど、問題あったか?」


 今日のお昼間、渋谷で赤の他人よりかは関係が向上した水無月が、いかがわしい古物商だったり宗教勧誘の人間だったら、電話番号を教えてしまったのは致命傷ちめいしょうだ。

 でもまあそんなわけ……。


「近いうちに宗教勧誘の電話が来るかもしれない。ごめんなさい」


 水無月は、善悪は不明だがおそらく浄土宗の教徒だ。どこぞの仏門家庭の出であれば、つつまくおしとやかで巫女服の似合う清女せいじょになりそうなもんだが、あの性格ではそのどちらも水無月のイメージにはそぐわない。彼女は怪しい宗教に出入りしている可能性がある。


 姉貴は俺の肩を叩いた。


「構わない。牡牛おうしがその娘を信じて電話番号を教えたなら。間違えたら反省すればいいし、失敗なら私の胸に飛び込めばいい。成功していたら、仲良くなれるといいな」


「……うん。ありがとう、姉貴」


「風呂は沸かしてある。長く浸かるな」



 姉貴は二階に戻らずに、リビングへ向かった。俺も荷物だけリビングに放って、お風呂に入ることにした。

 けれど裸になったらなんだか湯船に浸かるのが面倒になった。外出して汚れてるときに限って、湯船浸かるの嫌気差す症候群しょうこうぐん。あるある。


 シャワーだけ済ませてからリビングへ戻った俺は、ソファに寝転がった姉貴が俺が脱いだ服を毛布にしているのを視認した。


「姉貴、俺の服じゃなくて毛布を使えって」


「……んん、ふぁあぁ。……牡牛の服が寝やすい。こっちの方が慣れてる」


「せめて洗ったのを使えよ。汗掻いて濡れたのじゃなくて」


 死んだ両親に残された俺と姉貴は貧乏生活に突入した。

 まだ幼かった俺たちに手を差し伸べてくれた親戚が大勢いてくれたおかげもあって、生活自体はすぐに安定した。が、俺と姉貴は援助を受けるまで毛布を買う余裕もなく、手持ちの服を代わりにして一冬をしのいだ。


 新品のお布団をもらったら俺はすぐに鞍替くらがえした。姉貴は俺の服を毛布の代わりにし続けた。名残なごりみたいな癖が姉貴は抜ないらしく、成り行きで俺の服の管理は姉貴にある。俺の衣類全てが入ったタンスは、姉貴の部屋に置いてある。


 姉貴の言い分は、


「毛布を別の部屋に取りに行くのは効率が悪い。それとも思春期の牡牛の部屋に出入りしていいの? ねえ、いいの?」


 というものだ。俺の部屋への出入りは絶対に避けたかった。姉貴にナンパの教えを請うのはいいけれど、性癖までさらけ出すつもりはない。


 それに姉貴には年上というだけで苦労をいっぱいさせてきた。姉貴には些細なことでも可能な限り楽をして欲しいので、タンスには姉貴の部屋で生を満喫してもらっている。


「じゃあ代わりの取ってきて。今日は靴下とトランクスの気分」


「どっちも布地が薄すぎるし、んな汚いもん被るなよ。寝るならベッド行け」


 寝転がる姉貴に目が引き寄せられる。マネキンにそのまま肉をつけたような脚が、ショートパンツからはみでるように伸びている。ただでさえ短いショーパンなのに、家の中では古い洋服でも着る貧乏性のせいで、穴が開いていて一枚下の布パンツが見えている。

 ……たまに、姉貴が姉貴じゃなかったらとぞっとすることがある。




 姉貴の目は冴えたみたいで、焦点が俺に定まる。


「牡牛。ご飯は?」


「まだ。今から何か作って食べる。姉貴は?」


「牡牛がわからないからまだ」


 訳:飯を作ってあげようにも、お前の帰宅時間がわからなかったから作るのやめた。 である。


「じゃあ一応作るけど、寝るんだったら部屋に戻れよ。風邪引くぞ」


 少し熱っぽい息を吐きだすのは、姉貴が満足している証拠だ。俺が帰るまでご飯を待ってくれていたのだとしたら、電話の一本でもすればよかった。


 電話で思い出した。慌てて、洗面所にある起動前の洗濯機に入れたズボンから紙切れを取り出す。二つ折りの紙片には、水無月みなづきの携帯の番号とアドレスが書いてあった。あぶない。洗ったら取返しがつかなくなるところだった。


「携帯かあ」


 ぽつりとつぶやいてから、姉貴が洗面所まで来ていないことを確認する。

 そんな高価なものを買うわけにはいかない。

 現在、爼倉まないたぐら家の収入は、親の遺産と親戚から受け取るありがたいお金、それから姉貴のモデル料と三つに分類できる。

 親戚から受け取ったお金はいつか返すものだ。親戚の善意なのに言い方は悪いが、借金だ。

 親の遺産は多かった。分配やら相続に時間がかかったが、無事に俺と姉貴の元へと届いた。けれど当たり前だが無限ではない。少しずつ切り崩しているが、これは俺の高校と、姉貴の大学の支払いのみに使っている。


 大学を卒業しろというのは父さんの遺言だった。俺は従わないつもりだ。父さんに反発したいお年頃なのではなく、純粋に金の無駄だと思っている。大卒の方が給料が高いらしいけれど、奨学金で持っていかれるから同じだ。長期的に見れば、より社会に触れている時間が長くて有能な人間がお金を多くもらえる、と俺は思う。


 学歴も大事だとは思うが、目の前の金銭も大事だ。

 姉貴は父さんの言葉に従って大学へ入った。将来は弁護士になりたいらしい。どうしてと聞いたら、「給料が格段にいいから」と言われた。それだけではないことを俺は知っている。

 最後に姉貴のモデル料。思っている以上に割がいいらしく、俺と姉貴が生活に不自由しないだけのお金を貰っているらしい。


 お洒落はよくわからないが、姉貴が着たら素直に美しいという感想が口を突いて出てしまう。毎月の雑誌に載せてもらうくらいだから、家族びいきなしにも人気があるのだと思う。

 けれどいくら稼げるからといって、贅沢をしていいわけがない。……女の子をナンパするための軍資金をもらっておいて、どの口が言ってるんだと自省はしている。


 後であのお金も返さなくちゃと思いながら、紙切れをエプロンのポケットに入れた。




「いただきます」


 俺と姉貴が手を合わせる。リビングは窓を開けて扇風機も点いているのに、姉貴は汗で濡れた俺の服を布団にしていたせいで、薄いシャツが透けるぐらい汗ばんでいる。


「食い終わったら風呂入れよ」


 自炊は姉貴の方が得意だ。飯屋になれるほどの腕前ではないけれど、高校の学食よりはうまい。

 それに比べて俺のはいつもがさつだ。料理できる男子がモテるなら、これからはちゃんとレシピ見ようかな。

 ちらし寿司の具だけを乗っけた大皿からは、卵やきゅうりが飛び出している。一つずつそれらをつまんでいく。


「牡牛。何人に声をかけれた」


 酢が強く効いてるきゅうりを口に運んだせいで、むせた。


「……」


「私はスポンサーだ。権利がある。知る権利」


 姉貴、そのために俺に金を寄越したわけだ。後で話を聞き出せるように。どこまで過保護なんだ。大体、弟がナンパした人数聞いてどうするんだ。

 咀嚼そしゃくしたものを飲み込む。


「……ゼロ」


 昼間から夕方まで渋谷にいた。その間、自発的に女の子に声をかけることはなかった。


「姉貴、ガッカリしないでくれ。最初の一人で成功したんだ。俺には見込みがある」


 収穫としては、知り合いを一人ゲットした。

 脈があるかと聞かれたら答えづらいが。


「そうだ。軍資金、俺のお小遣いで賄えたから、万札はそのまま返すよ」


「はぐらかすな。ハーレムが作りたいんだろ。たかが一人と仲良くなっただけでは肉の園と呼べない」


 生々し過ぎる言葉にちょっとたじろぐ。


「しばらくはその一人だけに注視してみるよ。いきなり何人も知り合いが増えたって、どこかでほころびが生じる。生き急いでいるわけじゃないんだからさ」


「……わかった。でももう三人――いや、もう一人、一緒に攻め落とせ。一人だけに熱心になっていたら、牡牛の中に満足が生まれる。ハーレムという初心を忘れないためにも、二人以上の同時攻略を常とするべきだ」


 姉貴の言葉は、顔面に水を浴びせられるようだった。

 俺はどうやら、水無月に告白したという一大イベントで慢心していたみたいだった。


「わかったよ姉貴。とりあえず二人以上。まだ誰とは決まっていないけれど、探して必ず振り向かせてみせるよ」


 目指しているのは水無月との円満な家庭生活ではない。目標はそれらを掛け合わせた、俺の嫁全員との円満な家族生活なのだ。

 立ち止まっている時間なんてない。俺には来世がないから、時間は有限だ。


「精進しろ。とりあえず二人手中しゅちゅうに落とせたら、一緒に家に連れて来い。牡牛の部屋に女の子を招いたら燃やすから不埒ふらちなことは考えるな。それで、今日知り合ったのはどんな女の子だ?」


「ああ、水無月――六月ろくがつ神河かんがっていう子なんだ」


 俺は食事をしながら、今日の話をした。


 思い出しながら感想を交えて話すだけで、第三者にとって面白いことなんて何もない。

 けれど姉貴は一度も立ち上がらずに、じっくりと耳を傾けてくれた。


 




 話終えると、俺の気持ちの整理もついたみたいだった。

 六月神河という女の子が、俺を気遣ってくれていたことに、改めて気づかされた。

 彼女は徳を積むために人を助けている。元々の性根が優しいからこそ、その行動に自信が生まれるのだろう。どこかで不貞腐れていたり別の目的を元に行動していたら、あんな素直に生きられるわけがない。


 またお礼がいいたくなった。


 姉貴が立ち上がって、冷蔵庫からウーロン茶のボトルを取り出した。俺のコップにも注いでくれたから、礼を言って、それに口をつけた。


「六月さんか、面白い事をやる子だな。迷子案内のボランティア」


「本当にやってるかはわからないよ。実は宗教勧誘だったりするかも」


「たぶん違うな。勧誘ならもっとしつこかったはずだ。もしもバイヤーの手先なら、魚を泳がすにしても牡牛の金銭事情を伺う様子がなかった、のだろう」


「だね。両親が死んだとは話したけれど、それでお家にはいくら遺産が入ったの? とかは聞かれなかった」


 水無月がそんなことをする人間だとは微塵も思っていない。でも、親が生きていれば彼女の言動に難癖をつけることは想像に難くないヘンテコな女子だ。危険を嗅ぎ分けられるところを姉貴にアピールするためにも、姉貴に相談する。

 お仕事の基本は報・連・相。女の子との触れ合いをライフワークにしていきたいなら、出来る男を目指さねば。


「そんな現金な美人局はいない。まあ牡牛が心配なら、その六月さんに電話をかければいい」


 テーブルの上には番号とアルファベットが入り乱れる紙片。水無月の携帯番号。話の信頼性を高めるための証拠品だった。


「今日出会ったばかりなのにもう電話かけるの。それはなんだかいてるみたいだし、がっつき過ぎだと思われないか」


「思われる。けれど事実だ。そしてがっついた方が、本気だと伝わる」


 女性である姉の姿にやきもきした。

 同時に、姉貴の言葉に胸を打たれる。


 明日電話をして「昨日ぶりだね」。

 今日電話をして「さっきぶり」。

 どちらの方がより覚えてもらえるだろうか。

 それに、水無月はどう感じるだろうか。


 もしも今日みたいなことが水無月の人生には多々あったなら、明日は明日の出会いが水無月を待っているかもしれない。


「明日の六月は、今日の六月と違うかもしれない。一皮剥けているかもしれないし、誰かの一皮剥かしているかもしれない」


 唐突な下ネタを言い出した姉貴は明日にでも泉に落とすとして、今日はやるべきことがある。


「姉貴、電話借りる」


「勝手に使え。自宅のなんだから」


 我が家の電話はリビングにある。高校生の頃の姉貴が「どうしてもインターネットが欲しい」と珍しく我儘わがままを言って親戚に買ってもらったルーターと並んで、家の電話が置いてある。


「私がここにいても構わないな」


「リビングぐらい好き勝手使えよ。家族なんだから」


 十回プッシュ。電話線越しで水無月にノックしている。どんな服装だろうか。夜もいい時間だ。湯上りでつやのある声だったりするのかもしれない。


「……姉貴、テレビでも見てろよ。暇だろうが」


「電話している牡牛の邪魔をしたくない」


 姉貴はソファの背もたれから首と腕だけこちらに見せてくる。万全の聞き耳態勢だった。

 鳴っていた呼び出し音が一瞬途切れる。

 俺の高鳴った胸を押さえつけたのは、女性の声だった。


『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない場所――』


 対応してくれたのは、機械的な声の女性だった。少しだけ安堵しながら、背にいる姉に伝える。


「電源入ってないってさ」


「後で掛けなおすのか」


「留守電入れておく。また明日掛けなおします……で、いいよね」


「掛けなおして下さいと頼んで、相手から掛かってこなかったらそこで縁は切れてしまう。好きにすればいい」


 どうしようか迷って――他人に遠慮しない人生を選んだ。

 録音音声が、録音してくださいと促してきたので、声を入れる。


「――爼倉牡牛です。今日は助けてくれてありがとう。一応、お礼の電話入れとこう、とか……」


「牡牛。そんなはっきりしない態度で六月と会話できていたのか」


「姉貴は少し黙ってろって――ああ、だから、これはデートの誘いだ!」


「お母さん、お父さん。あなたたちの息子は近親相姦の道から大きく足を踏み外そうとしています」


「録音に乗るような大声で何言ってんだよ姉貴も……。水無月、また明日電話掛けるから。…………………………おや――」


『以上を、録音いたしました』


 言いたかったことを水無月に伝えきれないまま。ツーと夜の空気を裂く音が電話から聞こえた。

 俺は電話機を元の場所に戻し、リビングで表情を消して正座する姉貴の前に立った。


「正座してみた」


「見えてる」


「ブラ紐が?」


「誠意のなさが!」



 謝罪する気が全くない姉貴と口論をした後、俺は部屋に入った。

 大学で何かいいことでもあったのかもしれない。口論で頭を抱えた俺を端目に、姉貴はるんるんステップしながら入浴した。

 ベッドに倒れこむ。熱気が籠らないように開けた窓から梅雨の風が入ってくる。カーテンを猫がパンチするみたいに揺らしていた。


 水無月は、猫とか好きなのかな。なんだか、好きそうだな……。


 今日はいろいろあった日だ。眠るのには、少し時間がかかりそうだった。

 たまには日記帳でも書いてみようか。ノートの切れ端に、事実は書かずに思ったことだけ。

 一枚くらいなら、埋まる気がした。



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