035 名前
街を走る。夏は日が暮れるのが遅いとはいえ、八時にもなると街灯なしでは見通しの悪い道も出てくる。
あんなちゃんは友達の家にはいない。小学校にもいない。誘拐されている可能性もあるが、そんなことを言いだせばキリがない。
小学生の家出、家出……。くそっ、家出の経験がないからどこにいくか見当もつかない。
家出をするということは、家にいたくないということだろう。
家にいたくない理由は定かではない。
というか、あの小学生……名前よりあだ名が好きなんだっけ。あだ名はなんだったっけ。たしかあんなちゃんだ。名前の上下をとってあんなちゃん。あんなちゃんについて知っていることなんてないに等しい。
俺が探すのは、せいぜいが小学生の足でいける距離だ。
電車に乗っている可能性もある。もしそうなら探しようがないだろう。
まだこの街にいる。かつ、小学生の足で行ける場所で捜索するしかない。
あの小学生が家出して何を求めるか考えろ。安寧や地位とかそんな大人が望むものじゃない。人に言えないコンプレックスや悩みを抱えている。
俺が家から出たらどうするだろうか。
たぶん、家をもう一度さがす。俺を隠してくれる場所にいたいと思う。
それならわかる気がした。
両親が死んだ後に、姉貴が必死に守ってくれたモノ。
衣食住。
友達と折り合いがつききれていないあの子は学校が好きそうじゃなかった。家出しながら小学校に通い続けようとは思わないはずだ。
じゃあ隠れているのは小学校じゃなくて――。
「牡牛!」
俺を呼ぶ声に、思考が現実に揺り戻される。
振り向いたら黒に近い夕闇を背に、汗を掻いた涛万里が走っていた。
「涛万里? なんで、どうしたんだよ」
「小学生が行方不明だってやなぎ先生から電話があって、牡牛の家にかけたら誰も電話にでなくて」
誰も……? 姉貴はどうしたんだ?
「小学生は見つかったの?」
「いやまだだ。でも、たぶんあそこだ」
駅に向かおうとしていた踵を返す。
住宅街の家々には明かりが点いている。会社帰りのサラリーマンを追い抜く。自然と俺は走っていた。
「牡牛、どこに行くの!?」
肩で息をする涛万里の足に合わせながら、その問いに応える。
「公園だ!」
あそこにはまだ山や遊具が残っている。秘密基地があると、小学生は言っていた。
それに、小学生たちはあの公園が封鎖されたのは「ノーゲームのせい」だとも言っていた。家出した子がどういう思考回路をしているかはわからない。
でも、もし見つけて欲しいとも願っていたら……。
くしゃみをするほど肌寒い。慌てて出てきたから部屋着のままだった。
「……涛万里も、ありがとう」
いつの間にか、走る足は止まっていた。優先順位が目の前に偏ってしまうのは悪い癖だ。
けど、涛万里と話せた事実がたまらなく嬉しかった。ちゃんと涛万里と会話したのは一週間ぶりだ。何を話せばいいのかわからない。こういうとき、どんな対応を取ればいいんだろうか。
「私も、心配だから来ただけだから。牡牛のことなんて、どうでもいいし……」
「……だな。早く小学生のところに行こう」
「……」
涛万里は何か言いたそうな顔をして、かぶりを振った。今話すべきじゃないと思ったんだろう。
俺はその表情を見て、伝えておこうと思っていたことを話す。
「なあ、涛万里。大事な話があるんだけど」
「なに二股男。告白なら……受けない……かも」
脇が甘いどころか開きっぱなしの涛万里だった。
「ハーレムについて、俺なりに考えたことがあるんだ。それを聞いて欲しい」
「それならもう――」
「今じゃなくていい。こんど、時間を取ってくれればそれでいいから」
それだけ言って、俺は再び走った。
涛万里は小声で叫んでからもついて来てくれた。
♰ ♰ ♰
公園に走り込む。
八時過ぎの公園には、誰もいない。キャッチボールやサッカーをするまばらな人影さえ、この日に限っては見当たらなかった。
「……また、ここなんだ」
涛万里が恨みがましく呟いた。公園の端にはベンチが見える。
園内に入る。公園は三つのエリアに分かれている。渡り橋のある池エリアと遊具と広場のエリア、そして山だ。
小学生は秘密基地があると言っていた。池エリアは見晴らしが良過ぎるし、遊具や広場もそうだ。秘密基地にするなら山だろう。俺は、そこに彼女がいると半ば確信していた。
街灯を頼りに山への舗装されていない草原を歩く。思い出より随分と少なくなった遊具類を突っ切って森に入ろうとした。
「山の秘密基地ならもうありませんよ。立ち入り禁止のテープの中で壊されてました」
小学生みたいな声音。涛万里かと思ったが、振り返った先の涛万里はあらぬ方向を見ていた。
「夜中に逢瀬ですか。牡牛という名前に沿った人ですね」
十人以上立てそうな大きな半球型の遊具の上、所々の穴あきを避けながら少女は立っていた。
「こんばんわ、あんなちゃん」
疎ましい虫の羽音でも聞いたかのように顔に皺を増やすあんなちゃん。
「何しに来たんですか」
「七夕の日に働かなかったケンタウロスが、周回遅れで仕事してるんだよ」
「意味がわかりません」
あの日、少女が短冊をしたためたときに、俺は何かできたかもしれない。
俺の責任ではないとしても、防げなかった。
小学生の家出。
走っている最中に思いだしたことが一つある。
昔、突然、姉貴が家から逃げたことがあった。
泣きわめいて、家から走り去った。
まだ姉貴が小学生のときのことだ。
「あんなちゃん、どうして家出したんだ?」
俺は姉貴が家出した理由もしらなかった。
その答えを、同じ小学生の彼女なら答えられるかもしれない。
「そんなの――」
遊具をお立ち台のように使いながら、彼女が喋りかけたとき、車のヘッドライトみたいに強い明かりが彼女に向けられた。
「おお! いましたぞ!」
ライトを持って池の方から近づく数人の大人たち。見た事のないスーツ姿や作業服の人たちは、地元の人だろうか。その後ろに青い服の警官と、最後尾に寒そうに体を震わせるあんなちゃんの母親がいた。
「おおいー、撰ちゃーん、先生だよー」
笑顔で近づこうとする小学校の人たちに向けて、あんなちゃんは声を荒げた。
「来ないで!」
半球型の遊具の上から呼びかけた大人たちを一蹴する。あんなちゃんの方が目線が高いからなのか、彼女は叫びながらも落ち着いているように見えた。
「どうしたんだい撰ちゃん、相談なら私も、保健室の先生もいるよお。それにほらあ、お母さんだって心配してるじゃないか」
鼻で笑う。
それが誰の物だったのか、暗闇の中ではわからなかった。
「いい加減にしなさい」
警官や教師を押しのけて、撰家の母が前に出てくる。
後ろの涛万里が指でつついてくる。
「ねえ、これどういう状況? ついていけないんだけど」
「……さあ」
たぶん親子喧嘩?
もしくは――別離の儀式。
とかく、俺たちは部外者だった。
主人公は、自分語りをするのは、撰家の一人娘なのだ。
「こんなにたくさんの人に迷惑かけて、何様のつもりなの。早くそこから降りなさい」
あくまで冷たく、突き放すような印象の母。小学生は屈しず、膝も曲げずに立ったまま言い放った。
「何様だと思う?」
「何を言ってるの、あなた」
ぐぎっ、と音がここまで聞こえてくるほど女の子は歯を噛みしめた。
そしてお立ち台から大きな声で宣言する。
「私はノーゲーム様だ! 私の名前は撰否遊無。あんたが名付けて呼ばなくなった娘の名前だ!」
公園は静まり返る。
相反して、二人はヒートアップした。
「バカなこと言ってないで、さっさと降りてきなさい」
「あなたにそんなことを言う権利があるの」
……あの子、前に話したときには、お母さんと呼んでいたはずだ。
つまり、それが心境の変化で、家出の理由なんだろう。
親にそんな口をきくなと叱りたい気持ちになる。けれど、それが場違いであることも感じていた。
それぞれの家庭には過去があって、それを踏み荒らされたくない気持ちだけはわかったから。
その場で地面を強く踏みなおした母。
「私は周りに頼んだ身として言っているのよ。あなたの親なんだから躾けるのは当たり前のことで――」
「お姉さん」
「え、私?」
唐突に、あんなちゃんが俺の後ろにいる涛万里に話を振った。彼女の首の動きに合わせるように、小学校の先生らもこっちを向いた。
涛万里の顔には酷いとばっちりを受けた、と書いてあった。
「な、なにかな」
「お姉さん、ゲームしてたときに言ってたよね。頭が悪い人にはこう言うんだって、頭がバグってるって」
あんなちゃんは、母親に対して冷たく言い放つ。
そのバグが何を指すのか、俺にわからない。
けれど母娘の中では明確だった。
「これだからゲームばかりしている子は! ああ、あなたたちが誑かしたのね! 親の顔が見てみたいわ」
「あ? おい、もっかい言ってみろ腐れバ――」
口の中になにか入ってきた。涛万里の指だった。
「お、牡牛、口が悪いよ。それにいまは抑えよ? ね?」
睨みつけた先のあんなちゃんの母はふてぶてしい女だった。見てもいない親の話をするなんて。
「止めないで言ってやればいいのよ」
俺の方には視線も向けてないあんなちゃんが笑うように怒った。
閉じたシャッターを叩き壊そうとするかのように、娘は暴言を吐き続ける。
「それに、あなたの子どもは私じゃないよ。あなたの子どもは「こども」っていう名前で、「こども」っていうラベルを貼られてあなたの中にいる。その子は、そこにしかいないんだよ」
居場所のない少女は、遊具の上で半歩退く。
どこかへ行ってしまう。全員がそう思っただろう。
同時に、一人で生きることができるはずもないと。
「大丈夫だよ、お兄さん」その心配を見透かした娘は、歳不相応な笑顔を見せた。「私にお母さんはいなくても、お父さんがいる」
撰家の父。離婚したのだと姉貴から聞いていた。どこにいるかは知らないが、存命のようだ。
「私にはその力がある」
あんなちゃんはランドセルから茶封筒を取り出した。
「これは新幹線の切符。福岡県まで行ける切符。お父さんがいる場所まで、私は一人でも行ける」
教師陣から安堵のため息が漏れる。
行方不明の小学生は見つかった。
親権は父親に移るそうだ。
とにもかくにも一件落着。
また歯ぎしりの音がする。……俺だった。
そうは問屋が卸さねえだろ。
「いい加減にしなさい!」
新幹線の切符を見て形相を変えた母が叫ぶ。
「いつまで赤子みたいにバカなことを言ってるの。バカにして! あなたを育ててきたのは私!私なのよ!! あなたは勉強さえすれば希望のある未来がまってるの。子供のあなたが将来の何を理解してるっていうのよ!」
周りに呼びかける母親。同調を誘う彼女に冷たく、冷たく。感情が抜け落ちた声で問いかけた。
それは、少女の願いに関わる問いかけ。
「何様だと思う?」
「じゃあね。もう会うこともないの。これはもらっていくよ」
そういって、彼女が持っていたのは……なんだ、あれ。暗くてよくみえないが、真っ黒な消しゴムだろうか。
「あれ、アドバンスのカセットだ」
「涛万里、目いいんだな」
「……ふん。昔のゲームソフト。十年くらい前の」
「なんであの子がそんなもの持ってるんだ」
だって、あの子の名前は。
「もうノーゲームなんて名前は改名しちゃうから! 私はこれから一日二十四時間ゲームをするよ。学校の勉強なんてしないで公園に遊びにいくよ。月曜日と水曜日のテレビ番組が見られなくなるような塾にも行かないよ……」
揺らぐ。
「お母さんの嫌いなことをたくさんいっぱいするよ……!」
喘ぐ。
掠れた声。
「さようなら」
小学生は別れの挨拶をして、銃弾を受けてボコボコになった心臓みたいな遊具から飛び降りた。
母の視界から消える直前、七夕を経た向こう岸にまで声を届かせる大声で、
「のーげーむ!」
母は叫んだ。
「こっちへ来なさい! ノーゲーム!」
あんなは――ノーゲームちゃんは、遊具の影から頭だけを母に見せた。
母は娘を叱る。
「今、何時だと思ってるの!?」
「……わからない」
ノーゲームちゃんは俯きながら、さりとてランドセルを持って走り去ることもせず、母の声に耳を傾けている。
「もう夜の九時よ! 小学生が出歩いていい時間だと思いますか!?」
「……」
「返事は?」
「……」
「返事は? ……返事はどうしたの? ノーゲーム!」
鼻をぐずつかせる音が重なった。
「………………ごめん」
「……」
「……ごめん、なさい」
ランドセルが地面に落ちる。同時に、地面を駆ける音がした。
母は駆け寄った娘を抱きしめる。壊れるほどに強く。
誰かが言っていた言葉を思い出す。ゲームカセットほど人は脆くないから、強く抱きしめてもいいのだとか。
「ノーゲーム! ノーゲーム! ノーゲーム!」
「おかあさああん! ごめんなさああい!」




