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♯4 大人と子供と


 授業が終わった頃にケイイチは職員室へと霧島と共に向かった。ヒビキはすれ違ったが、お互いに声をかけ合うことはなかった。ヨシノが後ろからついてくる。

「ヒビキ。帰りも乗せてってよね」

「イーグル号が文句言わなきゃな」

「言うわけないじゃん」とヨシノが鞄でヒビキの背中を小突いた。ヒビキは嘆息のようなものをついた。

「何よ?」と気づいたヨシノが唇を尖らせる。

「別に。たださ、欠伸が出ちまうくらいにいつも通りだなって思ってさ」

「いいじゃない。社が壊されたりするニュースよりはずっと」

「まぁ、それは俺も気になっていたところだから訊いたわけだけど。帰りにちょっと寄るか? 五丁目の」

 その言葉でヨシノは察したようだった。

「ああ、五丁目のお社さんね。御神体が盗まれたっていう。どうしてそんなに気になるの?」

 どうして、と問われるとヒビキも返事に窮した。どうしてなのだか分からない。しかし、何故だか引っかかるものがあるのだ。ヒビキはこめかみを掻きながら、「うまく説明できないんだけど」と言った。

「何でかな。嫌な感じがするんだよ」

「まぁ、確かにおじいちゃんやおばあちゃんばっかりのこの村で御神体がどうこうされたっていうのは気分のいい話じゃないわね」

「だろ? まぁ、ちょっと確認にだよ。来るか?」

「来るかも何も、帰り道の約束でしょ」

 ヨシノのふてぶてしい態度にヒビキは、「へいへい」と軽くあしらった。駐輪場へと向かい、イーグル号のハンドルを握る。自然とエンジンがかかり、フットペダルを踏むとイーグル号の車体が喜びの声を上げたのを感じた。ヨシノが後ろに乗る。ヒビキはイーグル号を発車させた。涼しげな風が首筋に流れ込み、イーグル号は緑色の風の中を駆け抜けた。


 北斗ケイイチは職員室から望める窓辺でヒビキとヨシノが帰っていくのを眺めていた。意識がそちらに向いていたことに気づいたのか霧島が、「北斗君には本当に申し訳ないとおもっています」と言った。ケイイチは慌てて頭を振った。

「いえ。自分の役目だと思っていますから。それで、今回、数はどうなんです?」

「数は十と言ったところでしょう。この村に潜入してきました。近辺の山で方位磁石はいかれるはずですから、本来の数はどれだけなのかは分かりかねますね」

 霧島は職員机の上に置いた写真を示す。その写真には赤い鳥居と苔むした岩が写っていた。この村の各所に点在する社だ。

「敵は、最初からそれ狙いで?」

 敵、と発した声に我ながら震える。今まではそのような脅威などなかった。無縁の生活を送っていたのに、突然のことに戸惑うしかない。敵などという言葉など、人生で一度も使いたくはなかったというのに。

 霧島は軽く首を振った。分からないのだろう。

「一応、記憶は消しておきました。しかし、彼らの存在そのものは消せなかった。そんなことをすればますますこの場所が怪しまれてしまう」

 霧島の言葉はもっともだ。写真の中にある一枚、黒服の姿を捉えたものを見やる。御神体を抱えて逃げようとしている最中の写真だった。

「しかし御神体を取り除かれれば、この場所が割れる可能性があるのではないのですか」

「既に元の場所に戻してある」

 その声は霧島のものではなかった。不意に響いた声にケイイチが目を向ける。青いじんべいを着込んだ老人だった。がっしりとした体躯をしており、眼光は鋭い。ケイイチは思わず気圧されるものを感じた。

「ゲンジロウさん」

 霧島の声に、ゲンジロウと呼ばれた老人は顎に手を添えて写真を手に取った。

「こやつらの正体は?」

「恐らくはR機関の諜報員でしょう。この場所を嗅ぎ回って来たというわけです」

「どこから情報が漏れた? 封鎖は万全のはずだろう」

「偶然、にしてはしっかりとした人数が入ってきていますからね。計画されたものだとしたら、この星園村も安全じゃない」

 村の名前を霧島は口にした。星園村。真実を知っている者からしてみれば何と皮肉な名前だろうとケイイチは思う。まるで楽園のような名前だ。何も知らない人間からしてみれば、ここは楽園だろう。しかし、大人たちは知っている。知らないのは子供とヒビキとヨシノだけだ。自分が大人の一部であることにケイイチは不安を隠せなかった。同い年の二人でさえ欺いている。こんな自分をどう思うだろう。ケイイチは二人が行ってしまった道を眺める。羨望の色が目に浮かんでいた。

 ――何も知らないうちは。

 偽りの平和を享受するだろう。今日、ヒビキが授業中に呟いたではないか。平和だな、と。確かに見かけ上はこの村は平和そのものだ。しかし、それは危うい均衡の上に成り立っていることを知っていると正気ではいられない。

 額に手をやって、ゲンジロウは思案しているようだった。かき上げられた前髪にヒビキと同じ逆三角形の刺青が見える。

 全てを知っている者と何も知らない者が同居しているのは、傍から見れば危ういバランスだ。いつ、そのバランスが崩れてヒビキへと真実の荒波がなだれ込んでくるとも限らない。そうなった時、自分はどうするだろうか。何も知らなかったヒビキを哀れむだろうか。それとも――。

 そこまで考えて、霧島の声に遮られた。

「やはり記憶を消す程度では生温かったのではないでしょうか?」

「いや」とゲンジロウが顔を上げる。

「我々が手を下すわけにはいかん。全てが白日の下に晒された時、その手が血に塗れていてはならないのだ」

 白日の下に晒された時と言ったが、それはいつだろう。もしかしたら明日にでも全てが明らかになるかもしれない。

「彼らの目的は例のものでしょうか?」

 霧島の質問に、ゲンジロウは首肯した。

「だろうな。その過程でこの場所を見つけたというわけか」

「日本にあるという正式情報はないはずですけどね。やはり世界が一番目を光らせているのは日本だからでしょうか」

「十五年前の出来事を落ち着いて反芻すれば、日本にあるという風に帰結してもなんら不思議ではない」

 十五年前。ちょうど自分が生まれた時だ、とケイイチは考える。ヒビキとヨシノも生を受けた時期。それは世界的にも大きな出来事が起こった時だった。それが全ての始まりだったのだ。

「我々が回収しているという事実を知っているのは」

「政府でも一部の幕僚だけだろう。そこから情報が降りてきた線は否定し切れんがな」

「では既にR機関は」

「動き出していると考えたほうがいいだろうな。次こそ、奴らは本気になるだろう」

 ゲンジロウの言葉に霧島は頭を抱えた。

「……まさかこんなことになるなんて。せっかく逃れに逃れて辿り着いたというのに」

「それを知っておるのも、ワシらだけだ。彼らは、新天地を認めてはくれんのか」

 痛みに呻くような声だった。悲痛な叫び。自分たちの生まれに関わる重大な秘密。それに触れるのは半ばタブー視され、今では直接口に出すことすら憚られるものになってしまった。

 ゲンジロウが窓の外を眺める。その眼が細められ、青空を映した。

「せっかく、空を拝めるようになったというのに」

 痛みを共有するものからしてみれば、それは重い言葉だ。誰もが沈痛な面持ちを伏せていた。

「お孫さんには、ヒビキには、いつ知らせるつもりです?」

 その静寂の中でケイイチが発した声は思ったよりも響いてしまった。誰もが沈黙を貫く中、ゲンジロウだけにはその答えが性急に迫られていた。ゲンジロウは瞑目し、硬く閉ざした唇から言葉を紡いだ。

「いつかは伝えねばならん。あれは、あの男の息子だからな」

 あの男という言葉に込められたものをこの場にいる全員が共有していた。ケイイチだけは会ったことがない。しかし、ヒビキの人柄を見ていれば分かる。ヒビキは持て余しているのだ。自分というものを。いつかは、真実に押しつぶされる時が来るかもしれない。自分たちはその日のために、ヒビキを支えられるだけの強さを備えねばならなかった。

 そのためならば冷たく当たろう。憎まれ役にもなろう。その時に情が移っていては冷静な判断が下せないかもしれない。

 ふとゲンジロウはどうなのだろうかと考えた。その時が来れば断ずるだけの強さは備えているように見える。しかし、誰よりもヒビキには近い。甘さと愛情の違いの分別をつけているのだろう。その眼差しには迷いなど微塵にもないように見えた。だが、それは自分がそう思いたいだけなのかもしれない。そう考えたほうがゲンジロウという人となりを分析する上で都合がいいからだろう。そうでなければ、その強さは、時に異形にさえ映る。どうしてそう強くあれるのか。尋ねてみたい衝動に駆られたが、必死に押し留めた。

 霧島が、「ヒビキ君には」と口にする。

「辛い宿命を背負わせてしまっています。それはある意味では我々の業ですから」

「それはワシも同じだ」

 そう告げたゲンジロウの横顔に僅かながら翳りを見つける。ゲンジロウとて迷いの中にあるのか。その予感が確信となる前に、厳しい顔立ちの中に隠れた。

「ヒビキが知る時、その時には」

 ケイイチが声を発する。窓の外を眺めていた。どこまでも続く青空。青々とした山脈が空を衝く。

「僕も覚悟を決めなければならないと思っています」

 その言葉に返せる大人は一人もいなかった。


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