表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極楽クラフト  作者: ゆまち春
一章『引きこもりの涛万里』編
3/40

003 一人目のお姫様

 ファミレスのテーブルにはカプチーノを飲む水無月。

 日曜日のおやつ時では店も混みあわない。携帯ゲームをする小学生や、近所のじいさんばあさんらが年金問題に熱く語っているのを、アルバイトの店員があくびをしながら眺めていた。

 そんな中で高校の制服を着ている彼女は、どことなく浮いていた。

 ……というか、日曜日なのになんで制服を着ているんだ。部活の帰りか?


 水無月が美人であることは確かだ。その点において、彼女はこのファミレスという空間の中でヒエラルキーのトップにいる。弱肉強食の観点から言えば、彼女の発言は絶対だ。ミルクとガムシロップを三杯ずつ入れた珈琲コーヒーは、珈琲ということになる。


 まあ、一般的な性格も逸脱いつだつしていることは否定できない。


 それでも彼女は、善人である。俺の迷子を助けてくれたし、些細ささいな優しさに対してリターンをくれた。そう思う。そう信じたい。

 きっと俺は彼女が――。


 ドリンクバーで自分のウーロン茶を七分目まで注いでから、俺は水無月の対面に座った。


「なあ水無月。俺の嫁になってくれ」


 顔に飛んできた液体は、カプチーノの味がした。そりゃあ、カプチーノが飛んできたんだから当たり前か。これがアップルティーの味だったら水無月の口のなかにはデンプン以外の細菌が蔓延はびこっている。


 彼女は神様だと自称しているが、そんなのは痛々しい妄言に過ぎない。彼女の神様らしい所以ゆえんなど俺は何一つ見ていないし、設定を言葉で説明されていたり、ちょっと入信していそうな言動がうかがえるがその程度だった。


 つまり彼女は――日曜日に制服を着ていることからしても――ちょっと頭がおかしいだけの女子高生だった。

 そんな子が初対面の異性に結婚を申し込まれたら、そりゃあ笑って噴き出すだろう。


「え。なんですか、え。からかってるんですよね。私、さっき、あなたの名前を聞いて下品っぽくないですね、って言いましたよね。あなたが私に対して軽佻けいちょうな態度を取らないから、硬派な性格なのに性欲魔人みたいな名前でギャップありますねという意味だったのですが、実はなんですか、ファミレスに連れ込んだだけでもう彼氏面で、十分もお話しすれば婚約成功率のゲージが一周してるとか思い込んじゃう人ですか」


 俺はハンカチで顔を拭いた。さっきもコーヒーで汚れたハンカチだ。臭いも取れなさそうだし、雑巾にしてから捨ててしまおう。


「冗談に決まってんだろ。撤回てっかいだ撤回」


 とりあえず、荒れた場の収集をつける。

 一足飛びに段階を踏み過ぎた。せめて「婚約を前提にお付き合いしてください」だった。それが最初から「婚約届書いてね」では、ファミレスじゃなくてホテルの前なら警察沙汰になるほどの勇み足だ。


 俺は水無月に好意がある……かはわからない。が、少なくとも彼女と一定以上に親密になりたいと考えている。

 カップルになるまでの段階にどういう階段を踏むのか誰にも相談したことがないからさっきのは冗談ではなかった。


「何、こんな冗談を真に受けるとか、失恋したばっかなの?」


 優しい、俺! 自分へのフォローが完璧! これで水無月に彼氏がいたら絶望!


「ああ、そうですよねやっぱり冗談ですよねごめんなさい。ドリンクバーに帰って来るやいなや厳しい顔つきで結婚してくれだなんて、牡牛さん何か変な物でも飲んだのかと危惧してしまっただけです」


 水無月はテーブルに備えられた紙ナプキンを俺に何枚か渡してくれた。顔はハンカチで拭けたから、それでテーブルの上を一通り綺麗にしておいた。流石にそのままにはしておけない。


「ごめんなさい。私の、吐瀉物としゃぶつを……」


「そんな言い方するなよ、水無月。……拭くのが嫌になる」


 吐瀉物って。言うに事欠いて噴出ふきだしたものを吐瀉物って! 紙ナプキンは薄いんだよ。拭き取ると時テーブルにき散らされたカプチーノで少し手が濡れるんだよ。吐瀉物って!



 役目を終えた紙ナプキンを別の紙ナプキンでくるみ、テーブルの端に置く。帰りにゴミ箱へポイする予定だ。こういうの隠しちゃうと、後で処理するの忘れちゃうんだよな。


「俺が変なこと言ったせいだから、気にするな」


「これは、私が体を売って弁償すべきですかね……………………テーブル」


「! ああ、テーブルね! うん、慰謝料じゃないよね、うん、びっくりした。テーブルかあ、そっかあテーブルの弁償金。大丈夫だ、問題ない。このくらい、ファミレスなら日常茶飯事みたいなところあると思う」


 まぎらわしいなあ! 金策集めに人身売買とかいうチョイスのせいで、なんかえっちな風に聞こえちゃったよ。これ、やっぱりわざとなんじゃないか……?


「私が悪いことをすると、私の親族は呆れて何も言わずに立ち去ります。次に良いことをするまで、寄り付こうともしてくれません」


 水無月はテーブルの下に手を置いた。たぶん膝の上にあるその手は、強く握られている。それくらい悲壮に満ちた声だった。



 俯けていた顔をあげたとき、音階でいうと、一オクターブ上がったようなテンションで、水無月の雰囲気が明るくなった。


「牡牛さんは見ず知らずの私に、優しくしてくれますよね」


「迷子を助けてもらった恩があるから。それは返さないとな」


 それに、水無月のことが気になっているから。

 流石にそこまでは言わなかったけれど、そう思っているのは事実だ。

 水無月の黒髪が傘を開くみたいに、彼女は首を振っていた。


「私は極楽浄土に行くために、人間に優しくしているだけです。利己的な理由が明確にあります。けれど牡牛さんは、自分のためというより……。迷子になって私に助けを求めた時もそうでしたが、相手の反応ばかり気にしているような気がします」


 水無月は薄く唇を噛んでいた。どうして彼女がそんなことをするのか、俺にはわからなかった。


「……出会ってまだ一時間ぐらいなんだから、そんなの都合のいい見方でしかない。人間だれしも分かり合えないのに、短時間で相手の性格がわかるなんて水無月は」


「神様ですよ、私は」


 思わず、舌打ちしてしまった。慌てて口を塞いだが、水無月は小さく頷いただけだった。


「嘘をついたってわかりますよ。困ってるのだって、一目見ればわかるんです。そういうもんなんですよ。だから、あなたが純粋な心でもってさっきの結婚しようと申し出があったこともわかっています。まあ、あまりにも本気っぽい目をしていたのでカプチーノを鼻からも吹き飛ばしちゃいましたが」


「余計なんだよ、一言。というか、全部余計だ。――優しくするための理由なんて、一つしかない。俺は、水無月に対して下心がある」


 嘘ではない。好きだって心は偽れない。……たぶん。



 これから先、水無月に対してアプローチをかけることになる。これはギャルゲーでもなんでもないのだから、どうせ俺が気を持っていることは、よほど水無月が男心に鈍い人間でなければ露呈する。デートに一度誘うだけで、「ああ、こいつ私のこと好きなんだな」と異性には勘付かれる、はずだ。


 今気持ちを伝えることは、渋谷のホームに降り立ったのと同じ、一歩目だ。


「水無月が好きだ。まだ整理とかついてないし、水無月のこともよく知らない。けれど本心だと思う。だから優しくしたい。泣いてたり悲しんでる姿より笑ってくれたほうが俺だって嬉しい。好感度を高めたいって利己的な部分だってきっちりある。だから、水無月に優しくするのは自分のためだよ」


 ストローに口をつけたら、ウーロン茶があっという間になくなった。でもまだ喉がカラカラだ。さっきは勢いで言えたが、話の流れで告白を意識しながら行うと、かくも恥ずかしいものなのか。こんな寿命が縮まること、後人生で何度やるんだ。


 決めた。今度から告白は相手が受理する確信があるまで控えよう。


「…………」


 だって、たかが十秒。

 水無月が黙ってしまった無音の時間に、俺は何度も耐えきれる自信がない。

 どう思われたっていい――ここで水無月に嫌な時間を過ごして欲しくない。

 迷子の俺を助けたことで、面倒ごとに巻きこまれた水無月が悲しむのを見たくない。

 喧噪のあるファミレスの中なのに、水無月が息を吸う音が鮮明に聞こえた。

 雨が傘を打つような、鈍い音だった。


「ごめんなさい」


 雨粒が傘を突き破って身を焼く。痛い。

 これが失恋。

 異常なまでに恥ずかしいと脳が動作を反転させてほほの筋肉をゆるめてしまうらしい。ついでに涙腺までゆるめたせいか、視界がにじんで――。


「まだ、牡牛さんのことをよく知らないですから。だから今回は保留で」






「……ほ、りゅう?」


 水無月が繰り出した言葉の意味をかみ砕いて理解できなかった。動揺していて、ただただ言葉を飲み込むことに精一杯だった。

 こくりと水無月が頷く。それで、話は終わってしまったらしく、彼女の軌道へと戻された。


「意地悪なことを言い出してごめんなさい。私も少しナーバスになったせいで、ちょびっと八つ当たりをしましました。いつも誰かを助けた後に、こうやってご飯に誘われたら質問をしてるんです。「どうして私に優しくしてくれるんですか?」って、大体の人は、親切心だよとか言うんですけど、食事にまで誘っておいて親切心一つなわけがないですよね。私の見目が男性をとりこにすることはわかっていますから、下心は確実にあるんです」


「何いってんだこいつ」


「はい?」


「おっとつい本音が。続けてください」


「本音?! 今、本音って! ……いいです。カプチーノと一緒に飲みこみましょう」


 水無月が言っていることは要するに、水無月が徳を積むために他意なく優しくした人の中で、俺みたいに食事を誘ったり贈り物をしてくる人は、大体下心がある。そういう持論らしい。

 そんなわけがない。そもそも、俺が下心なく彼女とファミレスに入った前例になる。下心だなんて淡いピンクなものではなく、神様を信じる水無月に憤った、真っ赤なマグマが理由だ。


「下心があるのはいいんですよ。それは男だって女だって同じですから。私だってご飯に誘われたら、わーい今日のお昼ご飯はぼっちじゃなくてラッキーとか思います」


 ……余計な一言、かな。流して先を促す。


「私は嘘をついてほしくないんです。嘘をついたら閻魔大王様に舌を抜かれます。とっても痛いです。舌は伸びないですから、ペンチで挟まれたら舌とはお別れのときです。ひきちぎられたら出血多量と窒息死の危険がありますし、助けを呼びたくても痛みでそれどころじゃないほどもがくことになります」


 閻魔大王様が舌を抜くって民間伝承のたぐいだろ。それにペンチって。見事な現代器具。

 神様設定がぶれ続ける水無月の舌はまわり続けた。


「どうしてそこまで惨いことをするかというと、嘘というのは最上級の罰を受けるに等しい拷問だからです。嘘で塗り固めた人の像ほど、見苦しく血生臭いものはありません」


「嘘が見苦しいってのはわかるけれど、血生臭いってなんだよ」


 質問をするために、ずっと反らしていた方向――水無月の顔を見る。彼女は俺を見ていた。喋っているんだから当たり前だけれど、直接見る彼女の顔を見たら胸が苦しくなった。


「人の皮を被っているからです。人としての中身を捨てたナニカが、血のこびりついた人の皮を被って、同じ人の傍にいるんです。私はそんなおぞましいものの傍にいたくはありません」


 水無月は体を震えさせる演技をした。真に迫るほど、顔を強張らせながら。


「神様だって同じです。嘘をついたら閻魔大王様以上に怒ります。閻魔大王サイドはお仕事で舌を引き抜きますが、神様は私情で鉄槌てっついを下します。神様は嘘をゆるしはしません。だから私も歴代たちの意向を汲んで、他人の嘘を赦しはしないのです」


 誰かの嘘について、ここまで深く考えたことがあったかな。姉貴が毎年エイプリルフールに婚姻届けを俺の枕元に忍ばせるけれど、あれに怒ったことは一度もなかった。

 俺の嘘も、こんな風に受け取られるのだ。

 嘘をついたら、水無月に人皮じんぴを着た化物だと否定されるのだ。

 ……神様に願いが聞き届けられなかった。それは嘘でもなんでもない。

 けれど、さっきのは……。


「……水無月」


「はい。なんでしょう。ごめんなさいの意を込めて、お話しするべき箇所は終えましたが。わかりにくいところは補足いたしますよ。コメント欄あたりに書いてくれれば」


 そんなメタ発言は……ありがとうございます!


「そうじゃなくて。その、さっきの、やつ。思い切って言っただけで、嘘ではないから」


「さっき……ああ。だから言ったじゃないですか、純粋な気持ちだってわかってますよ。ただ、やっぱし段階を踏んでないプロポーズも保留ですね。それ以前に、神様って結婚できないんですけど」


「大丈夫。俺の夢はハーレムだから。結婚しなくていいよ。日本には重婚の制度はないし」


「最低ですね。女として保留は棄却させてください。やっぱし性欲馬さんですね。ふふっ」


 思い切って言ったつもりだったが、嘘だと思われたかもしれない。

 でも事実、俺はハーレムを目指しているのだから、何ら問題ない。嘘だと思われたのなら、これから本心であることを身をもってわからせてやればいい。ぐへへへ。




    ♰ ♰ ♰




 俺が水無月のドリンクバーの料金を奢ることはなかった。

 そろそろ出ようとなったとき、


「友達ですから割り勘です」


 と水無月に先手を打たれたからだ。

 姉曰く、これは敗戦の終止符である。


「じゃあ一緒に会計するよ」


「はい。お願いします」


 水無月が伸ばした握りこぶしを開くと、小銭が落ちてきた。お皿にした俺の手に小銭だけが落ちてくる。

 ドリンクバーの代金――計二百八十円の十九枚の硬貨が手に落ちる。

 嫌がらせのかたまりみたいな一円玉を、手持ちの十円玉に両替した。

 なぜか、水無月がまだ手を出していた。


「小銭ならちゃんと足りてたぞ。一円玉が十枚あるかも数えたから」


 財布から俺の分の二百八十円を取り出す。十円玉が七枚しかなかった……。


「そうじゃなくて。……あの、十円玉足りないなら交換しましょうか。私持ってますから」


「いや、いい」


「素直になったほうがいいですよ。さっきの一円玉と取り換えましょう」


「違うから。水無月の一円玉のたばは確かに鬱陶うっとうしいけれど、ムキになってるわけじゃないから。単に、恩を売って水無月に善行を積ませるのが嫌なだけだ」


 俺は神様を信じないし、彼女は自称神様だ。

 それは二時間足らずの会話の中で心変わりするほど、弱弱しい芯じゃない。


 一つだけ変わったことがあるとすれば、俺は嘘をつくのに気後れするようになったことぐらいだ。明日には忘れてるかもしれないけど。


「元々は私の一円玉だったんですから、こんなことで「うーん、今日も優しいことしたー! 私ってマジ非凡!」とか喜ぶわけないです。神様ですよ、私。そんなことしなくても、今日は迷子を助けたんですから優しい私、万々歳です」


「余計だよな、一言。じゃあ十円くれ」


「あ、十円はないです」


「さっきあるって言ってただろうが。何、嘘?」


「計算できないんですか牡牛さんは。はい、五円玉二枚」


 空中に浮いていた水無月の握りこぶしの中から、金色の穴あき銭が落ちてくる。


「知ってますか。ヤクザの人たちがカツアゲするときって、一円玉しか残さないんです。公衆電話をかけさせないために十円玉を奪うならともかく、どうして五円玉までお財布から抜き取ると思いますか?」


 指でクエスチョンをつくる水無月。

 いまどき公衆電話なんて見つける方が難しいんだから、十円玉だろうが五円玉だろうか奪うなら一緒だと思う。

 一円玉だけを財布に残す理由ではなく、五円玉まで抜き取る理由。

 ……わかんねえ。


 俺の財布を見る。手に十円玉をかき集めた後なので、小銭入れの中には一円玉が詰まっている。そういえば五円玉ってあんま貰わないな。


「カツアゲするなんて短気な人間しかやらないだろ。一円を泥棒して財布が嵩張かさばるのを嫌うから?」


「ちまたのチンピラくらいならそうかもしれませんが、本物稼業かぎょうさんは違います。ゲンかつぎのためなんです。曰く、御縁がありませんように、だそうです」


 ご縁と五円。いかにも日本的な考え方だ。


「なにそれ。ヤクザの人に聞いたの?」


「いいえ。携帯小説で読みました」


「……払ってくる」


「何ですかその信頼してない眼は! お母さんそんな子に育てた覚えはないよ!」


「てめえから生まれた覚えはねえ!」


 しくしくと泣きながら夜なべしている演技を席で始めた水無月はほうって、俺はファミレスのレジまで向かった。


「お会計、五百六十円になります」


 百百円玉五枚。十円玉……五枚。五円玉一枚。一円玉五枚。

 お財布には、金色の穴あき硬貨が一枚残っている。

 俺は堅気の人間だ。運に頼ることはない。けれどゲン担ぎなら、ね。





「払い終わったよ」


「あんたは難産なんざんでねえ……。ああ、終わりましたか」


 俺がいないのに母親の演技は続けていたらしい。しかも俺は難産という設定らしい。なぜだ。


「はい」


「……なにこの手は。お釣りとかないけど」


 立ち上がった水無月は、俺に手を伸ばしていた。お金を渡すときと違うのは、今度は開いた手のひらを上にして、何かを待っているということだ。


 水無月は、「そのくらいわかってますよ、失礼ですねえ」と頬をふくらませた。


「私の吐瀉物にまみれたハンカチを洗って返します。なので渡してください」


「だからいいって。もう臭いも取れないだろうから、これは雑巾にするよ」


 ポケットから取り出したハンカチ。カプチーノが茶色く染みついている。手を拭くことさえ満足にできなさそうだ。


「いえいえ。私が受け取ります。そして、牡牛さんに洗って返します」


「なにその頑固。それも徳積み?」


「……物わかりの悪い人ですねえ。ユーシー?」


 露骨に面倒くさそうな顔をされた。水無月の面倒くさいときの顔は、目が細まって口がへの字になる。顔が柔軟過ぎるだろ。頭は固いくせに。


「理解してくれないのはそっちだろ。雑巾にするんだからいいだろうが。それともなに。ハンカチを持って帰ったら水無月に迷惑でもかかるの」


 水無月は俺がこれ見よがしに振り回したハンカチを、伸ばしていた手でふんずと掴み取――ろうとして、振り回していた俺の腕を掴んだ。

 柔らかくて暖かい女の子の手が、またじかに触れた。カプチーノやらを何杯もお代わりしていたからか、さっきよりも水無月の手が冷たく感じて、そのせいで手の形がよくわかってしまった。


 ぐいと水無月の顔が近づいた。指が埋まってしまいそうなぐらい深くて黒い瞳が、何度も瞬きをした。小顔で、幼いように見えて、でも大人びても見える整った顔の頬に夕日が射した。


「このハンカチは、私と牡牛さんがまた次にお会いしたときに、返します。よろしいですか。一度も私の連絡先を聞かなかった性欲馬さん?」


「……また会って、くれるのか?」


「迷子になっても、次は見つけてあげられないかもしれません。警察の番号を覚えるように、私の番号も覚えておいたらどうですか? これは提案でしかないですけど!」


 腕が外気がいきに触れて急激に冷えた。彼女が腕を掴むのをやめて、ハンカチを奪っていった。


「……提案でしかないですけど?」




 ファミレスは次第に混雑するようになってきた。じじばばや小学生が家に帰り、早めに帰社した社会人が入口に並んでいる。

 もうお会計を済ませたのに、ファミレスの一角を占領するのはよくない。早くお店から出ないといけない。だから早めに決断を下して、早めに終わらせるべきだ。うん。

 俺から水無月の手を奪う。


「恩にはしないからな。報酬を用意してから、水無月に仕事として助けを要求するから」


「どうぞご勝手に。投げ銭は信仰のあらわれなので受け取る性質ですよ、私。でも現金よりかわいい服とかがいいです。最近はサンダル欲しいです」


「余計なんだよ、一言」


 ファミレスの外に出た。

 つないだ手を振りほどかれたりはしなかった。

 中にいてもわからなかったが、ファミレスは冷房が効いていたみたいだ。外はなんだかあつかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ