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♯22 惑星の剣

 ミーティアの背部にあるクジラの身体のようなメイン推進機関が折り畳まれ、背中に沿うように装備される。

『行ってらっしゃい、ヒビキ君。健闘を祈っていますよ』

 霧島の声だ。それに続いて他の人々の声も混じる。

『わたしたちの希望、託すよ、諸星ヒビキ君。ホラ、レイカも一言』

『えっ、あ、押すな、ミナミ。言うから』

 ヒビキが待っていると、レイカがマイクの前で息を吸い込んだ気配が伝わった。

『諸星ヒビキ。貴様には責任と……』

『あー、もう。堅苦しい天月少尉はやめなって。お父さんの親友の息子さんじゃん? だったらさ、もっと砕けていこうよ』

『急にそんな……』

 レイカが困惑しているのが分かる。ヒビキは、「無理しなくっていいんじゃねぇか」と言った。

『無理などしていない。諸星ヒビキ』

「はいよ」

 僅かな逡巡の間を挟み、レイカは口にした。

『せいぜい、気をつけろ。達者でな』

 レイカらしい言葉だと思った。無駄な装飾がなく、かといって全く心配していないわけではない。ヒビキは声を返した。

「了解。そちらこそ、お元気で」

 その言葉を潮にして通信を切った。

「諸星ヒビキ。ミーティア、出撃!」

 ヒビキの声に呼応するようにミーティアがメインの推進剤を噴かす。カタパルトから射出されたミーティアの機体は重力をものともせずに上昇していく。それはさながら、宇宙へと昇る流星だった。

 コックピットの中の激震が消え、静寂が辺りを包み込む。宇宙空間に出たのだと知れた。周囲は無辺の闇だ。補正された星の光でようやく自分を自覚できる。背部推進ロケットを元の位置に戻し、ミーティアは脚部推進剤で前に進んだ。前進を押し広げるイメージで前へ前へと向かう。

 まだ隕石獣との遭遇ポイントではないらしい。ヒビキはポケットから写真を取り出した。こちらに向けて柔らかな笑顔を向ける女性。これが自分の母親なのか、確信はない。誰かに確認したわけでもない。しかし、額の逆三角形の刺青が血筋を物語っている。

「母さん、親父、見ていてくれ。英雄にはなれなくっても、俺は守りたい奴を守る」

 その時、緊急警報が耳朶を打った。ヒビキは目を向ける。拡大ウィンドウの中に青白い尾を引く対象が見えた。前回と違うのは盾のような扁平な頭部ではない。まるで風船のように膨らんでおり、中央に赤い単眼があった。表面はぼこぼことしている。完全な球体ではなく、形状は電球に近い。

ヒビキの脳内へと直接、隕石獣の情報が流れ込んでくる。ヒビキは額を押さえて呟く。

「隕石獣、バルム型……」

 バルム型の隕石獣はミーティアへと真っ直ぐに向かってくる。

「俺があいつを感じるように、あいつも俺を感じているのか」

 奇妙な宿縁だ、とヒビキは歯噛みした。隕石獣から青白い膜が消え、赤い眼がミーティアを睨む。ミーティアはソウルブレイカーを突き出した。

「来るなら来い。こっちには無敵のソウルブレイカーがあるってんだ」

 その声にまるで反応したかのように、隕石獣は背部から青白い光を噴き出して迫ってきた。ミーティアが身構える。肉迫した瞬間、隕石獣の体表から何かが粘液を引いて飛び出した。それは折り畳まれた腕だった。まるでカマキリのような腕が二対四本、体表から出てきたのだ。ヒビキは咄嗟のことに反応が遅れた。それを見逃す隕石獣ではない。

 斜めから振り下ろされた一本目の腕がミーティアを引き裂かんと迫る。ヒビキは腕を出して受け止めた。その瞬間、火花が散り白亜の機体表面が見る見るうちに焼け焦げていく。まずい、と隕石獣を引き剥がそうと左手を伸ばすが、そちらからも腕が伸びてきた。

「胴体に食らうのは、まずい」

 左手で腕を受け止めるも、触れた瞬間火花が散って掌を溶解させる。ヒビキは恐怖を覚えた。このまま腕を切り裂かれ、達磨にされたミーティアはなぶり殺しにされるのではないかと。

 その思考がミーティアに伝わったのか、ミーティアは両足を突き出した。脚部推進剤が焚かれ、隕石獣を蹴りつける。隕石獣から距離を取って流れるようにミーティアの機体がロールする。ヒビキは全身の推進剤を制御して機体を垂直に保たせた。

 ヒビキは息を荒立たせて隕石獣を見やる。隕石獣は四本の腕を展開し、禍々しい姿でミーティアを視界に捉えていた。このまま消耗戦を続ければやられる。その確信に、ヒビキは考えを巡らせた。どうする。どうすればいい。宇宙空間では通信さえも届かない。誰にも頼れない。自分一人でやるしかない。

 ぶるっ、と肩が震えた。その震えが伝播し、指先に至る。

「あれ、どうしたんだ、俺……」

 ヒビキは操縦桿から手を離し、肩を抱いた。直感的にその感情の意味を探る。

 ――怖い。

 誰にも見取られず、この常闇の中で消えていくのが怖い。隕石獣に相対するのが怖い。戦いの中で恐怖を知ったのは初めてだった。隕石獣が動きの鈍ったミーティアへと青白い尾を引いて近づいてくる。接近警報が鳴り響く。ミーティアに組み付いた隕石獣が脚の付け根へと腕を伸ばした。触れられた、と思われた瞬間、バチンと鋭い音が響き渡る。コンディションを示す模式図の中で左脚が赤く染まり、グレーに塗り固められた。

 ――殺される。

 隕石獣の腕が伸びて左肩に突き刺さる。火花が散り、装甲の砕ける音が断続的に響き渡る。ヒビキは耳を塞いで蹲った。

 もう駄目だ。バラバラにされてしまう。ヒビキは縮んで頭を抱えた。隕石獣の赤い眼が大写しになる。ぎょろりと睨む目に全身に怖気が走った。

「……嫌だ」

 這い登ってくるような恐怖にヒビキは声を上げた。目の端に涙を溜める。

「死にたくない。殺されたくない。俺は、俺は……」

 ――もし、強大な敵にぶつかった時、どうする?

 祖父の言葉が脳裏に思い出され、ヒビキはハッと目を見開いた。いつも朝稽古の後に祖父が言っていた説教だ。それが胸の中で再生される。ヒビキは記憶を手繰って、その言葉を喉から搾り出した。

「……強大な敵はお前を殺そうとするかもしれない。大切なことだ。その時、お前は何を信じる? 何のために戦う? それが胸にあるならば、たとえ腕をもがれ、脚を切り裂かれようとも何度でも立ち上がる。それが――」

 ヒビキは震える手で操縦桿を握り締めた。まだ恐怖が完全に拭い去れたわけではない。しかし、祖父の言葉はヒビキの胸に火を灯した。微かな火だが、それが心を照らし、常闇の中で一点の光となる。

「それが俺であり、諸星家の男だ!」

 ヒビキは操縦桿を思い切り引いた。

 ミーティアの右脚が動き、隕石獣へと膝蹴りを見舞う。隕石獣が怯んだ隙に推進剤を焚いて、ミーティアは離脱した。距離を取ると、隕石獣がくるりと一回転して赤い眼の中にミーティアを捉える。ヒビキは呼吸を整えた。いつもの稽古と同じだ。流連式柔の基本である。

「相手の呼吸と自分の呼吸を合わせ、魂を一体化させる」

 ミーティアがぐずぐずに崩れた左肩を動かして、左手を前に差し出した。構えを取る。青白い炎を吐き出して、隕石獣が迫る。ヒビキは左手で迫る四本の腕をいなした。一本目を上に弾き、下段から迫った二本目は手刀で落とし、三本目は返す刀で切り上げ、四本目は掴んだ。掴むと同時に引き寄せ、ヒビキは右の操縦桿を思い切り引いた。

 それに対応して動いたミーティアの右手が大きく引かれ、鋭く尖った切っ先を隕石獣に向ける。ごつごつした表皮に銀色の刃が突き刺さった。

「ソウル――」

 ヒビキが操縦桿のトリガーに指をかける。四本の腕が再び迫り来る。腹の底から声を張り上げた。

「ブレイカー!」

 爆薬が隕石獣の体内で誘爆し、バルム型の表皮がぶくぶくと膨れ上がる。体勢を崩した隕石獣が腕を引っ込めようとする。ミーティアが掴んだ腕をさらに引き込む。ソウルブレイカーの刃を深く突き入れた。隕石獣の一面が腫れ上がり、端から崩れ落ちていく。緑色の血が噴いて白亜の機体を濡らした。

 ヒビキは雄叫びを上げた。死の恐怖には打ち勝てたわけではない。しかし、今はしゃにむに戦う。

「俺は、守りたい奴らを守るんだ!」

 言葉にした決意がソウルブレイカーから放たれた爆薬となり、隕石獣の体内で炸裂する。隕石獣が弾け飛ぶ。一際巨大な血の放水があった。人間ならば動脈を切ったのだろう。

 ――勝った。

 そう感じた瞬間の出来事だった。隕石獣の表面が波立ったかと思うと、無数の小型の腕がさざなみのように現れた。ヒビキがそれに目を向けた直後、小型の腕から小さなバルム型が放たれた。無数の流星がミーティアを打ち据える。ミーティアの白亜の装甲が破れ、弾け飛び、捲れ上がった。ソウルブレイカーが抜けそうになる。巨大な四本の腕のうち、掴まれていない三本を駆使して隕石獣はミーティアから逃れようとしていた。最早、ミーティアとの一対一は望んでいない。地上のロードを殲滅することに目的を切り替えたのだろう。

「そうは、させるか」

 ヒビキはノイズが走るコックピットの中で操縦桿を離さなかった。衝撃がコックピットを激震する。頭が揺れ、ヒビキは正面のディスプレイに額を強く打ち付けた。鼻の頭をぬるい液体が伝っていく感触を覚える。ヒビキは奥歯を噛み締めた。消え入りそうなディスプレイの中で獣のように叫ぶ。ウィンドウが危険を伝えるアラートをけたたましく鳴らす。赤色光がコックピットに滲み、塗り固めようとする。ヒビキはそれを振り払うかのように操縦桿のトリガーを引いた。逃れようとする隕石獣が見る見るうちに膨れ上がっていく。しかし、崩壊しない。ヒビキはそこで初めて、左側の操縦桿を強く引いた。

 ミーティアの左手が連動して腕を離す。解放された腕がミーティアの頭部を叩き潰そうと伸びる。ミーティアは左手を掌底の形にして下段から突き上げた。砲弾のような突きが隕石獣を打ち据える。隕石獣の眼が震えた。

「奥義、破魂拳」

 頭部へと伸びてきた腕の一撃がミーティアの肩口に突き刺さる。過負荷のかかった左肩を突き破った一撃によって、左肩から先がボロボロと崩れていった。隕石獣は赤い眼を戦慄かせている。今や隕石獣は巨大な悪性腫瘍のような歪な形状になっていた。

 ヒビキは通信機能をオンにした。

「一つ、聞きてぇ」

 隕石獣しかこの通信は拾えないはずだ。赤い眼を真正面に捉え、ヒビキは問うた。

「どうして、ロードを狙う」

 その声に隕石獣の赤い眼が告げた。通信機能のうちの一つ、文字通信を用いて隕石獣が応じる。ロードの使う古い文字だった。

 ヒビキはそれを読み上げた。

「それが種族のさだめだから、か。お前らも、地球にいる奴らと変わらないな」

 ロードだから。人類だから。それだけで永遠に争いをやめない。肌の色が違うから、言葉が違うから、宗教が違うから、それらの理由で諍いを起こす者たちと何が違おう。

「このミーティアは因果を断つ星の剣。ここで終わりにしてやる」

 その言葉に応じるように文字が刻み込まれた。ヒビキはフッと口元に笑みを浮かべる。

「終わらせる気はない、って? だろうな。来るなら来いよ。その度に、俺が倒してやる」

 ヒビキはソウルブレイカーの残弾を確認した。残弾一、だ。ヒビキは背部推進剤の推力を最大限まで開いた。フットペダルを踏み込むと、前後に展開している四輪から緑色の光が押し広げられる。

 ミーティアのクジラのような背部推進剤が青白い光を放ち、炎を噴いた。ソウルブレイカーの刃が深々と隕石獣に突き刺さる。

 ヒビキはトリガーを引いた。

 直後、隕石獣がこれまでにないほどに膨張し、緑色の血をガスのように噴き出した。水風船が割れるようだった。少しずつ隕石獣が小さくなっていく。後にはぐずぐずした欠片だけが残った。隕石獣が内側から炸裂し、細やかな破片となって分散する。大気圏に至り、赤い光に包まれていく様は、地上の人々からすれば無数の流星群に見えるだろう。その中の一つにこのミーティアもなる。

 ヒビキは力が抜けていくのを感じた。やるべきことを果たした。ミーティアも限界まで酷使したその身を晒し、成層圏を彷徨う。

「……帰れるか?」

 尋ねると、「帰投不能」という赤い文字が表示された。どうやら燃料を使い果たしてしまったらしい。永遠に周回軌道を回るしかないのか。それも末路だな、とヒビキは目を瞑ろうとした。

 その時、微かに聞こえた。

 ――諦めるな、ヒビキ。

 聞いたことのない男の声にヒビキは目を開いた。前後の四輪から光が溢れ出し、コックピットを染めていく。緑色の光が星園村の田園を吹き抜ける風のようだった。その風に混ざって、誰かの声が不意に聞こえたような感覚だった。

「今のは、親父……なのか」

 確証のない言葉を他所に光が広がっていく。それが視界を染め上げたのをヒビキは感知した。


 広がっているのは田園だった。山裾から黄昏に沈む田園を眺めている一組の男女がいる。女の額には逆三角形の刺青があった。

 ――楽園は、あるのかしら。

 女の声に男が応じる。

 ――ああ、僕たちが願えば、きっとどこだって楽園になるさ。

 女の手を男がぎゅっと握った。女のお腹は大きい。

 ヒビキは後ろからそれを見つめていた。やがて笑みがこぼれた。

「何だよ、それ。恥ずかしい人たちだな。全く」

 ヒビキは身を翻した。トロイメライが流れ始める。

 さぁ、帰ろう。


「隕石獣の破壊を確認。モニターに出す、って、ちょっとレイカ?」

 ミナミの声を待っていられなかった。レイカはテントから飛び出し、黄昏時の空を眺めた。空を横切っていく光の線が見えた。それはまるで夕映えを引っ掻いたような傷となり、視界を横切っていく。兵たちもそれを仰いでいた。隕石獣の破壊の残滓。流れ星となって消えていく。

 誰もが同じ光を見ているのだろう。ロードと人間の区別なく。流星は全ての人々に平等に降り注いだ。しかし、レイカは流星を待っていたのではない。夕暮れに広がった流星の束が消え去り、静寂が訪れた。レイカは覚えず両手を合わせていた。まるで願うかのように。

 すると、空に一点の光が浮かんだ。宵の明星と重なって見えたその光にレイカは顔を綻ばせた。

 それは光をもたらす星であり、人類にとってもロードにとっても希望の一等星となりうる光だった。

「――帰ってきた」

 レイカが呟いて両手を広げた。まるで祝福するかのように。星を掴もうとするその手に応じるかのように宵の明星が輝いた。



星剣のミーティア/完

星剣のミーティア、これにて完結しました。


これまでありがとうございました。

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