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極楽クラフト  作者: ゆまち春
二章『人になりたい』編
33/40

033 否遊無side


 私には母がいる。

 (えらぶ) 道子(みちこ)。主婦。三十四歳。離婚経験あり。

 私は彼女を「お母さん」と呼ぶ。彼女が紛れもなく私のお母さんだからだ。

 


 私は自分語りをしている小説が好き。



 小学校の丸テーブルが三つしかない小さな図書室から借りてくるのは、偉人伝や技巧をこ、こらした(だっけ?)ミステリーとかファーブルみたいな図鑑じゃない。

 昨日は学校を早退してしまったから、お昼休みを使って図書室に本を借りにいくことができなかった。

 絵本がずらりと並ぶ一年生向けのコーナーを抜けて、四年生の私は『かる読書』(違う読み方を司書さんが言ってたけれど、そのとき私は男子から本を奪い返すのに忙しかった)コーナーから、面白そうな小説を掴み取る。


『私の名前はポチ』


 その場に立ちながら裏面のあらすじを読む。


『私の名前はポチ。ポチという名前をつけてくれたのはご主人様。ご主人様はスクール水着が好きだけれどいいところがたくさんあって、今日も世界を救う旅に忙しいの。私も散歩に連れて行って欲しいな。私がお家でお留守番をしていると、夏への扉が開いて――』


「これにしよ」


 自分語りをしている本が私は好きだ。理由は、そうやって他者の気持ちを知ることができるから。小学生の私にもわかるぐらい、簡単な文字で書かれているから。教科書には書いてはいけないような道徳的、りんり的にいけないこと。きっと大人は知っていて子供にはまだわからないことを理解できるはずだから。


 表紙が水着の女の子なのにどうしてポチという名前なのかも気になった。


 もしかしたら、新しい水着を怒られずに買ってもらう方法が、ここには書かれているかもしれない。どうやってお母さんに頼めばいいのか、私にはわからない。


「これ、お願いします」


 カウンターの六年生は笑顔を向けて、私の名前を聞いてきた。全校生徒と対応した小さなプラスチックカードに図書委員がハンコを押さなければ本を貸してもらえない。だから私は図書委員に自分の名前を言った。


(えらぶ) 杏遊無(のーげーむ)です」


 カウンターに立つ六年生の口元が、少し上がりました。

 知ってる知ってる。もうその笑い方も見慣れたよ。

 少し擦れた言い方で呟いてみる。誰にも聞かれない場所で、誰かに聞いて欲しいことをひっそりと。


「はい、ノーゲームちゃん。ぷふっ」


 人の名前を笑って何が楽しいのだろうか。他人の顔を見て笑うくらい失礼のに。

 職務をまっとうするお偉いおえらーいカウンターの六年生にお礼を言って、『私の名前はポチ』を借りた。


 私の名前は(えらぶ) 否遊無(のーげーむ)


 親からもらった名前で、親から呼ばれない私の名前。





 帰り道は友達の志保ちゃんと美穂ちゃんが一緒。


「大丈夫、あんなちゃん」


「ほんと男子って子供なんだから。あんな、怪我しなかった? 膝は擦りむいてない?」


 二人とも、私をあんなと呼びます。


 否遊無。


 間の文字をとって、否無。二重否定。


 志穂ちゃんと美穂ちゃんが慣れない辞書を引いて、それぞれの漢字の読み方からそのあだ名をつけてくれました。


「ありがとう、志保ちゃん美穂ちゃん」


「いいのいいの」


「そうそう。困ったときはお互い様だよ」


 二人は飛び蹴りをして男子を追っ払ってくれた。私には大声を出すことさえ難しい。とはいえ、それは意志薄弱だと決めつけられたら心外だ。けど、大声を出せない事実に間違いはないからそう思われていても反論はしない。


「今度また、面白い小説を貸すね」


「小説はいいや、あんなが薦めるの難しいし。先週の土曜日みたいにまた遊ぼうね」


「うん!」


 近頃、私はからかわれている。

 からかうというのは言葉が違う。いじめでもない。これは八つ当たりだ。

 相手勢力としては、名前をからかう男子が半分。おかしな名前の子は学年にもたくさんいるけれど、中でもわたしが飛びぬけているからだそう。これは皆の主観。


 もう一つが、私のお母さんを嫌うひとたち。

 わたしのお母さんはたぶん普通の人より偉い。でも、政治家よりは偉くない。たぶん、先生よりは偉い。そんなお母さんは、子供が遊ぶことは嫌いで、子供は風の子なんて言った昔の人が日本を発展とじょー国に押し戻してるっていつも言っている。


 だから子供たちが塾に行けるように小学校と協力して支援体制を作ったり……それから、塾に行く時間が減らないように公園をなくそうとしてたりしてる。


 お母さんを嫌っている人たちのほうが陰湿で悪質。それもここ一週間でなぜか過激になった。誰に命令されているのかやることがどうしてか派手だから先生に言えば収まるし謝るし何かを壊されても弁償してもらえる。


 けど、証拠を出さないと先生も動いてはくれない。

 水着をハサミで切られたところを私は見ていないし、胸と腰に切り込み線が入っただけでは偶然だと先生は言う。


 まるで推理小説みたいな人生だ。事件ばかりの人生にはほとほと愛想が尽きている。これが本当に推理小説なら犯人を暴けば終わる。けれど犯人はそもそも私と敵対していることを明かしていて、誰が敵なのかわかっている。志保ちゃんや美穂ちゃんが黒幕だったりすることもない。


 ただただ、私の見えるところに悪役がいて、私を脅かしている。


「負けちゃだめだよ、あんなちゃん」


「そうだよ。絶対にああいうのには屈しちゃだめなんだからね、あんな」


 まあ、でも、どうでもいい。


「ありがとうね」


 教科書が傷ついたら新しいものを税金で買ってもらうし、服が破けたら破いた子の親が払う。

 社会は声の大きい弱者が強い。私は意志薄弱なんかじゃない。




    ♰  ♰  ♰

 



 マンションのロックを解除して、四階の家に帰る。


「ただいま」


 返事はない。

 玄関に脱ぎっぱなしだったお母さんの靴も一緒に片付ける。スッキリしている方が見栄えがいい。誰が見るわけでもないけれど。


 テレビを見ながらお母さんはパソコンを使っていた。私は子供だからまだ触れない。


 テレビのニュースに耳を傾けながら、コメンテーターの一言一句をパソコンに打ち込み、別の芸能人が面白いことを喋りはじめたらタイプしていた一言一句に赤いラインを引く。

お母さんの日課だ。


 私は手を洗って、牛乳を飲もうか思案した。


 お母さんはがちゃがちゃキーボードをたたく。お母さんは自分語りに夢中だったけれど、わたしは牛乳を飲みたかった。


「お母さん、牛乳――」


 キーボードの音が止んだ。

 また、キーボードの音が再開した。


「……牛乳を、一杯だけ、飲むね」


 そういえば、昔、『銀河鉄道の夜』という作品を読んだ。お母さんが珍しく私のために買ってくれた本だったから頑張って読み切ったけれど、内容は難しくてよくわからなかった。


「カンパネルラは生まれ変われるといいね」

 それか、

「ジョバンニはお父さんに会えるといいね」

 だったか。


 ともかくそんなことを言ったら、お母さんに本を取り上げられて捨てられた。どうせもう二度と読むことはなかっただろうけれど、目の前でゴミ箱に捨てられた本はまるで――。


 牛乳を一気飲みする。賞味期限は昨日までだった。


 お母さんはまだキーボードに意識を向けていた。もう一杯だけ飲んで、冷蔵庫には戻さずに台所に置いた。

 付箋に『賞味期限が切れています』と書いて置いたから、きっとお母さんは飲まずに捨ててくれるだろう。






 土曜日と日曜日は学校がない。

 先週の土曜日は楽しかった。


 なかよしのクラスメイトと公園で遊ぼうとしていたら、撤去作業とかで遊べなくなっていた。遊べなくなる噂が本当だったと気づいて、それが私のお母さんのせいだと皆が知っているから誰も悪くないのに雰囲気が悪くなった。けどそんなとき、知らないお姉さんが私をからかう男子を押しのけ助けてくれた。


 まるで女神さまみたいだと思ったその人は、知らない男の人の家に私たちを招いた。ハーメルの笛吹き女。


 知らない男の人は、見ず知らずの小学生を家にあげてお菓子もくれた。ヘンゼルとグレーテル。

 事実は小説よりも奇なりというが本当だった。


 短冊に私ではどうしようもならない願い事を書いた。叶うこともない、誰かが叶えてくれることもない思いを吐露する。小学校の図書室にも短冊はあるけれど、誰かに願いを見られてしまう。知らない人たちに囲まれているからこそできたことだ。


 帰りの道で、志保ちゃんと美穂ちゃんが言っていた。


「あの男の人、そんなにイケメンじゃないのに美女に囲まれてたね」


「甲斐性なさそうなのにねー」


「変な名前だったけど呼びやすいよねー」


「ねー」


 私も一緒に笑ったのを覚えている。

 ああ、そういえば、早退した昨日の帰り道、公園で見かけた。なんであんな時間に歩いていたんだろう? 高校生は小学生と違って暇なのかな?


 バタン、と、扉が閉まる音がした。


 お母さんがどこかに出かけたみたいだ。カイゴーもあるからお母さんは忙しい。


 出かけたならいいかな。


 ランドセルの横にひっかけてあった給食袋を流し台で洗う。洗面所よりここの方がスペースが広いから手洗いしやすいのだ。干して並べている間に、お母さんは帰ってきてしまった。


 勝手に台所を使う私を見て、お母さんは何度か瞬きをするほど見ていたけれど、何も言わなかった。手にはハガキや封筒を持っていたから、マンションの一階にある郵便受けまで行っていたみたいだ。


「あんた」


 お母さんは私を呼んだ。


「勝手にスリッパ片付けたわね、また」


「ごめんなさい……」


「すぐ出ていく予定があったから出してあったの。どうしてそれくらいもわからないの」


「ごめんなさい……」


 お母さんはパソコンの前に座り直した。



 ………………ああ、何を考えていたんだっけ。



 お母さんに話しかけられると、いつも、それまで何を考えていたのか忘れてしまう。


 えーっと、えーっと……。ああ、そうだ、宿題と借りてきた本を読むか、どうしようか悩んでいたんだ。



 音が鳴る。手から何かが滑り落ちた。



 ああ、そうだ。私は洗い物をしていたんだ。


 忘れていた。


 リビングでばさり、ばさりと。封筒を破く音がした。



 何か、嫌な胸騒ぎがした。避難訓練のときにサイレンが鳴る直前、虫の知らせを感じるみたい

に。

 洗い物を済ませながらお母さんを見る。


 お母さんは一つ目の封筒から書類を取り出す。


『公園封鎖嘆願書について』


 そんなようなもの。


 お母さんは、公園が、子供が遊ぶことが、気に入らない。遊園地も海もプールも山も、虫取りもブランコも雪も落ち葉も桜も太陽も。ゲームも、嫌いだ。


「これは……何?」


 お母さんは必要な書類とセールスなんかの不要なチラシを分けていた。

 私は思わず、その場にたちつくしてしまった。

 それをこの家で見ることがあるなんて思いもしなかったし、そんな地獄を味わいたくはなかった。


 今すぐに逃げたい。私のベッドと勉強机だけがあるあの小さなモノオキ部屋に。

 けれど私の足は思い通りにならなくて、流し台の縁に手をかけて辛うじて立っているのがやっとだった。


 お母さんが呟く。


「ぼんばーまん……?」


 それは、ゲームのカセットだった。

 茶封筒にのざらし、ゲームのカセットが一つだけ入っていた。


 最悪だ。

 誰がこんなことをしたんだ。

 クラスの男子か、私への嫌がらせか。

 こんなものはもういじめという言葉ですら足りない。

 陰湿陰口、そんなものはどうってことない。

 けれど、これは……これは!


「……」


 お母さんと呼んだ声は掠れて何もでない。牛乳を飲んだはずの喉はもう干からびていた。

 私じゃ、私じゃない。それだって友達の家で見た事があるだけ遊んだことも触ったこともない。そんなおぞましいものを持ちこんだのは私じゃない! 信じて!


 名前はわからなくとも、カセットの形に見覚えはあったのかもしれない。

 カセットを蛍光灯に透かしてみていたお母さんがそのままの恰好でこちらを向いた。


 いや、いや……。


「これ、あんたの?」


「ちがっ、ちがっ、ちがっ……」


「欲しいの?」


「あ、う。あ、あ」


 え。


 え。


 え。


 え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。え。

え。
















 お母さんは、ゲームのカセットを私に放り投げた。


「欲しいならあげるわ」


 私の手には、ゲームのカセットがある。

 私の手には、ゲームのカセットがある。


                         私の手には、ゲームのカセットがある。


私の手には、ゲームのカセットがある。


私の手には、ゲームのカセットがある。


私の手には、ゲームのカセットがある。










 家庭内で蛇蝎のごと嫌われ、忌避され、存在すら疎まれたゲームが、私の手にある。

 考えた。

 この一瞬に、産まれて初めて止まった時間の中で、私は思考し続けた。

 物語を一本したためられるだけの自分語りを経て、私は答えを得る。

 つまり、これは私だ。


 ゲームのカセットを私に渡すということは、私はゲームのカセットと同じ存在価値しか持たないということだ。


 嫌われ忌避され疎まれ、拒絶されているという明確なアピールなのだ。


 ねえ……私のなまえを覚えてる?



 カセットをもって、私は部屋に戻った。ランドセルに貯金箱を詰め込む。


「あ、そうだ」


 先週の土曜日、六月お姉さんに手渡された封筒があった。困ったことがあったら開いてください、と六月お姉さんは言っていた。中身は後で確認すればいい。


 下着、服、毛布。衣食住の二つはそろった。


 水着はもう要らない。教科書ももう要らない。連絡帳も宿題も本も。全部ベッドの布団の中に投げ入れて隠した。


 部屋を出て、リビングを盗み見る。


 何食わぬ顔で、あの人はコメンテーターぶってインターネットのどこかに書き込みをしながら書類を処理していた。


 弱者こそ強く叫べ。

 それは母の教えだ。



「遊んできます」

 



 こうして。

 小学四年生の撰杏遊無は家出した。



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