♯8 作戦前
レイカはその日の夜遅くにその報告を受けた。
一日繰り上げになったようだ、という報告である。
理由は推し量るべし、という通達だったが、先遣隊の失敗だろうという当たりはつけていた。夜襲に失敗してロードの捕虜になったか、と先遣隊のことを考えながら、レイカはシャワーを浴び、端末を手に取った。
鉛筆型の端末の画面を引き出して、林原から受け取った動画をもう一度再生する。レイカはバスローブに袖を通して、ソファに体重を預ける。
ソファの端には今都心で流行っている丸っこいネズミを模したぬいぐるみが置かれていた。ネズミの尻尾は二股である。レイカの部屋にはそのぬいぐるみが所かしこに置かれていた。お気に入りはソファに置いたもので、レイカは考え事をしていると覚えず膝に置いている。今も動画を見ながら、いつの間にか手繰り寄せている自分がいた。ガラス製のテーブルに端末を置き、子供のように首を傾げる諜報員たちの無様な醜態を見つめる。
「私なら、こうはならない」
呟いて、レイカはぬいぐるみを抱き締めた。自分の実力ならばロードにいいように記憶を消されて安穏と暮らすような醜態は晒さない。
「異星人め」と発した声は自分でも驚くほどに冷たかった。ロードの恩恵に預かっている技術は多い。レイカの部屋にしても、ロードの技術によって造られた製品が八割を占めている。
しかし、それでもレイカは思う。これは人類が望んだから手に入れた力なのだと。ロードという先駆者にただ闇雲に操られただけではない。人類が自ら選び取った結果だ。そう思わなければ、人類はロードの恩恵を受けるだけ受けて、迫害した勝手な存在だ。その勝手な存在の血が自分にも流れていると思うと嫌気が差す。
レイカはぬいぐるみをソファに置いて、冷蔵庫を目指して歩いた。扉を開いて牛乳を取り出す。パックを開いてコップにも入れずにラッパ飲みした。喉を鳴らして嚥下する。
息をついて、レイカは口元を拭った。子供の頃からの癖だった。牛乳はパックから直接飲むのが一番うまい。父親からは、「女の子らしくしなさい」と叱られたが、これだけはレイカはやめなかった。妙なところで強情な性質を他人から見ると、「父親によく似ている」という言葉で片付けられる。嬉しかったが、何だか自分の個性が潰されているようにも感じた。
牛乳を冷蔵庫に戻して、レイカは再びテーブルの端末を手に取る。リモコンを片手に握り、壁にかけられたテレビを点けた。
投射画面で三次元によって表示される。この技術も半分ロードのものだ。しかし、テレビという根本は人類のものだ。レイカはチャンネルを回した。バラエティ番組がやっている。M2が落ちてこようがこまいが、人類は最後までこのような番組を見ているのだろう。
馬鹿笑いが画面の中で弾けていた。レイカはチャンネルを変える。ドラマがやっていた。使い古されたフィルムのような恋愛劇だ。
レイカには恋愛の経験はない。いつだって相手の価値が分かった時点で醒めてしまう。価値の分からない人間などいなかった。底が知れる人間ばかりだ。父親と無意識的に比較してしまう癖もあったのかもしれない。恋愛は自由だと両親は言っていたが、レイカ自身が自由に恋愛する気などなかった。ドラマは佳境に入っており、ちょうど二人の気持ちが盛り上がっているシーンだ。レイカは画面の中の二人とは対照的に眠気を催した。チャンネルを変えると、報道番組だった。
M2の襲来地点と、ここ近年の落下地点のデータが取られている。首都への落下の確率に対して、専門家を自認する人間が何やら話している。民間に公表されているデータなので実質的なものに比べれば随分と低く見積もられている。軍部ではM2の落下予測に関しては重く見られている。この二年以内に首都へとM2が落下する確率は七割以上だ。報道番組では五割程度と発表されていた。民衆をいたずらに刺激しないためだろう。
「積装で守られているのに、何が不安なんだか」
それでも不安なのが人情であることは概ね理解しているつもりだったが、ロードの技術を安穏と受け入れているあたりがまだ日和見だ。積装は絶対的な防御を約束する代物ではない。そのことはニューヨーク要塞都市陥落で分かっているはずなのに、日本人は安全神話への執着が強すぎる。
レイカはテレビを消した。何も得るものはないと思ったのだ。
「小腹が空いたな」
レイカはキッチンに立った。しかし、レイカが作れるのはインスタントの食品だけだ。どうにかこうにかレシピを引用して真似てみても、形だけしかうまくできない。両親の目があった頃は時折形だけの料理を作ったものだった。
二人ともおいしいと口を揃えるが、レイカはその実おいしくないのは分かっていたので逆に辛かった。インスタントのラーメンの袋を開ける。鍋に水を張ってコンロで温めた。温めている間に冷蔵庫の中身を物色する。ネギや買い置きのチャーシューなどを取り出して、キッチンに置いた。これで少しはらしく見える。ネギは既に切り置きのものだったし、チャーシューも調理済みのものを選んで買ってきたのだが、それでもこれは料理の一環だと自分を納得させた。
ラーメンをゆだった鍋に入れる。菜箸を取り出して麺をほぐす。欠伸が出てしまいそうなほどに退屈な作業だった。
溢れ出す湯気が辛うじて眠気を妨げる。ある程度までほぐしたら、液体スープを注いで上からネギやチャーシューを乗っけた。レイカは食べるための箸をわざわざ取り出すのが面倒だったので、菜箸をそのまま使うことにした。折り畳み式の椅子を引き寄せて広げ、キッチンで鍋のままラーメンを食べる。両親が見たら眉をひそめるであろう光景だったが、レイカはこれが最も合理的だと考えていた。食器の類もほとんど使っていない。
野菜を使った料理など、一ヶ月に二、三品あればいいほうだ。ほとんどはインスタントで事足りた。ラーメンをすすりながら、レイカは部屋の隅に置かれている旅行鞄を見やる。私物はほとんどない。下着と生活必需品くらいだ。それらも使うかどうかは怪しい。遊びに行くわけではないのだ、とレイカは麺をすすりながら考える。
林原に示された場所、星園村。ロードの本拠地と目されている場所。そこで諜報員に続き、先遣隊が消息を絶った。殺されたのかどうかは分からない。しかし無事な状態ではないのだろう。ロードに対して交渉でも行ったのだろうか。ロードには交渉など無意味だ。ロードの技術は全て先を行っている。彼らからしてみれば人類と今さら交渉する意味はない。地球に亡命する時に日本政府との交渉が行われたが、後にも先にもロードが下手に出たのはそれ一度きりだ。ロードの技術や文明を今度は人類が教えを乞うはめになった。
――何と情けないことだろう。
嘆かわしいとレイカは感じて箸を握り締める。自分たちの生き死にを他者に任せるなど、種族の衰退そのものではないか。先人たちはそれを考えなかったのだろうか。檻の中の獣を操っているつもりが、いつの間にか操られていることに気づかなかったのか。今や、檻にいるのは人類の側だ。ロードは安息の地を見つけ、積装もない青空を享受している。
それは許されないことに思えた。元々、この地球で何億年もかけて進化を遂げたのは人類だ。それを他の惑星からやってきた生物が引っ手繰っていったなど我慢ならない。
レイカはスープを飲み干した。怒りか熱さか、身体の内側で燻り続ける。その燻りに任せるように、レイカは口にしていた。
「私はロードの好きにはさせない」
レイカは流しへと鍋を放り投げた。ガチャン、と大きな音が響き渡る。その夜は水をコップ一杯飲んで、眠りにつくことにした。深い眠りがレイカを包み込んだ。