♯21 流連合体
自分の意志が足を進めさせるのか、天月から受け継いだ意志が足を進めさせるのか。答えが出ずとも、ヒビキは今この場で成すべきことを自分の中に見出していた。願うのならば大きく願う。
「……どうせ願うのなら、傲慢なほうがいい」
発した声にヒビキはいつの間にか天月の言葉が染み渡っているのを感じた。父親のことを知らされたからというのもあるだろう。今まで身のうちに感じたことのない熱があった。脈打つ熱は意志の力となってヒビキの身体を駆け巡る。階段の手前で祖父とケイイチと出くわした。祖父は一言だけ、重く尋ねた。
「行くのか」
「ああ、俺は行くよ」
「誰のためだ」
訊いたのはケイイチだ。踏み出しかけた足を止めて、ヒビキは立ち止まった。ケイイチはヒビキを見ない。背中合わせに言葉が交わされる。
「ロードのためか、人類のためか」
「どっちでもない」
返した言葉は自分でも驚くほどに形になっていた。拳を固めて、ヒビキが口にする。
「俺は守りたい奴のために戦う。人類も、ロードも関係ない」
それが父親のやったことならば。引き継ぐべきは人類の血でもロードの血でもない。意志の血脈だ。諸星ダンは全てを守ると誓い、それを果たした。その行く末が自らの消失だとしても、ヒビキはその言葉が自分の結論だと感じていた。
「それは身勝手だ。ミーティアを唯一動かせる身でありながら、その程度の覚悟なんて」
「かもしれない。ケイイチからしてみれば身勝手で中途半端だ。でも」
ヒビキは振り返り、ケイイチの大きな背中を見た。
「俺は自分の意志で乗るかどうかは決める。この身体には両方の血が流れている。じゃあ、両方救ってやるよ」
発せられた声にケイイチは鼻を鳴らした。
「傲慢だな」
「願うのなら、そのほうがいい」
ヒビキは階段を降り出した。その背中にもう言葉はかからなかった。後ろからレイカがついてくる気配が伝わる。校舎から出て、イーグル号からビニールシートを引き剥がした。ハンドルを握り、エンジンを始動させる。低い駆動音が響き、後からやってきたレイカが目を見開いた。
「驚いたな。本当に貴様でなければ動かないとは……」
「あんた、乗ってけよ」
ヘルメットを差し出してヒビキが言う。レイカは周囲を見渡した。自分が言われているとは思えないのだろう。
「どうして、私がそのような真似をしなくてはならない」
「現場指揮官ってのは急いだほうがいいだろ。それともあんた、バイクは怖いか?」
ヒビキの声にレイカは眉間に皺を寄せて、「馬鹿にするな」と呟いた。ヒビキの後ろに回り、イーグル号に跨る。ヘルメットをレイカが着けたのを確認し、ヒビキはアクセルを開いた。フットペダルを踏み込み、イーグル号が呻る。車輪がぬかるんだ泥を巻き上げて一直線に校門をくぐった。レイカが背後で短い悲鳴を上げたのが聞こえる。
「やっぱ、怖いんじゃねぇか」
「うるさい」とレイカが言葉を返す。
ヒビキは田園の中に浮かんだ巨大な輸送機を視界に捉えていた。「あれは?」と声をかける。
「我が国の輸送機だ。ミーティアのボトムパーツが入っている。恐らくはこの村にあるカタパルトに既に輸送されたと思われる」
「あんた、よく聞いていると恐らくとか、思われる、とかいう台詞が多いな」
「うるさい。私だって……」
そこから先の言葉はなかった。ヒビキはふとブレーキをかけた。レイカが、「ひゃっ」と声を上げて前につんのめる。
「危ないだろう! それに、何故止める? まさか敵前逃亡するつもりじゃ――」
「あんた自身、分かってないんだろ。何が起こっているのか今一つ」
ヒビキの言葉にレイカは、「そんなこと……」と消え入りそうな声で言った。ヒビキは息をつく。
「あんたは正直者だな。あのおじさんにそっくりだ」
「おじさん? それはまさか天月中将のことを言っているのか?」
「あんたの父親だろう? それなのに中将とか呼んでいるんだな」
「当たり前だ! 職務上は上司だぞ。敬うのが礼儀だろう」
「俺の親父は英雄だ」
発した言葉にレイカはたじろいだように、「それが、どうした」と返す。ヒビキは肩を竦める。
「本当、それがどうしたが本音だよ。だからさ、あんたも中将だろうが何だろうが、それがどうしたでいいんじゃないか」
ヒビキの言葉にレイカは肩を荒立たせた。
「そういうわけにはいかない。私は昔からそうしてきたし、これからもそうだ。お父さん、……いや、中将を尊敬している。中将のことを誇りに思っている。だから私はここまで来れた」
レイカの言っていることは分かる。誉れ高い父親を持っている。そのことに対して自分でも尊敬の念を抱いている。自分と同じだ。英雄だと言われ、その通りの規範を求められた。レイカは規範に従うことで自分を殺している。自分もそうなりかけていた。しかし、ケイイチや天月の言葉で規範を愚直に守ることだけが生きる意味に繋がることではないと知った。
「あんたもまた、雁字搦めってわけか」
「分かった風な口を利くな!」
レイカはヘルメットを外して怒鳴った。ヒビキはレイカを見やる。レイカ自身、分かっているのだ。規範の中に生きるしかない自分を。規範の中でのみ、結び付けられる自分と父親との絆を。
「羨ましいよ」
ヒビキの発した声にレイカは眉をひそめた。
「何がだ」
「そうやって、絆を実感できることが。俺にはつい昨日まで何もなかった。じィちゃんとは十五年間も一緒だったけど、親父や母さんとの繋がりなんて何もなかった」
レイカがハッとしてヒビキを見やる。その言葉の含むところに気づいたのだろうか。「貴様……」と声を発する。
「父親との関係を確認するためにミーティアに乗るのか」
「それもある」
しかし、それだけではない。ヒビキはヨシノやケイイチ、祖父のことを思い描く。守りたい相手だけ救うために戦う。その決意が口をついて出た。
「俺は山ほどのロードや人間を救いたいわけじゃない。親父の信念に比べりゃ薄っぺらいかもしれない。でもさ、守れる範囲さえ守れりゃ、それで勝ちだと思うんだ」
「勝ち、か」
「そう。少なくとも負けじゃないだろ」
レイカは顎に手を添えて難しそうな顔をしている。しばらく考える間を挟んでから、「なるほど」と口にした。
「だがM2が落ちてくれば――」
「それはもう勝ち負けじゃなくって終わりだな。終わらせたくないし、負けたくない。今の俺の心境は、そんなところだ」
打ち明けたのは天月の影響があったからかもしれない。誰かに言葉を託したい。父親は、「お元気で」と最後に言ったという。ならば、それくらいの気軽さを持って戦いに臨める器量は持ち合わせたい。
「何だ、それは」
言ってレイカは口元を緩めた。それを見てヒビキが、「あっ、笑った」と言葉を発する。レイカがしまったとでもいうように口元を押さえた。
「あんたでも笑うんだな。俺にはあんたがミーティアよりもわけ分からないロボットに見えていたけれど」
ヒビキはハンドルを握った。「出すぜ」と声をかけると、レイカはヘルメットを被り直して頷いた。イーグル号がいななき声を上げて駆け抜ける。田園風景の中にぽつりと浮かんだ異物である白亜の機体――イーグルミーティアへと走っていく。途中で、レイカを降ろした。金髪で眼鏡をかけた女がテントから出てきてヒビキに歩み寄り、「おっす、英雄の少年」と馴れ馴れしく言った。
「あんたは?」
「解析班の高谷ミナミ。ロードの方々からミーティアのシステム面での諸々を任せられることになった。よろしく。多分、君とも頻繁に話す」
ミナミと名乗った女は煙草を取り出してライターで火を点けた。紫煙がたゆたい、煙い息を吐き出す。手が差し出された。小さな女性的な手だ。レイカの手と反射的に見比べると、レイカが身体ごと手を引っ込めた。ヒビキはミナミと握手を交わす。
「ってわけで、ミーティアのオペレーションを開始する。方法は――」
「いらねぇ。俺はもう全部知っている」
口にした言葉にミナミが、「そうだった」と笑う。
「では好きにするといい、諸星ヒビキ君。……あ、でも一つだけ言わせて」
ミナミが指を一本立てる。レイカとヒビキが怪訝そうに見つめていると、ミナミは手を振り翳し叫んだ。
「ミーティア、出撃準備!」
その言葉に場が凍りついた。兵隊たちもぽかんとしている。レイカは呆然と口を開いていた。ヒビキも状況が飲み込めずにいる。ミナミが、「あれ?」と後頭部を掻いた。
「おっかしーなぁ。百年前のデフォルメコンテンツではこういうのを言う役目が絶対いるんだけど……」
困惑するミナミにレイカは吹き出した。その様子をヒビキとミナミが意外そうに見つめる。レイカは咳払いをして威厳を取り戻した。
「何をしている? 遊んでいる暇はないんだぞ」
真面目ぶったその声に今度はミナミとヒビキが弾かれたように笑い出した。それを見てレイカが頬を紅潮させる。
「なっ、笑うな、馬鹿!」
慌てる様子がさらにおかしく、笑いを鎮めるのは大変だった。「はいはい」とミナミが片手を振る。
「レイカちゃんのボロも出たことだし、諸星ヒビキ君。出撃だ」
「おう」とヒビキは応じてフットペダルを踏み込んだ。イーグルミーティアの機体へとイーグル号が近づく。直後、前輪と後輪が割れて展開し、四輪を広げた。浮かび上がった車体がイーグルミーティアのコックピットブロックへとはめ込まれる。四輪が回転して緑色の光が上がり、キャノピーが下がった。コックピットの内部に幾つものウィンドウが連なる。
『あー、テステス。諸星ヒビキ君、聞こえる?』
ミナミの声がコックピット内部に聞こえる。ヒビキは、「ああ」と返した。
『それならばよし。これからミーティアボトムパーツとの合体シークエンスに入る。ボトムパーツの座標データは送ってあるからそれを参考に。動かし方は分かっているね』
「合体って、するとどうなるんだ?」
予てから思っていた疑問をぶつけるとミナミは、『わたしにもよく分かんね』と無責任な声を出した。
『でも完全体になるってことだけは確かだ。今回落下観測がされたM2は前回の比にならないほど大きい。それを破砕するには、それなりの力がいるってこと』
「なるほどな。つまり、それをつければ強くなるってことか」
『まぁ、簡単に言えばね。ああ、そうそう。前回経年劣化で壊れたソウルブレイカー。装着しておいたから。使えるかどうか確認、OK?』
ヒビキは右手の武器コネクターへと視線を向けた。右腕にソウルブレイカーが装着されている。全システムオールグリーンと表示されていた。
「何か、大丈夫そうだ」
『よしよし。なら、早速飛ばしてみよう。イーグルミーティアしゅ――』
『聞こえるか? 諸星ヒビキ』
レイカの声だった。『ちょっと、いいとこなのに』というミナミの声が聞こえてくる。
「ああ」
『私が現場指揮官だ。全ての指示には従ってもらうぞ』
「ロードの人たちは」
『ボトムパーツのバックアップに回ってもらっている。そちらで声を拾え』
ヒビキはひとまず安堵して、ハンドルを九十度回転させた。
『行くぞ。イーグルミーティア、出撃!』
レイカの声に混じって、『それわたしの台詞ー』と恨めしいミナミの声が聞こえた。その言葉尻を裂くように、ヒビキはフットペダルを踏み込んだ。推進剤が火を噴き、イーグルミーティアが浮かび上がる。一定の高度に上がったところでウィンドウの中に地図が浮かび上がった。どうやらそこへ向かえということらしい。ヒビキはその地図を見て、声を上げた。
「ここって標川じゃないか」
一昨日、ヨシノと訪れた社が近い川である。あの場所に何があるというのか。ヒビキはしかし、追求せずに、地図のナビゲーションに応じた。
イーグルミーティアが空を駆け抜けていく。一分もしないうちに標川が見えた。その時である。標川の水が激しく逆流した。何かに吸い込まれていくように泡立ち、荒々しく波が押しては寄せる。それを空中で見守っていたヒビキは次の瞬間、驚愕した。
「川が割れてる……」
地鳴りのような音を立て、川底が割れているのである。最初からそう仕込まれていたかのように川が二つに割れて、水が滝のように流れ落ちていく。割れ目から何かが顔を出した。ゆっくりと、カタパルトに固定されたそれが姿を現す。陽の下に晒された瞬間、ヒビキは目を見開いていた。
それはイーグルミーティアと同じ、白亜の機体だ。ちょうど腹部の辺りから下を構成している。腹部より少し上の部分に円形のガラスのような結晶体がある。ヒビキがそれに見入っていると、通信網を震わせる声が響いた。
『ヒビキ君』
「霧島先生? どうして?」
『私はこちらのボトムパーツの主任に命ぜられました。これは人類の叡智が結集された機体です。イーグルミーティアと合体することにより、その真価が発揮されます』
「合体って、どうするんだよ」
『それは既にヒビキ君の頭の中にあるでしょう。それが示すままに行動すればいいのです。ヒビキ君。信じていますよ』
その言葉に背中を押されたことに気づき、ヒビキはイーグルミーティアのハンドルを握った。イーグルミーティアが機首を上げて上昇に転じる。機体の腹部を向けて、逆噴射の推進剤を用い、ヒビキはイーグルミーティアをボトムパーツへと押し込んだ。その瞬間に脳裏に瞬いた言葉を叫ぶ。
「――流連合体!」
イーグルミーティアの腹部とボトムパーツのコネクター部分が合致する。ウィンドウが幾つも瞬時に現れては消えていく。ヒビキはハンドルを縦に起こした。最早ハンドルというよりも一対の操縦桿と言ったほうが正しい。ヒビキはそれを掴んで顔を上げた。赤い光がヒビキの手の甲と目元を探り、認証アナウンスが響く。
『認証完了。対象を諸星ダンと――』
「違う」
遮ってヒビキはミーティアに命じる声を出す。
「俺は諸星ヒビキだ。覚えておけ」
その言葉に暫時、沈黙が舞い降りた後、再びアナウンスが響く。
『認証情報を修正しました。対象を諸星ヒビキと認定。言語を日本語に固定します。ミーティア、変形シークエンス開始』
イーグルミーティアの機首だった部分が回転し、コックピットブロックがそれに併せて動く。
猛禽を思わせる機首は裏返り、一対の眼を覗かせる頭部になっていた。人間の頭部に近いが、額に逆三角形の穴がある。その穴を補強するように内側から赤い宝石のような結晶体がせり出してきた。逆三角形の結晶体が固定された瞬間、眼窩の窪みから緑色の光が放射され、鋭い眼差しを顕現させる。
『ミーティア、合体完了』というアナウンスに、ヒビキは声を上げた。
「流連合体! 星の剣、ミーティア!」




